02
「やれやれ、だにゃ…」
私を置いて先にいってしまったティオ。やっと私が彼女に追い付いたとき、そこには既に「先客」がいた。
肌は濃い緑色。耳は長く尖っていて、片方がネズミにかじられたチーズみたいに欠けている。背丈は、猫背で背中が曲がってるティオと同じくらいだから、ちゃんと比べたらちょっと小柄ってことになるんだろう。
「ガルルゥゥ……」
右手には、刃がボロボロになった三日月刀。左手には、木の板を張り合わせただけのいびつな形の盾を持って、ティオを睨み付けている彼女。頭の中にあるイメージから1番近いものを探すとしたら、昔話とかに出てくる鬼って感じだけど…。
私はティオの背後に隠れながら、恐る恐る聞いた。
「えっとぉ…そ、そちらの方は?ティオの、友達?」
「ティオは、もっとレベルの高いヤツの気配を追いかけてたはずなんだにゃ。それなのに、いきなりこいつが道を塞いできたりして…。ま、ティオたちの邪魔するって言うなら、倒すしかないにゃ」
「み、道を塞いできた?彼女、何かティオに用でもあるのかな?ははは……」
「うにゃ?そういう意味だと、確かにこいつはティオに用があるんだにゃ」
「って、ていうかこのヒト、結構レベルが高そうな感じがするんだけど…」
「このゴブリンは、多分レベル42なんだにゃ。だから、もしこいつが自分と同じレベルのティオを倒せば、その分経験値がたくさんもらえるんだにゃ。確実にレベルが上がるんだにゃ」
「じゃ、じゃあ……このヒトの用って言うのは……」
「まあ普通に考えたら、ティオを倒しにきたんだろうにゃ。でも、それは……」ポキポキと体の骨をならして、ティオは身構える。「ティオだって、同じだけどにゃ!」
そしてそのゴブリンちゃんに向かって、勢いよく飛びかかっていった。
って、ゴブリンっ!?
ティオに言われるまでは全然気づかなかったけど、確かにそう言われるとその緑色の彼女、ゲームとかによく出てくるゴブリンそのものだ。鬼って言うにはちょっとサイズが小さ過ぎるし、刀とか盾とかを持ってるあたりも、西洋的でそれっぽい。ゴブゴブッとした中にもリンとした雰囲気が漂ってて、いかにもゴブリンって感じの容姿だったんだ。
でも、あれ…?
ゴブリンっていうと、もうちょっとザコっぽいっていうか…結構ゲーム序盤で出てくるモンスターじゃなかったっけ?なんか彼女って、いまいちそんな弱っちい感じがしないんだけど……。
「うにゃぁぁーっ!」
小ジャンプでゴブリンちゃんの懐にもぐり込んだティオは、素早くワン・ツーの引っ掻き攻撃を繰り出す。でも、ゴブリンちゃんにはその攻撃は予想の範囲内だったらしく、難なく盾で受け止められてしまう。しかもそこから、攻撃後の隙が出来たティオに向かってボロボロの三日月刀を力一杯降り下ろしてきた。
「あ、危なっ…!」
「にゃっ、と」
私が叫び声を上げる暇もなく。気付いたときにはもう、ティオはゴロンと体ごと横転してゴブリンちゃんの攻撃を紙一重でかわしていた。全力で振り下ろされた三日月刀は空を切って、思いっきり地面に突き刺さる。
そこから今度はティオが反撃。ゴブリンちゃんが刀を地面から引き抜こうとしていたところへ勢いよく体当たり。ゴブリンちゃんは慌てて盾を構える。
衝突。辺りに、爆弾が爆発したみたいなすごい破壊音がこだまする。
そして直後、突撃したのとは反対側にティオが弾き返された。
「うにゃっ!」
不意を突かれたはずのゴブリンちゃんはティオの攻撃をしっかりガードしていて、その上、更に彼女を思いっきり押し返していたらしい。防御からの、流れるようなカウンター攻撃。すごい…。
でもさすがに、それだけの無理をしたらゴブリンちゃんの方だってノーダメージってわけにはいかない。ティオの体当たりを受け止めた木製の盾はバラバラと音をたてて全部崩れ落ちゃったし、それを持っていた左手の指も、変な方向に折れ曲がってしまっていた。
ふっ飛ばされたティオは、クルンと体を翻してすぐに体勢を立て直す。そしてゴブリンちゃんを睨み付けながら、口の端を緩めた。
「結構、やるにゃん?」
右手で三日月刀を拾いながら、ゴブリンちゃんもそれにこたえるようにティオに笑顔を見せた。
「ガァルゥゥ…」
