03.事情と強制
木之本心の通う高等学校から徒歩三十分にあるアーケード街。夕飯の買い物に訪れた主婦、学校や仕事から帰った遊び盛りな者達、その他大勢が行き交う中に心と灼童はいた。見た目が平凡な心はともかく、一風変わった身なりの灼童はかなりの視線を集めていたが、二人とも平然としながら通りのど真ん中に並んで立ち尽くす。
「後輩くん、始めてくれ」
「分かりました」
しばらく人通りの流れを見ていた心は、灼童の合図を皮切りに目を閉じて、そして開いた。
視野に入る全ての情報を読み取って吟味し、前もって言われた内容に該当する人物を挙げていく。
「そこの書店で立ち読みしている人は黒です。さりげない目配りで監視カメラの有無と配置を確認、常に死角となれる場所への確保が可能な立ち回り、手つきの癖から見るに四、五年の経験はあります」
「ほう。他には?」
「交差点角にある商店で立ち読みしている女子高生は、慣れていませんが回数はこなしています。今、自分の体を障害にして鞄に品物を入れましたね」
「カウンターの店員なんかはどうだ。前々からどうも怪しい気がしてならないんだが」
「彼は至って善良な人です。生まれつき目付きの悪さを気にしていて、その分他人への配慮や優しさを欠かさないように気をつけています。視線がよくデザートコーナーに注がれていることから、相当な甘党でもあるようです」
「それはあらぬ疑いをかけちまったな。今度からは睨み返すのは止めたげよう」
「怪しいというなら、一緒にレジに立つ好青年を装っている人、あの人は男色です。自分好みの客を見る度に目の色を変えて唾を飲み込んでいます。恐らくすでに何人かに手を出しているでしょう」
「俺もうここに通うのやめるわ」
「傾向としては、貴方も対象にされている可能性が」
「上に掛け合って適当にでっち上げてあいつを収監させて叩き込むぞ物事の道理ってものを変えてはならない決まりごとを自然界の掟って奴をなァ!!」
「頑張って下さい。因みに甘党な店員は幼女趣味ですが」
「ノータッチなら見逃そうぜ」
それからさらに四人ほどを挙げ連ねたところで心は止めた。自らの行為の意図を全く把握できていないまま。
ここへ来るまでの道すがら、自分達は何者かーー“木之本心も含めて一体ナニモノなのか…”、一先ずはそれを教えると灼童は話していたが、いざ着いてみると、教えてもらうどころか逆に軽犯罪を犯す者を見える範囲で教えるようにと頼まれてしまった。
意図は分からないが、従わなければ先に進みそうにない。灼童という男は随分と回りくどい手順で話をしたがっている。それは察したので付き合ってはやったが、そろそろ関心よりも面倒さが上回る頃合いだ。心としては、次に移ってくれなければやはり帰らせてもらう腹積もりとなっている。
「言われた通りにしましたが 」
「サンキューサンキュー、こんなところだよな。これが俺と出会うまでの、いわゆる普通の人間の動体視力って訳だ。ギリギリな」
へらへらと笑いながらポーカーフェイスを気取る灼童。あくまで軽薄な態度を取り続ける彼は、心の意識が自分から急速に離れていくのを見て次の手順に移った。
背広のポケットからゲームセンターのコインを取り出して親指で弾いて飛ばす。かかった時間は一秒にも満たないが、当然の如く心も見逃すことはない。
「さて、今のコインの行く先は?」
「二十メートル先で四十代女性の鞄から財布を抜き取った男の後頭部」
「正解。これは普通の域では見れないもの。見れたとしても、そいつは長年鍛え上げなければならない達人の域だ。なんとまあ、お前はそこに両足を突っ込んでいるのだよワトソンくん」
「木之本です」
「“常逸者”。それが俺達の通称だ」
灼童は勿体振った割りにはあっさりと話し始めた。この世の中で知られていない、裏側の知識を。
