06
そのとき。
……ぅぅ……。
ん?
……ゅぅぅぅー……。
遠くから、何か聞こえる?
……ひゅぅぅぅぅぅぅぅ……。
まるで、何かが落ちてきてるような?
でも落ちてるって言っても、もちろん隕石のことじゃない。だって隕石の音なら、さっきからずっと、ごぉぉぉぉーっていう耳をつんざくようなものすごい轟音が聞こえ続けてる。だから今のこれは、そういうのじゃなくて……。何か、もっと小さなものが、こっちに向かって落ちてきているような……?
あ、あれ……? こ、これって、もしかして……?
……ぅぅぅぅぅぅぅー!
「…………ゃぁぁー……」
「あ」
私が目を丸くしている間に、アカネは既にそれに気付いて、空を見上げていた。
ああ、そうか。彼女にしてみたら、こういうのは「2度目」なんだ。だから音をきいただけでも、今起きている事がなんとなく分かるんだ。「私のとき」と、同じようなことが起きているってことが……。
アカネにつられるように、私も空の方を見上げる。
すると、次の瞬間に私の目の前に現れたのは……4本の生脚だった。
脚が4本ってことはつまり、そこには2人分の下半身があるわけで……。その下半身が今、私の顔めがけて落ちてきているってことで……。そんなことを考えているうちに「それ」は、よける間もなく私に激突した。
「のじゃっ!」
「きゃんっ!」
「ぶぐぇっ!」
2人の女の子の下半身に押しつぶされて、私は頭から床に倒れこんでしまった。
「痛たた……」
叩きつけられた後頭部が痛い。顔の前に覆いかぶさってきた「もの」をどかして、私はなんとか起き上がる。激突のショックのせいか、まだ視界はあいまいなままだ。
「な、ナナちゃん! 大丈夫っ!?」
そんな私を心配してくれる、アカネの声が聞こえてくる。それから更に、聞き覚えがある別の声が2つ。
「うむうむ。着地の位置は、ぴったりだったようじゃのー」
「ま、まあ! 何てことでしょうか!? こともあろうに、アリサ様のお顔の上に落ちてしまうなんて……た、大変失礼いたしました!」
え……? こ、この声の2人って、も、もしかして……。目をこすって視界がはっきりとしてきた時、そこには……。
「久しぶりじゃのー、ナナシマアリサよ!」
「こ、このような無礼なご挨拶となってしまい、まことに申し訳ありませんでした! ですが、それはそれとして……またお会いできて、本当に嬉しいです」
「え? え? えぇぇぇぇぇーっ!?」
『モンスター女の亜世界』の元『管理者』のアシュタリアと、『妖精女の亜世界』の元『管理者』のエア様がいた。
「な、な、なんでなんで!? ど、どういうことなのぉぉー!?」
状況がのみ込めず、完全に取り乱してしまう私。
目が黄色くて青い肌で、長い黒髪から可愛らしい角をのぞかせている鬼っ娘が、にやにやと笑いながらそんな私に状況を説明してくれた。
「驚いたかのー? にひひひ。おぬしが淋しがっていると思って、会いにきてやったのじゃっ! どうじゃ、嬉しいじゃろー!」
って、全然説明になってないし……。
得意げに胸を張るアシュタリアに、私は、当然の思いをぶちまける。
「はあーっ! 何言ってんのっ!?
あ、あんたねっ! いきなり私の前に現れたかと思ったら……よ、よくもそんなこと言えるよね!? そ、そりゃ、最後に会ったときは、あんたはバカ王子に捕まって痛め付けられてたから、無事だったって分かって、ちょっとは安心したけどさ……。で、でもっ! だからといって私、あんたがティオとサラニアちゃんにしたこと、許したわけじゃなないんだからねっ!」
「のじゃー?」
「すっとぼけてるんじゃないよっ! あ、あんたのせいで、あの2人は、あのとき……」
「おーおー。そのことかのー? それについては私は、おぬしには言わなければいけないことがあってじゃな……」
「うるさいよ、バカぁ! 言い訳なんか聞きたくないよっ! 今更あんたが何をしたって、あの2人はもう……!」
私の怒りは止まらない。彼女に対する憎悪の感情を爆発させた私は……私は……。
あ、あれ……?
