裏の者.13
ひび割れた世界が停止した。
飛び立ったばかりの鳥は、翼を広げたまま宙に浮かんで、風によって舞い上げられた木の葉も止まっていた。
キシキシと嫌な音を立てながらヒビが広がっていく。
『──あのまま忘れればよかったのに』
「出たな」
ヒビが広がりきり、景色が映し出されたガラスが浮遊している。その間に人影を見付けた。
嫌と言うほど見慣れた顔。色彩はあちらのもので、しかし所々影が深くて見えないところもある。いや、完成した絵に水を垂らしたようにボヤけている所がある、と言った方がいいのか。
『幸せだったんだろ? ここは、ずっと一緒だった人達がいる。家族も友達も彼女も。それが突然全て奪われて、全然違う世界に一人で落とされた。しかも──』
──呪い付きで。
言葉にドロリとした重みが被さっている。
正直、こんなことになる前は漫画なんかで知らない世界に飛ばされて活躍するという子供みたいな憧れも無くはなかった。
みんなに感謝され、旅は楽しく、敵をバシバシ倒していく。
そしてめでたしめでたし。
だが、現実は“そうはならなかった”。
『ムカつく勇者仲間。訳のわからない生き物。使えない魔法。勝手に呼び出した癖に、冷ややかな目を向ける奴等。持ちたくもない武器を手にとって、切りたくもないモノを切って切って切って』
影がギリリと拳を握り締めている。
『殺して殺されて、また背負って……。……こんな、オレだけ理不尽じゃないか? なあ? そう思うだろ!?お前はオレなんだから!!いい加減見て見ぬふりするなよ!!!』
影の姿が変わっていく。だんだんオレに近付いていく。
ここに来たばかりのオレの姿だ。
似合ってない兵士の服。
筋肉も付いてなくて、剣すらまともに触れなかった時の“オレ”だ。
「確かにオレは見て見ぬふりしてきた。だけど、それは生きるためにだ」
『何が生きるためにだ!!その結果オレはどうなった!?色んなモノを失っただろう!?』
「失っただけじゃない!!」
影の手に木剣が現れ、向かってきた。
(来る──、!!)
右手にずしりとした感触。視線を移せば、不可視の靄が棒状の形になって収まっていた。
見えなくてもわかる。握り慣れたこの感覚、馴染む重さは間違いなくオレの剣だ。無意識に構えかけ、エルファラの言葉を思い出した。
戦ってはいけない。
「くっ!!」
右手のモノを投げ捨て、突き出されたモノを身を捻って回避した。
遅い。
見なくても避けれる速度の攻撃だ。
それなのに、なんで頬に痛みが走るんだ?
──なんでオレなんだ? オレじゃなくても良かったじゃないか
痛む所から、染みてくる言葉。
覚えてる。
他のみんながどんどん強くなっているのに、オレだけ置いていかれたと落ち込んでいたときのものだ。
飛びずさり、頬を拭うが血が出た様子もない。
『あのピアスがあったせいで……』
「ピアスのせいにするな! 確かに切っ掛けはそれだったかも知れないけど!起こった出来事全ての原因じゃない!」
『いいや!そんなことはない!結局はあれのせいで疑われ、殺されかけたじゃないか!!』
突き出された木剣がルツァ・ラオラと対戦したときの剣に変わる。
腕に痛みが走る。
頭に注ぎ込まれたのはまたしても恨みの言葉。
影の剣が折れ、地面に落ちた刃が砕けて消えた。
──なんでオレだけがこんな目に会わなければならないのか? 他の奴は簡単に力を手にいれて、不公平だ!
体に走る凄まじい痛み。
形が変わる。影が獣の姿になり、それが溶けてまた人型になった。
マテラの時のオレだ。
『なんで苦しい思いして旅をしなきゃいけないんだ!!ろくに喧嘩すらしたこともないのに、剣なんて嫌いだ!命を奪う行為なんてもっと嫌いだ!!』
激しい攻撃、剣は黒刀に変わっていて、一振り毎に痛みが走る。避けても受け流しても変わらない。
それが突然短剣になって肩を切り裂いた。
血は出ない。
だけど、注ぎ込まれる怨みの言葉が洪水のように流れ込んだ。
苦しい。
前を向くと、首輪に手枷。薄汚れた衣に身を包んだ影は、涙を流しながら襲ってくる。
『殺したくなかった!!殺したくなかった!!仕方がなかった!!!生きる延びるためとはいえ、なんでダンさんを殺さないといけなかったんだ!!!』
「………お前……」
その時、ようやく分かった。
この影は、圧し殺してきたオレの感情なんだと。
長い間見て見ぬふりしてきた怒りが、呪いと、エルファラの負の感情の力によって形を成し、オレ自身に八つ当たりをしてきているのだと。
攻撃をしていけない理由は、相手もオレだから。
これは、無視をしてきたオレへの罰だ。
「これは…、キツいな」
吐き出された言葉を一身に受けながら思う。
オレはこんなにも怒りを溜め込んできていたのか。
影は姿を変えながらどんどん怨みを濃くしていった。
攻撃も激しさを増していく。体が勝手に攻撃をしようとしている。その度に、何処からともなく武器が出てきては投げ捨てている。
影の姿は遂にカリア達と別れ、アレックスと旅をしていた時になっていた。
その頃には、もうオレは影が悲しすぎて、でも誰にも打ち明けられずに泣きじゃくる子供のように見えていた。自分の殺してきた感情なのにな。
『なんで、オレの仲間を奪うんだ。返せ、返せ、返せ』
襟首を掴まれ倒れた体を引き起こされる。
恨みしか見ていない目。いや、此処まで来るともうオレのこと敵に見えているんだろう。
周りはもう何もない。ぽっかりとした暗い空間が広がっていて、何処からか鎖のような音が聞こえる。目を向ければ世界の端が崩れてきていた。
「なるほど」
この呪いの正体が分かってきた。




