090 前世今世
目をあけると、前にエスペランサの長いまつげが見えた。
一本一本が判別できるほど、近い場所に今俺はいる。
手を伸ばさなくとも、彼女に手は届く、そんな場所。
やはり人の姿だと睡魔というものはくるらしく、すぅすぅと特に警戒もなく、彼女はねむっている。
それは、俺がそばにいるから警戒が緩みきっているのか、それとも神の力を制限されていながらも使えることに安心しているのだろうか。
俺にはさっぱりわからないが、恐らく後者だろうな。
「……んぅ、んぅ」
「起きたか、おはよう」
彼女に話しかけると、少女はぱちぱち、と瞬きをしてとろんとした恍惚気味な顔で俺を見つめる。
「おはよぉございますぅ~」
甘い。
元からのきりっとした声ではないからか、甘えたように赤い唇から紡ぎ出されるささやきは、鼓膜を溶かしそして最終的には脳すら水にしてしまいそうだ。
そんな彼女に、俺は笑いかけて抱きしめる。
今まで俺はエスペランサのことに気をかけてやれなかったから、これからの行動で返そうと思ったのだ。
エスペランサも、俺を好いてくれているから転生前も能力をくれたんだろうし、今も一緒にいるのだろうから。
「……はぅ」
「意識ははっきりしたか?」
「……はい」
先ほど自分の発した声に、羞恥心を覚えたのか顔をあからめるエスペランサ。
そして自身に抱きついている俺を認識して、さらに顔を赤くした。
「ちょちょ、なにやってるんですかっ」
「抱きついているだけだけど……」
「……じっとしていた方がいいですか?」
俺が何も言わずにそのままで居ると、エスペランサも遠慮がちにだが体重をこちらのほうに乗せてくる。
それが何を意味するのか、俺はいくつかの推測をたてるもどれか判断しかねていた。
思えば、前世でも。
俺は大切な人に対して最低なことをして、たくさん傷つけた。
その報いに、死んだようなものだろう。
「……んー、そろそろ出かけましょう?」
「……そうだな」
何分そのままの状態でいただろうか、胸が苦しくなってきたのかエスペランサが俺に声をかける。
俺はうなずき、彼女を慎重に放すとエスペランサは「大丈夫ですよ」とほほえんで見せていた。
「私は、シルバさんが『消えてくれ』って言わない限り、そばにいます」
「……心を、読みとったのか」
「読みたくなくても、あれだけ近い場所にいるのですもの」
俺の記憶を読まれたが、まあいいだろう。
前世の未練はもういい……はずなんだが。
今世をちゃんと生きていくんじゃなかったのか、俺は。
……これなら、転生しないでふつうに生まれ変わった方がいいのかもしれない。
「それは許しませんから」
「?」
「記憶を失わずに、新しい世界で人生のやり直しがきく。それのどこがいけないのですか」
やっぱり、断片的にしか読みとられていないか。
俺は首を振り、エスペランサに説明する。
「前世の記憶があって、毎回後悔するんだ。……それなら、最初から記憶がない方がいいんじゃないかと思って」
「……そう、ですか?」
「そうだ」
なんてたって俺は。
「『英雄』になり損ねた戦士、なんだからな」
その言葉を聞いて、エスペランサが首を傾げる。
まさか、エスペランサは俺の前世、特に最後を知らないのか?
「私の情報によると、『世界を守る戦士』の1人として歴史には刻まれているのですが……」
「死因とか、そりゃあかかないよな……」
俺はそこまで考えた後、エスペランサに勢いよく向き直った。
ちょっとびくっとしたエスペランサ。
「この世界から元の世界に戻るって言うことはできるのか?」
「例がないです」
「ということはできなくもないんだな?」
「普通はできない、ということですよ。神と同等かそれ以上の力が必要です」
ちなみに私は私だけを移動するなら可能ですが、シルバさんを連れてはいけないです。
エスペランサ、ちゃんとこうやって逃げ口をふさいでくるのだから、困ったもんだ。
「それよりも、この旅の途中に、寄りたいところがあるのです」
「ん?」
「希望神ホープの神殿ですよ、私を奉る」
「ああ……」
少しでも力を付けたいのだろうか。
よくわからないが、とりあえず了承することにした。
しかし……だったら、あのとき華琉がこの世界にきたのはなぜなんだ?
確かに、誰も気づかなかったし夢かもしれない。
それでも、俺が入寮2日目に味わったあの感触は、紛れもない本物なのだ。
「シルバさんがなにを考えているのか、私にはわかりませんが。あなたは私を救い、ヴァーユウリンス・ヴァン・フロガフェザリアスさんを救い、アンセリスティア・フレイヤ・レイカーとリンセルスフィア・フレイヤ・レイカーを救い、今ここにいます」
それとも、この世界では満足がいきませんか? とエスペランサは悲しげに俺を見つめる。
……エスペランサ=希望神ホープの世界はここだ。
だからこそ、自分の管轄の世界よりも前世の方がいいなんていわれたくないのだろう。
「……俺は、まだどっちがいいかなんて決められないな」
「そう、ですか」
本当に残念そうな顔だな。
っと、俺も過去に捕らわれないでこの世界にきた目的を果たさないと。
龍眼族の地位を確固たるものにしないといけないのだっけ。
まあ、レイカー家とのパイプを作った後に考えればいいだろう。