07
「にゅっるるーん!」
そんな、場違いなくらいに可愛らしい声とともに水面に現れたのは、きれいな長い金髪をした美少女…………の上半身に、ぶっとい蛇の下半身がくっついた不気味な生物。タルトちゃんみたいに体の上下で半人半獣になってるタイプの、モンスターだった。
確か、ゲームとかだとああいうの、「ナーガ」とか言うんだっけ?
「にゅるるぅ?にゅっるるるるるぅー!」
「がはっ!ぐわっ…ぷはっ!」
そのナーガが今まさに、下半身の蛇部分をタルトちゃんの体に絡ませて、彼女を水中に引き込もうとしている。彼女はそれに必死に抵抗しているっぽいけど、でも、さっきのティオの言葉通りあいつの正体が「レベル40の蛇のモンスター」なんだとしたら、そんなのは完全に無意味だ。レベルが18しかないタルトちゃんじゃあ、レベル40の敵から逃れることなんて絶対に出来ないんだから。
つまり、今あいつからタルトちゃんを助けることができるのは、レベルがあいつ以上の……。
「ティオっ!」私は、洞窟中に響くくらいの大声で叫ぶ。「タルトちゃんを助けてっ!そいつが、タルトちゃんの仲間をさらった敵なんでしょっ!?」
「んにゃあ?」
何故か、のんきに首を傾げているティオ。
「何してんのよっ!レベル43のあんたならそいつを倒せるはずでしょ!早くやっちゃってよっ!は、早くしないと、タルトちゃんがそいつに…」
「ふわぁーあ……」
「って、ちょっとティオっ!?」
そこで私は、自分の目を疑ってしまった。
私の必死の呼び掛けにもかかわらず、ティオは溺れてるタルトちゃんを完全に無視して、勝手に水溜まりから出てしまう。そんで、ブルブルっと体を震わせて全身から水分を飛ばした後、地面にごろんと寝っ転がって居眠りなんか始めやがったんだ。
「ぐー…ぐー……」
「な、何やってんのよ、ティオ!早くタルトちゃんを助けてって言ってるでしょっ!?」
「ごぼっ……ごぼぼぼぼ……」
タルトちゃんはもはや頭を完全に水中に引き込まれてしまって、叫び声すら出すことが出来ない。水面に浮かんでくるたくさんの泡から、辛うじて彼女がまだ倒されてしまっていないことは分かるけど、それだっていつ消えてしまうか分からない。もう事態は、一刻の猶予もないんだ。なのに……。
「うにゃうにゃ…ぐー…ぐー……」
「ちょっとティオっ!早くしてってばっ!ティオっ!」
夢の世界に行ってしまったティオを、私は大声で連れ戻そうとする。
「何でこの状況で眠れるのよっ!ねえ、ちょっとっ!ティオってばっ!」
「んー?」そして何度目かの呼び掛けでようやく、めんどくさそうにアクビをしながらもティオはまた目を開いた。「もー、さっきからうるさいにゃー……。ティオがせーっかく、いい感じに昼寝してたところなのにぃ…。一体、にゃんなんだにゃあ?」
「な、なんだじゃないわよっ!ティオあんた、さっきの見てなかったのっ!?タルトちゃんが蛇のモンスターに捕まっちゃったのよっ!寝てる場合じゃないでしょーがっ!早く彼女を助けてあげてよっ!」
「やぁーだにゃーん」
「え……?」
今度は私、自分の耳を疑ってしまった。
「あ……あんた今、何て言ったの…?や、やだって…一体、どういう……」
「えー、だってぇー」ティオは、足を上げて器用に頭をかきながら、「にゃんでティオが、あーんなザコのことを助けなきゃいけないんだにゃ?そんにゃの全然意味わかんないにゃーん。確かにアリサはアイツに協力する約束してたにゃけど…でも、それはそれ、これはこれ、だにゃ?ティオはそんにゃ約束してにゃいんだから、アイツがどうなろーとティオには全っ然関係ないにゃーん」
当然でしょ?とでも言うみたいに、笑顔でそんなことを言ってのけた。私は口を開けたまま、唖然としてしまう。
「むしろ、このままあさっきの蛇があのザコ野郎を食べてくれれば、アリサが引き受けちゃっためんどくさい仕事も消滅して、アリサはまたすぐにティオのレベル上げに取りかかれるにゃん?ティオとしては、断然そっちの方がいいにゃーん」
は、はぁーっ!?