ここまでが、ほとんど数秒間の出来事。
ティオとゴブリンちゃんの戦いは超高速の激闘で、文字通り、私なんかとはまるでレベルが違っていた。
戦い慣れしていて結構強いはずのティオと完全に互角に渡り合っているゴブリンちゃんは、明らかに、私がゲームで知ってるようなただのザコモンスターなんかじゃなかったらしい。
これが、レベル42の戦い…。
2人の戦いは、私がこの『亜世界』に来てから初めて見た、「いい勝負」だった。
「ティ、ティオ、大丈夫…なの?もしアレだったら、今の内に逃げた方が…」
「ふにゃあ?」小ばかにするように笑うティオ。「余裕だにゃ。さっきのティオは、本気の半分も出して無いにゃ」
「もう…」
それは多分、ただの強がりだ。
体当たりをした彼女の肩は赤く腫れていて、三毛猫の体毛にはうっすらと血がにじんでいる。
「何言ってんのよ。あんた、ケガしてるじゃん…」
「こんなの、何でもないにゃ」
「で、でもっ…」
「ケガにゃんか、放っておけば治るにゃ。実際、この前ケガしたのだってもう治ってるにゃ?」
「それは、そうだけどさ…」
そんなことは、私だって分かっている。
この前サラニアちゃんに負わされた重傷も、2日寝てただけで完全に治ってしまったんだ。きっと今のティオのケガだって、この『亜世界』のルールによってそのうち勝手に治ってしまうんだろう。でも、問題はそこじゃあない。
この『亜世界』はレベルの高低が全てを支配する。自分よりもレベルが高い敵には絶対に勝てないし、自分よりもレベルが低い敵には絶対に負けることはない。
じゃあ、自分とレベルが同じ相手の場合は…?
私は今までそのことを考えてこなかったけど、でも、考えてみれば答えはすぐにわかる。レベルがそのモンスターの強さを表しているんだとしたら、レベルが同じモンスター同士は、完全に同じ強さだ。強さの上では完全に互角なんだから、その勝敗は、完全に運任せになるんじゃないの…?
「ティオは、今までずっとこんな風に同じレベルのヤツラを倒してきたんだにゃ。ザコいモンスターを何匹倒すよりも、同じレベルのヤツを1匹倒す方がたくさん経験値がもらえるから、1番レベルを上げる近道なんだにゃ。だから、今回だって全然余裕なんだにゃ」
「そ、それって…!今までのは、全部たまたまかもしれないじゃん!たまたまティオの運が良くって生き残ってこれただけで、今回はこいつに…」
説得しようとする私を、ティオはモフモフの手をかざして遮る。
「アリサ、もう少し後ろに下がってろにゃ」
「ティオ…」
「今夜は、ゴブリンステーキが食べられるにゃよ?」
そしてまた、ゴブリンちゃんに対して臨戦態勢をとった。
1歩踏み込んで、とびかかる振りをするティオ。
ゴブリンちゃんは一瞬身構えるけど、すぐにフェイントだと気付いて防御姿勢を解除する。かと思えば三日月刀を振りかぶって、今度はゴブリンちゃんの方から攻撃するフェイントをして…。
お互いにお互いをけん制しあう2人。きっとお互いに、相手が何かミスして隙を見せるのを待ってるんだろう。
でも、ティオもゴブリンちゃんも相手のことを充分に警戒していて、なかなかミスなんてしそうにない。その場の緊張感だけがどんどん高まってきていて、あとはもう、何かの小さなきっかけがあるだけで、2人はさっきの戦いの続きを始めてしまいそうだった。
レベルが同じ2人の戦いは、きっとどっちが勝ってもおかしくない。余裕なんて言ってるけど、ティオが負けてしまう可能性だって十分にあるんだ。
それは、ある意味じゃあ普通の戦いの在り方なのかもしれない。実力と運によって勝敗が決まる戦い。レベルなんていう、意味のわからない数字に支配されていない、自然な戦い。
でも、それがどれだけ普通で自然なことだったとしても、今の私には、この状況を放っておくことなんて出来なかった。私の友達が死んでしまう可能性があるような戦いを、許容することは出来なかった。
だから私は、2人を刺激しないように静かに、自分のするべきことを行動に移した。
「ティオ……」
恥ずかしくて2度も言いたくないから、ちゃんとティオが聞いているのを確認してから、続きを言う。
「んにゃ?」
「ティオ……愛してる」