ティオを殺して、サラニアちゃんが自殺するきっかけを作ったアシュタリアなんて、私にとっては敵でしかない。だから私は、彼女に対してすごく怒っている、はずなのに。殺したいくらいに憎くて、今更会っても許せる訳がない……はずなのに。
でも、どういうわけだか今の私の気持ちは、それだけじゃないみたいだった。怒りや憎しみだけじゃなく、むしろ、それ以上に何だか嬉しい気持ちが湧いてきていて……。
「あ、あんたなんか……あんたなんか、私は……」
目の前で首を傾げているアシュタリアに、思いっきり殴りかかりたいような……。
それでいて、思いっきり抱き締めて、再会を喜びたいような……。
こ、こんなの……おかしいよ……。私は、彼女を許しちゃいけないんだよ……。だって、そうじゃなきゃ、あの2人に申し訳がなさ過ぎて……。
自分で自分の気持ちが分からなくなって、頭の中が、ぐちゃぐちゃになってしまう。相反する感情に揺さぶられて、自分の心が2つに分裂したような気分だった。
でもそこで、ふわっとした優しいぬくもりが、そんな私の背中を包みこんだ。
「アリサ様」
「へ……?」
「貴女は、素晴らしいお方ですね……」
まるで、突然花畑の真ん中に紛れこんでしまったみたいな錯覚を覚える。鼻だけじゃなく全身で感じているような、圧倒的な花のいい香り。もちろんそれは香水のようなきつい感じでもなくって、複雑で繊細で、どこか懐かしくもある香りだ。
それだけでも、私は天にも上るくらいに至福の気分を感じることが出来ているのだけど。実は、それだけじゃなく。
現在の私の背中には、2つの温かい塊が押し当てられている感触もあったんだ。それは、とても弾力があって、信じられないくらいに柔らかくって、なによりすっごく……気持ちいい……。
「あの日、アリサ様がわたくしに『して』下さったときから……。わたくしの世界は変わりました……。全ての物が美しく、輝いて見えるようになったのです……」
恥ずかしいことに、私はその「感触」とか「弾力」とかのお陰で、振り返るまでもなくそこにいるのが誰なのか分かってしまった。
「え、エア様……? あ、あの、これは……」
「ですが、それと同時に……貴女様がそばにいて下さらないことが、この胸を締め付けた……。
わたくしのこの胸の中では、鮮明に輝くアリサ様との思い出と、そんなアリサ様に会えないことによる残酷な寂しさが、同居するようになってしまったのです……。その気持ちが、貴女に伝わりますでしょうか?」
つ、つまりつまり……さっきまでアカネを抱き決めていた私が、今度は、元『妖精女の亜世界』の『管理者』であるエア様に抱き締められているってこと!?
胸の苦しみと喜びが伝わるか、なんて言ってるけど、正直、今の私に伝わっているのは彼女の規格外の巨乳の感触だけだ。再会を喜ぶ暇もなく、快感と興奮で私の頭がぽーっとしてきて……。
って、あーっ、もぉーうっ!
「と、とりあえず、分かったから! ちょ、ちょっと待ってくださいよっ! 今私、すごくいいところなんですから!」
「え……」
「まあ。そうでございましたか……それは、失礼いたしました」
我に返った私は、本能では目一杯名残惜しんでいたのを振り切って、エア様の体を引き剥がした。
それから少し落ち着いて、アシュタリアとエア様から少し話を聞いてみたところによると。どうやら2人とも、本当に私に会うためだけに、この『亜世界』にやって来てしまったようだ。
アシュタリアは、仲間と一緒に金髪バカ王子のお城に乗り込んで、バカ王子を脅して無理矢理自分を転送させてきた。エア様の方は、妹ちゃんたちが誕生日プレゼントとして用意してくれた転送魔法で、ここまでやって来たらしい。そう言われて、2人が落ちてきた方の空を見てみると、ちょっとだけ渦巻きのように空間が歪んでいるのが見えた。その歪みが、転送魔法を使った形跡らしかった。
正直、何もこんな『亜世界』が崩壊しようとしているタイミングで来なくてもいいのに、とは思ったけど……。でも、それはそれとして。2人と再会出来たことは、やっぱりうれしい出来事だった。(まあ、アシュタリアに関しては、まだちょっと複雑なところもあるんだけど……)
ただ、そうは言っても隕石のことをいつまでも無視しているわけにもいかない。2人との再会にひたってる暇は、今の私たちにはないんだから。私は、今この「『亜世界』が陥っている危機」を説明しようとした。でも、
「ほほーう……?」
「ああ……。そうでしたか……」
そこはさすがに、2人とも元『亜世界』の『管理者』って感じだ。空に浮かぶ巨大隕石や、私たちの様子を軽く見ただけで、私が具体的なことを何も言うより早く、2人とも今の「『亜世界』の危機」を分かってくれたみたいだった。
いや、それどころじゃなく。
2人の元『管理者』たちは、私が今、その「『亜世界』の危機」を解消するために何をしようとしているかってことでさえ、何となく察しがついてしまったみたいだった。
「フムフム……。なかなか、面白いことになってるようじゃのー?」
「このような大事な場面に、わたくしたちはお邪魔でしたね? 大変失礼いたしました……」
「え? あ、えと、それは……」
「そういうことなら遠慮はいらんぞ? さっさと、さっきの続きをするがよいのじゃ。にひひ……」
「さあ……わたくしたちのことは、どうかお構い無く……」
そう言って、2人は視線はをこちらに向けたまま、一歩後ろに下がる。そして、残されたのはアカネと私……。
よ、よぉーし!