「ちょ、ちょっとあんた、今、自分が何言ってるか分かってるのっ!?タルトちゃんがピンチだってのに、彼女のことを、そんな理由で見殺しにするって言うのっ!?」
「ふわぁーあ……。ティオ、泳ぎ疲れちゃったからちょっと昼寝したいにゃあ……。全部終わったら……また……起こ…し………ぐー…ぐー…」
そして、自分の言葉を言い終わらないうちに、彼女はまた目をつむって寝息をたて始めてしまった。
ふ、ふ、ふ…………。
「ふっざけんなぁーっ!」
私はお腹の底から、怒りの叫び声をあげる。
「な、なんなのよっ、このバカ猫っ!目の前でタルトちゃんが殺されそうだっていうのに、どうしてそんなことが言えるのっ!?」
「ぐー…ぐー…ぐー…」
「この薄情者っ!信じらんないっ!あんたのことなんか、もう知らないっ!」
私は、予想もしてなかったティオの行動に完全にパニックになってしまって、子供のように取り乱してしまった。
落ち着いて考えてみれば、確かに……。
これまでティオはずっと、タルトちゃんに協力することを嫌がっていた。彼女的には、レベルを上げて妹のサラニアちゃんと戦うことこそが1番の最優先事項で、それ以外には全然興味なんてなかったんだ。タルトちゃんもその仲間も別になんとも思ってなくって、私の後をついてきてくれたのだってきっと、私がタルトちゃんに頼まれた「仕事」が終わったら、その後すぐに自分のレベルアップを手伝ってもらえるように……なんていう、利己的な意味しかなかったんだ。
で、でも……。だからって私の友達のタルトちゃんのことを平気で見殺しに出来るなんて、そんなのひどい!ひどすぎるよっ!
ティオに頭にきてしまった私は、もう彼女なんかには何も頼らないで、自分の力だけでタルトちゃんを助けてあげると固く決意した。
とは、言っても…。ティオが手伝ってくれると思ってたから余裕こいてたけど、これって実際、結構な絶体絶命だ。
敵のナーガのレベル40に対して、タルトちゃんのレベルは18。私にいたっては、レベル8しかない。
この状況でいくら私が「百合色コンフェッション」の魔法を使ったとしても、私たちのどちらも敵のレベルを越えることは出来ない。そしてレベルが低い以上、私たちはあのナーガに対して完全に無力なんだ。
じゃあ、どうすればいい?どうすれば、ナーガに捕まったタルトちゃんを助けて、この状況を抜け出すことが出来る?
頭をフル回転させるけど、その答えは全然出てこない。
ティオの妹のサラニアちゃんにチートとまで言われた私のレベルアップ魔法は、実は、結構融通がきかなくって使い勝手が悪い。
その効果自体が反則的なほど強力だってのは認めるけど、それでも、この『亜世界』に横たわるレベルのルールを完全に無視できるほどの力を持っているわけじゃない。1.5倍じゃ足りないような圧倒的にレベルが高い敵の前では、結局どうにもならないんだ。
ああ、まずい…まず過ぎる。
このままだと、何も出来ないままタルトちゃんがあのナーガに……。
突然、水溜まりの水面が激しく揺れた。
そして次の瞬間、水溜まりの中から渦を巻いた黄色い角が現れた。
「…ぐはっ!」
タルトちゃんだ!
しっかりと絡み付いていたはずのナーガが油断するか何かして隙を見せたのだろう。あいつの束縛から脱出したタルトちゃんが、勢いよく水面に浮かび上がってきたんだ。
「た、タルトちゃんっ!」
「がはっ…ナナシマッ……ごぼっ…ア、リサッ……」
彼女は水を含んだ口で、苦しそうに叫ぶ。
私は急いで、彼女がいる水溜まりの方へと駆けていく。
「今、そっちにいくからっ!ちょっと待っ…」
「魔法を…ごぼ…つ、使えっ……!お、お前の魔法を…使……」
でも、その言葉は続かなかった。
「にゅっ!る!る!るぅぅぅーっ!」
「そ、そんな……」
タルトちゃんを追いかけてきたらしいナーガもすぐに水面に現れて、彼女にもう1度、今度はさっきよりも更に強い力で絡み付いたんだ。
「ぐあ!ぐあああーっ!」
ボキボキボキッという骨が折れるような音が、私のところまで響く。叫び声をあげるタルトちゃん。ナーガは胸の前で両腕を組んで頬を膨らませて、まるで、勝手に逃げ出したタルトちゃんに怒っているようなポーズだ。蛇の下半身をギリギリと締め付けて、圧迫を強めていく。
「ぐっ、ぐ…………あ…………」
やがて、必死に抵抗していたタルトちゃんの体から、目に見えて力が抜けていった。腕はぐったりと水の中へと下ろして、目は黒目だけになる。どうやら受けたダメージが許容量を越えてしまって、気を失ってしまったらしい。その様子はまるで、糸を切られた操り人形みたいだった。
「にゅる、にゅる」
ナーガは満足そうに微笑むと、2股に分かれた舌でじゅるりと舌なめずりをしてから、また、タルトちゃんを水中へと引きずり込んでいった。
「にゅるん?」潜っていく途中、一瞬だけ、ナーガと私の目が合う。「ふっ…」
でも、レベル40のそいつにとってレベル8の私のことなんか、道端に吐き捨てられたガムほどの興味もわかなかったらしい。すぐに視線を外すと、さっさと水中へと消えてしまった。
「くそっ!」
汚い言葉を吐き捨てて、自分の膝を叩く。
私は、自分の無力さを痛感していた。
自分の友達が命の危機に陥っているっていうのに、私はそれに対してどうすることも出来ない。協力してあげる、仲間を助けてあげるって言ったのは、私なのに。
さっきだって「魔法を使え」なんて言って、タルトちゃんは私のことを頼りにしてくれていた。でも、今の私じゃあ、どんな魔法を使ったって、この状況を変えることは出来ない。彼女の期待には、応えられないんだ……。
完全に、万事休すだ。
私を頼ってくれて、私を信頼してくれて。そして昨日、落ち込んでいた私を「優しい」と言って慰めてくれたタルトちゃん。
そんな優しいタルトちゃんが、私のせいで、あのナーガに殺されようとしている。こんなのって、ひどい…。ひど過ぎる…。
優しいタルトちゃんが殺されて、残酷な蛇のモンスターが生き残るなんて…こんなの、間違ってる。やっぱりこの『亜世界』は、全てが正しくない、出来損ないの世界だ。こんな世界、さっさとなくなっちゃえば…………。
!?