ーー地球上に生きる生物は絶えず進化を続けてきた。環境の著しい変化への適応や遺伝子の変異などで起こるとされる進化…。人間も例外なく、いつかは今とは異なる種へと変貌を遂げるだろう。
そして、今でさえもその過程にある存在がいる。常識を逸脱した者達、現代のヒト族より枝分かれした新たなる種。
特殊な力の持ち主『常逸者』。
「特徴は肉体の一部分が常人の枠を越えて遥かに特化されるってところだ。俺の場合は筋力、お前の場合は視力ってな具合にな。それは超過能力と呼ばれる。名前を考えた奴は恐らくオタクだな」
「超過ですか。過剰な能力であると?」
「その通り。専門の学者連中はしばしば超能力と同一視したがるが、それと見紛うような強力なものもあるにはあるが、本質的には別物だ。超過能力はあくまで人間の域に留まっている、途中経過でしかない代物。サイキックパワーもフォースの流れもないんだぜ? 夢のない話だよ」
「現実的で良いのでは」
しかしながら、異端であることに変わりはないことも確かだ。常人と常逸者が相容れることはなく、社会に知られることも悪影響を及ぼすこともあってはならない。
取り締まる機関が望まれた。
「世界の至るところで現れ始めた常逸者に対して、各国は抑止力となれる秘密組織を各自で設立した。我が国にも地方毎に存在するんだが、何故かこの国では機関名を与えられなかった。単純に【組織】とだけ呼ばれている。つまらん」
「公には存在しないから、漏洩を防ぐ為ではないんですか。必ずしも名称が必要である訳でもなし」
「えー。米なんてまんま『X・MEN』って名付けているんだぞ? おのれ、こっちも対抗して『J・MEN』とでも! …やめておいた方がいいか。中みたくパクるのはなー」
「貴方も【組織】の一員なんですね」
「この地方担当のな。怪しい者ではないと分かってもらえただろうから、もう警戒しなくていいんだぜ」
「怪人には違いないので遠慮します」
「ダークヒーローも悪くないな! 夜空を飛べるようなギミックを搭載するべきか。上に嘆願しよっと」
【組織】の活動目的は至って単純だ。新たに現れるであろう常逸者を捜し出して、監視して、危険と判断すれば排除する。とりわけ犯罪に手を染めた者は十中八九排斥される。殺人など論外だ。
殺傷行為には殺傷行為で対応するのが彼らのやり方。目には目を、歯には歯を。単純かつ明快で、露骨に殺伐としている。
「常逸者のみを狙い、必要あらば手を下し、同類同士で取り締まる。それが俺達なのさ。そうしなければ俺達まで消されるからな。まだまだ圧倒的に少数派な常逸者が生き残る為には仕様がないこと、平和に暮らしたい同類達を守る唯一の最善策だ」
お互い顔も合わせずに淡々と話す。淀みなく過ぎ去る人の流れを見ながらその場に取り残される二人。灼童はひたすらにやけた顔で、心は変わらず無表情。
少年の胸中に昨日の情景が浮かぶ。激しく交錯する殺人者の姿、煌めく白刃、別たれる首、飛び散る血潮、散る命。
ニット帽の彼は人を殺した。常逸者である為、公に裁くことはできなかった。灼童の語る理屈で考えれば、その場で処刑する他なかった。
ココロを痛める義理など、無いのだ。
「大体のことは理解しました。貴殿方の行為があくまで正当なものであることを、昨日の出来事に口を出す意味はないということを」
心は意図せずに皮肉を口にし、灼童はこれに軽口で問いかける。
「お利口さんは好きだぜ。それでは何処に口を出すのかな?」
「これから僕をどうするのかを聞かせて下さい。なにをすれば“この先を生き延びられるのか”」
「フハッ、話も早くて助かる。ついてきな」