それじゃあお言葉に甘えて、さっき直前までいってやり損ねたキスの続きを、いっちょアカネにぶちかまして……って、出来るかよっ!
せっかく、いいムードで2人きりになれる場所を探してこんなとこまで来たって言うのに! もう完全に、そういうムードじゃなくなっちゃったでしょーがっ! 以前に私とキスしたことのある2人が見てる前で、アカネとさっきの続きをするなんて……き、気まず過ぎるよ!
そんな私の不満をよそに、アシュタリアとエア様は、更に勝手な事をいい始める。
「なんじゃ? さっさと『私のとき』のように、無理やり力ずくで『やって』しまえばよいじゃろー?」
「いいえ。アリサ様ともあろう方が、『無理やり力ずく』なんてするはずかありません。きっと、『わたくしのとき』と同じように、気高く優しく、『して』下さるのでしょうね……」
「ちょ、ちょっと、2人とも……」
「……」
「やれやれ、こやつは一体、何を言っておるのじゃろうな?
こういうのは、ダラダラともったいぶるより、本能に任せて一気に済ませてしまえばよいのじゃ! 実際、『私のとき』のナナシマアリサはそうだったじゃろー?」
「ああ……。この方は、なんて下品な方なのでしょうか……。
アリサ様? このようなおかしな言い掛りをつける方は気にせずに、どうか、『わたくしのとき』のような、慈愛に満ちた優しい『契約』をして差し上げて下さいね?」
「ふん。何じゃこいつは? ナナシマアリサのことを何も知らんくせに、でしゃばりおって」
「まあ!? 貴女こそ、アリサ様の何を知っていると言うのでしょうか!? 先程から、全然見当外れな事を言ってばかりですのに!」
やってくるのは同時だったけど、アシュタリアとエア様は面識があるというわけじゃないないらしい。お互いに友好的とは言えない態度で、意見をすれ違わせている。
っていうか、よりによって今の私が感じている気まずさの1番の原因の、『管理者との契約』についての話で言い争いなんかしないでよっ!
彼女たちの会話が恥ずかしすぎて、顔が真っ赤になってしまう私。でも、そんなの一向に気にせずに、2人の口論は更にエスカレートしていく。
「……」
「あ、アリサ様が、貴女の言うような本能に身を任せるケダモノであるはずがないでしょう!? それ以上の侮辱は、許しませんよ!? い、いいですか? アリサ様という方はもっと気高くて、神秘性のある、淑女でいらして……」
「おぬしは、哀れじゃのー? そんなものしょせん、ナナシマアリサがおぬしの前ではケダモノの本性を見せなかった、というだけではないか? にひひ……つまりナナシマアリサにとっては、おぬしはそれほど重要な存在ではなかったということなのかのー?」
「よくもまあ、そんなでたらめを……!」
「よいか? このナナシマアリサという女はかつて、自分の欲望のままに私に襲いかかり、まさにケダモノが獲物をむさぼるかのように、我が唇を乱暴に奪ったのじゃ。
一方のおぬしの場合は、『気高く優しく』……じゃったかのー? ふふん……。それはそれは、ずいぶんと事務的で余裕がある『契約』じゃったとは思わんかー?
