03
そういえばティオって、前にサラニアちゃんに「掛け算が苦手」って言われていたことがあったっけ。私の魔法の計算を間違えて、レベル42(1.5倍しても63)しかない状態で、レベル70のサラニアちゃんと戦おうとしてたとき。どうやらあのときから彼女、ずっとそのことを気にしていたってことらしい。
私的には、たかが掛け算なんかどうだっていいじゃん、って気持ちは多少はあったんだけど、でも、やっぱりこの『亜世界』の理屈からすると、そういうわけにもいかないものなのかもね。だってここは、レベルっていう「数字」が支配する世界なんだから。
実際あの時だって、私の魔法を使っても到底勝ち目のない戦いをティオが挑んじゃったせいで、危うく私たちはサラニアちゃんに殺されそうになってたわけだし。ってことはこれからだって、いざってときになってティオが1.5倍の計算を間違えたせいで私たちがものすごいピンチな事態に陥っちゃうー、なんてことだって、可能性としてはなくはないことなんだよね。
だったら、この機会にティオが掛け算出来るようになってくれるってのは、それはそれで私的にも結構やぶさかじゃない。ていうか私、そういうの抜きにしても数学(この場合は、むしろ算数だけど)って結構得意科目で、人に教えるのも好きだったりするしね。
「えぇー、掛け算なんか教えないといけないのぉー?私がぁー?ティオにぃー…?」
だから、そんな言葉とは反対に、私の心の中では既にティオに掛け算を教えてあげる気満々になっていた。でも、とりあえずまずはその下準備として、私は彼女にちょっと初歩的なことを確認してみることにした。
「掛け算も確かにそうなんだけどさぁー。そもそもティオあんた、足し算とか引き算は本当に大丈夫な訳ぇ?実はそこから出来ません、とか言われちゃうと、そもそも掛け算なんて教えられるわけなくってえ……」
言い終わる前に、ティオが自慢げに返す。
「んにゃ?何言ってるにゃアリサ?足し算引き算なんて、当然余裕で分かってるに決まってるにゃ。っていうか、そんなのわかんないヤツにゃんて、この世界にいるわけないにゃ。アリサったら、そんなゃことも知らなゃいのかにゃ?」
あ、あれれ?どういうわけか、いつの間にやら私の方がバカにされる感じになっちゃってるぞ?私って、ティオに掛け算を教えてあげる立場だったはずなんだけど……。
「まったく。そんな常識なことは、いちいち聞かないで欲しいにゃ。そんにゃの、聞いてる時間も答えてる時間も完全な無駄だにゃっ!」
「は、ははは……そ、そっすかー……」
「ほらほら、そんな無駄なことやってる暇があるにゃら、さっさとティオに掛け算を教えるにゃ。全く、アリサはどんくさくてかなわないにゃ!」
「は、は、は、は……」
くっそぉー…。
こんのバカ猫がぁー!いいたいこと言ってくれちゃってぇー!
調子に乗ってごちゃごちゃと抜かすティオにムカついた私は、そこで、ちょっとイタズラ心が湧いてきた。
く、く、く…。あ、あんたがそういうこと言っちゃうなら、こっちだって考えがあるんだからね?この、数学得意な七嶋アリサちゃんをコケにしたことを、後悔さしちゃるかんね…?
「へ、へー…なるほどねー。ティオにとっては足し算なんて常識で、すっごく簡単なことなんだー…?だ、だったらじゃあ、こういう『足し算の問題』も、きっとティオなら答えがすぐわかっちゃうんだろーなー?」
「んにゃ?何だかわからないけど、足し算なら、ティオは余裕で出来るにゃ!」彼女は得意気に頷く。「試しに出題してみるといいにゃ!ティオが速攻で答えてあげちゃうにゃ!」
「そ、そう…?じゃ、じゃあ…そういうことなら…」
うぷぷ…引っかかりやがったな…。
私は、ティオがみっともなく吠え面かく姿を想像して、吹き出しそうになるのを我慢しながら、その『問題』をティオに説明し始めた。
「え、えーとね…これは、数を答える問題です。ある日、ここに2匹のネズミがいたとします…」
「分かったにゃ!答えは2だにゃ!」
「い、いやいやいや…。ちょっと待っててね?まだ、問題の途中だから…」
先走るティオを制して、気を取り直して…。
「その次の日、その2匹のネズミが、2匹の子供を生みました…」
「答えは4!」
「だぁかぁらぁ……ちょっと待てっつってんでしょうがっ!」
すぐに口をはさんでくるティオにあきれながら、私は更に続ける。
「また次の日、今度は最初にいた親ネズミ2匹と、その子供の2匹、つまり2組のペアが、それぞれ更に2匹ずつの子供を生みました」
「う、うにゃ?さっきまで4匹いて、そのあと、親と子のペアが2匹ずつ……?え、えっとぉ……」
もふもふの手の指を使って、指折りその数を数えようとするティオ。
ふふふ……。ティオの頭じゃあ、早くも無理がきたみたいだね…。
彼女がついてこれていないことを分かっていながら、私はその問題を更に先に進めてしまう。
「親と子で4、そんでその2ペアがそれぞれ2匹ずつ子を生むんだから、4+2+2で、8匹だね。そしてそのまた次の日には、その8匹がそれぞれつがいをつくって、また子供を2匹ずつ生みました……」
「ちょ、ちょっと待つにゃ!今、8を指で作ってるから……」
混乱したような顔つきで、両手の指で8を数えているティオ。でも、残念だけどこの問題が扱う数は、両手両足の指を使ったって、足らないんだよね。
「その次の日にも1ペアが2匹ずつ、その後も、その後も……。そうやって、最初の日から30日が過ぎたとき、ネズミは一体何匹になってるでしょーかっ!?」
「うう、うにゃ…あ……にゃうぅぅ…」
そう。これはいわゆる、『ネズミ算』ってやつだ。数学的に言うと初項が2、公比も2の等比数列。完全に「掛け算」の領域だ。足し算で答えを出すことも出来るには出来るけど、ネズミの数は倍々で増えていくから、途中で莫大な数になってしまって計算が追いつかなくなってくる。足し算するのに手の指を使っているようなティオには、まず答えを出すことなんて出来ないだろう。さっき調子にのったことに対するお仕置きとして、私はそのことを教えてあげずに、彼女の困った様子をみて楽しんでいた。
「あっれー?あれあれあれー?ティオってば、余裕で出来るっていってた足し算全然出来てないじゃーん?さっき私に言ってたのは、なんだったのかなー?」
「う、うるさいにゃ!ちょっと、確かめ算してるだけだにゃ!もう頭の中では、とっくに答えは出てるにゃ!」
ぷぷぷーっ!普段はいつも余裕ぶってるくせに、こんなに慌てちゃって!ティオ、だっせぇーっ!
