08
そのとき、私が去った部屋の中から、「この状況ではあり得ない声」が聞こえてきた。
あり得ないくらいに軽快で。
あり得ないくらいに空気を読まず。
あり得ないくらいに明るい。
あり得ない人物の、声。
それがあまりにもあり得ない声だったから、私は聞き間違いだと思った。ただの自分の妄想だと思った。聞き流そうとした。
……でも。
理屈ではそうとしか思えなくても、私の本能は、それを否定していた。
もしも本当に、その声が聞けるのなら……。その声の主に、もう一度会えるのなら……聞き間違いでも、妄想でも、何でもいい。
そんな本能につき動かされて、私はほとんど自動的に、部屋の中を振り返っていた。
「う、うそ……でしょ……」
それは、うそなんかじゃなかった。何度目をこすっても、何度頬をつねっても、そこにいる「彼女」は消えたりしなかった。
だって、それは……。
「にゃははー。アリサはいつ見ても、泣いてばっかりだにゃん!」
私はすぐさま駆け出して、彼女に抱きついていた。
「ティオっ!」
まだ目の前の現実を信じられない私は、全身で彼女の存在を確かめる。彼女を抱きしめて、彼女の頬に自分の頬を何度もこすりつける。
「ティオ! ティオ! ティオ! ティオぉぉぉ!」
「うにゃあぁぁ。くすぐったいにーゃん」
ぱっと見は、可愛らしい人間の女の子が三毛猫風の毛皮のビキニを着ているみたいな恰好。でも、頭の上には大きな2つの耳が生えていてピクピクと動いているし、お尻からは白黒茶の3色の毛のしっぽも生えている。
確かにそれは、ティオだった。『モンスター女の亜世界』でアシュタリアに殺されたはずのティオが、私の目の前にいたんだ。
いつのまにか、さっき部屋を出るときのとは明らかに違う温かい涙が、ぼろぼろと私の両目からこぼれ落ちている。そのせいでティオの頬が濡れてべとべとになってしまっていたけれど……でもそんなの、気にしてらんない!
だって、だって、だって……もう2度と会えないと思っていたティオが……死んじゃったと思ってたティオが……確かにここにいるんだもんっ!
「会いたかったよっ! 私、貴女にずっと、会いたかった! ホントにホントに、会いたかった……よぉぉぉぉー……」
「にゃひ。言ってるそばから、アリサったらまた泣いているにゃ? しょーがねーやつだにゃっ!」
なにこれ……? なんなのこれ……? どういうことなの……? 全然、意味が分かんないよ……でも、でも、でも……。
「私……私……またティオに会えて……」
今の私は、あり得ないティオの登場に感情が高ぶりまくってた。だから、あり得ないくらいに気持ちがハイになって、考えることも話すことも、支離滅裂で訳分かんなくなっていた。
でも、それでも今の自分の気持ちを現す言葉は、間違えるはずがない。今の気持ちは、ただ1つだ。
「また、ティオに会うことが出来て、本当に……最高に……私……」
そして、抑えきれない感情を口にした。
私は今、最高に……嬉し……。
「……臭い」
……ん?
えーっとぉ?
いやいやいや……。
いきなり、何言っちゃってるのかな、私?
死んだはずのティオにまた会えたんだから、その時の気持ちは、「嬉しい」以外にあり得ないよね? 私は今、最高に「嬉しい」気分なんだよね? なのに、さっき実際に口から出てきた言葉は……「臭い」?
は? それこそ、意味わかんないし……。
ていうか、いくら礼儀知らずでマイペースなティオ相手でも、再会した直後に臭いとか言うのは、流石に失礼過ぎっていうか。いきなりそんなことを言う私、どうかしてるでしょ?
……うん。それは、充分に分かってるんだけど……分かってる、はずなんだけどね……。
だけど……だけど……。
「あぁーっ、やっぱ無理! くっさ、くっさ、くっさぁーっ! ティオあんた、めちゃくちゃ臭いよっ!? 生ゴミみたいな臭いがするよっ!? どうしちゃったのよっ!?」
私は我慢できずに、抱きしめていたティオの体を乱暴に引き剥がした。
「んにゃあ? 生ゴミ臭いぃー?」
ティオはそんな私の態度を何でもない風に受け流す。それから、おもむろに自分の左胸を見て、
「あ、ちょっとこぼれちゃってたにゃんっ」
なんて言って、「体の中からはみ出していた内臓」を、手で押し戻していた。
ん?
