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アレが見えるの  作者: 青木誠一
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その四    災いあり 1


 翌日十時頃。

 僕は都内の某所で一人、どうにもならないという諦観にとり憑かれ、進みも退きもできない思いを味わっていた。


 家を出て三時間たつけど、まだ学校にたどり着けない。

 電車でもバスでもタクシーでも、そして歩いても。

 かならず妨害に遭うのだ。


 何かの力が働いて、僕を学校に行かせまいとするようだった。

 昨日おねえさんは、オカルトなんか信じるなと言ったけど。これでは自分を標的にした悪意の存在を認めたくなるってもんだ。


 あ。

 順を追って話そう。

 家を出たのが七時過ぎ。この出発時刻なら、いつも余裕で間に合う。始業前のひと時をクラスのみんなとダベっていられる。


 しかし。

 まず、出がけでしくじった。

 黒猫が前を横切っていった。あれま、不吉な。いや、それはいい。まったく関係ない。しかし、猫に気を取られたその直後。

 ブチャッ!

 ………………。

 靴が。僕の靴が。毎日手入れを欠かしたことのない自慢の靴が。

 何者かの排泄物の上にある。踏み潰してしまったのだ。わりと大きいぞ。

 これ……もしかして……人間の?

 うぎゃーーっ!

 漫画だったら太字の台詞で悲鳴をあげる場面だろうけど、声に出して叫ぶのはかろうじて堪えた。そしてこういう災難に遭った者に特有の、片足を地面に何度も擦りつけ拭いとる動作をおこなったのち、見られなかったか気にしながら駅へと走った。

 朝からなんたることか。


 列車に乗った。

 いつもの時刻に発着する便に。なんということはない、普段通りの人々で普段通りに混雑した通勤快速の車内だ。

 澄みきった空のもと、燦々たる朝の光を浴び、晴れやかな佇まいの沿線の風物。窓外を通り過ぎる住宅地や林、川や野原の美しいこと、墓地でさえ新鮮な景色として目に映じる。

 なるほど、おねえさんの言ったとおりだ。この輝きの下で、どこにオカルトが存在できるだろう。


 そのとき。

 少なからぬ乗客を将棋倒しになぎ倒し、列車が急停止をおこなった。

 車内がどよめき、悲鳴や悪態が交錯する。

 ついで乗客の頭上から車掌のアナウンス。

「次に停車予定の羊ヶ丘駅ホームで車輌の隙間から線路内に転落した人を救助するため現在、運行を停止しています。復旧まで今しばらく――」

 そこかしこで、チッと舌打ちする音。くそっ、とうめく声。そしてみんな、スマホやケータイを取り出した。勤め先や学校に、見知らぬ誰かの不手際のせいで到着が遅れるという連絡を。あるいは我が身に見舞った不運を、TwitterやLINEで実況するために。

 いかなる事情でか線路になど落ちたりする間抜けの身を案じる人は誰もいない。「馬鹿野郎、そんな奴は轢き殺していっちまえ」が気の立った男どもの本音だろう。


 列車は乗客をすし詰め状態にしたまま長いこと、線路の上で停止。

 これがどれだけ苦痛なことか。

 何十分待たされたかわからない。列車はようやく動き出し、運行停止で大混雑状態の羊ヶ丘駅のホームに、へとへとになった乗客の群れを吐き出した。

 僕もどこかで一服したかったけど、それどころじゃない。


 ここからの便は当面は運休になるようで、振替輸送でのバスを利用して登校するしかない。

 そのバスが出る駅前のターミナルまで走った。

 いや、すんなり乗り込めるもんじゃない。すでに長蛇の列が出来上がり、停留所の境界を越え、階段から陸橋の上まで延々と続いている。しかも僕の後からも人がどんどん並んできて、列は長くなるばかりだ。


 バス一台には五十人しか乗せられない。これに乗せるだけ乗せて七、八十人。それだけ詰め込んだら発車させ、次の便が来るとさらにまた、ぎゅうぎゅう詰めにして……。こうして何便待たされただろうか、いよいよ僕の前に並ぶのが数十人ほどになり、次の便には乗り込めそうな見通しだった。

 さあ、バスが来た。


 前に並ぶ人たちがどんどん乗車していく流れに乗るように、僕は歩く。

 だが。乗車口で乗り込む人数を数えていた車掌は、いよいよ僕が乗ろうとする直前、片手を伸ばし、行く手を遮る仕草をしてみせたのだ。

「はいっ、ここまで」

 え?

「ちょうど定員です。すぐに次のバスが来ますから」

 おい……ちょっと……。

 なんなんだ。いままでのバスは詰めるだけ詰め込んだのにこのバスにかぎって、これで定員?

