083 閑話 ラン in 医務室
クレアシモニー学園、医務室。
ここで、一人の男子生徒がむぅと頬を膨らませたまま、全身包帯に包まれていた。
彼の名前はラン・ロキアス。
「……凹られた挙句、これかぁ」
勿論、ほかの人は倒れているランと、彼がここに居る原因となったシルバの間に何があったのかなんて知らない。
リンセルやアンセルですら、ランに気を使って聞いていないのだから当たり前である。
彼の頭の中には、シルバに負けた悔しさと、未知の魔法を使われた驚きと、自分が双子姉妹を救えなかったという悔しさが頭の中を渦巻いていた。
「……大丈夫?」
「何が?」
「……ぅ、荒れてるね」
彼女の傍にいるのは、リンナアイデル・パン・リーフ。
黄緑色の髪の毛に、ぴょこんと長くとがった耳を持つ『知勉族』美少女である。
「うわぁ、なんでそんなに荒れてるのさ」
「だって、……いや、なんでもない」
なんでもないわけないでしょ? とリンはランの頭をなでる。
が、ランはそれを素っ気なく振り払うと、頬を膨らませながらぶすーっといった表情を見せる。
その表情は、誰から見ようが何かにごねている小さい子供にしか見えない。
入学試験時の、何か卓越した精悍なかおつきはどこに行ったのだろうか。
そんな面影は全く見えず、そこにあるのはおもちゃをほかの人にとられた幼稚園児のような顔つきだった。
「もーっ! ラン君が私たちを救ってくれなくても、大丈夫なのに」
「なんかその言い方、腹が立つんだがなんでだろう」
隣のベッドで、リンセルが首を彼の方に向けつつそういった。
が、ランは機嫌を直さない。
「……もっと、強くならないとな」
「それはそうだと思うけど……、学園の中だったらラン君は一年生なのに結構な実力派なんじゃないの?」「シルバに負けたってことは、もっと上がいるってことだ」
そうだ、最強になろう。
ランは結局、かなり単純な思考にたどり着く。
誰にも負けたくなかったら、この学園で最強になればいい。
一番単純で、そして一番簡単であり同時に一番難しいことでもある。
転生者のランは、ポテンシャルだけで言えばこの学園でもトップのものだろうが、彼の前世は普通の日本人である。
シルバのように、戦いにまみれた世界でもなく普通の平和な世界。
ランの死因は鉄骨に貫かれた即死で、シルバは【戦死】なのだ。
今のままでは、決定的な力がありすぎると彼が考えるのも、訳ない。
「リン」
「ん? 落ちつい……た?」
リンは、ランの顔を一目見た瞬間、彼に何か変化が訪れたのを悟った。
明らかに顔つきが違う。勿論、膨れてなどいなくて何かを決意したような顔をしている。
引き締まった、とでもいうべきだろうか。
「魔法、教えてください」
「んぅぅ?」
予想外の言葉に、リンは一瞬反応が遅れた。
どうなってるの……。と思わず口から声が漏れてしまう程度には、驚いたのだ。
リンセルも、何か奇怪なものを見るようにランを見つめている。
「大丈夫? 頭どこかおかしくなっちゃった?」
「は? なんでだよ」
「だって、入学してからそんなこと言うラン君を見たことがなかったから。どうしたのかなって思って」
ああ、そういうことか、とランは状況を理解する。
この学園に入ってから、ランはほぼ無敗の状態だったため自分はだれにも負けない、だからリンの手助けは必要ないと高をくくっていたのだ。
もっと簡単に言うと、調子に乗っていたともいう。
しかし、今回の一件でランは分かったのだ。
自分はまだまだ弱い、と。
「うん、俺が間違っていたな。これからもよろしくお願いします」
「うーん、変な感じがする。ラン君が敬語って」
リンはくすりとわらうと、うん、いいよと答えた。
そんな二人を、リンセルは目を細めて見つめる。
アンセルは、まだ、起きない。
「ランが目を覚ました後は、アンセルさんが眠りについちゃったね」
「……おねえちゃんは精神的なショックに弱いからね、しかたないよ」
リンがぽつりと言葉を漏らすと、リンセルは悲しそうに笑った。
え? と聞き返すラン。
「お姉ちゃんは、決して強い人なんかじゃないんだよ。普通の女の子、よりも弱いかな。誰よりも優しくて、誰よりもおとなしくて。……生まれたときから一緒にいた、私ならわかるもん」
お姉ちゃんは、最高のお姉ちゃんなんだよ、と。
リンセルは、そっと呟く。
ランは、ほぼ動かない手を苦しそうな顔をさらに歪めながらも、リンセルの頭に右手をのせた。
「次は、俺がリンセルを、アンセルを助けて見せる」
「出来れば、助ける前にそれを阻止してほしいかなっ!」
「そう、だな。強くなるまで、待ってくれよな」
さっきまで膨れていた彼の顔はどこへやら、少々成長したような彼を見て、リンセルはこくんと頷いたのだった。
ランの新しい伝説は、ここから始まる。