05
「それが、サラニアちゃんのやったチートの正体で…………え!?」
そのとき突然、私はひどい寒気のようなものを感じて、言葉を続けることが出来なくなった。
「んんんん!?んにゃにゃっ!?」
ティオの方を見ると、彼女も体をがたがたと震わせて、話どころではない感じ。そして2人とも、その原因は同じだ。
「だ、誰かが…こっちにくる!」
「や、やばいにゃ…」
私たちが背中を向けていた方角から、ものすごい速さでこっちに近づいてくる、レベルのエネルギーを感じたんだ。しかも、私だけじゃなくティオもそのエネルギーを感じているということは、発生源はレベル43よりも高いレベルのモンスターってことになる。
「た、大変…。早く、逃げないと……。で、でもこれって、既にもう私たちに気づいているっていうか…完全に、私たちを目指して向かってきてるような…」
「こ、こいつは……ううううぅー………」
近づいてくる「何か」の方に向かって、両手両足を地面につけて態勢を低くして、全身の毛を逆立て始めたティオ。その姿を見て、かつて彼女が同じようなポーズがとった時のことを思い出して、やっと私も気づいた。
「え?今こっちに来てるのって、もしかして……さ、サラニアちゃん?」
レベルのエネルギーには、それぞれにクセというか、個性みたいなものがある。それは結構微妙な違いだったりして言葉で言い表すのは難しいんだけど、でも、そのときこっちに向かってやってくる高レベルエネルギーは、確かに以前サラニアちゃんから感じたものに違いなかった。
「ど、どうして…?まさか、私たちの話していたことを聞いてたの!?」
「そんにゃわけないにゃ!」ティオは首を振って、私の言葉を否定する。「ティオ達の種族に、遠くにいる相手の話し声を聞き取るスキルなんてないにゃ。それに、今更サラの方からティオ達に近づいてくる理由もない……はずにゃ。だからこれは、にゃにかの間違いで……」
「で、でも…」
でも、私がまさに「サラニアちゃんのチートの正体」を話した直後に、こっちに向かってサラニアちゃんがやってくるなんて…そんなの偶然にしたら出来すぎている。完全に、タイミングを狙いすましているとしか思えない。
例えば、1度は私たちを見逃してくれたけれど、「自分が使ったチートの正体」に気づいてしまったから、やっぱり始末することにした、とか…。私も、サラニアちゃんが向かってくる方に体を向けて、身構える。
「く、くるにゃっ!」
「うわぁっ………」
……。
………。
……あれ?
ティオの言った通り、サラニアちゃんのレベルのエネルギーは、本当に目の前まで近づいてきたかのように思えた。ほとんど、私たちにぶつかるくらいまで接近したように感じた…ハズだった。
でも、落ち着いて目の前を見てみても、今の私たちの目の前には誰もいない。
「あ、あれ…?い、いないじゃん…?」
拍子抜けしてしまった私。さっきまでの緊張感は徐々に消えてしまって、何がなんだかよくわからないまま、身構えていた臨戦態勢を崩していった。
「ど、どういう、ことだにゃ…?」
「か、勘違いしてたのかな、私たち…?サラニアちゃんの話してたせいで、サラニアちゃんが近づいてくるような錯覚を感じちゃったとかで……。そ、そうだよね?だって今の私たちの周りって、見渡す限りの開けた空間で、サラニアちゃんどころか他の誰の姿も見えなかったわけだし…。さっきの私の話が、私たち以外の誰かに聞こえてるハズもなかったわけで……」
「いーや。確かに聞こえたぞ?」
「お、おわぁっ!?」
そのとき、突然真後ろから聞き覚えのあるくぐもった声がして、私は飛び上がるほど驚いてしまった。
「な、何?何!?一体誰が……って、え?」
そして、振り向いてその声の主を見たとき、私は更に大きく、大きすぎてリアクションすら出来ないくらいに大きく、驚いてしまった。
「ふにゃ!?さ、サラじゃ、にゃい?」
そこにいたのは、全身を黒いローブで覆われた、小柄な女の子。頭にかぶったフードからは、渦を巻いた黄色い角が生えていて、目は赤く光っていて……。
「た、タルトちゃんっ!?」
さっき私たちと別れた、サテュロスのタルトちゃんだった。
「うむうむ」