 あとでわかったが、前のバスがぎゅうぎゅう詰めのあまり気持ち悪くなって吐いた人がいて車内が一大パニックを呈したので、今回の便から大人数は乗せないことにしたらしい。


 しかし僕はそれを知らず、車掌のやり方は嫌がらせみたいだと憤慨した。

 次の便なんて待ってられるか。

 これに乗れれば、ちょうどうまい具合に授業に間に合う。次の便だとちょっと遅れる、つまり遅刻の記録を残すことになる。入学以来無遅刻無欠席でいる模範的学生のこの僕が。


 頭にきていた僕は、普通ならやらない真似をした。

 進発するバスを追いかけ、大きな車体の背面にがしっと組み付いたのだ。プレート上の出っ張りで足を支え、取っ手みたいな金具に腕が抜けても離さないという思いでしがみつく。カバンはランドセルのように背負った格好だ。

「あっ、あっ! 見て、見て! 凄い、馬鹿みたい!」

 おとなしく順番待ちする人々の間から、口々に感嘆の声が上がった。

 なんとでも言え。



参考画像


挿絵(By みてみん)


こんな感じで、走行するバスにしがみつく主人公。

写真はあくまでイメージであり、作中の人物や舞台とはまるで関係ありません。



 僕のしがみついた場所は車内から死角になってるので当然だが、乗ってる人には誰にも気付かれなかった。

 バスはそのまま走り続けた。

 しばらくすると、背後から呼びかける声がする。

 バスの後ろを走るタクシーの運転手が、おもしろがって車中から身を乗り出してる。

「よう、兄ちゃん。無賃乗車かい? 朝から粋だねえ。あははは」

 乗車してないぞ。見ればわかるだろ。

 でも無愛想にするのもなんだから、この状態で当たり障りなく返事をしてみた。

「学校に遅れちゃうんです。こうでもしないと」

「あははは。そうまでして学校行きたいの? まいったな、あははは」

 やがてタクシーは給油のためだろう、ガソリンスタンドのほうに曲がっていった。


 そのあと、別口がからんできた。今度は、オートバイに二人乗りした僕と同じ年代の奴らで、ちょっとタチが悪い感じだった。バスと併走しながら、僕の様子を面白がってる。

 どこの学校だろう。ツッパリなのかはわからない。オートバイに乗ってると、不良だか普通だか見分けがつかなかったりする。

「変なのがぶら下がってるぞ」

 走るバスにしがみついた僕を眺め、二人してケタケタと笑う。なんだか、ラリってる感じだ。


「ひゃー。こいつ、イナバの制服だぜ!」

 後ろに乗ってるほうが、すごい発見をしたように叫ぶ。

「お~い、イナバ。普段はエリートぶってんのに、こんなとこで無賃乗車かよ~。やっぱりイナバ、ただ乗りやっても大丈夫! ずるいんだ~♪」

 エリートぶった覚えなんかないぞ。まわりがそう言ってるだけじゃないか。

 こいつら、勝手にからんできて、勝手にひがんでる感じだ。そして、勝手に敵意を抱いてる。

 悪い胸騒ぎがしたこともあり、僕は返事をしなかった。無言でやり過ごそうとした。

 しかし、放っといてくれない様子だ。今の僕は逃げられず、まったく抵抗できない状態にある。二人はそれを知っていた。


 運転するほうがうわずった声で笑った。

「先輩。こいつ、お仕置きが必要です。お仕置き♪」

「おう、そうしよう。天に代わって成敗じゃ」

 後ろに乗ってる奴が、何を思ったか、腰からベルトを抜き取った。そしてベルトを鞭のようにふるい、僕の身を打ちはじめたのだ。走行するバスにしがみつくこの僕の身を。

 むろん本気じゃない、面白がってだ。


「正義の鞭を受けてみよ! ピシーーッ♪ ピシーーッ♪」

 うわっ! おい、やめれ。洒落じゃすまない。すぐ、やめろ。

 命にかかわるぞ、この僕の。


「貴様、大丈夫か? これでも大丈夫か! ピシーーッ♪ ピシーーッ♪」

 ふざけて打っても本気で痛かった。笑ってるのに手加減しなかった。

 痛てっ! あっ、あっ。うわっ!

 痛みと打撃で幾度かバランスを崩し、車体からずり落ちそうになる。

 こいつら。本気でふざけて、僕を殺す気なのか?

「ひっひっひ! ピシーーッ♪ ピシーーッ♪」

 なんの悪気もなく殺人すれすれの行為に興じるその笑顔に、心底から恐怖を抱いた。


 このとき、天の助けがあった。

 バスの最後部の席に面した窓がいきなり開くと、乗っていた人が顔を出したのだ。老婦人というかお婆さんというか、そういう年齢の人だ。その人は、窓外の光景を見て、思いきり顔をしかめた。そして――。

 ごんげーーーっ!


