07
「が、がはっ……!」
ティオの会心の一撃が、サラニアちゃんに致命的なダメージを与える…………なんてことはなくって。
そのとき苦痛の声をあげたのも、やっぱりティオだった。
「ぐうぅ……」
サラニアちゃんの首筋に、赤い血が流れる。でも、それは別にティオの攻撃でサラニアちゃんが怪我をしたってわけじゃない。
離れたティオ。
ビスケットみたいにボロボロに砕けた八重歯が地面に落ちる。さっきの攻撃で、ティオは逆に自分の口の中を傷つけてしまったらしく、ぽたぽたとサラニアちゃんの首へと血を垂らしていた。それはまるで、硬い石に噛みついてしまったみたいだった。
サラニアちゃんは、ショックで震えているティオをそっと地面におろした。
「姉さん…」
そして軽く首を振りながら、面倒くさそうに話し始める。
「あなたは、何か勘違いをしている……ニャ…。この世界では、どんなことがあってもレベルだけは疑ってはならない。それは何よりも確かで、不可侵で、偽ることも誤魔化すことも出来ない唯一絶対な物なの……ニャ…。だから、『あの日』だって私はちゃんと、この世界のルールに従って母さんたちを殺したのよ。チートなんて、使ってないの……ニャ…」
「で、でも!サラは、確かに前の日まではティオとおにゃじレベル15で……!」
「そうね……」ティオに背中を向け、白い髪をかきあげるサラニアちゃん。「私は確かに、前日までは姉さんと同じレベル15だった。そのままじゃあ、レベルが高い母さんたちを殺すことなんて、出来るわけないわね……」
「ほらっ!だからやっぱり…」
「だから」
口を挟もうとするティオを無視する。
「だから私は、『その日の夜の内にレベルを60まで上げた』の。そして、レベル60の私がレベル60の母さんたちを殺して、その経験値で更にレベル61になったの……ニャ…」
「そ、そんにゃ……そんにゃの…って…」
わなわなと、ティオは体を震わせる。
「そんにゃこと、出来る訳ないにゃっ!ティオだって、サラが去っていってからの1年間、死ぬ気で敵を倒しまくってやっとレベル32になれたくらいにゃのにっ!1日でいきなり60なんて、普通の方法じゃあ絶対無理だにゃっ!」
「ふふ…。それが、出来るのよ。私ならね……」
サラニアちゃんは不敵に笑う。そこで私の疑惑は、完全に確信に変わった。
やっぱりサラニアちゃんは、何かを隠している。彼女は『あの日』、何らかの普通じゃない方法を使ったんだ。
だって、一晩でレベル15から一気にレベル60まで上げることが普通に出来てしまうなら、この『亜世界』のルールなんて意味がなくなってしまう。そう簡単に上げることが出来ないからこそ、レベルというものにこれほど価値があって、みんながそれに支配されている。上げようと思えば上げられるなら、とっくにみんなレベル100になっている。
だからそれがどんな物であれ、『あの日』サラニアちゃんがやったレベルアップの方法は、この『亜世界』へのチート行為であることは間違いないんだ。
でも、どうして…?
それでも今の私には、やっぱり分からないことだらけだった。サラニアちゃんが使った具体的なレベルアップの方法はもちろんだけど、それ以上に、もっと根元的なことも。
どうして『あの日』のサラニアちゃんは、チートを使ってまでして自分のお母さんたちを殺してしまったの?そこまでするほど、サラニアちゃんはお母さんたちのことを憎んでいたの?ティオの方が可愛がられていたって言ってたから、その嫉妬で……?でも、それが殺すほどの憎しみに繋がるものなの?それとも、もっと他の理由が…?
