078 朝にて
葉が生い茂る森の中、自分の帰る場所である家の前で俺は腰にある剣の手入れを一振りずつ確認していた。
『…本当に大丈夫なの?』
心配性な彼女のことだ。
大きな戦いの前ではいつも家の外まで見送りに来てくれる。
『何も心配いらない、片付いたらすぐに帰って来るよ』
『でも…』
『■■■■、心配してくれるのは嬉しいけど本当に大丈夫だ。絶対に戻ってくる』
安心させるように言うが彼女はやはり納得してくれないようで、拗ねたように目を伏せて顔を逸らす。
『…じゃぁ約束』
『約束?』
『怪我しないで帰って来てくること』
『はいはい分かったよ、怪我しない』
約束という名ばかりの可愛らしいお願いに、俺は苦笑する。
彼女によって交わされる毎回恒例の約束にも慣れたもので、相も変わらず自分のことを想ってくれる彼女を愛おしく思った。
笑われた事が気に入らなかったのか、彼女に鋭く睨まれて苦笑が乾いた笑いに変わる。
『私は本気で心配してるのにっ…!分かったわ、もういい。服に汚れ一つでもつけて帰ってきたら一週間は話さないから』
その言葉に俺の笑いが完全に止まる。
『その間、勿論食事も作らないわ』
『……冗談、だよな?』
顔を強張らせる俺を見て、彼女はいっそ清々しいほどに晴れやかな笑顔を浮かべた。
『■■■がそう思っているのならそれで良いと思うけど?』
純粋に笑顔の無駄使いだと思った。
彼女はやると言ったらやる。その美しく儚気な見た目を裏切ってかなり頑固で男前、そして何よりお茶目な性格という事はこの俺が痛いほど分かっている。
『いや、流石に俺もちょっとぐらい服は……』
『何?できないっていうの?』
『………………分かったよ』
『最初からそう言えばいいのよ』
上機嫌に笑う彼女を見て溜息をつく。
彼女が笑っているなら、と思う俺はもう重症だと自分で思った。
風を操り自分の足元に集中させると体が浮き上がる。
『…………できるだけ早く帰ってきてね』
『あぁ……行ってきます』
(…………朝か)
アオイが瞼をあげると一番最初に目に飛び込んでくるのは彼がが王都に来てから滞在している宿の天井だ。
体をゆっくりと起こして大きな欠伸を1つ。
何気なく周りを見渡すと、窓を挟んで向かい側にあるベッドにはミーナが小さな体を縮こめるようにして丸めて寝ている。
窓からは柔らかな日差しが部屋に差し込んでおり、太陽の高さからしてちょうど朝7時位の時間だろう。
眠気からだんだんと頭が覚醒してきたアオイはもう一度ミーナを見て深い溜息をつく。
…また朝を迎えてしまった、と。
アオイは王都にきてちょうど7日目の朝を迎えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ミーナが口を大きくを開けて切り分けられた魚料理を頬張る。
案の定、皿の周りには彼女が溢した料理の屑がポロポロと落ちるのをみると、魚を食べるのにはまだ苦手な年齢らしい。
そんなミーナを視界にいれつつもアオイは何も言うことなく、極々普通に食事を進めている。
「ミーナちゃん、おはよう」
そう言って毎朝ミーナに声をかけるのはこの宿を経営している夫婦の一人娘、アイジーだ。ミーナとより四つ年上の彼女は、ミーナのことを妹のように可愛がっている。
ミーナに関しては本当の姉に会えないせいか寂しがっているということもあるのだろう、アイジーによく懐いていた。
この宿に宿泊してからか、二人でよく遊んでいる姿が見かけられるようになった。勿論アイジーは宿の手伝い等をしているがまだ幼い故に任せられている仕事は簡単な雑務ばかりだ。彼女の一日の殆どは空き時間で、アオイがギルドの仕事をしている間、ミーナの面倒を見てもらっている。
ミーナの件については、この宿の住人達から良くない評価を受けているので彼等の視線には少し厳しさが入っていることにアオイは気づいてはいるものの、別段改善しようと行動するわけでもなく、今日とて生活費を稼ぐためにミーナを置いてギルドに赴くつもりだ。
ミーナが朝食を食べ終わるのを待っているとアイ ジーが自分をジッと見つめていることにアオイは気づく。
「何かな、アイジーちゃん」
自分を見つめる瞳が剣を帯びていることに気付きながらも、敢えてにこやかに話しかけたら彼女の瞳が益々鋭くなってアオイを射抜いた。
「ムラカミさん、今日もまたギルドに行くの?」
しかし不機嫌さを隠そうともせず堂々と聞いてくるアイジーには子供らしさがあった。
ミーナはそうはいかない。
ミーナは町外れの村で苦労して生活していた為か、自分のことは自分でやるという習慣が幼いながらもしっかり身についていた。アオイがギルドに行くのも生活費を稼ぐ為だときちんと理解しているし、自分が行けば足手纏いになるという事も把握している、とても素直で物分かりの良い子供だ。故に、扱いやすいともいえる。
しかしアイジーのような主張が強い子供はアオイにとって厄介なこと極まりない。それこそミーナが真似し始めたら即刻処分という選択にでる。
一週間前のあの場でミーナが処分できなかった以上、王都を出るまでの間だけは仕方なく面倒をみると決めたアオイだが、最早どうでも良くなってきている。
「あぁ。今日も行くつもりだよ」
「……………そうなんだ」
アイジーはアオイを睨みつけ、ミーナに今日も遊ぼうと声をかけると宿の手伝いに戻っていった。
「ミーナ、今日も宿の人達に迷惑かけないようにするんだよ?」
「うん!」
可愛く笑うミーナに以前も感じた既視感を覚えるものの、アオイは気のせいだとその違和感を頭の隅に追いやった。




