07
「やだ…やだよ、ティオぉ…。こんなの、やだよぉ……」
涙が止まらない。
体に力が入らなくて、気を抜くと、意識を無くして倒れてしまいそうになる。
目の前の状況を否定する材料を全力で探しているのに、見つかるのは、ただ1つの残酷な現実だけ。
ティオが死んでしまった。
あまりにも呆気なく、あまりにも簡単に。お別れの挨拶さえ出来なかったくらいにあっという間に、彼女は息絶えてしまった。
「ウソだって言ってよ……お願いだから…。もう、あんたを怒ったりしないから…」
そんな言葉を繰り返す度に、あふれでる涙は更に勢いを増していく。心の中では、とっくに分かってるんだ。ただ、それを認めたくないだけで。
「ティオ、起きて…お願い、起きてよぉ……」
こんなことをしても何かが変えられるはずもないのに、駄々をこねる子供みたいに、私はいつまでもいつまでも無意味な言葉を繰り返してしまっていた。
「姉さん……」
そのとき、背後からぼそりと呟く声が聞こえた。
振り返るとそこには、気絶から目を覚ましたサラニアちゃんが立っていた。時間がたって、少しだけ傷が回復したらしい。
「死んでしまったのね……ニャ…」
ティオは彼女のことを助けようとして、アシュタリアの攻撃の前に飛び出してしまった。もともとそんなことするようなやつじゃあなかったのに。
きっとティオにとってのサラニアちゃんは、特別な存在だったんだろう。だから、いつもは「殺してやる」なんて言っていたのに、いざ彼女の命が危ないって思ったときには、体が勝手に動いてしまったんだ。
…………これがもしも、男の子たちがよく読んでるような、熱いバトル漫画だったなら。あるいは、世間によくある普通の異世界冒険物語だったなら。
お姉さんのティオが自分を守ってくれていたことに感動したサラニアちゃんがアシュタリアに勝負を挑んで。そこを、悲しみを乗り越えた私がレベルアップ魔法でサポートなんかして。サラニアちゃんのレベルが1.5倍になって、見事にティオの仇を討ってアシュタリアを倒す……なんて展開が、あり得たのかもしれない。
でも残念ながら、これはそんな話じゃないんだ。
「私、姉さんにウソをついていた……ニャ…」
サラニアちゃんはひどく落ち着いた様子で、まるで、ティオがまだ生きているみたいに話しかける。
「私が母さんたちを殺したのは、レベルを上げるためなんかじゃない。『あの日』、死体のなかに微生物を見つけたのは、私じゃなくて母さんたちの方だったんだから……ニャ…」
倒れているティオの側に座り込む。そして本物の猫が毛繕いでもするみたいに、彼女はティオの体を優しく撫で始めた。
「母さんたちはあの微生物を使って、私と姉さんのレベルを上げようとしていた……。私たちをレベル60にしてから殺して、自分たちのレベルを上げようとしていたのよ。この世界はレベルが全てだから、母さんたちだって、私たちよりも自分のレベルの方が大事だったのね……ニャ…」
遠い目をする彼女。
「でも、私はもうそんなの、うんざりだった……。だから自分だけレベルを上げて、私たちを殺そうとしていた母さんたちを、逆に殺してしまったの……。レベルのことしか考えていない母さんたちがいたんじゃあ、姉さんはいつまでたってもレベルのことを忘れられない……妹の私のことも、レベルでしか見てくれないから……」
「そんな……」
それじゃあ、サラニアちゃんがお母さんを殺害した理由は、ティオのためだったってこと……?