つまり、ナナシマアリサにとってのおぬしは、『本能に任せて襲い掛かりたくなる』ような価値のない、『ただの亜世界の管理者の1人』でしかなかったということじゃ。ナナシマアリサはおぬしには、女としての魅力は感じていなかったのじゃなー」
「な、な、な、なんてハレンチな方でしょうか!? そ、そんなものは、貴女の妄想です! そうとしか、考えられません!」
「ほう? ならばなぜ、そんなに動揺しておるのじゃろーな? 実はおぬしも、心のどこかでそう思っているのではないのかのー?」
「あ、あり得ません! わたくしはただ、アリサ様がそんなことをするはずがないと確信しているから、あり得ないと言っているだけで……」
「やれやれ……おぬしは、考えていることが分かりやすいのー? いっそ本心を正直に言って、楽になったらどうじゃ?
『羨ましい』、『どうせなら、自分のときもそのくらい乱暴にして欲しかった』、と……」
「ま、まぁーっ!?」
「お、おーい……2人ともー……? い、いい加減、その辺にしよ? ね? そ、そのー……一応、人の目もあるわけだしさ……」
呆れながらも、バカげた言い争いを止めさせようとする私。でも、2人はそんな私のことは、完全に無視だ。それどころか……。
「そ、それならこっちだって、言わせていただきますけれどねっ!
あ、アリサ様は、わたくしと『契約』をするとき……ずっと、ずっと……わたくしの胸を凝視しておりましたのですよっ!?」
「は!? ちょっとエア様っ!?」
おいおいおいおいっ! ついにエア様まで、とんでもないこと言い出しちゃったよっ!? な、何言ってるの!? そんなわけないじゃん! だって私がエア様と例の『契約』をしたときって、すごくシリアスな状況だったんだよっ!? それなのに、そんなときにバカみたいにエア様の胸を凝視なんて……。
「それはもう……今にもかぶりつきそうなほどにマジマジと……。ちょっとわたくしが恥ずかしくなってしまうくらいに真剣に、わたくしの胸ばかりみていました! いいえ、それだけではございませんっ! 『契約』の前に会話をしていたときだって……もちろん今だって! アリサ様はわたくしの胸ばかりを見ていたんです! わたくしには、全部分かっていたんですからっ!」
そ、そんな……。私、エア様にそんな風に思われてたなんて……。
「申し訳ありませんけれど、貴女には、そのようにアリサ様が劣情を注げるほど、お胸がありませんようにお見受けします! こ、これでもまだ、アリサ様がわたくしに魅力を感じていないと……」
「ふふん。そんなことを言うとるから、おぬしは哀れじゃと、言うとるのじゃー」
アシュタリアの方も、負けじと反論する。……いや、しなくていいから!
「その程度で、ナナシマアリサが本当に自分に劣情を向けたと思うとるのか? バカな。そんなものは、ただのナナシマアリサの気の迷い。せいぜい、『つまみ食い』に過ぎんのじゃ。なぜなら、ナナシマアリサの真の性癖は、おぬしのようなだらしのない『巨乳』などではなく、その真逆。つまり、私のような『幼子の容姿』なのじゃからなっ!」
「はあー!? な、な、な、何を言い出してんだよ、このエロ悪魔はっ!?」
「……あれは、私がこやつの前で水浴びをしようとしたときじゃった。あのときナナシマアリサは、舐めまわすように私のことを視姦し、完全に性的な対象として狙っておった。もしもあのまま放っておいたなら、こやつはあの場で私に『契約』を……いいや、それどころか、もっととんでもない事をしでかしていたに違いないのじゃ!」
私の前で水浴びって……それは、あんたが「タルトちゃんの着ぐるみ」を着てたときでしょーがっ! そ、それをじろじろ見たからって、それで私が、「幼子の容姿」がすきなわけがないってば! そ、そりゃ、確かにタルトちゃんは見た目は可愛らしい女の子だったけど……。
「そ、それを言ったらわたくしだって! 以前、夢の中でアリサ様に押し倒されたことがあって……」
「あー! あー! あー! もぉーう! 2人とも、いい加減にしてよぉー!」
恥ずかしさに耐えきれなくて、大声を出して強引に話を中断させる。
もう限界だ。もうあんたたちには、一言だってしゃべらせないよっ! だって、このまま2人に言いたい放題言わせていたら、私のイメージがどえらい変態になっちゃうよっ!
