――六――
七月二二日の午後に僕は図書館と古書店に行く予定だ。
図書館については彼女の事故について調べようと思っている。彼女はいつ、どこで、どのように死んだのか、これから僕は彼女とどう接すれば良いのかを資料で調べる為だ。
そして古書店では三国志と史記を買っていこうと思う。当然、彼女と一緒にいる機会を多くする為だ。
「お探しの図書は何ですか?」
滅多に行かない図書館のカウンターで最初に聞かれたのはそんな一言だ。
「えっと、過去の新聞記事を参照したいのですが……」
「新聞記事でしたら、二階の新聞管理部の方で参照して下さい。案内しますか?」
「いえ、結構です」
この図書館のパートの人だろうか、とても事務的な人だ。
僕は二階の新聞管理部の方に足を向ける。
「あの……新聞を参照したいのですが……」
二階にある新聞管理部と書かれたプレートのあるカウンターに声を掛けると、すぐに女の人が来た。
「調べたい案件は何ですか?」
またもや事務的な口調でそう聞かれた僕は渋りながらも口を開く。
「……鏡原市内で起きた交通事故について絞れますか?」
「分かりました。何年前の記事を調べますか?」
「四年前でお願いします」
そう言うと女の人はカウンターにあるパソコンに向きキーボードを叩く。
「三二件の記事がヒットしました。絞りますか?」
「いえ……」
「それでは記事をコピーしますか?」
「……お願いします」
「しばらくお待ち下さい」
そう言うと五分くらいでA四用紙が三枚来た。
僕は紙を眺めた。
(あった)
記事はすぐに見つかった。
四年前の六月二七日の記事だ。
「~鏡原市在住の小六暴走車に轢かれ重体~
鏡原市で昨日、六月二六日午後四時半過ぎ、下校途中の小学生椎名綾香ちゃんが過剰性能の改造車で轢かれ意識不明の重体で治療を受けている。轢いた改造車の持ち主の大学生芽月浩治容疑者(二一)を危険運転致傷罪の現行犯で逮捕された。他にも事故に巻き込まれた小学生はいたが、いずれも軽傷。」
とても小さな記事だった。新聞のコラムよりも小さい記事だったが、確かにあった。さらに僕は紙を眺める。
四年前の一一月六日の記事に続きがあった。
「~六月の交通事故の加害者の裁判が終わる~
今年の六月、鏡原市在住の女子小学生が改造車で轢かれ意識不明の重体になった事故で、芽月浩治被告(二二)の裁判が県の地方裁判所で行われた。事故に関して警察は制御困難運転致死罪を適用し、懲役一四年を求刑。それに対して弁護側は被告は当時運転免許を取得したばかりで不慣れだったとして減刑を要求。裁判では被告が運転の不慣れかどうか、改造車での走行は安全性が確保されたものなのかという事に焦点が置かれ物議を醸した。裁判は被告の懲役一二年という結論で閉廷しそれに関して裁判長は「運転免許を取得してあまり時間が経っていないのも事実だが改造車と分かっていながら運転し小学生を意識不明の重体にしたのは許される事がない。きちんと反省して欲しい」とコメントしている。」
この記事を読んだときに僕は少なからず安堵した。彼女を殺した犯人はきちんと刑務所に入っているのだと知ったからだ。
ただ、僕は疑問に思った事がある。四年前の一一月六日の記事では彼女は意識不明の重体だと書かれているからだ。意識不明の重体になった人間は三ヶ月も経てば安定し、死亡する確率は減ってしまうからだ。
(もしかしたら彼女は死んでいないのではないか?)
そう思った僕は図書館を飛び出した。受付のカウンターにいた女の人はいきなり図書館の出口へ血相を変えて走る僕に少なからず驚いた様だったが、そんな些細な事を気にしては居られない。鏡原市と周辺の市町には入院ができる病院は一箇所しかない。国立鏡原大学病院だ。あそこには手術から放射線治療など最先端の医療が揃っている。当然、入院用のベットもあり事故で搬送されるならあの病院が一番可能性は高い。僕は自転車に跨り新開発エリアにある大学病院に急いだ。
汗ばんだ僕は受付にいる女の人に声を掛けた。一般入院棟の受付は一階にありそこで手続きなどを行わなくてはならない。
「あの……この病院に入院していると思う人に会いたいのですが……」
受付の女の人は営業スマイルを僕に向け言った。
「入院している患者のお名前を教えて下さい」
「えっと、椎名綾香です」
「シイナアヤカさんですね。えっと、ご関係は?」
そう言いつつ女の人はパソコンのキーボードを打つ。
「知り合いです。小学校の……」
「そうですか。シイナアヤカさんは三階の三二五病室です。左手のエレベーターをご利用下さい」
そう言われ僕は会釈をしながらエレベーターの待ちボタンを押す。光ったボタンと表示燈のオレンジが強く見える。ポーン、と少しマヌケな音が聞こえドアが開く。誰も乗っていないエレベーターの籠に乗り込み三階のボタンを押す。最近のエレベーターは籠が透明で外が透けて見える。僕はそれが少し苦手だ。大都市などにある何十メートルも上がるエスカレーターに乗ったとき足が竦んでしまい降りるときに転んだこともある程だ。再び、ポーン、と音が鳴るとドアが開く。なるべくエレベーターにいたくない僕は足早に籠から出ると三二五病室に向かった。
病室は個室なのだろう。椎名綾香様と書かれた簡素なプレートがはり付けられているドアを開けた。
室内には綾香が居た。
ピッピッピッ、と一定間隔で鳴り続ける脈拍計が現実感を掻き立てた病室。
開いておらず薄いカーテンが掛けられた透明な窓。
ベットの隣には置いてあるが一輪の花すらもない花瓶。
いつ誰が置いたのだろうか分からない程日焼けした三国志。
ベットに横たわり茨に囲まれ眠り続けているいばら姫。
僕が病室に入った瞬間そう思ってしまった。思わず僕の手はは右の脇腹の横に行ってしまった。しかし何もない。当たり前だ。いつもならカメラを持っているが今日は持っていない。カメラを持ってきていない事に、僕は項垂れそうになったがむしろ良かったかも知れない。
(私を撮るのはNGですからね)
不意に彼女の言葉が頭の内を駆ける。
「……約束、したよな……」
不意に心の言葉が口から漏れ出した。
ここに来たことで僕は幾つかのことを知り、思った。
まずは彼女が生きているということだ。彼女は死んでなんかいない。
そして彼女は自分が死んだと思っている。幽体離脱の類なのだろう。
だから彼女は自分の体に戻るということが可能なのではないか?
(そんなことを考えるのはもう少し後で良いかな……この事をどう伝えようかな……)
僕の思考はその一点に絞られた。
ここでできることはもう無い。
僕は椎名綾香の病室を出た。
次は古書店に行こう。
病院の廊下から見える空は巻雲に薄く覆われ、地面は青々とした水稲が見える一面を覆っていた。