自分の思惑通りにいったことが面白くて、私は笑いが止まらない。
「う、うにゃううぅぅ……。8+2+2+2……う、うにゃ?ど、どこまで計算したかにゃ……?」
でも、このまま放っておくとそのうちティオの頭がパンクしちゃいそうでかわいそうだったので、そろそろこの辺でネタばらししてやるか。
「なぁーんてね。この問題は、ティオにはちょーっと難しいかもね。だって、ネズミの数は日がたつにつれてどんどんどんどん大きくなっていっちゃうんだからさー。実はこれ、足し算じゃなくって、べき乗っていう掛け算の一種が入った公式を使わないと解けないんだよーん。『子ネズミが増える数』は、1日ごとに倍になっていくでしょ?だから、最初の日は2匹だったのに、次の日は4匹、8匹、16匹っていう風、に…どんどん…増えて……いって……」
そこで、ティオに対して説明していた私の言葉が、止まってしまった。
いや、ティオに説明をしていたのは最初の方だけで、途中から、ティオのことなんて考えられなくなってしまっていた。
「あ、あれ……?こ、これ…って…」
多分、ティオからしてみたら、私がいきなり変になっちゃったのかとか思っただろう。話している途中で急に、1人でぶつぶつと訳の分からないことを呟き始めたんだから。
「ま、まさか……そういう……こと、なの?だから……だからあのとき……」
でも。
そのときの私には、それはしょうがなかった。
だって特に深く考えずに始めたティオに対する「ネズミ算」の授業が、思わぬところで私の脳細胞を刺激して、私に、『ある考え』を思いつかせていたんだから。
それは、本当にただの思いつき。ほんの冗談みたいなもの。机上の空論で、純粋な思考実験。
でも、それがもし真実だと仮定すると、今まで抱えていたいろんな謎がきれいに説明できてしまいそうな、画期的なアイデアだった。そのことを「あり」として今まで経験したことを振り返ってみると、不思議だった部分が、不思議じゃなくなってしまうような……。
「い、いや…」
考えている途中で、私はその考えに対する矛盾にぶちあたった。
「でも、ちょっと待って……。もしも、あれが『そういうこと』だったとして……ただの『ネズミ』じゃあ、全然足りなくない…?だ、だいたい、そもそもこの『亜世界』にネズミなんているの?ティオが猫って呼ばれてたみたいに、ネズミって呼ばれている生き物はいるのかも知れないけど…。それが私の世界のネズミと同じとは限らないよね?だって私、この『亜世界』にきてから一度もネズミなんて見てないし、それどころか、他の小さい動物とか、虫1匹にだって…」
そこで突然ティオが私に話しかける。猛烈に稼働していた私の脳内の処理が止まって、私は現実の世界に引き戻された。
「もぐもぐ…にゃんかよくわかんにゃいけど…ティオ、ちょっと飽きてきちゃったから一旦休憩にしていいかにゃ?……もぐもぐもぐ」
そういいながら、いつも通りドラゴンのお肉なんか食べちゃったりして、既に勝手に休憩を始めてしまっているティオ。自分で掛け算教えてって言っときながら、この子は全く…。私もいつも通り、彼女のそんな姿に呆れ果て……そうになった。
でも、「それ」に気付いて、驚きですべてが吹き飛んでしまった。
「そ、そうか…」
頭の中で浮かんでいたアイデアは、その瞬間に最後のピースがはまって完璧な形を表した。
存在していたはずの矛盾は消え去って、あいまいだったイメージは、もはや完全な確信を持った形として私の頭の中に提示されていた。それはまるで、推理小説で真犯人に気づいたときの、名探偵のような気分だった。
「そういう、ことだったんだ……」
日ごろから私、漫画とかアニメとか見ててよく思ってた。
どうしてああいうのに出てくる名探偵って、みんな謎が解けると、そのことを助手とか周囲の人に宣言するんだろう。別に、解けたら解けたで黙ってたっていいじゃない。犯人にだけ、「犯人は貴方ですよね?自首してください」って言いにいけばいいじゃない。わざわざ誰かの前でそれを宣言するなんて、ちょっとわざとらしくない?って。
でも、いざ自分が同じ状況に陥ったとき、結局私も、それをせずにはいられなかった。本当に、無意識のうちに、気づいたらこう口走ってしまっていたんだ。
「私、分かったよ……。この『亜世界』の謎が、全部分かったよ……」