頭の中が疑問符でいっぱいになってしまって、その答えを求めるように私はサラニアちゃんを見つめていた。
けど、いつまでたっても彼女が私の疑問に答えてくれるなんてことはない。彼女の興味は最初っから最後まで、どうしようもないくらいに、ティオだけだったから。
「きっとこの方法は、私にしか出来ないわ……。姉さんじゃあ、きっと無理……ニャ…。だから貴女は、そんなことを気にする必要なんかなくって…」
「サラにしか出来ない、って…そんにゃの意味わかんにゃいにゃ!サラに出来るにゃら、ティオにだって出来るはずだにゃ!どうやったんだにゃ!?いいから、ティオにもその方法を…」
「姉さんには無理よ…。だって、姉さんって…」
「にゃんだにゃ!?サラ!にゃんでサラに出来て、ティオには…」
「だって、姉さんって……すっごいバカなんだから…。ふふふ……」
「にゃ、にゃんだとおぉー……」ティオの顔に血管が浮かぶ。「ば、バカにしにゃがってぇーっ!ぶっ殺してやるにゃ!サラぁー!」
口元の血を拭いながら、ティオは凄みを効かせる。サラニアちゃんがレベルアップの方法を教えてくれなかったことに、よっぽど腹が立ったらしい。
「ぶっ殺すにゃー!絶対に!お前なんか絶対に……」
「お願いだから、もうやめてよ、姉さん……。そんなの無駄だって、さっきから言ってるでしょ?それとも、さっきのことももう忘れてしまったの……ニャ…?」
「絶対にぶっ殺してやるにゃ!待ってるにゃ……すぐに、お前のことにゃんて、一瞬で……」
サラニアちゃんを睨み付けているティオ。サラニアちゃんの方は、懲りもせずに自分に敵対してくるティオに対して、完全に呆れかえっているって表情だ。
「何度やったって、結果は変わらない。今の姉さんじゃあ、私には勝てない…」
「うるっせぇー!いいから、そこで待ってるにゃ!今すぐにでも、ティオが、お前のことをぶちのめして…」
ああ…。
私はそのとき、やっと気付いた。
さっきからサラニアちゃんに向かって叫び散らしているティオの言葉は、実は全部、サラニアちゃんじゃなくって私に向けられているんだ。
彼女はまた私に、早くあの魔法をかけろ、って言っているんだ。自分のレベルを上回るサラニアちゃんには、どんな攻撃も効かない。その事は彼女だってとっくに分かっていて、だから、この状況を何とかするには私の魔法を使うしかないって、言ってるんだ…。
「ティオのこと、バカにしたことを、後悔させてやるにゃ……にゃふふふ…」
「はぁ……ニャ…」
でも、それはつまり……。そんなことをしてしまったら……。
「ティオ…あ、あの、私……」
「ぶっ殺してやるからにゃ…。お前にゃんて、すぐにぶっ殺してやるにゃ……」
今のティオには、私に魔法を使わせてサラニアちゃんを殺すことしか頭にないようだ。だけど、私はそんなことしたくない。自分の友達を、人殺しになんてしたくない。2人の意見は食い違ってしまって、いつまでたっても結論はでない。
堂々巡りだ。
私にはもう、どうすればこの状況を打開出来るのか、全然分からなくなっていた。
「わかったわ……」
そのとき、サラニアちゃんが何かを諦めるように小さくため息をついて呟く。
そして…。
「!?」
次の瞬間、フッとロウソクの火でも消すみたいに、彼女の姿が私の視界から消えてしまっていた。
「あ、あれ…?」
周囲を見回すと、いつの間にかさっきまでティオがいた場所に立っている彼女。そしてその代わりに、今度はティオの姿が見当たらなくなっていて……。
ドッガァーンッ!
突然鳴り響く、爆音と振動。吹き飛ばされるような強さの衝撃波。
「あっ…」
音のした方を見た私は、そこで、絶句してしまった。だってそのときの私の視線の先、近くにあった大木の幹のところに、糸の切れた操り人形みたいになったティオが、ぐったりと倒れていたんだから。
「ぐ……ぐ……」
威勢のいい叫び声は、今では息も絶え絶えの苦しそうな呻き声に変わってしまっている。体の四肢はあり得ない方向に曲がっていて、もはや立つこともままならないみたいだ。
一瞬過ぎてほとんど何が起こったのかなんて分からなかったけれど、どうやら、サラニアちゃんが目視できないほどの超高速の攻撃でティオを吹き飛ばして、大木の幹に彼女を叩きつけたらしい。その一撃で、ティオは既に虫の息なってしまった。
「姉さん……」
ゆっくりと、サラニアちゃんはティオの方へと歩いていく。
「バカな姉さん……。今の貴女じゃあ、私にはどうやったって勝てる訳ないって、さっきから言ってるのに……。きっともう、レベルのルールも忘れてしまったのね…?そんなんじゃあ、この先どこかで貴女よりもレベルの高いモンスターに出会ったときに、簡単に殺されてしまう……ニャ…」