んんんん? 見間違い……かな?
だ、だよね? うん、そうに決まってるよ。
だってそうじゃないと、おかしいでしょ? 私は今、「ティオが生きてて嬉しいな」っていう話をしてたわけで……。そんな彼女の左胸から「内臓がはみ出してる」なんてこと、あり得ないよね……? だって、それが本当ならティオは生きてるわけないってことになっちゃうわけで……。
あ。そういやティオは、アシュタリアの攻撃で心臓ごと左胸を貫かれちゃったんだっけ? そっかぁー。じゃあ、その部分が空洞になっちゃってんだから、内臓がこぼれちゃうのもしょうがないかぁー…………って。
だから違うってばっ! そもそもそんな事になって、生きてるわけがないっつー話でしょっ! そんなの、マジで意味わかんないっつーのっ!
……や、やっぱり、見間違いだよねっ!? さっきのは、ティオに再会できたことが嬉しすぎる私の、幻覚&幻聴だよ! そうに違いないよ! もう決めたっ!
きっとティオは、あのとき上手いことアシュタリアの攻撃を避けてて、無事だったんだよ! だから、今もこうして私の前に出てこれてるわけで……当然、怪我なんかもしてるはずないんだ!
私は恐る恐る、一度は目を背けたティオの体をもう一度見てみた。でも。
「にゃうぅぅぅ……。この体になってから、ちょっと油断するとすぐに内臓がこぼれちゃって、めんどくせーにゃん……。ペロペロペロ……。でも、我ながらティオの血って、油っぽくってドロドロしてて、とっても美味しいにゃん!」
うわぁぁぁ……。ティオってば、自分の内臓なめてるぅぅぅ……。こいつ、完全に死んでるよぉぉぉぉ……。
「おお、そうじゃったな。そう言えばおぬしにはまだ、そやつのことを教えてなかったのー?」
混乱を通り越して、若干恐怖さえ覚え始めていたところで、アシュタリアがやっと助け船を出してくれた。私は、溜まっていた戸惑いを彼女にぶちまける。
「ちょ、ちょっとあんた! どういうことよ、これっ!? 何が起きてるのっ!? ティオがこんなことになってる理由、何か知ってるのっ!?」
「じゃから、さっき言ったじゃろー? この猫たちのことについて、『おぬしには言わなければいけないこと』がある、と」
いたずらっぽく笑ってるアシュタリア。
そ、そういえばさっきアカネの前でバカ騒ぎをしてたとき、こいつ、そんな感じの事を言ってたっけ……。てっきり私、こいつがティオたちのことについて少しは責任を感じて、形だけでも謝ろうとしたのかと思ってたんだけど……。
「じゃ、じゃあ、『言わなければいけないこと』って、この『ティオ』のことだったの!?」
つまりアシュタリアはあのとき、「実はティオは生きている」とか、「自分はティオを殺していない」的な事を言おうとしてたってこと……?
で、でも、私の目の前にいるこの『ティオ』の胸の傷は、どう見ても致命傷だよね……?