た、確かに、2人の言うことが全部が全部、間違いとは言わないよ? そりゃあ、2人がそんな事言うからには、それなりに……多少は、真実も入ってなくない事もない訳で……。半分……いや、60%くらいは、当たってる部分も……。
って、イヤイヤイヤ! やっぱりない! こんなの、あり得ないよ! だ、だいたい、この場にはアカネもいるんだから、あんまり変なことを言ったら、アカネに勘違いされて……。
そこで。
ちらっとアカネに視線を戻した私は、やっと気付いた。
さっきからばか騒ぎをしている私たちのことを、彼女が、感情のこもってない無表情でじっと見つめていたってことに。
私は慌てて、彼女に弁明する。
「ち、違うんだよアカネ!? 2人が言ってたのは、全部嘘! あり得ないからっ! 私が、さっき言ったみたいな『巨乳好き』で『ロリコン』なんてあり得なくって! 私は、いたって普通の……」
なんて……。
私は、やっぱり何も気付いてなんかいなかったみたいだ。
これまでも、ずっとそうだった。私はいつも、大事なことに遅れて気付いてきたんだ。
私が『巨乳好き』で『ロリコン』なのか、そうじゃないのか、とか……。そんなことは、どうでも良かったんだ。だって本当に大事なことは、もっと他にあったんだから。
そして。
そういう本当に大事なことは、遅れて気付いたときにはもう、取り返しが付かないんだから。
「ねえ、ナナちゃん……」
その事を、私はアカネの次の言葉で、思い知らされることになった。
「『契約』って、何のこと?」
それは、本当に本当に、何の感情もこもっていない言葉だった。怒りも、悲しみも、私を問い詰める気持ちも、何もない。ただただ、自分が手にした台本にその台詞が書いてあったから、読んだ、とでも言うくらいに、フラットで穏やかな口振りだった。
「あ、え……」
だからこそ、私は何も返すことが出来なかった。
自分がそれにどう返せばいいか、分からなかった。なだめればいいのか、励ませばいいのか、謝ればいいのか、分からなかった。これ以上何を言っても、アカネを傷付けてしまう気がしたから。
「ナナちゃんは……『契約』のために、私にキスをしようとしたの?」
アカネは質問を重ねる。
「私の事が好きだったからじゃ……なかったの? 私を好きって言ってくれたのは、嘘だったの?」
「ち、違……そ、それは……」
何を言えばいいかは分からなかったけど、それでも自分の気持ちを分かってもらおうと、アカネに近よる。でも、私が近づいた分だけ、アカネは後ろに下がってしまう。
「のじゃー……?」
「あ、あの……アリサ様?」
突然張りつめたムードになった私たちに、アシュタリアとエア様は戸惑っている。でも、私ももう2人のことを気にしていられる状況じゃない。
「あ、アカネ……あの……私、違くて……」
体が震える。
唇が震える。
言葉が乱れてしまう。
「アカネのことは……私……あの……」
「さっき、私の世界をすごいって言ってくれたのも……嘘だったんだね……」
アカネは、何かを諦めるようにそう言って、私に背中を向ける。そして、ゆっくりと1回深呼吸をした。
彼女の背中越しに、どんどん大きくなっている隕石が見える。お屋敷の崩壊も更に酷くなっていって、いつ足場が崩れ落ちてもおかしくない。もう、一刻の猶予もない。
でもそんな状況にも拘わらず、アカネはいたって冷静だった。
落ち着いた様子で、鼻歌でも歌うように、彼女は宣言した。
「亜世界定義……『1秒後に、空に別の亜世界と繋がる空間の歪みが現れて、5日以内にこの亜世界に来た者を、全員元の世界に連れ戻す』……」
「え……?」
その瞬間、アカネの体は赤い光に包まれた。
そして直後、そのアカネの言葉通りに、さっきアシュタリアたちがやってきた転送魔法の形跡がまた開き始めて、空中が渦巻状に歪み始めた。
「あ、アカネ……な、何言って……」
その渦巻はどんどんどんどん大きくなって、まるで、その中心にブラックホールでも出来たみたいになる。そして、本物のブラックホールと同じように、周囲の空気を勢いよく吸い込み始めた。
しゅううううぅぅ……。
「のじゃ?」
「あ、あら……?」
アシュタリアとエア様の体が、ふわっと浮かび上がる。