タルトちゃんは、いつも通りの無表情……なんかじゃなく、口角をはっきりと上げて、目を三日月型にして、ニンマリと笑っていた。彼女のそんな表情を見たのが初めてだった私は、なんで彼女がここにいるのか?とか、さっき感じたサラニアちゃんのエネルギーは?とかをすっかり忘れて、その様子に見入ってしまっていた。
タルトちゃんは口を大きく開けると、やはり彼女らしくない、自信に満ち溢れたような表情になって言った。
「ナナシマアリサの推理、しっかと聞かせてもらったぞ。うむ!概ね大正解じゃ!さっすがじゃのー、やっぱり異世界の人間というのは、そこらのモンスターたちとは頭の出来が違うようじゃのー!」
……って。
いやいやいや……誰だよお前…。
表情だけでなく、言葉遣いもちょっと前までのタルトちゃんとは完全に別人の彼女に、私は完全に混乱してしまった。でも、そのタルトちゃん?は、そんな私のことは気にせずに更に続ける。
「ほれ?さっき言ったじゃろ?『用事が済んだら追いかける』と。用事は無事済んだからのー。今、こうやって約束通り追いかけてきたというわけじゃ」
そう言って、そのタルトちゃん?は、後ろに回していた右手を出して、私たちに何かを放り投げてきた。どさっと目の前の地面に叩きつけられた、ボロゾウキンのように汚れたその塊は……。
「!?」
「にゃっ!?」
サラニアちゃんだった。
もとは雪のように真っ白できれいな毛でおおわれていた彼女が、今は全身傷だらけで、流れる血やこびりついた泥で汚されてしまっている。でも、息も絶え絶えで、見る影もないような無残な状態の彼女だったけど、その体からは確かに大きなレベルのエネルギー(もしかしたら、この前のレベル70よりも更に大きくなっているかもしれない)を感じることが出来た。どうやら、かろうじて生きてはいるようだ。
「ど、どうして…?」
それは、2つの疑問から出た言葉だ。
どうして、サラニアちゃんがこんなことになってしまっているの…?
そして、どうしてタルトちゃんがサラニアちゃんと一緒なの…?
その疑問に答えてくれるように、そのタルトちゃん?は言う。
「用事というのは、この白猫を捕まえることじゃったのじゃ。こやつは私の『亜世界』を冒涜して、チートを働きおったからのー。その罪に対して、私の権限で罰を与えたというわけじゃ!」
「い、一体何言って……」
「サラっ!」
私が、そのタルトちゃんもどきに向かって混乱した気持ちをぶつけようとしたとき、それよりも早く、ティオが投げ捨てられたサラニアちゃんのところに飛び出した。
「どういうことにゃ!?お前は、レベル70のはずじゃなかったのかにゃ!?こんにゃ、こんにゃザコに……レベル18程度のザコに、どうしてこんなにやられちゃったんだにゃ!?」
「う、うう…」
ボロボロの体のサラニアちゃんが、辛そうに目を開ける。そして自分を抱きかかえるティオの姿を確認して、痛々しく顔をゆがめながら、口を開いた。
「ね、姉さん……。お、願い……逃げ…て……ニャ…」
「サラっ!」
「サラニアちゃん!?」
私も慌ててサラニアちゃんのそばに駆け寄る。
「一体、何があったの!?どうしてこんなことに!?」
「………」
でも、サラニアちゃんは一言つぶやいたきり、ガクッと脱力して気を失ってしまい、それ以上は何も答えてくれなかった。
「そんな…どうして……?どうしてこんな、ひどいことに……」
「ふぅむ…?」
背後から、冷めたため息が聞こえた。
「不思議なものじゃ…。ときとしてお前たちのような『弱き者たち』は、そういう意味不明なことを口走る…。『逃げて』じゃと?何をバカな。この私から逃げられる者など、この『亜世界』にいるわけないじゃろーに」
「あ、あんたっ!」
私は「そいつ」をにらみつけて、叫ぶ。
「い、一体どういうつもりなのっ!?サラニアちゃんをこんな風にして!しかも、タルトちゃんの姿まで騙って…本物のタルトちゃんは、どこにやったのよっ!」
「んんー?」
「そいつ」は、困ったような顔で首をかしげる。
「本物も何も…。『タルトちゃん』というのは、私のことじゃろ?これまでずっとナナシマアリサは、私のことを『タルトちゃん』と呼んでくれとったじゃないかのー?」
「ふざけないでっ!」
私はその「偽物」の言葉を一蹴する。