どう見ても生きてるはずがない傷を負ってるのに、普通に動いて喋ってる。死んでいるのに生きていて、生きているのに死んでいる。しかもその理由は、悪魔でモンスターなアシュタリアが知ってる……ってことは、そ、それって、もしかして……。
うっすらと私も、この状況を理解し始めてきた。
「にひひ。実は私には、ナナシマアリサの他にも『友だち』がおってな? そやつは、この『人間男の亜世界』に住む男で、かつてのおぬしのように、私には思いもよらんことを考えるおもしろいやつだったのじゃが……」
思い出し笑いをするように、ケタケタと笑うアシュタリア。
「でな、その友だちが言ったのじゃよ。『別の亜世界に住んでいた者たちが協力すると、今までどの亜世界にも存在しなかった全く新しい力が生まれる』……『どの亜世界でも出来なかったことが、出来るようになる』とな!」
「そ、それじゃあやっぱり……このティオは……」
「うむ! この猫たちは、私とその友だちが一緒になって完成させた新しい『力』……死霊術の産物なのじゃー!」
「ティオは、ゾンビとして蘇ったんだにゃん!」
「ぞ、ぞ、ぞ、ゾンビぃーっ!?」
絶叫するくらいに驚いてしまった私。もしも私がギャグ漫画のキャラクターなら、確実に今のタイミングで目が飛び出してたと思う。
でも、それもしょうがないよ……こんな事言われたら、驚かない方が無理だよ……。
「うむうむ」
私の気も知らず、アシュタリアはまっ平らな胸の前で腕を組んで満足そうに頷いている。
「これは、その友だちから聞いた事なのじゃがなー? 元々この『人間男の亜世界』でも、死者の甦りに関する研究をする者は、多少はいたそうなのじゃが……。人間という生物の肉体の限界と、死者の遺体がすぐに腐乱によって痛んでしまうという制限があるせいで、その研究は思うように進んでいなかったそうじゃ。
しかし、一方で我が『モンスター女の亜世界』では、以前におぬしが指摘した通り、微生物という名の『小さき者たち』がほとんど絶滅してしまっとったじゃろー? じゃから、あの『亜世界』で死んだ者たちには、致命傷となった傷の他は遺体の損傷がほとんどなかったのじゃ。それに私らモンスターには、多少の怪我ならばすぐに治ってしまうという『超回復力』もあるしのー。
そういう、なんやかんやを奇跡的にうまいこと組み合わさせた結果……死んでしまったモンスターを、割りと簡単に復活させる事が出来ると分かったのじゃ!
……いやー。アウグストちゃんの言葉を借りるなら、『モンスターは簡単に復活させられる』という新しいルールで、私たちがこの『亜世界』を侵食してやった、と言うべきかのー?」
「そ、そ、そんなこと、どうだっていいからーっ!」
満足げに話すアシュタリアに、ツッコミをいれずにはいられない。
「あ、あんた、分かってるのっ!? だってゾンビでしょ!? ゾンビとかそんなの、ふ、普通じゃないでしょうがっ! そんな事してティオを甦らせるなんて、なんか人道的って言うか……倫理的って言うか……と、とにかくダメでしょーがっ!」
「のじゃー? ナナシマアリサに喜んでもらえると思って、真っ先にこの猫たちを甦らせたのじゃが……。もしかして、お気に召さなかったかのー?」
「召さないよっ! 召すわけないよっ! 当ったり前でしょーがっ! こ、こんな、命をもてあそぶようなことして、私が喜ぶわけないでしょ!? バッカじゃないのっ! だ、だいたい、ゾンビとかネクロマンシーなんて普通は、悲劇しか生まないっていうのが常識で…………ってか、え? 猫……『たち』……?」
「猫」じゃなくって、「猫たち」……?
さっきから何気に感じていた違和感に、やっと私が言及したちょうどそのとき……。部屋の中の、最初に私が寝ていたベッドの下から、ティオと同じような白い毛皮の猫娘がはい出してきた。
「姉さん……。私以外の女と……あんまりベタベタしないで……ニャ」
え? え? ……ええぇーっ!?
ティオだけじゃなく、サラニアちゃんまでぇーっ!?
それは、ティオの腹違いの妹、白猫のサラニアちゃんだった。
「んにゃ? ティオは別に何もしてないにゃん。さっきのは、アリサが勝手にくっついてきたんだにゃん」
「なら、いいのだけど……。だって姉さん……いつも、隙だらけで無防備なんだもの……。私、心配……ニャ」
ベッドの下から出てきたサラニアちゃんは、ティオの匂いを嗅いだり、頭をこすりつけたり、ペロペロと彼女の傷口をなめたりして、本当の猫みたいな行動をしている。でも、その容姿は猫要素よりも人間の女の子要素の方が大きくて、白猫のコスプレをした白髪の美少女にしか見えない。
そのうえ、やっぱり彼女にも、明らかに致命傷と分かる胸の傷があるわけで……。つ、つまりこのサラニアちゃんも、アシュタリアとその友だちが作った『新しい力』で復活した、ゾンビってことなんだ……。
