01
「えっ?い、今、何て言ったの?」
「そ…っかぁー。でも、それはちょっと、無理、かなぁ…」
「う、うん。ごめんね?」
「えっと、そ、それじゃ私…もう、行くね?」
「あ、……じゃあ…ね…」
※
私は、夢を見ていた。
それは、同じシーンを何度も何度も繰り返すだけの、ひどく単調な夢。心を凍りつかせるように冷たくて、2度と起きることなんて出来ないんじゃないかってくらいに長い長い、悪夢。
……いや。
これを悪夢だと言う資格は、多分私にはない。だって私は悪夢を見る方じゃなく、見せる方だから。私なんかより、あのときの「あの子」の方がずっと辛かったはずだから。
だからこれは、当然の報い。むしろ、罰にしたら甘すぎる。
あの子を振った私は……あの子を傷付けてしまった私は、本当はもっと辛い目にあわなくちゃいけない。もっともっと、苦しまなくちゃいけないんだから…。
目が覚めても意識は全然はっきりしなくて、まだ夢の続きを見ているような気分だった。
宙に浮いているような、フワフワとした浮遊感。体を包みこむ柔らかい毛布はどことなく懐かしい雰囲気がして、まるで、お母さんのお腹の中に戻ったような感じ。
空から木の間をすり抜けて差し込んできた太陽の光が、ピンポイントで私の顔を照らしている。その光があまりに眩し過ぎて、しっかりと目を開けることが出来なくて、周囲の光景はぼんやりとしか見えない。ひどく曖昧で、はっきりとした形を作れずにいる世界。きっとこのままもう一度目をつぶれば、私はすぐにでも、本当の夢の世界に戻ることが出来るだろう。
でも、こんなまどろみの時間も嫌いじゃない私は、目を閉じるでも見開くでもなく、あえて中途半端で曖昧な世界の中に浸かっていた。
周囲の気温は、私がこの『亜世界』にやって来たときよりもずっと低くて、肌に触れる空気がひんやりと感じる。『亜世界』の朝は、私が知っている世界の朝と同じように爽やかで、死んだ動物のように静かだった。
「…………いつの間に…」
ふと私は、頬が濡れているのに気付く。泣いてたんだ。夢を見ながら。自分勝手で、残酷な涙…。
そのことを考えると、私の心はまた曇っていく。
「何で、『お前』が泣くんだよ…」
自分自身に対して呟く。
私は乱暴に頬を拭って、きれいさっぱりに涙の跡を消してしまう。そんなの最初っからなかったみたいに。本当は、悲しいなんて思ってなかったみたいに……。
そうだ。
私には、今更涙を流す資格だってないんだ。あのことで涙を流していいのは、「あの子」だけなんだから。だって、あのときだって泣いていたのは、私じゃなくって「あの子」の方で……。
「はあ…」
もう、やめにしよう。どれだけ考えていても、何も変わらない。いつまでもこんなことを考えていても、しょうがない。
私はもう、選んだんだ。「あの子」を拒絶することを、選んだ。「女同士なんてあり得ない」ってことを、選んだんだ。だから、それ以上のことはもう何も考える必要なんてないんだ。
私はそこでようやく不毛な考え事をやめて、はっきりと目を開いた。そして、終わることのない曖昧な世界を抜け出て、目の前の現実へと意識をうつした。
で。
「………?」
あれ…?
「?????」
あれ?あれれれれれれれ…?
完全に夢から覚めたわけなんだから、当然次に見えてくるのは現実、って思ってたんだけど…。それってもしかして、当然のことじゃなかった?夢から覚めたら、そこはまた別の悪夢、ってこともあったりする?
