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ライラス少年の受難2


 

「どうもありがとう。助かったわ」

「いや……」

 放課後、ライラスは中央棟の喫茶店でカトゥラと差し向かいに座り、味のわからないお茶を飲んでいた。

 目の前の少女は優雅なしぐさで焼き菓子を口に運んでいる。

 色恋には未だ無縁のライラスだが、それでも彼女が美人の部類に入る事は良くわかる。職業柄(というにはまだ修行中だが)、審美眼にはそれなりに自信もあった。

 緩やかに波打つ褐色の髪は艶やかで美しいし、青灰色の目は長い睫に縁取られている。顔立ちは可愛いというより美人という方がしっくり来る気がした。

(美人なんだけど……なぁ)

 ライラスは幾分胡乱な目つきで彼女をちらりと眺め、今さっきの彼女の手際の良さを思い返し小さくため息を吐いた。

(女って怖い……)

 

 

 

 ライラスを引っ張ってカトゥラが訪ねたのは中央棟にある学生課だった。

 そこでカトゥラはあの男子生徒に対する被害届けを出したのだ。そして対応してくれた男性職員に対し、涙を浮かべてこう訴えた。

「私……来年は彼にとって一番大事な時期だから、将来の為にそちらに集中できるよう、少し距離を置きましょうって言ったんです。そしたら、彼が急に怒って、暴力を振るいだして。

 偶然通りかかったバルド君が割って入ってくれなかったらどうなってたか……無関係なのに誤解されて怪我までさせてしまって……」

 美しい瞳に涙を滲ませながらカトゥラはべっとりと血のついたハンカチを差し出した。

「殴られて倒れたバルド君の口から、血が出て、動転してしまって……思わず魔法であの人を吹き飛ばしてしまったんです。その後、急いで彼の治療をしたんですけど、もうほんとに怖くて怖くて……」

 そこでカトゥラはほろほろと涙を零した。ライラスでさえ思わず驚いてぬぐってやりたくなるような自然な涙だった。

 

 ライラスは促されるまま、彼女の言う通りだと言う事と、まだ頭痛がするというようなことを職員に証言した。職員は二人に大変同情的な様子で、相手の男に対する調査と厳罰を請け負ってくれた。

 武術学部生はなまじ体を鍛えている分、それを暴力として校内で振るう事は厳しく戒められている。人を傷つける力を持つと言う点では魔法学部生も当然同じ扱いなのだが、恐らくこの様子からするとカトゥラの正当防衛は全面的に認められるだろう。

 カトゥラの差し出したハンカチに染み込んでいるのは紛れもなくライラスの血だし、彼の顔もまだ腫れているので十分証拠になる。

 カトゥラは涙の乾かぬ瞳でひたむきに職員を見つめ、よろしくお願いしますと何度も頭を下げた。学生と職員だから年齢はそれなりに離れているが、可愛い女の子に熱心にお願いされて、気分を悪くする男はあまりいない。

 帰り際に彼女に何度も手を振ったその男性職員が、このあと少しばかり職務に熱心に励んだとしても誰にも責められないだろう。

 ライラスは哀れなあの男子生徒の今後の運命を思い、胸の内で静かに手を合わせた。

 

 

 自分の前に置かれた焼き菓子に乱暴にフォークを突き刺すと、一口齧る。

 ライラスも甘いものは嫌いではないが、垣間見た女性の強かさに当てられたのか、どうも味はよくわからなかった。

 彼の顔はもう腫れておらず、口を大きく開けてもどこも痛くない。学生課を出た後、カトゥラが完全に治してくれたのだ。あの芝生の上で彼女がライラスを完全に治療しなかったのはこのためだったらしい。

 それの意味するところを考えながら、ライラスは菓子をお茶で流し込んだ。

 

「なぁ……最初から、そのつもりだったのか?」

「あら、何の話?」

「あんた、俺にしがみついていながら、俺を前に出すつもりなかったんだろ、本当は。俺が勝手に出ちまったけど……あの時、あいつに殴られるつもりだったのか?」

 カトゥラは少し目を見開いた。そして、それから困ったように笑う。

「……当たりよ。貴方が通りかからなくても、最初からあの馬鹿を怒らせて、手を出させるつもりだったの。

 貴方が通りかかったから、ああしたら手っ取り早く頭に血が上るだろと思って利用させてもらったの。ごめんね」

「なんでわざわざ殴られるような事するんだよ。他に方法なかったのか?」

「幾つかパターンは考えてたんだけど、思った以上に物分りが悪かったんだもの。仕方ないから手を出させて、正当防衛にしてから魔法で叩きのめそうと思ってたのよ。

 でも貴方がちょうど良く通りかかってくれたから、貴方に証言して貰おうって思ったの。なのに貴方、私の代わりに殴られちゃうんだもの。びっくりしたわ」 

 おどけたようにカトゥラは言ったが、ライラスは少しも面白く思えなかった。


「もうちょっと穏便にできなかったのか? って、まぁ、関係ない俺が言うことじゃないけど……」

「そうね、時間を掛ければ出来たかもね。ちょっと急ぎすぎたかもしれないわ。今まであの手の体育会系とはあんまり付き合ってこなかったんだけど、いつもと勝手が違うから私もイライラしちゃったわ。言葉が通じるタイプじゃないとやっぱりだめね」