そのブラックホール状の空間の歪みが、2人を吸い込んでいるんだ。もちろん、「4日前にこの『亜世界』にやってきた」、私のことも。
「ちょ、ちょっと……ま、待って……」
自分の体が、ものすごい力で空中に吸い込まれていく。
私は必死に抵抗しようとするけど、その吸い込む力は恐ろしく強力で、抗うことが出来ない。まるでそれが、もう「決まってしまっている」みたいに。
そうだ。
これは、もう決まってしまったんだ。
『管理者』のアカネの力によって、この『亜世界』のルールとして、私たちが空間の歪みに吸い込まれることが、決まってしまった。だから、私たちだけがその渦巻に吸い込まれて、アカネは全然その影響をうけていないんだ。ただただ、寂しそうに丸めた背中をこちらに向けているだけで……。
「……のじゃぁぁぁぁ………」
「……あ、アリサ……様ぁぁ……」
先に空中に浮かび上がったアシュタリアたちは、もう完全に渦巻の中に飲み込まれてしまったようだ。その渦の先は、彼女たちがやってきた、『人間男の亜世界』だろう。私もこのままだと、彼女たちと同じように強制的にこの『亜世界』を追放されてしまう。
「あ、アカネ! 違うのっ! 私は、貴女に嘘をつくつもりは……!」
屋上の床に爪を食い込ませてギリギリでもちこたえながら、アカネに呼びかける。今の自分の気持ちを、伝えようとする。
でもアカネは、そんな私の言葉を無視して、更に別の宣言をした。
「亜世界定義……『今回を最後にして、今後もう2度と、この亜世界は他の世界と繋がらない』……『もう2度と、この亜世界に別の世界の人間が訪れることはできない』……」
その言葉も、赤い光とともに『人間女の亜世界』に適用された。
「そ、そんな……」
その瞬間に、私は今度こそはっきりと、絶望した。
だって、だって……そんな『亜世界定義』をしてしまったら……。
私があの渦巻に飲み込まれてしまったら、もう2度と、この『亜世界』に戻ってくることは出来ないってこと。もう2度と、この『亜世界』に残ったアカネに会うことが出来ないってことだ……。私たちで力を合わせて、この『亜世界』の全ての人間を救うどころか……アカネはこのまま、この『亜世界』と一緒に隕石に押し潰されてしまうってことだよ!?
「あ、アカネ! 待ってよっ! こ、こんな……こんなのだめだよっ! だって私は、本当に、貴女のことを……!」
何度もアカネに呼びかけながら、片手を伸ばして彼女の背中に触れようとする。でも、その手はなかなか届かない。床に食いついているもう片方の手が震えて、少しのショックで今にもはがれてしまいそうだ。
「アカネ! お願い! 私の話を聞いて! アカネ!」
声は裏返って、目には涙が浮かび始める。
それでも、私はアカネに声をかけ続ける。匍匐前進のように床に這いつくばって、踏ん張って、手を伸ばす。だって、こんなのって……こんなのって……。
そして、あともう少しで、私の手がアカネに届きそうになったとき。
やっと彼女が私の言葉に応えて、こっちに振り向いてくれた。そのときのアカネの表情は、もうさっき見た無感情な物じゃなく、安心して微笑んでいるような優しい表情だった。
「あ、アカネ、違うんだよっ! 私は本当に、貴女を傷つけるつもりなんてなくって……!」
空中の渦巻はだんだん閉じはじめていて、吸い込む力もそれに比例して弱くなってきているようだ。このまま、もう少しだけ持ちこたえることが出来れば……。
私が、少しだけ安心したその瞬間……。
「ナナちゃん……」
「あ、アカネっ! わ、私は……」
静かに口を開く、アカネ。
そして、「最後」まで優しい表情のまま、次の言葉を言った。
「……ひどいよ」
「あ……」
その言葉を聞いた途端。私の全身から力が抜けた。
床を掴む手はあっさりと外れて、私は空中に浮かび上がってしまった。もう、私の手はアカネには届かない。私の声も、彼女の心に響かない。
「アカ……ネ……」
そして、あっという間に私が空中の渦巻へと吸い込まれると、その渦は完全に閉じてしまった。
渦の中に消えていく私の姿を、アカネはもう見ていなかった。まるで、私のことなんてもう見たくないって言ってるみたいに……。
私は、彼女の『世界』から追放された。
私はまた、彼女のことを傷つけてしまったんだ。




