06
「え?た、タルトちゃんの中から子供が……てか、『管理者』?え?え?」
たった今起きたことについて、目で見てはいても、頭の理解が追い付かない。
さっきお別れしたタルトちゃんがもう戻ってきたかと思ったら、『その中』から青い肌の女の子が出てきて、自分のことをこの『亜世界』の『管理者』なんて言いだした。私が今まで知ってたタルトちゃんの方は、今はペラペラの皮と肉だけになって足元に転がっている…。
「『管理者』になるとな、この『亜世界』をより良い世界にするために、いろいろとしなければいけない仕事が出来るのじゃ。お前のような他の世界からやって来た来訪者を監視したり、悪しき考えの者から護衛したりな。そういうときに、本来のこの姿のままというのはちょっぴり目立つでのー。仕方がないので今までは、『着ぐるみ姿』で通していたという訳じゃ!」
いやいや……。いやいやいやいや…………。
やっぱり無理。そんなこと言われて、「はいそーですか」なんて簡単に納得できないって。だって、私たちとタルトちゃんって丸々2日位は一緒にいたんだよ?一緒にご飯食べたり、一緒に寝たり、昨日の夜なんか、落ち込んでいる私をタルトちゃんが励ましてくれたりして……。
それが、全部ウソ?
全部、文字どおりの『タルトちゃんの化けの皮』を被っていた、この小柄な女の子がやってたってこと?そんなバカな……。
あまりの出来事に、私はショックで何も考えられなくなってしまって、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「勘違いして欲しくはないのじゃが、何も私は、ナナシマアリサにウソをつきたくてこんなことをしていたわけではないのじゃ。『着ぐるみ』を着けていたときも今も、お前に対する私の気持ちは変わらん。お前は私にとって、とってもとっても…とぉーっても大事な存在じゃー」
あ、そ…そうっすか……。
「ただ、この『亜世界』でのレベルのルールは絶対じゃからのー。こうでもせんと、お前や他の生き物たちがレベル100の私に畏縮してしまうじゃろー?私は、この『亜世界』の生き物たちには自由に生きてもらいたいと考えとるからのー!自由に、あるがままにな!」
は、ははは…。
何でも、いいけどさ。何で、よりによって『中身』の方はこんな変なしゃべり方なのよ?今までと、違い有りすぎなんですけど……。これまで見てきたタルトちゃんと目の前の女の子のギャップに呆れてしまった私。気づけば、無意識に笑みをこぼしてしまっていた。
……って。
ちょっと待ってよ。
冗談じゃないよ。笑ってる場合じゃないよ。
確かに驚いたし、呆れちゃったけど……でも、そんなことより今の私にはもっと、気にしなきゃいけないことがあるじゃん!
「って、てゆうかタルトちゃ……あ、あんたっ!じゃあ本当に、サラニアちゃんのこの怪我はあんたのせいってことなのねっ!?さっき、チートをしたからとか言って…」
そうだ、目の前のこの女の子は『管理者』でレベル100……つまり、サラニアちゃんを傷付けることが出来る存在なんだ。だからやっぱり今のサラニアちゃんの状況は、この子が原因ってことなんだ。
私は糾弾するように、彼女を問い詰める。
「どうしてっ!?どうしてこんなことしたの!?タルトちゃんのときのあんたは、仲間のサテュロスを助けたり、私を励ましてくれたりして…もっと優しかったじゃないっ!いくら、サラニアちゃんがちょっとチート使ったからって、こんなことする子じゃなかったじゃないっ!」
「ふっ……」
でも彼女…アシュタリアは、そんな私の質問には答えないで、逆に私に質問を返してきた。
「ところでナナシマアリサよ……。お前は、世界においてもっとも大事な事とは、何じゃと思うかの?」
「ちょっ、ちょっと!誤魔化さないでよっ!」
「……私は、世界にとって一番大事なものとは『公平さ』じゃと思う。その世界に生まれた者たちに、生まれた環境や種族に関係なく、等しくチャンスが与えられていること。スライムもゴブリンもドラゴンも微生物も、分け隔てなく、全ての者がのしあがっていける可能性を持っていること。それこそが世界としてのあるべき形じゃと、私は思うのじゃ」
彼女の講釈は、私には届かない。
「そ、そんなこと急に言われても、意味わかんないよっ!ってゆうか私が聞いてるのは、どうしてサラニアちゃんにこんな酷いことをしたのかってことで…」
「その白猫がチートをしたからじゃ」
アシュタリアは即答する。
「チートとは、正規の方法を踏まずに不当な方法でレベルを上げること、すなわち、この『亜世界』の『公平さ』を汚す行為じゃ。先程ナナシマアリサが言っていたように、こやつは『小さき者たち』…お前たちは微生物と呼んでいるようじゃが…その微生物たちを操り、そやつらを自分のために利用した。本来ならば自らの命をかけて戦い、勝利した者のみが得られるはずのレベルという『力』を、さしたる努力もせずにかすめ取ったのじゃ。それは、誰にでも機会を与えるというこの『亜世界』の根底を覆す、許されざる大罪。だから私が『管理者』として、罰を与えねばならんかったのじゃ」
