077 ③
使用人達が運んできた料理を食べ終わった後、各自生徒達は次々と自分の部屋に戻っていく。
しかしまだ何人かの生徒達は食べ終わった後も楽しげに談笑していて半分以上の生徒はそこに留まっていた。
「おい、翔?本当にどうしたんだ?」
少し離れた席に翔と取り巻き達が座っており、生徒会長 設楽の戸惑ったような声が聞こえ、悠馬や紫達と話していた和秋は思わず聞き耳を立てた。
「和秋?」
向かい側に座っていた紫が不思議そうに和秋を見る。
「あ、いや。なんでもなーー」
「うるさい」
底冷えするような冷たい声を発したのは一体誰なのか、その場にいた生徒達は分からなかった。
決して大きな声でもないのにその声はよく響き、あっという間に空間を掌握する。
一瞬で静かになる室内。誰も、何も言えない。
「…か、翔?」
そう言ったのは翔の取り巻き達の誰かなのだろう。それは可哀想な程に震え、か細い声であるにも関わらず、痛いほどの静寂の中ではよく聞こえた。
「…金輪際、俺の名前を気安く呼ばないで。吐き気がする」
ーバシャッ
「「「……っ?!」」」
翔は席から立ち上がって自分の前に並んで座っている取り巻き達を見下しながら吐き捨てるように言うと、自分の飲んでいたグラスを手にとって勢いよく3人に水をかけた。
翔は中身が空になったグラスを床に叩きつけてグラスを割る。その音に取り巻き達は小さく震えるが声をかけられる雰囲気ではなく、翔が部屋に戻るのを黙って見送ることしか出来なかった。
その一部始終を息を飲んで見ていた生徒達はあまりの出来事に唖然とする。
どういう心境の変化があって翔があのような行動をとったのか、彼らには全く理解出来なかった。
翔が部屋から出て行くのと同時に生徒達は騒然となる。
「…なんだ、今のは」
悠馬は隣に座っている和秋を見て疑問を投げた。
「え、俺?」
一緒に食事をしているメンバーは皆一様に和秋を見ており、数あるに説明を求めている。
「だって和秋、宮下と幼馴染みじゃん?…何あれ!思いっきりキャラがブレブレなんですけど?!勇者から魔王にジョブチェンジしたんですけど?!」
友哉の言葉に賛同しているのか、紫達は何度も頷きさっさと説明しろと目で訴えた。
「いや、俺にも分かんねぇから。大方、あの取り巻きの誰かが何かやらかしたんじゃねぇのか?」
和秋が指を指した方向にいる取り巻き達3人は黙って俯いている。中でもヤンデレ属性の英は静かに泣いているようで、小さく体を震わせていた。
生徒会長の設楽とツンデレである木更津は顔を真っ青にして硬直しており、未だ復活の兆しが見えない。
「まぁその可能性が一番高いけど…宮下がキレるとあんな風になるなんて初めて知ったわ」
口調まで変わってたぞ、と取り巻き達を見て呟く友哉を一瞥して和秋は小さく溜息をついた。
「…というか、俺も初めて見た」
「は?」
「宮下がキレるところ」
「マジで?」
「マジ」
「幼馴染みなのに?」
「……そうだよ」
友哉からの疑問に和秋は責められている様な気がして思わず眉を顰める。相手にその気がないと分かっていてもそう捉えてしまうのは、翔が本気で怒っているところを今まで一度も見た事がない事に起因しているのに間違いはない。
よくよく考えてみると、取り巻き達が発生する以前の小学校低学年以来まともに翔とは話していない事を思い出し、翔と自分の溝が一層深まっている事に気がついた。
幼稚園の頃の記憶は薄れているが、翔ととても仲が良かった事だけは覚えており、成長していくにつれて2人の距離は確実に離れていき、それは現在進行形でもある。
同じ空間に居ても互いの心が通じ合う事はなく、翔が和秋に話し掛け、和秋が取り巻き達の目を気にして渋々それに従うだけの関係。それは最早友達ですらない。名ばかりの幼馴染みであった。
どうしてこんな関係になった?