灼童は先導して歩き始めた。心も後を追い、長過ぎて地面を引き摺っている背広の裾を踏まないようにしながらついていくと、彼は話題に挙がった先程の商店に足を運んだ。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいました〜☆」
「…」
店内に入ると当然のように出迎えの挨拶が為され、当然のように灼童も応えた。続いて入店した心は、キテレツな客の言動に驚く強面の店員と他の客を眺めて、一人だけ舌舐めずりして視姦する店員は無視して、外で確認した時より人数が足りないことに気づいた。万引きを働いていた女子高生の姿が見当たらない。
「やべえ。後輩くんの言う通りだ。あいつ、俺を狙ってやがる…!」
「それよりも気になることがあるんですけれど」
「それよりって。俺の後ろの貞操の危機より気にするって。この人でなしめ。鬼! 悪魔! 人の皮を被った後輩くん!! それで、何が気になるって?」
「先程の少女がいないんですが、トイレでしょうか。店を出ていった記憶はありませんし」
視界に映るもの全てに意識を向けていたので、通りで話している間も人の出入りは把握していた。姿のない人物の残された行く先といえば、目の届かない裏方か洗面所しかなくなる。
その疑問に答えるべく、灼童は店内の奥にある洗面所へと向かった。扉を開けたさらにその奥、鍵のかかっていない個室に心を招き入れる。
「誰もいない…」
遠目に見た女子高生の姿は影も形もなかった。
不可解な面持ちの心に、得意気な顔で灼童が話す。
「ここは発展場じゃあ、ないんだぜ?」
「窓から逃げた? でも痕跡がない。ここでないのなら他に裏口でもあるのか…」
「突っ込めよ」
淡白な反応にがっかりし、しのっちなら突っ込んでくれるのに、などとぼやきつつ気を取り直す。
尻を突き出して、
「ーーイイことを思いついた。お前、ボケが駄目ならこっちに突っ込めよ★」
「…。分かりました。右手首まで捩じ込むので覚悟して下さい。では 逝 き ま す 。」
「え? っと、ごめん。まさか乗ってくれるとは思わなくてちゃんと真面目にやるから安心して……嘘嘘冗談だって本気にしないで俺が悪かったからマジで発展場とか笑えねってその手は本当にやめ…ンホォオ?!」
逃げ場のない個室で繰り広げられた少年と男の情事的なナニか、は残念ながら割愛する。補足しておくと、指二本までは無難だった。
お互い、気を取り直す。
「そこの壁をよく見てみな。昨日、俺の動きを捉えたレベルで」
「はぁ」
心は言われた通りに、よくよく見つめた。青いタイルに白い目地の壁面、微細な汚れの一つ一つ。望遠鏡のように映像を拡大しながら、顕微鏡を覗くように壁の表面を調べる。
やがて目にする。もはや通常の肉眼では捉えられない領域で、壁の一部分に見受けられる人形のざらつき。“一度溶かして塗り固めたような不自然な跡”。
疑いはしても確信を持てない心に、灼童が何でもない風に言う。
「さっきの非行少女はここから外に出た。いつもの遣り口さ」
「どういう、意味ですか?」
「文字通りの意味だよ。この壁を崩しつつ、通過しながら元の形に再構築した。未来の猫型ロボットもビックリのマジックショーってか」
彼は壁を手のひらで緩やかに撫でた。触るという行為を連想させる。
在る物を壊したり直してみせる。在り来たりなその行為を“触れる”だけで行えるとしたら。
それ即ち『触覚強化』。
「後輩くんにやって欲しいのは彼女との接触だ。といっても、本当に触ったらアウトだぜ? セクハラで訴えられるより死を選ぶって言うなら無理に止めないけどなー」
灼童は笑い事ではないことをさも愉しげに宣った。
心は取り敢えず挑戦的に計三本の指を立てて応じてみせる。また挿入んぞコラ、という意味で。
「次やったらセクハラで訴えるぞッ」
「では真面目にお願いします。真 面 目 に 。」
「お、おう」