古主の帰還 31
黙々とショートカットしながら世界樹を登っていく。
既に雲よりも高い位置にいるからか、地上が真っ白で何も見えなくなっていた。
もしかしたら吹雪いているのかもしれない。
「上はもっと寒いんだと思っていたんだが、ずいぶんと暖かいんだな」
そういうラビは防寒着を脱いでいた。
ラビの言う通り、ここらの気温は下と比べて高かった。
そのため、オレもラクーも上着を脱いでしまっていた。
「聞いた話によると、高度によって温度の違う空気の層があるらしい。なんで違うのかはよく分からないけど」
「へぇー。面白いな」
そんな感じで半日も登ると、目の前に細かい網目状の薄い膜が現れた。
それらはまるでクモの巣のように枝を取り囲んでいて、遥か上まで続いている。
「なんだこれ」
「さぁ」
ラビがナイフを取り出してその膜に滑らせたが、見た目とは裏腹に傷一つ付かなかった。
魔力を込めても結果は同じ。
硬いというよりも、恐ろしく頑丈な分厚いサランラップを切ろうとしている気分だ。
「思った以上に頑丈だなこれ」
「少しだけ持って帰りたいけど、そもそも採取できないから無理か。解析だけ出来るかな?ネコ」
『んー』
ネコが膜に尻尾をくっ付ける。
これで採取しなくてもある程度のデータは取れる。
本当は持って帰りたかったけど、切り取れないんじゃ仕方がない。
「ねぇ、ねぇ、ここから向こうに行けるよ!」
ラクーが人が通れる程の穴を見付けてくれた。
「ナイスだ、ラクー!」
「へへへー!」
それでも穴の大きさはそれほど大きくない。万が一の事を考えてオレが先に潜ることにした。屈んだ状態でそこを潜る。
「!?」
その瞬間、いきなり空気が変わった。
甘く、澄んだ空気だ。
しかもただ澄んでいるんじゃない。
濃密な魔力の海に飛び込んだような気分だった。
「うわ……っ!」
海と表現したのには理由がある。
此処には、物凄い数の風龍が居たのだ。
魚と鳥が混ざったような姿の風龍が、この濃密な魔力の海でゆったりと泳ぎ回っている。
枝もまるで珊瑚のように赤く色付き、まるで珊瑚礁に迷い込んだのかと錯覚するほどに凄い光景だった。
「ここは、風龍達の巣だったのか」
昔から風龍の姿に疑問を抱いていた。
何故空を飛ぶ龍が魚と似ている姿をしているのか。
なるほど、巣が海に似ているのならば、そこに住まう生物だって魚に似るのは当然の事だった。
「なぁ、俺ずっと思ってたことがあるんだ」
突然ラビがそう言った。
「なんでラクーは上に帰れなかったんだろうって」
そういえばそうだ。
ラクーは巨人程の大きさを持っていた。そんな巨体ならば木を登れば帰れただろう。
なのに、結局ラクーは帰れなかった。
「この膜が帰り道を塞いでいたんだな。刃物でも切れないほど頑丈で、指を引っ掻けるには穴が小さすぎる。回り道をしようにも、膜は上に続く枝を取り囲むようにして、ある。これじゃあ上まで登れない」
「……確かに」
ラビの言葉で膜を見返して納得した。
ラクーが生きていた時からこの膜があったのなら、帰れなかった理由がわかった。
いくら全生物の母といえど、突破できない問題はあったんだな。
「もしかして、ルキオ王はそれも見越していたんだろうか?」
「多分、そうかもしれないな」
空の海の中を歩いていく。
枝はだんだんと細くなり、空の光が増していく。
波打つ不思議な光を体に受けながら、余所見をするラクーと手を繋ぎながら上を目指した。
だんだんと風龍の数も減っていく。
一体どれ程歩いたのだろう。どれ程上へと登ったのだろう。
下を見れば膜は既に見えない。
今が朝なのか夜なのかも分からなくなったとき、突然ざばんと、それはもう水から上がったような感覚を残して膜を突き抜けたのだ。
何の感触だと、まだ胸辺りに感じる膜を見ようと視線を下げれば、そこにあったのは水面だった。
比喩ではなく、何の変哲もない水面で、ちゃぷちゃぷと音を立てながら波立っていた。
未だ体が水の中にあるネコとラクーが、揃って「なに?」と言いたげな顔でこちらを見上げているのが不思議な気分にさせる。
「うおっ!」
同じく困惑していたラビだったが、とりあえずラクー達も水から出そうと進み、同じく水の膜の感触に驚いていた。
しばらく上へと行ってから下を見たラビが変な声をあげた。
なんだと釣られて下を見ると、オレ達も驚きの光景に唖然とした。
『……海がある』
「まじで海だったのか…」
それにしても体が濡れない海とは、この世界はまだまだ分からないものがたくさんあるな。
しかし、なんでこんなとんでも情報がオレにインストールされていないのか。神のミスか?
そこで、神からの情報を引き出してみた。
そしてオレはその情報の一部を勘違いしていたことに気付く。
空気の層があるのは間違ってはない。けれど、そこには水面の層があるというものを見逃していた。
ちゃんと情報にあるじゃないか。
「あ!お魚!」
凡ミスをしていたのを反省して、気分を入れ換えた。
ラクーが通過してきた海を指差してはしゃいでいた。
指差す場所には、確かに魚らしきものが泳いでいる。
しかしあれは魚ではない。
「あれは風龍だ」
「なんだ。風龍か」
残念そうにするラクー。
普通、風龍の方が興奮しそうな気がするけれど、考えてみればラクーの生まれた地は龍の巣であるルキオだった。
別段珍しくもなんともないのだろう。
といっても、水面越しに見る風龍は魚にしか見えなかった。
にしても空に海が、いや、海に似たものがあるというのは不思議な感じだった。
ラクーが何かに反応して上を見た。
「……呼んでる」
「呼んでる?」
「うん」
ラクーが上へと向かって歩き出した。
自発的に歩き出したラクーの後をオレ達はただ着いていく。
この旅ももうすぐ終わりだ。
残り1話