「本物のタルトちゃんは、サラニアちゃんをこんなひどい目に合わせたりなんかしない!あんたみたいなやつじゃなくって、もっと優しくって、おとなしくって……いい子だったんだよっ!あんたみたいなやつと、一緒にしないでよっ!」
でも、その「タルトちゃんの偽物」は全く動じていなかった。
それどころか、私を小ばかにするように口に手を当てて笑い始めた。
「く、く、く…」
「あ、あんたっ!これ以上私の友達をバカにするようなら、ただじゃあおかないからっ!」
「『優しくて』、『いい子』か……」激昂して、つかみかかろうとする私。でもそいつはそれを難なくかわしてしまう。そしてあくまでも余裕ぶっているような態度で、言った。「まあ……無口で無表情だったということは認めよう。お前と行動を共にしていた時は、私もまだ、『この体』の動かし方をあんまり把握しておらんかったからのー」
「体の動かし方って、あんた何言って…………!?」
そして私は、また言葉を失う。
その「偽物」の台詞が刺激となって、今までのタルトちゃんについての、1つの「矛盾」に気づいてしまったから。
そうだ。やっぱり私って、大事なことに遅れて気づくんだ。
ナーガの洞窟に着いて、私が無理やりタルトちゃんに水浴びをさせたとき。彼女は、「背中に傷があるから恥ずかしい」と言った。そして実際、彼女の背中には大きな傷跡があった。
でも、よく考えたらそれはおかしい…。
だってこの『亜世界』じゃあ、どんな大きな怪我でも、時間がたてば勝手に治るはずなんだ。ティオがサラニアちゃんにやられた怪我が、1晩寝ただけでほとんど治っちゃったみたいに。なのにどうして、タルトちゃんの背中に傷跡があるの?そもそも傷跡が残る前に、すっかり元通りに治ってなきゃいけないはずじゃない?傷が癒えずにずっと残ってるなんて、そんなの、ナーガの洞窟で血を流して死んでいたサテュロスの「死体」でもあるまいし……。
そいつは不気味な笑いを浮かべながら、言う。
「まあ要するに、『ナーガのとき』と同じだと思ってくれればよいのじゃ。『自分よりも低レベルのモンスターで自分の体を覆い尽くすと、自分の本当のレベルが周りに分からなくなる』…。じゃから、適当なサテュロスの死体を、ちょっと借用してじゃな…」
バリ…バリバリ…。
何かが破けるような音が響く。「タルトちゃん」が前かがみのような姿勢になると、するすると黒いローブが脱げていって、その背中があらわになる。
バリ…バリリッ!
その背中が、水浴びの時に見た傷跡に沿って、音をたてて裂けていく。
そしてその中から、青い色の生き物がもぞもぞと這い出してきて……。
「に、にゃ……にゃ…ああ…」
「う、うう…だ、だめ…。早く逃げないと……だめ…ニャ……」
ティオは針のように全身の毛を逆立てて、さっきのサラニアちゃんの時よりも更に大きく体を震わせている。サラニアちゃんは目をつむったまま、悪夢にうなされるように必死に呟いている。
「こ、これ…って…そんな……」
どれだけレベルのエネルギーを感じるのに不慣れな私でも、その「ヤバさ」については、もはや疑いようがなかった。それは、今まで私が出会ったどのモンスターとも違っていた。
圧倒的な、威圧感。
まるで、その「彼女」の体から漫画みたいにオーラでも噴き出しているんじゃないかって思うほどの、五感を揺さぶる衝撃。
そんな規格外のエネルギーが、徐々に裂けていくタルトちゃんの背中から、あふれ出てきていたんだ。
やがて…。
「くっ…はぁーっ!」
セミの幼虫が脱皮するみたいに、タルトちゃんの体から、1人の女の子が飛び出してきた。
全身が青い肌。長い黒髪に、短い2本の角。顔は普通にかわいらしいけど、瞳は、黒目の部分が黄色、白目の部分が黒く塗りつぶされている。小柄なタルトちゃんよりも更に一回り小さな、小学校低学年くらいの子供のような体には、黒いビキニのブラとパンツをつけていた。
「うぅーんっ!やはり『着ぐるみ』をかぶってるときよりも、本来の姿でいる方がずっと楽ちんじゃのーっ!」
タルトちゃんによく似た、でも、それよりもずっとよく通る声でそんなことを言ったあと、彼女は私の方を向き直り、うやうやしく姿勢を整えてから言った。
「さて…それでは改めて、ちゃんと自己紹介し直しておこうかの。私の名前はアシュタリア。レベル100の、この『亜世界』の『管理者』じゃ!」