そのとき私の目の前にあった光景は、とても一言で言い表すことが出来ないくらいに意味不明で、理解不能で、非現実的だった。だから、私はそれを現実だなんて思えなくて、完全に混乱してしまったんだ。
は、はは……ここってやっぱり、まだ夢の中なのかな?っていうか、こんなの夢だとしても絶対にあり得ないっていうか…。私がこんな夢見てるんだとしたら、それこそどうかしてるっていうか…。
「んにゃうぅ……むにゃむにゃ……もう食べられないにゃあ…」
すぐ近くから、ティオの可愛らしい寝言が聞こえる。
そ、そりゃそうだ…。近いに決まってるよ…。だって、だってさ…。私とティオの、今の距離感って……。
「ふにゃーあ…。アリサ…おはようにゃん……」
『私の目の前』で、目を覚ましたティオが微笑む。
彼女の暖かい吐息が、私の頬をなでる。
えーっとお…。
私は何とか気持ちを落ち着けて、今の状況を整理してみようとする。
まず分かっているのは、今が、私がこの『亜世界』に来て2日目の朝ってことだ。つまり、私たちはさっきまで眠っていたんだ。昨日の夜に、『亜世界』の熱帯雨林の木に植物のツタを張り巡らせて作った特製ハンモックの上で……。
『お互いの体を密着』させて、『抱きしめ合う』ような状態で……。
つ、つ、つまりつまり……さっき私が暖かい毛布だと思って包まれていたのは、三毛猫の毛を生やした、ティオの体だったってことで……。
「う、う、う……」
「うにゃ?アリサ、どうしたにゃ?」
「……うううううううううわぁぁぁぁーっ!」
次の瞬間に私は、転がり落ちるようにハンモックから脱出してた。
「な、な、な、何だよこれぇーっ!?」
そしてそのまま地上を四つん這いになって逃げて、出来るだけティオから距離をとろうとした。ハンモックの上から、彼女は楽しそうにその様子を見ている。
「にゃふふぅ…。朝っぱらから、アリサは元気いっぱいだにゃあ?」
「う、う、うるせぇーっ!」
思わず乱暴な言葉を使ってしまうくらいの、完全なパニック状態。
「ななななな、な、何でいきなりこんなことになってるわけっ!?お、お、お、女の子同士で、一緒のベッドで抱き合ってるとかっ、絶対ありえないんだけど!?意味わかんないんだけどっ!?」
「ベッドじゃなくって、ハンモックだにゃん?」
「うるせぇーつーのっ!そ、そんなの、どうだっていいんだよっ!」
声を張り上げてうるさくしているのは明らかに私の方だったんだけど、私にはそんなこと気にしてる余裕はなかった。
「ハンモックだろうがなんだろうが、この際何だっていいよっ!そそそ…そんなことより問題は、わ、わ、私とティオが、体を密着させて眠ってたってことの方で………し、し、し、ししかも……」
そこで私は、今の自分の格好を確認する。
そして、さっきからずっと気付かない振りをしていたことがまぎれもない真実だってことを再認識して、更に絶望的な気分になった。
いくら私が「普通じゃない」ことがすごく苦手だったとはいえ、「朝起きたらティオと一緒のベッドで寝てた」ってだけだったら、まだなんとか、ギリでスルーできたかもしれない。ここまでの大騒ぎはしなかったかもしれない。
だって、いつ悪いモンスターが襲い掛かってくるかわかんないような、こんな物騒な『亜世界』じゃあ、1人でいるよりは2人でくっついてた方がいいってこともあるだろうし。私は絶対やらないけど、元の世界でも、友達の家にお泊り会とかしたときに一緒のベッドで寝たことあるって言ってた子もいた気がするし……。
で、で、でも、やっぱりこれはありえない。今の、この格好は……。
「うんうん。やっぱりアリサも、そのくらい身軽になった方がいいみたいにゃんね!『せえふく』とかいう余計な服なんて脱いじゃった方が、動きやすくなって……」
「あ、あ、あああああ……」
ふと足元の地面を見ると、この『亜世界』に来たときに私が着ていた学校指定の制服が、乱暴に捨てられていた。つ、つまり今の私の格好って、いつも学校に行くときの服装から制服を引き算した状態ってわけで……。普段使い用の、ピンクの安物の下着姿だったってことで…。
「なななななな、何で私っ!こんな裸みたいな格好してるのーっ!?」
全身が、恥ずかしさで真っ赤に染まっていく。
さっき目を覚ました私が何より信じられなかったのが、この、ありえない格好の自分だった。だって、目を覚ましたらいつの間にか裸同然の格好をしていて、しかも隣には、同じように裸みたいな格好の女の子が眠ってる、なんて…。
それって完全に「事後」じゃんっ!そんなシーン、エロいサラリーマン漫画とかでしか見たことないよ!「普通」の女子高生が体験していいことじゃないでしょっ!?
あ、まあ…ティオは元から服なんか着てないから、今の裸みたいな格好が普通ではあるんだけど…。
風邪でもひいたみたいに体中が熱くなって、意識が飛んじゃいそうなくらいにクラクラとしてきた頭で、私はこんな状況になった原因を考える。もちろん、私が自分からこんな状態になるはずがないから、他に考えられる可能性は……。
「ティオ、あ、あ、あ、あんたがやったのねっ!?い、いくら自分のレベルが高くって私が絶対逆らえないからって、寝ている間に服脱がすとか…ひ、ひどいよっ!」
今更手遅れかもしれないけれど、下着姿の自分の体を両腕で必死に隠す。その手も、恥ずかしさとティオへの恐怖心でプルプルと震えている。
一方彼女の方はそんな私とは対照的に、いつも通りののんきな感じで、キョトンとした顔を向けていた。
「にゃ?」
「い、いくら、ティオが私のこと好きとか言ってくれてるとしても…こ、こんなのって、絶対ありえないんだからねっ!」
体を隠したくて落ちている制服を拾おうとするけど、私のその願いはかなえられなかった。だって私の制服が脱ぎ捨てられてたのって、ちょうど地面に雨水かなんかが溜まって、ぬかるみみたいになってた場所だったんだ、最悪なことに。おかげで制服は水浸しの泥まみれになっちゃって、とても着れるような状態じゃなかった。
「アリサはさっきから、にゃにをそんなに騒いでるんだにゃ?自分で勝手に服を脱いだくせに…」
「は、はあぁーっ!?じ、自分からってっ!そんなわけないでしょっ!あんたが脱がしたんでしょっ!?それ以外に理由なんて考えられないでしょっ!」
そうだよ!自分からこんな格好するなんて、完全に変態レズ野郎じゃん!そんなこと、私がするわけないじゃんっ!