その瞬間、前と同じようにピンクの光が私の体を包み込んで、やがてそれはティオの体へと乗り移った。
※
「ホントに、ゴブリンステーキはいらないのかにゃ?」
「う、うん…」
「にゃーんだ。てっきりティオ、アリサはゴブリンの肉を食べたくて食べたくて仕方ないんだって思ってたにゃ。肉欲しさに、ティオに魔法を使ってくれたのかと…」
「あのねぇ……ティオ、私が普段から食べることしか考えてないとかと思ってない?違うから。あんたと一緒にしないでよね」
「にゃーん?」
私の魔法で、レベルが上がったティオは、今までの接戦がウソみたいにゴブリンちゃんをあっさりと倒してしまった。それから自分が倒した死体を前にして、「それでゴブリンの肉は、どのくらい食べたいんだにゃ?」とか聞いてきたもんだから、私が慌ててそれを否定したところだった。
そんな、お肉屋さんの量り売りみたいなテンションで言われても困るし…。
っていうか、ドラゴンステーキの時点でも私には結構な冒険だったんだよ?ましてゴブリンなんて…。さすがに人型モンスターのお肉は、抵抗あるってば…。
「じゃあティオも別に食べたくにゃいから、コイツはこのまま捨てておくにゃー」
ティオはそう言うと、もうゴブリンの死骸から興味をなくしてしまう。そして、汚れてしまった手をぺろぺろと舐めながら、元々私たちが向かっていた方向、「高レベルモンスターの気配」のする方向へと、歩き出してしまった。
「え?ちょ、ちょっと……」
「ゴブリンの肉って、生臭くって筋張ってて、ティオあんまり好きじゃないんだにゃー」
その様子があまりにあっけなさ過ぎて、私はちょっと反応が遅れる。またしても置いていかれると思って、急いでティオの後を追おうとした。
でも、やっぱりちょっと思うところがあって、その場に立ち止まってしまった。
しゃがみこんで、さっきティオが倒したゴブリンの死骸に、視線を向ける。
体の左胸、きっと私と同じように心臓があるらしいその部分には、ティオの鋭い爪がえぐって出来た傷あとがある。さっきまでそこから噴き出していた血はもう止まっているけれど、体の外に流れ出した血液が固まり始めていて、緑色だったゴブリンの身体は、今は赤黒くなっていた。
そっと、左手に触れてみる。
ゴツゴツしていて水分が少なくて、男の人みたいな手。ティオの攻撃を受け止めて指が変な方向に曲がったときのまま、冷たくなってしまってピクリとも動かない。
私が「あること」を気にすると、それに応えるようにその死骸の表面に日本語の文字が現れた。ステータスだ。
ガルミィ
種族 :ホブ・ゴブリン亜種
年齢 :16才
レベル : 8
攻撃力 : 19
守備力 : 10
精神力 : 3
素早さ : 6
運の良さ: 4
スキル :剣技▽、闇属性魔法▽
それは、さっきティオと互角に戦ったゴブリンのものにしてはあまりに低すぎるパラメーターだった。レベル42のステータスを、5分の1したような数値。確かモンスターは死んだらみんなレベルが5分の1になってしまうって話だから、生きていたときはちゃんとレベル42相当だったに違いない。
でも、私がそれよりも気にしていたのが、年齢だった。
「同い年、だったんだ…」
それに気付いたとき、私はすごくやるせない気持ちになった。
だって「これ」がもしも『亜世界』のゴブリンなんかじゃなくって、私の世界の「普通の女の子」だったなら…。絶対こんなことになんてなってなかった。普通の女子高生として、普通にオシャレとか恋とかしたりしながら、面白可笑しく生きていられたはずなんだ…。
「ごめんね…」
気付くと私は、無意識にその言葉を口からこぼしていた。
「アリサー、何してるにゃーっ!さっさと先に行こうにゃー」
少し離れたところから、私を呼ぶ声が聞こえる。
落ちていた気持ちを無理やり持ち上げて、私はそれに答える。
「…う、うーん!今行くからーっ!ちょっと待ってーっ!」
ごめんね…。
今の私じゃあ、貴女に何もしてあげられない。して、あげられなかった。
でも……私がいつか、この『亜世界』を変えてみせるから。誰もこんな目に合わなくて済むような世界に、してみせるからね。
私は立ち上がって、そのゴブリンの死骸を後にした。




