アウソとキリコ⑨
まず初めに気が付いたのは血の匂いだった。
次いで嗅ぎ慣れた麻酔薬の匂いと、庭にある不自然な芝の乱れ。
まるで誰かがそこでもがいたみたいな。
「………」
キリコは今日一日師匠であるカリアと共に家を空けていた。
厄介な身の上である為に、一人でも十分に対抗できるまで逃げ隠れていた。特に今日みたいな祭りの日は多くの人が集まる。その中にキリコを狙う奴が混ざってないとは言えなかった。
こんな痩せた目付きの悪い小娘を誰が狙うのかと思うだろう。
特にルキオは土地の性質上、人攫いが跋扈しにくくなっている。龍が心を読んで見えないもので体を蝕むからだ。
だが、それにも関わらずキリコを狙うとするならば、理由は一つ。
キリコの種族としての価値。
キリコは見かけは人間だが、人間ではない。
半龍人種という龍の血が流れている希少人種、アシュレイだ。
戦闘能力が幼い頃より高いこの種族は貴族の欲求を満たすにはもってこいのものだった。見世物、慰み物、支配欲を満たすための道具。
多少の事では壊れず、気高い竜の血を持ったモノを従えるという欲を満たすには十分すぎるものだ。
そう、キリコは元々は闘技場の剣闘士と言う名の奴隷として飼われていた。
それをカリアがひょんな事から救出し、そのまま保護されることになったのだ。
貴族から見たら、高い金を出さずとも手に入る宝。奴隷商人からしたら金の成る木だ。
そんな理由で体の小さなキリコが一人でも生きていけるようにと、それまでは息を殺して人混みを避けてきていたのに。
「……嫌な予感がする…」
目の前の地面を睨み付け、キリコは後ろを見た。
師匠、カリアは薪を回収していてこちらに気が付いていない。
キリコはカリアの死角へと自然な感じで移動し、死角に入るや村に向かって駆け出した。
ぴちょん、水滴が頬に当たって伝い落ちた。
霞がかった感覚が少しずつ元に戻っていく。
肌に当たるのは硬い岩と、きつく締め上げられた縄。
ぶれる視界に薄く白が混じる。潮の匂い。耳には波の音、反響しているということは何処かの内部。
くぐもりつつも、耳が拾い上げた音を分析していくと、突然男の怒鳴り声が響き渡った。
「なに人違いしてンだテメーら!!!」
ものが蹴り上げられて転がる音が聞こえた。
視線だけを向けると、男達が一人の男に怒鳴り付けられていた。近くに転がっている机。
あれか、さっき音を立てたのは。
「しっ、しかし…、赤い髪をしてたので…」
「髪と髪飾りの違いすら分からないのか!!」
「ひっ!!」
怒鳴っている方が恐らく力関係が上。怒鳴られているのが下なのか、蹴り飛ばされても反撃せずに、背を丸めて堪えていた。だけど、その怒鳴っていた方もすぐに激しく咳き込んで近くにいた人に支えられていた。
「ちっ、どうすんだ…っ!これで警戒でもされたら目的のものだけではなく、小遣い稼ぎもままならなくなっちまう」
「こ、こいつを売り飛ばせば…」
「小僧なんか内臓抜き取るだけで終わるだろうが!!たしかに稼げはするが、たかが知れてる」
内臓を抜き取る?
その言葉を聞いて、アウソの血の気が下がった。
このまま捕まっていれば、殺される。逃げないといけない。
けど、どうする?こんな身動き一つ取れない中一体どうやって?
「くそっ。どうにかして誘きだして捕まえないと…」
「あいつエサに出来ませんかね?」
「……釣りか?そもそも関わりあるのか?」
「そこはほら…」
男達の視線がアウソを貫いた。
「ちょうどお目覚めの本人に聞けば分かることじゃねー?」
男達のニヤリとした口許に、恐怖を感じた。
あいつがいない。
どんなに探しても見当たらない。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
町の隅々まで走り回ったけど、いつも絶対に遭遇するあいつと出会わなかった。
違うと思いたいけど、残念ながらキリコの勘はよく当たる。
特に、人攫い関係だと、なおさら鼻が利くのだ。
「……どうしよう、師匠に言った方がいいよな」
もし当たっているのならば、その方が一番良いことは確かだ。
だけど……。
「…丘の上にも行ってみて、それでも居なかったら言おう」
一本松の生える丘へとやってきた。
やっぱりここにもいない。
引き換えそうとした時、樹から血の匂いがした。
振り返ると、上の方の枝に布が巻かれている。その布は赤く染まっていて、キリコの全身がざわついた。
すぐによじ登り布をほどく。
すると、中からは見覚えのある髪の一部と、折り畳まれた紙が入っていた。
アシュレイ。
お前の友達を預かっている。
東の海岸へ一人で来い。
でなければ、こいつの体を一刻ごとに刻んでいく。
誰にも知らせるな。
知らせたと分かったら、
すぐにこいつの首を切って殺す。
「……っ、たく、世話の焼ける…っ!」
紙をぐちゃぐちゃに丸めて捨てるとすぐにキリコは指定された東の海岸へと走り出した。