だって私は、女の子同士でこんなことするのとか、あり得ないんだからっ!「あのとき」私は、そういう選択をしたわけで…。
「あ……」
そのあたりから私の頭の中に、昨日の記憶が少しずつ甦ってきた。そしてその結果、ヒートアップして赤くなった体は、今度はだんだん青ざめていくことになった。
※
昨日、何とかドラゴンをやっつけた私たちは、その場所から少しだけ熱帯雨林の森を歩いたところで小さな川を見つけて、そこで野営の準備に取り掛かることにした。
『亜世界』に来たばかりの私は知らなかったんだけど、あのときって、私の世界だともう夜の6時とか7時くらいの時間だったらしい。「あと1、2時間もしたら、完全に日が沈むにゃ」っていうティオの言葉通り、私たちが夜営の準備を終えて晩御飯にありついているときには、辺りはもうすっかり真っ暗になっちゃってて、私の火の球の魔法で作ったたき火だけが唯一の明かりになっていた。
それでその晩御飯(実は、倒したドラゴンの肉をティオの爪で切り裂いて、私の火の球の魔法であぶっただけのワイルドなドラゴンステーキ)を食べているときに、ティオが……。
「あ、そうにゃっ!ティオ、肉をもっと美味しく食べる方法を知ってるにゃっ!ちょっと待ってるにゃっ!」
とか言い出して、突然真っ暗な森の中に行っちゃったと思ったら、しばらくして両手いっぱいに木の実みたいなものを持ってきて…。
「肉を食べるときに、この実をすり潰して出来る果汁を一緒に飲むと、その汁の酸っぱさが肉のうま味を引き立てて、一層美味しくなるんだにゃっ!」
なんて言ったんだ。
まあ、全体的に大雑把でがさつそうなティオが言うことだし、私も最初はその言葉を信じることが出来なくって、「えぇー?お肉と一緒に、木の実の果汁を飲むのぉ?……まぁ、ティオがどうしてもって言うのならぁ、一応試してあげてもいいけどぉ…」って感じで、正直それに全然期待してなかった。
でも、大きな葉っぱをグラス代わりにして、ティオがすり潰してくれたその果汁をいざ飲んでみたら…。
「えっ!?何これ、すっごい美味しいじゃんっ!味としてはブルーベリーに近い感じなんだけど、あとに残る香りはミントっぽくって、柑橘系みたいな酸っぱさもあって、口の中がすっごい爽やかになるよっ!ジュースみたいに飲みやすいからこってりしたステーキともよく合って、どんどんいけちゃうっ!これ、おかわりしていいっ!?」
それが結構私の好みに合う感じの味で、何度もおかわりをもらって、本当に、ジュースみたいにがぶがぶ飲んじゃったんだ。
そしたら……。
「あっははははああー!私ぃー、なーんか楽しくなってきちゃったあー!」
しばらくして、何もしてないのに何故かだんだん気持ちが良くなってきて…。体もポカポカとあったかくなってきて……。
「なぁーんかあっつくなぁーい!?どうせこの『亜世界』には女の子しかいないんだしぃー、こんな制服脱いじゃおっかなぁーっ!?」
気も大きくなってきて、そんなことを口走ったりして……。
※
ガクッ……。
昨日の自分の行動を完全に思い出した私は、がっくりとその場に崩れ落ちてしまった。
脱いでる……。
私、自分から制服脱いでんじゃん……。
多分、あのときティオが持ってきた木の実のジュースには、私の世界で言うところのアルコールみたいな成分が含まれていたんだと思う。そんなことは知らずにそのジュースをがぶ飲みした私は、その成分をとりまくっちゃって、完全に酔っぱらってしまって……。その結果、あんな、普段だったら絶対にしないような恥ずかしい行動をとってしまったんだ……。もう……死にたい…。
ポッと顔を赤らめたティオが、そんな私に更に追い打ちをかける。
「服を脱いだアリサは、それからティオを、無理やりハンモックの中に連れ込んでいって………」
はははは…。そ、それじゃあ、一緒に眠ることになったのも私のせいなんですねー…。今の状況って、完全に自業自得なんですねー…。
「アリサって、夜は結構情熱的なんだにゃん…」
お願いだから、もう勘弁して……。
もじもじと体をくねらせて私に恍惚の表情を向けているティオを見ながら、私は自己嫌悪で押しつぶされそうになっていた。
そしてもう2度とこんなことにならないように、未成年の内はもちろん大人になってからも、これから一生アルコールなんか口にするもんかと、心に強く誓ったんだ。




