305 雪精の震え(シルバ)
はっ、と息を呑む声で俺は眼を開ける。
朝だ。目の前にはヒョウリが真っ赤な顔で俺を見つめているのが確認でき、昨日の寝る前、何をしたのか思い出される。
そういえば、彼女を自分と同じ寝床まで引き込んだ気がする。
彼女は全く気づいていなく、今になってやっと気づいたということだろうか。
「……おはよ?」
何時もは凛としているのに、こういう時になって恥ずかしさから逃れようと蚊の鳴くような声でつぶやく彼女。
そんな少女を認めて、俺は笑ってみせる。そしてヒョウリの耳のそばで「おはよう」と囁く。
彼女の頬が更に赤くなった。俺から顔をそらし、逆の方向へぷいっとしてしまう。
そんなに恥ずかしいことなんだろうか? よくエスペランサとかとはやっていることなんだけれど。
……よく考えれば、彼女って今までそういうことしたことないとか言ってた気がする。自分を愛でることはあまりしていないんじゃなかろうか。人から愛でられることは、傭兵にとってないに等しい。
夜の仕事は一切していないとヒョウリの口からは聞いた。それが本当だとすれば、やっぱりこういう経験がないんだろうなって。
「抱きついても?」
「……勝手にすれば?」
彼女の返事を待たず、手を伸ばすと一瞬だけ縮こまったような感覚を覚える。
安心して、と彼女に囁き自分側に引き寄せた。
先程までガタガタと震えていた身体が、次第に震えなくなった。
「……こわがらないで」
「そんなこと言われたって、怖い」
本当に男との接触がないようだ。そういえば、彼女と一緒に添い寝することは多くてもこうやってやったり、直接触れたりすることは少なかった。
そういえば、と俺は彼女に話しかける。
「君には言っていなかったが、異名を一つ追加させてもらおうと思う」
「……え」
ソレを聞いて、戸惑ったようにヒョウリが反応したのが分かった。
今まで、彼女を象徴していた異名は【雪精鍵姫】であった。
しかし、彼女はもう傭兵でなくなった。もちろん今のままの方がわかりやすいのかもしれないけれど、俺からすれば何故彼女がそう呼ばれているのかわからない。
いや、スニョグリャチカという語句についてはとてもわかる。雪の精霊がそういう名前だった気がする。
でも俺には、何故異名の中に「鍵」という文字が含まれているのかよくわからなかったのだ。
そのことを、彼女に聞いてみれば何も答えないというのは分かっている。
これは彼女が自分で名乗った名前だから。何か意味があるのは分かっているのだが、底まで俺は心癒を勝ち取れていないらしい。
「……そんなこと、ない」
俺が悲観的に言葉を発すると、ヒョウリははっきりとそれを否定した。先程まで「好きにすれば」とかっていう曖昧な言葉を発していた少女と同じ人物だとは思えないほどはっきりした口調のため、どうもしっくりこないというか、インパクトがある。
「……でも今は、まだその時じゃない」
彼女は時期を気にしているようだ。逆に俺は、そんなことを気にしている時間が残されていないかもしれないのに。
「待ってて。……ちゃんと、ちゃんと伝える」
でも、シルバくんはそれを聞いて絶対に私を嫌いになる。だから言いたくないとヒョウリはつぶやく。
その顔を、こちらに向けさせてじっと見つめた。
……今にも泣きそうな顔をしている。そこまで自分に自信がないんだろうか。俺も同じだ、自分に自信が見いだせない。
何故、みんなが俺のことを好いてくれているのか本当によくわかっていない。
自分の力ではないのだ。龍眼族は竜神から、魔武具を創造する能力は希望神から授かったものだ。俺自身の力は一つも持っていない。なのに、みんなはソレこそが「自分」の力だという。
「俺がヒョウリのこと、嫌いになることはないから安心しろ」
「都合が違う」
「神を愛している俺に?」
「……あ」
そうだった、とヒョウリはやっと気づいたようだ。エスペランサの正体をずっと前に俺は言っているはずなんだが、それを知っていながら全然意識してこなかったんだろうということは予想できた。
「……じゃあ、今回の旅が成功したら、伝えるね」
それはそれで、なんていうか。
言い方は悪いがフラグっぽい。帰れなさそうだ。




