その三 濡れ衣 1
先日の出来事と、黒石御影の目にうつる守屋護の幽霊たちへの人気ぶりとが結び付けてとらえられるのに長くかからなかった。
守屋にとり憑いた悪霊こそ一連の災厄の元凶。そう考えれば、すべて説明つけられるんだ。
かくして先生たちの災難は、僕にあらたに憑依したという何ものか――御影はけっしてそれが何かを明かさない――の仕業にされた。そして、僕が招いた災厄でもあるってことになった。
そうさ。僕のせいにされたんだ。
非難する連中に言わせれば、そんな怖ろしいものがとり憑いてるのに学校という公共の場にやって来て周囲に災いを撒き散らすなんて無神経きわまりない行為だから、とうぜん守屋くんにも狭義の責任があるというのだ。
なるほど。それじゃもう観念して、関係ない人たちにこれ以上の迷惑をかけないよう自分は学校に行かず、家でおとなしくしてるしかないよな……。
いや。
冗談じゃない!
いったいこの僕が、本当にとり憑いてるかも、存在するかもわからない魔性にだ、学校に来て先生たちを怪我させるよう頼んだり命じたりしたというのか?
魔性が僕にとり憑いてるなんて、御影が言ってるだけじゃないか。御影のほかに見た人がいるか? みんな、御影が見えると言うのを真に受けてるだけだろ、本当だか確かめもせずに。
なんで恨みもない学校職員たちの労働災害がたまたま連続しただけで、僕が悪いことにされるんだ。
道理は通じなくなってた。
みんなの言うことが正しいことなのだ。
クラスの中で、ぼくに味方してくれる者は誰もいない。
みごとなまでの孤立。
あれ? 守屋護って、こんなに支持率低かったっけ?
唖然とするしかない。
◆ ◆ ◆
帰途。
打ちしおれて町を行く僕の前に、突如として救いの神が現れた。
いや、女神か。
通りを行き交う人の群れ、見知らぬ顔だらけの雑踏から、聞き覚えある若い女性の声が僕を呼ぶ。
「あら、マモルちゃんじゃない」
三田のおねえさんだ。
ダークグレーな雲が重くのしかかる世界の囚われ人だった僕はいきなり、あざやかな赤や白、ピンクの薔薇が咲き乱れる花園に解き放たれたようだった。
実際、彼女の服装は、ベレー帽、ジャケット、ワンピース、ハンドバッグなどすべて白を基調に、真紅のスカーフや淡いピンクのシューズでアクセントをつけるという、なんだかメルヘン調というか少女趣味なんだけど、でもおねえさんにはよく似合ってる。
やっぱり女子大生、服装も服に包まれた体も、高校生じゃかなわない華やいだ色香を発散させてた。
メークが上手で、おとなしい地顔からぜんぜん化粧と思わせずに艶やかさを引き出してる。カラコンで盛ったぱっちりと大きな目も、生まれながらのようだ。誰もが口づけしたくなる唇は厚塗りにならないピンク系の口紅で若いお色気を強調している。
体型は普通でヒールも上げ底なんだけど、身のこなしが颯爽として、二十代女子の恵まれた経済状態と自由の身を謳歌するような自信たっぷりな歩き方でとても格好よく見えた。
ようするにおねえさんは、自身を魅力的に引き立てるのが巧みだった。
お洒落のセンス抜群で、一流ブランドを普段着のように、または普段着を一流ブランドのように着こなせる。とにかく、この人が身につけるとどんな服でもさまになる感じ。おねえさん自身がひとつのブランドみたいな存在だ。
こういう人に目の前に立たれると、どんな落ち込んでても高揚してくるものがある。
三田のおねえさんは、アニメの声優のように抑揚のはっきりした、温かくて可愛い声で年下の友人との何週間ぶりかの再会をよろこんだ。
浮き浮きとした調子で、天然っぽく笑いかける。
「マモルちゃ~ん、おひさ! また少し大人びた感じね」
「おねえさんもますます綺麗、モデルか女優かと思った」
「うふふ。どう、調子は?」
「うん……絶不調」
「まあ、それはいけませんね。何があったの?」
おねえさんはいたずらっぽく気遣うように、笑顔を寄せてきた。上品な香水の匂いが鼻腔をくすぐる。
僕は思いきって、一切を打ち明けることにした。