「そ、そんなことで……?」
私には、彼女の話が全然納得出来ない。
「こんな、戦いばっかの、しょっちゅう誰かが死んだり傷付いたりしてるような『亜世界』でチートしたくらいで、サラニアちゃんのことをこんなにボロボロになるまで傷つけたの……?何それ、バカみたい。こんな争いばっかの『亜世界』なんて、ただのでき損ないの失敗作じゃん!そんな『亜世界』のルールなんか、守る意味ないよっ!」
「そうかのー?私は、そうは思わんのじゃがのー?」
アシュタリアは不満そうに首を傾げる。
「この『亜世界』においてのレベルというのは、命がけの戦いを勝利してきた者に対する、勲章のようなものじゃ。レベルが高ければ高いほど、その者は勇気と実力を兼ね備えた価値のある生物ということになる。そんな、生きるに値する『正しい』生物だけが生き残り、見合う対価として、自分よりも低レベルの者たちを圧倒する力を手にいれる。これは非常に合理的で、何も矛盾のない完全に公平な世界じゃと、私は思うのじゃがのー?」
「どうして……?どうしてそんなこと言うの……?分かんない……全然、分かんないよ……」
自信満々で、自分が言っていることを少しも疑っていないアシュタリア。
私はまるで、遠い外国の、見たことも聞いたこともないような変わった風習を聞かされているような、あるいは、私の興味のないアイドルのことを熱弁している友達の話を聞いているような、そんな気分になった。そのときの私と彼女の間には、そのくらいに埋めることの出来ない温度差があった。
私は考える。
彼女の語る言葉や理屈には、私は全く賛同することが出来ない。今までたくさんの人たちが、彼女が完璧と言うこの『亜世界』のルールに縛られて、私の目の前で傷つけられてきた。そんな悲しい光景を目の当たりにしてきた事実がある以上、この世界が正しいなんて言えるはずがない。
でも…。
この『モンスター女の亜世界』は、私の生まれた世界とは何もかもが違う完全な別世界なんだ。だから私にとっては絶対にあり得ないような考えでも、この『亜世界』にしてみれば、何もおかしなところなんてない、いたって普通の、常識でしかないのかもしれない。
だとしたら、私の価値観で「この『亜世界』は間違っている」と言ってみたところで、そんなことに何の意味があるというのだろう?どれだけ言葉を重ねたとしても、この『亜世界』で生まれて、この『亜世界』のことを普通として育ってきたアシュタリアには、私の価値観を分かってもらうことなんて出来ないんじゃないだろうか……?
「ひゃんっ!?」
突然、後ろの方から延びてきた小さな腕が、私のお腹をぎゅっと抱き締めた。優しく香るキンモクセイのような匂いと、背中に触れる柔らかい温もり……。私は驚きすぎて、うっかり変な声を出してしまった。
慌てて振り返ると、ついさっきまで私が向いていた方にいたはずのアシュタリアが、いつの間にか私の背後に回り込んでいる。
「ち、ちょっとっ!やめてよっ……」
「私情に流されるでないぞ、ナナシマアリサよ?」
彼女はニヤニヤと笑いながら、私から手を離して、言う。
「世界を管理する、すなわち世界を正しく導くためには、もっと視野を広く持たなければならん。例えお前が『友達』と呼ぶ者が、無惨にも目の前で朽ち果てようとしていても……それがこの『亜世界』のルール通りの結果であるならば、それは受け入れなければならぬのじゃ。常に1番大事なのは、世界を運用するルール、そしてその公平さなのじゃからな?」
アシュタリアは、やはり一切の迷いもなくそう言った。私には、もはや何を言っても彼女を説得することは出来ないような気がしていた。だってこれが、この『亜世界』のルール…この『亜世界』の価値観なんだから。
でも。
それでも私、やっぱりこんなの……。
そこでアシュタリアは、黒と黄色の瞳を輝かせて、気絶しているサラニアちゃんを見た。
「さて……それでは、仕事の続きをするとしようかのー」
「え……?」
そう言ったかと思うと、青い肌の右手を顔の高さまで持ってきて、人差し指をたてる。すると、その指の周囲をうっすらと黒い渦のようなものが取り囲み始めた。
「これは、私の種族が使用できる闇魔法スキルの初歩中の初歩。影のエネルギーを集めて敵にぶつける魔法じゃ。普通のレベルの者が使えば、まあ、良くて目潰し程度なのじゃが……」
アシュタリアの指先の闇球(光球の闇魔法バージョンみたいな)は、最初は周囲の影を引き寄せながらだんだん大きくなっていく。でも、サッカーボール位の大きさになると拡大をやめて、ひたすらにその闇の濃さを強めていった。
「レベル100の私が使えば、破壊力はそんなものでは済まんぞ?それは、触れたもの全てを飲み込む亜空間への入り口となる……」
「す、全てを飲み込むっ!?」
そ、そんなの、ほとんどブラックホールみたいなものじゃない!?