「無論、そこの猫たちだけではないぞー? 私とアウグストちゃんは、これまでに私の『亜世界』で死んでいったあらゆる種族のモンスターたちを、片っ端から甦らせてきたのじゃ! あんまり節操なくやり過ぎたせいで、もはや私ですら、そのアンデッドモンスター軍団の総数は分からなくなっているくらいじゃからなー!」
「あ、アンデッドモンスター軍団って……」
私が改めてよく見てみると、部屋の外の廊下や窓の外には、大勢のモンスターの姿があった。
それは、肉が裂けて骨が露出してるドラゴンだったり……ティオみたいに内臓はみ出しちゃってるゴブリンだったり……取りはずし出来るようになっちゃった自分の頭でお手玉をしているナーガだったり……。明らかに、普通に考えたら死んでるはずの傷を負ったモンスターたちだった。
「は、はは……」
目の前で起きている事が突拍子も無さすぎて、正しいリアクションが分からない。
とりあえず、あり得ないくらいにものすごいことが起きているってことだけは確かなはずなのに……。アシュタリアや当事者のティオたちがあまりにもあっけらかんとしてるものだから、そのすごさが全然伝わってこないっていうか……。
「て、って言うかさ……」
でもとりあえず、今の状況が「普通じゃない」って事だけは確かなわけで。その「普通じゃなさ」を受け入れがたい気持ちをなんとか言葉にして、私はこの状況に反発しようとする。
「さ、さっきからあんた、『蘇えらせた』とか言ってるけどさっ! これって、『甦ってる』って言っちゃダメなんじゃないの!? だ、だって、今のティオたちって、ゾンビなんでしょっ!? 死んじゃった体が動いてる状態なわけで……。私が知ってるゾンビとかアンデッドとかそういうのって、結構ヤバいイメージっていうか……生きてるときの記憶をなくして、手当たり次第に人を襲う、みたいな……!」
「のじゃー?」アシュタリアはまたも、意味不明と言わんばかりに首を傾げる。「なんじゃそれは? おぬしが『ゾンビ』という言葉にどんなイメージを持っとるのかは知らんが……。
見てればわかる通り、こやつらはそれほど『ヤバい』存在ではないぞよー? 少なくとも、おぬしに対して手当たり次第に襲いかかったりしておらんじゃろー? 私たちが甦らせた他の者も、大体同じじゃ。誰もが生前の記憶を持ち、生前と同じように行動しておる。
まあ、前よりも多少血肉に飢えるようになった者もいるようじゃが……じゃが、元々モンスターとは多かれ少なかれそういうものじゃからのー? 別に性格が変わるほどではないし、気にする必要はないぞよー」
「で、でも……でも……」
「ナナシマアリサが、やつらに対して『甦った』という言葉を使いたくないのじゃったら、それは自由じゃ。どうとでも、おぬしの好きなように表現したらよい。じゃが、私たちモンスターにとっては、これはまぎれもなく『甦り』じゃ。じゃって、ゾンビだろうがスケルトンだろうがゴーストだろうが、モンスターであるということは何も変わってないのじゃからなーっ!」
「そ、そんな、アバウトな……」
……確かに。アシュタリアにそんな事言われるまでもなく、ゾンビになった今のティオたちが、生きていたときとほとんど変わってないということは、私でもとっくに分かっていた。
自分勝手でマイペースで、イタズラ好きだけど憎めない猫娘。目の前の彼女は、かつて『モンスター女の亜世界』で私と一緒に行動していたときの、ティオそのものだったんだから。
「うにゃー。ティオ、なんだかお腹空いてきちゃったにゃー。外のドラゴンに言って、ちょっとだけお肉分けてもらおーかにゃー? ……じゅるりっ!」
「姉さん……それなら、私の肉を……食べてもいい……ニャ。姉さんと一つになれるのなら、私は、多少体が少なくなっても……」
「んにゃ? サラのお肉はスジばっかで美味しくないから、いらないにゃーん」
「そ、そんな……。姉さんの期待に応えられないなんて……私、悲しい……ニャ」
「ティオは別に、サラに食料としての期待はしてないにゃー。っていうか、暑苦しいからあんまりくっつかないで欲しいにゃん」
それどころか、むしろ今のティオの方が、レベルを上げることに必死で妹のサラニアちゃんと殺しあいをしていたときよりもよっぽど健全に見えるくらいだ。サラニアちゃんも、前に死に際に見せたお姉ちゃん愛を爆発させてるし……。
でも……でも……でも……。
それでもやっぱり、2人は紛れもないゾンビなわけで……。たまたまバイオ的なものがハザードしちゃって、デッドなのにウォーキングしちゃってるだけなわけで……。そんな「普通じゃない状態」は、やっぱり私には受け入れがたいわけで……。
素直に喜んじゃ、ダメな気がするんだけどなぁ……。