そこで、私は気付いた。
そうだ。
確かにこの状況は、「正しくない」。何かが間違っていて、何かがおかしくって…………いや。ってゆうか、もはや完全におかし過ぎるんだ。
だって、こんなこと「本来ならそもそも起こるはずがない」がないじゃない。私が今知ってる情報だけじゃあ、この状況はどうしたって説明出来ないじゃない……。
ということは、もしかして……。
私はそれから思い立って、近くの地面で丸くなっているティオのもとに駆け寄る。そして、彼女のすべすべでぷにぷにのほっぺたを、何度も何度も全力でビンタした。
「ティオっ!ちょっと起きてっ!聞きたいことがあるのっ!ねえティオってばっ!早く起きてよっ!ティオっ!」
もちろんレベルのルールがある以上、彼女にはそんなの痛くも痒くも感じないだろう。でもビンタのダメージは感じなくても、私が叫んでいるこの声は、うるさく聞こえるはずだ。さっきだって私は、声で寝ていた彼女を起こすことが出来たんだから。
私のその読み通り、やがてティオは、眠い目を擦りながら目を覚ました。
「ふわぁーあ……。もう、終わったのかにゃあー?あのザコは、蛇に食べられちゃったかにゃあ?」
「それよりティオ、私に教えてっ!」
「ん、んにゃあ?」起き抜けに必死の剣幕で迫られて、ティオはちょっと圧倒される。「な、なんだなんだにゃ!?何事だにゃ!?………ん?てゆーかもしかして、まだ何も終わってなくないかにゃ?蛇はあのザコのことをまだ食べてなくて、仕事も消滅してにゃい?んにゃー……。にゃぁーんだ、そういうことならティオは、もうちょっと寝てたいにゃー。さっきも言った通り、ティオがあのザコを助けることなんてにゃいから…」
「そんなことは分かってるっ!」
私はティオに、食い気味に言葉を投げる。
「あんたがタルトちゃんを助けることに協力してくれないことは、もう充分わかったよっ!」だけど。「だけど……私のことだったら助けてくれるんでしょっ!?だってあんた、私がここに来た初日に言ってたじゃん!?『私のことを気に入った』から、『私に協力してくれる』、『なんでも教えてくれる』って!」
「そ、それは確かにティオ、そう言ったけどにゃあ……」
「だったら、それが今だよっ!私今、すごく困ってるのっ!この『亜世界』について分かんないことがあって、それが気になって気になってしょうがないのっ!だからティオは私に協力して、それを教えてくれなきゃダメなんだよっ!」
「で、でもそんにゃこと言っても…ティオにだって、分かることと、分からにゃいことがあるし……」
「あーもー!とにかく何でもいいから、私に教えてよっ!『さっき』のこと!」
そうして私は、ぼんやりと浮かんできていた、ある「考え」を、ティオにたずねた。
「なんでさっきのタルトちゃんは…xxxxx!?もしかしてこの『亜世界』のレベルって……xxxxx?」
「え?あ、ああ…。何かと思ったら、そんにゃことかにゃ。それだったら、確かにアリサの言うとおり…xxxxx。例えば……xxxxx……」
「やっぱり、ね……そういうことか」
ティオが肯定してくれた、私の「仮説」。
それは、私が今まで知らなかった、この『亜世界』の新しいルール…いや、より正確に言うと、「今までのルールの補足事項」だ。
この補足ルールがあったから、タルトちゃんはさっき私に『魔法を使え』って、言ったんだ。あれは、そういう意味だったんだ……。
「ティオ!ありがとうっ!」
もう何も迷いはない。私はとにかく、今自分がすべきことに向かって全力で走り出していた。
そう。私の魔法を、「タルトちゃんの指示通りに」使うために。