僕なんかの話を親身になって聞いてくれ、有効なアドバイスをもらえる相手がこの人のほかにいるだろうか。いや何はどうあれ、温もりがほしい。
「おねえさん、実は折り入って……」
「ふふふ、また誰かを妊娠させちゃった?」
おねえさんは僕の深刻な様子を察し、無意識のうちに緊張をほぐしたかったのか、即座に冗談で返した。冗談で。そう、冗談だ。信じるなよ。冗談だからな、冗談。まだ誰も妊娠なんてさせたことないぞ。
おねえさんは中学時代の僕の家庭教師だった。いろんなことを教えてもらった。稲葉高校に合格できたのも彼女のおかげ、苦手と思ってた数学や英語での埋もれた資質を引き出してくれたからだ。
その頃はよく一緒に遊びに行ったし、アパートにも出かけて手料理をご馳走になったりした。高校に進んだ僕が本格的に春を迎え、同年代の女の子と付き合うようになってからはおねえさんとの仲もそれまで通りのようにいかなくなり頻繁に会うこともなくなったけど、かつての先生と教え子というより年の差はあるけど気の合う若者同士として絆は今でも続いてる。おねえさんに勉強を見てもらった生徒でこんなに親しくしているのは僕だけかもしれない。
家庭教師としてのおねえさんの評判はけっして芳しくない。
受け持ちの男子生徒と問題を起こしたり(僕とじゃないぞ)、別の家では教え子の父親のほうと問題を起こしたりで、きわどい話題には事欠かない人なんだけど、男性遍歴の多さで女性を評価しちゃいけないっておねえさんから教わったことだった。
いい人だ。そういう眼差しで接してれば最善の人物として応じてくれる。
今もおねえさんは、わざわざ時間を割いて旧交ある年下男子の悩みの相談に乗ってあげるという。いや、どうせ暇だったんだろうとか、気晴らしにちょうどいい相手を見つけたからとか邪推しちゃいけない。僕は腕をつかまれるようにして、少し離れたところにあるおねえさん馴染みの珈琲店に引き込まれた。
若いカップルが行くような店とちがう。ビジネスマンが商談や会合の場にするような落ち着いた雰囲気の内装とBGM。客層もそれにふさわしい人たちだった。メニューを見たら、コーヒーだけで千円とかそんな値段だ。
二人分の飲み物を注文してから、おねえさんは話を切り出した。
「ねえ、マモルちゃん。きみらしくもなくしょげ切ってるようだけど。いったい何が、快活明朗だったあの守屋少年をそんなに追い詰めたのかな? おねえさんにわかるように説明してちょうだい」
僕は学校で続けて起こった事を、適当に端折りながら語り聞かせた。もちろん自分に共感してもらうための話だから、自分のことはかなり同情的に描写した。
おねえさん、こっちが期待する以上のいたわりに満ちた受け止め方をしてくれると思いきや。
「へーえ。きみって幽霊にとり憑かれてたんだ。まわりに霊が集まってくる、そういう体質だったのか~」
あきらかに、おちゃらかしてる。
そうやって場をやわらげてから、いきなり踏み込んできた。
「でも馬鹿みたい。マモルちゃんの同級生って、みんな高校生なんでしょ、高校生といったら、「遅れてる~」とか「黙れ、童貞」とか合い言葉にしてる人達だよね。なんで怨霊の祟りとか呪いを疑いもなく信じちゃうわけ?」
いや、それは……。僕ら高校生って、定説に背くことを真実めかした調子で語られたりすると、たやすく信じてしまう種族だから。おねえさんは十代の頃を忘れてしまったのだろうか。
「いくらなんでも無知蒙昧すぎるでしょ、まるでライトノベルに出てくる迷信深い山奥の村のよう。本当に二十一世紀のニッポンなの? まったく。そんなだから韓国に抜かれるのよ」
おねえさんは弟分をいたわってその敵を撫で斬りにする勢いで今度は、現代日本の教育問題をまな板に乗せた。あのさ、そこまで戦闘範囲を拡大しないでも。
「そうだよね。韓国に負けるよね。おねえさんの言うとおりだ」
僕はそうだそうだと同調する口ぶりで、国際的視点にまで舞い上がったおねえさんを飛び立った場所に引き戻す。
( 続く )