その独白に、私は胸を打たれるような衝撃を受けた。
もちろん、彼女の言っていることが全て真実だとは限らないし、真実だったとしても、『あの日』の彼女の罪が許されることにはならない。自分のお母さんを殺したことは、どんな理由があっても絶対に許されない罪だ。
だけど私はその話を聞いて、少しだけ安心してしまったんだ。今まで理由も分からず、ただただ親を殺したという恐ろしいイメージに包まれていた、理解不能のモンスターだったサラニアちゃん。そんな彼女の気持ちが、今はほんの少しだけど分かった気がしたから。
彼女も本当は、ティオのことが大好きだったんだ。本当に、他の全てを犠牲に出来てしまえるくらいに、誰よりもティオのことを想っていたんだ……。
気づけばいつの間にか、私の涙は止まっていた。
ティオの体を撫でながら、彼女は続ける。
「私がレベルを上げ続けて、いつかこの世界の神…『管理者』になることが出来れば……。レベルなんていう、つまらないルールもすっかり変えてしまえる……。昔みたいに、無邪気に何も考えず、2人きりで遊んでいられる世界になる……って。そう、思ってたんだけど……。でも、ダメだった……ニャ…」
体を撫でる手がティオの顔のところまでやってくると、彼女はティオの前髪をかき分けて、おでこの真ん中に軽くキスをした。まるで何かの宗教儀式のようなその行動が、彼女にとってどんな意味を持っていたのかは、私にはよく分からなかった。
でも少なくとも、さっき私に訳のわからない『完璧な亜世界』の話をしたアシュタリアなんかよりは、今のサラニアちゃんの方がよっぽど普通に思えた。
それから彼女は、ティオに向かって微笑む。
「貴女は私にとって、最高の姉さんだったのに……。私は、貴女に相応しい妹になれなくて……ごめんなさい……」
今まででも充分きれいだったけど、そのときの優しい笑顔の彼女は、まばゆい後光を背負っているように見えるほど、美しかった。私はその顔に見とれて、呆然としてしまっていた。
やがてサラニアちゃんは上体を起こして、右手を軽く持ち上げる。そして、普段は隠されている鋭い手の爪を伸ばした。彼女の滑らかで迷いのない動きに、その場の誰も反応することが出来ない。
それから彼女は、まるでその切れ味を確かめるみたいにあっさりと、爪をたてたその手を、自分の左胸に突き刺した。
「………!」
その一突きで、サラニアちゃんの心臓には背中まで貫通する穴が開いた。明らかな致命傷だ。でも、彼女は苦痛の声を上げたりもせず、静かに体の機能を停止して、ティオの隣に倒れてしまった。
結局、2人の猫娘の姉妹はどちらも命を落としてしまった。
今は2人とも仲良さそうに体を寄せあって、永遠の眠りについている。どちらの顔もとても安らかな表情で、耳をすませば、すやすやという寝息まで聞こえてきそうだ。
でも、実際にはそんなことはあり得ない。2人が目を覚ますことは、もはや永遠にないんだ。
私は足元に横たわる2人の亡骸を、無言で見つめている。
もう今は、さっきみたいに泣き言を言ったり、現実逃避して叫んだりはしない。
感情が死んでしまった訳じゃない。悲しくない訳でもない。ただ、自分でも驚いてしまうくらいに不思議なことに、今の私は冷静そのものだった。
「やれやれ、じゃ…」
ため息と共に、一部始終を見ていたアシュタリアが呟く。
「順番が狂ってしまったのじゃ。私的には、意識的に『チート』を使った罪の重い白猫の方を最初に始末して、無自覚じゃった三毛猫の方は2番目に、という予定だったのじゃが……。ま、どっちしろ結果は変わらんから、よしとするかのー」
「……何で?」
「んんー?ああ。何故、微生物の存在に気付いていなかった三毛猫の方まで始末する予定だったのか、じゃな?それはな、あの三毛猫も『チート』をしていたからじゃ。お前という、最強最悪の『チート』をな。おっと、言い訳は言わせんぞ?だってそうじゃろ?お前の存在は、どう考えたって『チート』以外の何者でもないじゃろー?この『亜世界』において、お前のレベルアップの魔法ほどの『チート』など……」
「何で、何も思わないの?」
「……ん?」
私の呟きを誤解して、何かどうでもいいことをつらつらと並べ立てていたアシュタリア。でも私は、そんなことには少しも興味がない。