原因は明らかに取り巻き達が発生したからであろう。女同士で翔を巡って壮絶な展開がなされてきた事を和秋はよく知っている。女の恋愛バトルでは、翔の自分への好感度を上げようとする女達が翔の側を片時も離れずにいる為必然的に2人でゆっくりと話す機会がなくなっていた事は確かだ。
しかし和秋にはどうしてもそれだけが原因だとはとても思えない。
…あともうちょっとなのに分からない
和秋が感じている違和感の正体はあと一歩のところで掴めず、これ以上は無理だと和秋は思考を停止させた。それは彼にとってモヤモヤとした蟠りを残したが、それを払拭する様に頭を掻く。
「幼馴染みだからって、あいつのこと全部知ってるって訳じゃねーよ」
「…まぁ、確かにそうだよね」
嫌そうに言う和秋に対して紫は苦笑するしかない。
「寧ろ全部知ってたらある意味怖い、普通に引く」
「あははっ!確かにそれはそれでドン引きだよねー」
ストーカーじゃあるまいし!と笑う華菜と依子に少し場の雰囲気が軽くなる。
きっと気を使ってくれたのだろう、和秋は2人に感謝した。
「それじゃ、そろそろ部屋に戻るか」
「そうだな、明日に備えて休養をとらなければ」
和秋達は席を立ち、食事をした部屋から出て各自の部屋へと戻る。
紫達と別れた和秋は1人暗い部屋の中でベッドに倒れ込み、つい先程起こった食堂での出来事を反芻した。
しかし考えれば考える程、偽善とも取れる程の優しさを持つ宮下が人が集まっている場所であの様な行為に走ったのか理解しがたい。
宮下、変わったな
最終的に和秋はそう判断を下した。
この世界に来て、一体何が宮下を変えたのか。勇者に選ばれた宮下は普段クラスメイト達とは殆ど別行動だ。考えられる事は、地球では感じていなかったプレッシャーが宮下に容赦なく降り注いだ為に性格が歪んでしまったという推測が一般的である。それが一時的なものかは定かではない為断定する事は出来ないが、何かに触発されたことは確かと言える。
…俺が気にするような事じゃない
和秋は形容しがたい後味の悪さを感じながらも、敢えてそれには目を逸らして考えないよう明日の訓練に思いを馳せた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……やっちゃったな」
長い溜息をついた翔は誰も自分の部屋に入ってこれないよう自室に鍵をかけてベッドに腰を下ろした。ランプにも灯をつけずに広い部屋でただ一人考えに耽るその姿を窓の外の青白い月だけが見ている。
今は誰にも邪魔されず、1人で考える時間が必要だと翔自身がそう思った。
…人前で怒ったの、初めてかもしれない
感情を曝け出すのはこんなにも気持ちが軽くなるのか、と今更ながら翔は自分の心に驚いた。ずっと言いたかった事を初めて言葉にした今日は、ずっと周りに流されて生きてきた翔にとって正に生まれ変わった気分にさせる日となった。
翔は今まで周りの望むがままに生きてきた。周りの期待に応えようとかなりの努力を重ねて今の自分があると思っている。しかしこの世界に来て、勇者として稽古を続けていくうちに、その稽古の先生から度々翔にかけられる言葉があった。
例えば剣の稽古をしている際
例えば魔法の指導を受けている際
その道のスペシャシストである彼等は翔をまっすぐな目で見て、何度も翔に聞かせるように繰り返し言い続ける。
『自分自身を見つめろ』
翔は何故彼等が自分にそう言い続けていたのか、今日になってやっと分かったような気がした。
きっかけになったのはクリストフが言った言葉に起因している。
「『偽ったものじゃ所詮偽りの力しか手に入らない』…………か」
自分を指導していた先生方はどうやら最初からお見通しだったという事か、と翔は溜息をつく。
「この世界の人達は随分と容赦がないなぁ…」
けれどその言葉は、他でもない自分と向き合ってくれたからこその言葉だと翔は気づく事が出来た。
上辺だけじゃない自分を見抜いてくれる人がいてくれた事に嬉しくなって思わず頬が緩む。どう思われていようが、ちゃんと自分を見ていてくれる人達がいるという事は翔にとって特別な事である。
結局、一番翔と向き合えていなかったのは翔自身だったのだ。
自分を肯定する事が出来る喜びを翔は知る事が出来た。先生方は自分の変化に気づいてくれるだろうか、と明日が訪れるのを心待ちにする。
こんなワクワクした気持ちになったのはいつ以来だろう
以前にもこのような感覚をした覚えがある、と記憶を探ってみると小学校に入学する時の事を思い出した。
「…確か入学式の帰り道、どっちが家に早く着くか和秋と競争したんだっけ」
そのあと二人仲良く母親に叱られた事も良い思い出として大切に翔の中にしまわれている。
自分を偽る事なく、自分のままでいられることに幸せを感じ、月明かりだけが頼りの暗い部屋で微笑む。
その微笑みはいつも取り巻き達に浮かべているような微笑みでもなく、他人に向ける偽善めいた笑みでもない。
宮下翔という、少し変わった青年の心からの微笑みだった。




