その四 災いあり 2
そんなわけで僕はまだ、学校に着いてない。
着けそうな気がしない。
高校生が学校に行くのは当たり前だけど、当たり前のことがこんな不可能事に思えるなんて。
それも自分だけで終わる災難じゃない。なんだか僕が稲葉高校に近づこうとするたびに、周囲を巻き込み、世の中に災いが振りまかれるような気がしてくる。
疲れた……。
どこかの通りにあるマックの二階。隅っこの席で百円コーヒーを前に、スマホをいじりながら途方に暮れるばかりだ。
何なんだ、自分の状況は?
僕はインターネットに救いを求めるように、Twitterのアカウントを開いた。
そして……最初のページを開いたときの僕の驚愕といったら。
自分の名前でハッシュタグが出来てる!
「#守屋護は学校にくるな」
それも、トレンドの上位を占めてた。
そのタグで検索したら、これは酷い。
真っ先に目に飛び込んできたのは、デロ河童こと仲村よし子(つまり伊東)のプロフィール・アイコンだ。
誰のこととは明言しない口ぶりで、しかし「#守屋護は学校にくるな」のハッシュタグをしっかり付けた連発ツイートにより、あきらかに僕のことを責め立て、貶しまくっている。
しかもTwitterでは一番人気、どのつぶやきも何千ものリツィートがされてる。
どうやらおおかたのユーザーは、稲葉高校でのオカルト現象の真実性について疑いもせずに受け容れてしまっているらしい。
付けられたコメントのほとんどがデロ河童に賛同し、「その人」の身勝手さを非難する内容だった。
僕はあまりのことに、怒る気力すら失せてしまった。
この場でスマホで応戦しようかとも思ったが、やめた。
多勢に無勢の結果となるに決まってる。ネットで叩かれてるときは味方が現れないものなんだ。
うかうかすれば、全国に敵を作ることになりかねない。生け贄に飢えた奴らが日本中にいる。鬱憤のはけ口を求め、在日コリアンなど出自にいわくのある人、生活保護者や障害者など自分が迫害者として向き合える弱い立場の者はいないかと狂的な執念で日夜ネットを徘徊してるんだ。
今日まで、自分がそんな連中の餌食になるなんて思いもしなかった。
昨日、先生らが相次いで受難したときには、自身は無事なままで他人の被災をネタにして悦ぶ外野席の一名でしかなかった。
ここに及んで、怨霊はこの僕を目の敵とするように、唯一の標的として狙い定めてきたようだ。
移動の途を封じられ、ネットでも居場所がない。
ようするに、味方を作るのが困難な状況だった。
味方。味方……。味方!
三田のおねえさんの顔が浮かんだのと僕の指がスマホのダイヤルナンバーを押し始めたのは同時だ。
今朝のことをおねえさんに話したい。信じてくれないかもしれないが、それでもいい。何か力付ける助言をもらいたい。お叱りでもかまわない。いや、声が聞けるだけで。
しかし。
通じない。
なんとしてもおねえさんとコンタクトだ。
思いめぐらし、おねえさんのアパートの管理人のほうに連絡。迷惑がられても、仕方がない。
よかった。通じた。
「和美ちゃん? 昨夜から入院してますよ」
返事を受け、愕然となった。
「……どういうことです?」
昨日の夕方は元気溌剌だったのに。
「夜更けに、お腹の調子がものすごく悪いって、救急車で搬送されたの。新世紀大学病院。なんだか昨日、変なもの食べて当たったみたい」
どうやらクラブハウス・サンドが祟ったらしい。だって、カプチーノとポテトしか飲み食いしなかった自分は何ともないから(あとでわかったが、やはりそうだった。三面記事では食中毒事件として報じられ、おなじ店にいたお客が他にも何人か同様の症状を呈してるという。具材に使われたターキーに問題があったようだ)。
登校をあきらめ、新世紀病院に向かうことにした。
管理人との問答では病室までわからなかったが、とにかく行けば何とかなる。
あの病院には送迎バスがあり、決まった区間を運行してる。最寄りの停留所を調べ、歩いた。
これは時間通りに来てくれ、並んでいた何人かの人たちと乗り込んだ。小さい子を連れた母親、松葉杖の女子学生、お年寄りの夫婦、大きなお腹を抱えた妊婦……みんな、病院の受診者なんだろう。僕のような健常者のほうが特異だ。
ここでまた、厄難が起きた。
乗り込もうとする老齢夫婦の片割れ、お爺さんのほうが足を踏み外して倒れ、顔面を踏み台にぶつけて血だらけになったのだ。みんなで助け起こしたけど、まあ軽症だし行き先は病院だからそのまま乗っていくことになった。
僕は、ハタと思い当たった。
待てよ。
電車、バス、タクシー……今朝から、僕の乗った乗り物はかならず事故で足止めを食う。もしかしたら今乗り込んだバスもこれから、もっと酷い災難にあい、同乗する人たちまで巻き込んで、今度は救急車で新世紀病院に運ばれることになるかも。しかもその救急車もまた……。
! ! !