 窓の外に嘔吐したのだ。

 オートバイの二人組が走る側に向かって。

 いや、狙って吐きかけるつもりじゃなく、気持ち悪くて外の新鮮な空気を吸おうと窓から顔を出したとたん我慢できなくなったようで、バイクを運転するほうの奴が顔からまともに浴びてしまった。

 突然の致命的災厄にハンドル操作を誤ったのだろう、ツッパリ二人を乗せたオートバイは、みごとに横転した。

 ただしこれらの場面は、僕自身は位置的に死角だったので目にできなかった。あとで目撃した人から教えてもらったんだ。

 奴らがそのあとどうなったか確かめようがない。こっちは大げさでなく満身創痍の身で、振り落とされないようしがみつくのに必死だった。


 バスが信号待ちで止まったとき、僕はなんの迷いもなくバスの背面と訣別し、地面に降り立った。

 これ以上はいけない。もう、こりごりだ。

 バイク二人組のせいで一生引きずるほどの身体的ダメージを受けた気がする。くれぐれも、良い子は僕のしたことを真似ちゃいけない。


 さて。

 この鞭打たれた我が身をさらに鞭打って、なんとしても学校までたどり着かねばなるまい。

 最後の手段はタクシーだった。

 金はかかるがこの際、やむを得ない。僕はもう、なんとしても学校に行かなければと意地になっていた。怨霊のことでみんなに言われたのを苦にして来なかったとだけは思われたくない。


 運よく、空車が一台つかまった。

 運転手を見ると、あれれ。最前、走りながら僕に呼びかけたのと同じ人じゃないか。向こうも驚きながら、悦んでる。

 僕は運転手に特別にはやく飛ばしてくれるよう依願した。

「学校に遅れちゃうんです。なんとかなりませんか?」

「あははは。ようし、ぶっ飛ばすからな」


 運転手さんはどうやら、自分の楽しみになる場合だけ他人に奉仕するタイプのようだった。裏道を知りぬいてるらしく、とにかく路地から路地へと細道を巧みに縫うように走り抜けてくれる。しかもかなりの速度で、ほんとうにぶっ飛ばしながら。


 しかし長続きしなかった。

 車がちょうど小道から大きめの交差点に出たとき、思わぬものが待ち受けていた。

 豚だ。豚。豚の大群。

 豚を運んでいたトラックがいかなる事情からかカーブを曲がりそこねて横転。荷台の豚どもが一挙に遁走し、あふれた豚の群れで、車道も歩道も大混乱に陥った状況だった。


 警官が出動し、交通整理に大わらわだ。

 僕の乗ったタクシーも足止めを食った。

「学校に遅れちゃうんです。なんとかなりませんか?」

「あははは。どうにもならねえ」


 くそっ、歩くぞ。

 車から降りた僕は、なぜかまとわりついてくる豚どもをかき分け、交差点を横切った。ボールを抱いたフットポール選手が全速力で敵陣を突っ切る気分だった。

 スマホの地図だと、この地点から稲葉高校まで歩けば35分。35分!  なに、早足でいけばもっと縮められる。いや、それより走ろう。始業時間にもう遅れてるけど、仕方ない。行くことが肝心なんだから。

 僕は走った。

 制服を着ているのも忘れ、ひたすら走った。自己記録を更新するほどの速さだ。

 そうして全力ダッシュで住宅地の角を曲がった瞬間、慄然とした。

 もうこれほど驚くことがあるかというほどの驚きだった。


 燃えていた!

 通りが。真赤な炎と黒煙に包まれて。

 いつも何気なく通り抜ける商店街は修羅場と化し、消防車、救急車、パトカー、テレビ局の中継車まで総出動という感じで路上をふさぎ、それぞれ忙しく仕事をこなす人たちでごった返している。

 むろん交通止めで、一般は入れない。

 これじゃ、学校まで通り抜けられない。

 いや、直通の道がふさがっただけで、路地裏の小道をたどれば抜けられる。

 少々やばそうだけど、燃えてる通りをぐるりと遠回りするように行けば大丈夫だ。


 あまかった。

 この火事は並みの火事とちがう。まるで炎自体が意思を持ち、ぼくを何としても通すまいとするようだった。

 僕が右方向へ迂回して学校へ行こうとすると、火勢はにわかに、そっちへ迫ってきて煙で巻こうとする。こりゃいかん、それではと今度は左方向から回り込もうとすると、今度はそっちのほう、僕の行く手をふさぐように火勢が拡がってくるのだ。

 なんだ、こりゃ!?


 僕は火加減を見ながら、まさしく右往左往を繰り返した。台所じゃない、大火に包まれた商業地区をだ。

 そしてついに、何度目かにすれ違った消防署員から注意を受けた。

「兄ちゃん、あちこち動き回らないでくれる? あんたウロチョロしてると、いつまでも火が消えねえようだから」

 なんて言い草だ。あきらかに、この火災と僕との関連性を敏感に察知した口ぶり。まさか、放火犯だと疑ってるわけじゃないだろうな。まさか。

「僕は、学校に行きたいだけですよ」

「やめたがいいね。火があんたの後からついてって、学校まで燃えちまっていいんかい?」

「なんですか、そんなのあるわけないじゃないですか」

「いや。なんか、そんな気がする」

 僕もなんだか、そんな気になってきた。

 なるほど、火事が僕を追いかけるとは思いもしなかった。この消防官、鋭いぞ(それより早く消火しろ)。

 ああ……。もう、精も根も尽きた。



( 続く )

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