だから、彼女の言葉を遮って、真っ直ぐに彼女の目を見つめて、呟きの続きを言った。
「この2人を見て、何であんたは、何にも思わないの?」
私の言っていることがまるで分かっていない様子の彼女。キョトンと、目を丸くする。
「何も思わない、じゃと?いやいや、そんなことはないぞ。私だってちゃんと考えておる。例えばそうじゃな……その白猫はせっかくレベルが高かったのに、自殺してしもうたから経験値がもったいないのー、とかな?」
「そう……」
アシュタリアの答えは、私の考えていた物とはかけ離れていた。
やっぱり彼女の頭にあるのは、レベルのこと、そしてこの『亜世界』のルールのことだけだ。
2人の姉妹が、お互いに心をすれ違わせていたこと。そしてお互いのことを想い合いながら死んでしまったことを、彼女は、本当に何とも思っていないんだ。
「仕方ないじゃろー?」
悪びれる様子もなく、彼女は言う。
「お前と私では、住む世界が違うのじゃ。世界が違えば、そのルールも違う。価値観も、考え方も違う。もしかしたら、同じ言葉が違う意味を持っていることじゃってあるかもしれん。そんな風に、私たちは根本的に別の生き物なのじゃから、同じことを考えるなんて無理なのじゃ。私たちは、はなから分かり合うことなど出来んのじゃよ」
「そっか……」
それは、私もさっき考えたことだ。この『亜世界』で生きてきた彼女には、私の気持ちが伝わることは無い。そういうものなのだから、仕方ない……。それはとても悲しいことだなと、私は思った。
そして、私は決意した。
私たちは、分かり合うことなんて出来ない。だとしたら、これ以上の対話はもう無意味だ。
私たちに残されている選択肢は、もう、1つしかない。
「やっぱり私は……この『亜世界』を許すことが出来ない。本当は仲の良かったはずのティオとサラニアちゃんを引き裂いて、2人を死なせてしまうようなこの『亜世界』は、どう考えても絶対に間違っているよ」
「それが、お前の出した答えか……」
そうだ。
この『亜世界』がどれだけ公平な世界だとしても、『管理者』のアシュタリアが何て言ったとしても、私には、この『亜世界』を認めることは出来ない。
だから私は、私の最後の魔法で、この『亜世界』を破壊する。それが本当に出来るかどうかは分からないけれど、私の世界の人間として、私がやるべきことはそれだけだ。
「そうか。ならば、仕方がないな……」
アシュタリアは軽く左右に首を振る。
「お前が私の世界を否定すると言うのなら、この『亜世界』の代表として、私はそれを阻止せねばならん。お前と、戦わなければならんじゃろうな。ならば正々堂々公平に、私の全力をもって相手をしようではないかっ」
そう言うなり、彼女の体をどす黒いオーラのようなものが包み込む。
「くっ……」
私はそのオーラのエネルギーに圧倒されて、一瞬で吹き飛ばされそうになる。でも、何とか踏ん張って、その場に留まった。
「ふふん」
アシュタリアは妖しく笑う。
「いくらお前が別の世界の生物とはいえ、ここは私の『亜世界』じゃ。ここにいる限りは、お前が何と思おうとここのルールに従ってもらうぞ?レベルが支配するここでは、『管理者』である私が最強で、何人たりとも私に勝つことは出来ない、というルールにな?」
「それでも、私は……」
「奇跡の1つでも起こして見せるか?……よいだろう、せいぜいやって見せるがいい。出来るものならな」
「私は……あんたを許さない!」
私には、他の選択肢なんてあり得ない。
たとえ絶対に無理だと分かっていたとしても、私はアシュタリアを…この『亜世界』を、壊すんだ!
そして私は、体の奥から絞り出すような叫び声を上げて、真っ正面から彼女に向かっていった。
想いを伝えることが出来ずに死んでしまった、ティオとサラニアちゃんのため。
そして自分と、自分の『世界』のために。
アシュタリアが、ぼそりと呟く。
「やはりお前は、この『亜世界』では、あり得ないくらいに『優しい』……。優しくて、優しくて、優しい……。だから私は、そんなお前が大好きじゃよ……」
そのときの彼女は、心なしか悲しそうな表情をしていたように、私には見えた。
「うるさい!うるさい!うるさい!私はあんたのことなんか、大っ嫌いだぁーっ!」
そして私たちの体は衝突した。
その勝負は、一瞬で決まった。