近くにいるだけでその闇球に吸い込まれてしまいそうな気がして、私は無意識に後ずさりしてしまう。
「当たれば、確実に命はないじゃろうな。そしてもちろん、私は魔法を外したりなどせん……。覚悟はよいか猫よ?」
右手を振りかぶり、今にもその闇球をサラニアちゃんに投げつけようとするアシュタリア。
「ちょっ、ちょっと待ってよっ!」ギリギリのところで、私は彼女を止めようと叫んだ。
「どうして!?サラニアちゃんは、もうボロボロの傷だらけなんだよっ!?もう充分でしょっ!?これ以上はやりすぎだよ!」
「いや?普通に無理じゃな」
彼女はまた即答する。
「そもそも、チートの方法を知ってしまった時点でこの猫の死は確定していたのじゃ。だって、どれだけ痛めつけてもどうせ傷が治ればこの猫はまたチートを行うじゃろう?そうなっては何の意味もないからのー。ここまで生かして連れてきたのは、ナナシマアリサがチートの方法に気付いていなかった場合に、こやつ自らにその方法を白状させようかと思っとったから……ただそれだけじゃ。今となってはもう用済みじゃし、さっさと処刑するだけなのじゃー」
「だからっ!そんなの、ダメって言ってるでしょっ!ちょっと待っ……」
「それではさらばじゃ。愚かな猫よっ!」
私が制止に入ろうとするのなんか間に合うはずもなく、アシュタリアは手首をスナップさせてその闇球を放った。その球は、目にも止まらないようなスピードでまっすぐに、気絶しているサラニアちゃんの心臓目掛けて向かっていく。
そして、私が目を背ける間もなく、瞬きする暇さえなく、彼女の体に着弾した。
と、思った……。
でも……。
そのあと実際に起こった出来事は、私がまるで想像もしてないことだった。それは、私がこの『亜世界』に来てから今までに私の身に起きたどんな展開よりも、現実味のない光景だった。
「え……?」
頭の中が、真っ白になる。
脳が目の前の現実を拒否しているのか、視界が白いもやがかかったみたいに曖昧になる。頭がクラクラして、足元が覚束ない。
「むぅぅ…」
アシュタリアもこうなることは予想していなかったらしく、眉間に皺を寄せて「彼女」を見ていた。
ドサッ……。
赤と黒と茶色の塊が、地面に倒れた音。
アシュタリアの攻撃に当たった「彼女」が、倒れた音…。
「そんな、そんなのって……」
アシュタリアの闇球は、本来のターゲットであったサラニアちゃんには当たらず、その直前で、サラニアちゃんの前に飛び出してきたティオの心臓に当たって、消滅していた。
「ティオっ!」
そこでやっと意識を取り戻した私。慌てて、彼女の元に駆け寄る。
力なく倒れているティオの左胸は、型抜きでくりぬいたようにきれいに、体を貫通する穴が空いている。そもそも血液を送り出す心臓がなくなってしまっているというのに、その断面からはあふれるように真っ赤な血が流れ出してくる。
「そ、そんな……。ウソ…ウソ、でしょ?ねえ?ティオ、ウソだって言ってよ…ねえ…?」
急速に冷たくなっていく、彼女の体。私の手や服にも、血がベットリと付着する。
でも、今はそんなことはどうでもよかった。
「い、いつもみたいに笑ってよ…?あの、根拠のない笑顔で、バカみたいに、笑ってよ?ねえ……」
「…にゃ、あ……」
ティオが、枯れた声を出す。
「おか…しいにゃ……。勝手に、体が……動いたにゃ……。ティオは、レベル上げと……食べ物でしか……動かにゃい……はず、にゃの……に……」
そしてそれが、彼女の最後の言葉になった。
「ティオおぉぉーっ!」
それからは、どれだけ声をかけても、どれだけ体を揺さぶっても、彼女はピクリともしなかった。
全然そんな気なんてなかったのに、もう癖になっちゃってたのか、私は彼女の顔にステータスを表示させていた。そこでは彼女のレベルは8になっていた。