ティオの目の前までやってきて、切ないような表情で彼女を見下ろすサラニアちゃん。
「他のヤツに殺されてしまう位なら、いっそ、この場で……」モフモフの手から鋭い爪を出す。「私が貴女を、殺してあげる……ニャ…」
「そ、そんな……」
その瞬間に、サラニアちゃんから身の毛もよだつような恐ろしい殺気が発せられた。さっきまでのクールな態度の美少女猫娘はもう消えてしまって、もはや彼女は、獲物に止めをさそうとしている1人の殺し屋だ。ティオは全身骨折しているらしく、身動きがとれない。
あの娘は、本気だ…。
このままだと、サラニアちゃんは間違いなくティオに止めをさしてしまう。お母さんたちだけじゃなく、自分のお姉さんのティオまで、自分の手で殺してしまう…。
「く、く…ぅ…」
呻きながら、ピクピクと体を揺らすティオ。
「そんな……そんな……」
私は、自分の無力さを思い知らされる。
今の私じゃあサラニアちゃんの足下にも及ばなくて、彼女を止めることなんて出来ない。ティオを助けることが出来ない。ティオたちが困っているのに、何もしてあげることが出来ない……。
いや。
唯一、『あの魔法』を使うことなら、まだ出来るけど…。
でも、私が『あの魔法』を使えば、今度はレベルの上がったティオがサラニアちゃんに襲いかかることになる。私は、ティオが自分の妹を傷つけるのを手伝うことになってしまう。
私が魔法を使わなかったら、サラニアちゃんがティオを。私が魔法を使えば、ティオがサラニアちゃんを…。魔法を使っても使わなくても、このままだと姉妹のどちらかは、もう片方の姉妹によって殺されてしまうんだ。
ひどい……。こんなのって、ひどすぎるよ……。
自分の目の前でこんなひどい悲劇が起きようとしていることに堪えられず、私の心は絶望でいっぱいだった。
「姉さん……どうか私を、恨まないで…。恨むなら、レベルなんていうこの世界のルールを……恨んで………ニャ…」
感情のこもっていない声でサラニアちゃんが呟く。そしてモフモフの右手から、鋭い爪を伸ばした。
ああ…。あの爪で攻撃されたら、それでティオはもう……。
私の目に、うっすらと涙がにじむ。
自分の友達が幸せになれるなら、私はなんだってする。そのためなら、自分なんてどうなったって構わない。『あの子』を傷つけてしまった日に、私はそう決めたのに……。
辛そうな顔のティオ。無情なサラニアちゃんの背中。今の私は、そんな2人を見ていることしか出来なくて…そんな、そんなのって……。
「……サ、ァ……」
ティオがひどく苦しそうに枯れた声を出した。それは、彼女の持てる最後の力を振り絞ったみたいな、弱々しい声だ。
「これで、最後ね……」
そしてサラニアちゃんは、爪を伸ばした手をゆっくりと持ち上げる。
「ア、リ…サァ……」
そこで私は、ハッと息を飲んだ。
ティオが絞り出していたその声は、私の名前だ。
彼女は今、私に助けて欲しいって言ってるんだ。あんな瀕死の状態なのに、私のことを頼ってくれているんだ。
ティオ……。ティオ……。ティオ……。
その瞬間、私の中で何かの感情が爆発した。
………ティオ!
私の友達が、自分に助けを求めてる。そして私にはまだ、友達のために出来ることがある……彼女が私を必要としてくれていて、私がその期待に応えられる………だったら……何も迷うことなんて、ない!
気付けば私は、声の限りを尽くして叫んでいた。
「ティオ!今までごめん!私、自分が今やらなきゃいけないことが分かったよ!もう、迷わないよっ!」
この魔法を使うことで、この先どんなことが起こるのか……そんなこと知るかよ!今はそんなのどうだっていい!今は私の友達の命を、私の大好きなティオの命を守るために、私は、『百合色コンフェッション』を使うんだっ!
「私!ティオのことが、大好…………」
「ふぅん…」
え……?
そこでいきなり、すぐ近くからのんきな声が聞こえてきて、私は思わず『告白』を止めてしまった。
「驚いたな…。姉さんがどうしてこんなやつと一緒にいるのかって、さっきからずっと不思議に思ってたんだけど……。あなた、こんなスキルを持っていたの……ニャ…?」
「あ、あ、あ……」
そして「それ」に気付いたときにはもう、私は『告白』の先を続けることは出来なかった。
だって。
いつの間にかティオのところから私の目の前までやって来ていたサラニアちゃんが、爪を立てた指を私の口の中に突っ込んでいたんだから…。