バスが発車する間際、運転手に呼びかけ、あわてて降り立つ。
路上に一人たたずむ僕にもはや、選択の余地は残らなかった。
今日はもう、何もせず、どこにも行かないほうがいい。おねえさんのことは心配だが、僕が見舞いに行ったらさらなる不幸を持ち込む恐れさえある。
退却だ。
自分の家に戻ってくるのは簡単だった。
帰るのを決意した頃から電車もバスも支障なく運行するようになり、僕を所要時間の見積もり通りに出発点へと送り返した。
事故も起こらず、巻き添えになる人もいない。
そういう予感はあったが、その通りになった。
どこかに行くとか誰かに会うとか、外部と接触しようとすると邪魔されるってことだ。
「あら、護。どうしたの?」
母には、起こったことをそのまま説明した。長くなるのでずいぶん端折ったけど。
「学校行けなかった。うんこ踏んじゃってさ。それから線路に落っこちて、電車が急停止、不良にからまれ、走るバスから落ちそうになり、鞭打ちされてゲロ吐いて、あげくの果てトラックが横転して豚の群れの暴走でタクシーが立ち往生。火事で道が封鎖されちゃった。日本中から名指しで馬鹿にされ、食中毒で入院までするし。あきらめて帰ってきた」
「大変だったねえ」
母は何を言われたのかわからぬままに、とにかく自分の息子は嘘をつくような子じゃないとの揺るがぬ確信に裏打ちされた言葉を返した。
「大丈夫?」
「ああ。疲れたよ」
「お昼は?」
「母さん。今日はもう、僕をそっとしといて」
僕は二階の部屋にこもると、終日そこから出なかった。
僕に人間らしい心が残っていたとすれば、病院のベッドで憔悴してるはずのおねえさんを気遣うのを忘れなかったことだけだ。しかしいくら連絡を試みても、それは徒労だった。学校に行こうとするのと同じで、どうしても通じなかった。
ベッドに仰向けになり、天井を眺めながら考えた。
いよいよ事態は抜き差しならないところまで来たようだ。
なぜ、こんなに妨害する? ぼくを周囲から孤立させる?
僕にとり憑いた何か、あの早乙女呪怨いうところの「古代の悪霊」は、僕を現代社会からはじき出そうとしてるんじゃあるまいか。
古代の悪霊……。
それすらも早乙女呪怨が言ったというだけで、実際のところは皆目わからない。
ほんとうに、これは何だろう?
御影は例によってはっきり口にしたわけじゃない。
御影の友だち園田喜代美からの又聞きだと、僕の背後に何かとんでもないものを見てしまい、かつてないほど怖がっているんだと。それも本物の怖がりようで、それが何かを友だちにも語らないのだという(くそっ、これじゃ何にもわからない)。
どうしよう……。
どうしたらいい?
何時間もひとりで思いあぐねた末に行き着いた結論は、宗教的なものでもオカルト的なものでもなかった。
結局、敵が何者かわからないかぎり手の打ちようがない、だから「汝の敵を知れ」というクラウゼヴィッツ以来の戦術的な基本原則、それを実践することだ。
いったい、僕にとり憑いたものは何か?
それが見えるのは黒石御影だけ。
ってことはだ……。
(続く)