「何で急いでたんだ?」

 カトゥラはそろそろ薄暗くなってきた窓の外にちらりと目をやった。学園の中はもうすっかり冬の色に染まっている。

「もうそろそろ、冬の休暇でしょ。新年の前に、けじめをつけておこうと思って」

「けじめ?」

「そう。貴方も魔法学部なら、色々聞くでしょ、私の噂。でももうそろそろ遊ぶのも飽きたから、やめようと思って」

 自嘲するような笑みを浮かべたカトゥラの顔をライラスは黙ったまま見つめた。

 彼女がどんな人間で、どんなことを考えているのかライラスは噂以上の事を何も知らない。

 なのに今、彼女とこうして向かい合ってこんな話をしていることが不思議でならなかった。

「だからね、新年が来る前に綺麗さっぱり清算しちゃおうと思って。つまり、年末大掃除ね。今年の汚れは今年の内に、ってね」

「汚れ……」

 大掃除の一環だったらしい男に一抹の哀れを感じる。

 すっきりしたわ、と言いながらにこにことお茶を飲むカトゥラに、ライラスはしみじみと思った。

(女って怖い……)

 

 

 結局、カトゥラは今日の侘びだと言ってライラスの分のお茶代を無理やり支払い、二人はその後なんとなく寮の近くまで一緒に歩いた。

 もう太陽も沈み、辺りは急速に夜に包まれようとしている。

 第三寮の近くまで来て、ライラスはカトゥラを振り返った。

「じゃあ、この辺で。お茶、どうもな」

「こちらこそ。今日はありがとう」

「いや……気をつけろよな」

「ええ」

 ライラスはカトゥラに頷き返すと、踵を返して寮の入り口へと向かった。

「ライラス君!」

「え?」

 呼びかけられて振り向くとカトゥラはまだライラスを見ていた。

「あの、明日の夕方、今日と同じ喫茶店に来てくれないかしら。渡したいものと、頼みがあるの」

 薄暗い視界の中ではカトゥラの表情までは良く見えない。けれどその声音は意外なほど真剣に聞こえ、ライラスは少し考えてから頷いた。

「別にいいけど……」

「ありがとう。じゃあ、また明日ね」

 ライラスの答えに頷き、カトゥラはくるりと振り向くと走って去っていった。

 ライラスは彼女の姿が女子寮の入り口に消えるまで何となく見送り、それから深いため息を吐いた。

 何だか、嵐のような午後だった。

 そう思いながら、ライラスは寮へと続く道をゆっくりと歩いた。

 辺りには夕食の良い香りが漂い始め、ライラスの腹が小さく鳴る。

 寮の入り口を潜る時、ライラスはふと気がついた。

 彼はまだ一度も、カトゥラに名を名乗った覚えがないということに。







 次の日、ライラスは昨日と同じ喫茶店で、またカトゥラ・マグルールと向かい合っていた。

 カトゥラは今日も優雅に、可愛く飾られた菓子を口に運んでいる。

 こんな所を友人知人に見られたら、何を言われるかわかったものじゃないな、とライラスは小さくため息を吐いた。

 出来ればさっさと帰りたいと考えながら、ライラスは口を開いて話を促した。

「……それで、その、用事は?」

 カトゥラは静かにカップをテーブルに戻すと一つ頷き、脇に置いてあった鞄の中からハンカチを取り出した。

 そしてそれをライラスにすっと差し出した。

 

「何だ?」

「これが渡す物。ずっと貴方に返そうと思っていて、機会がなかったの。遅くなってごめんなさい」

 ハンカチを受け取って中を開き、出てきたものを見てライラスは目を見開いた。

「そっか、これ貸したままだったっけ。あの騒ぎですっかり忘れてたよ」

 中から出てきたのは、ライラスが作った護符だった。

 土台は銀、蔦の葉が絡み合って作り出す緩やかな逆三角の中心に青い石がはまったペンダント。

 それは、ライラスがあの大会の後、アーシャの治療をしていたカトゥラの首に掛けた物だった。

「やだ、忘れてたのね。催促がないからどうしたかと思ってたのよ」

 カトゥラはくすくすと笑い、ライラスの手の中の護符を指差した。

 

「それ、とっても良く効いたわ。貴方が作ったの?」

「ああ。俺、護符作りにはちょっと自信あるんだ。子供のうちからやってるからさ」

「小さい頃から?」

 ライラスは大きく頷いた。

「俺んちの実家、代々魔技師なんだ。護符作りは昔から遊びみたいな感じで教わってきたんだ。こういうのなら失敗しても危険は小さいから子供にもやらせてくれるのさ」

「そうなの……魔技師の一家、ね。じゃあやっぱり将来は魔技師になるの?」

「そりゃもちろん! そのために魔技科に入ったんだからさ」

 カトゥラは何故か少し浮かない顔を見せた。

 ライラスはそれを見て、うっかり実家自慢に力が入ってしまったかと少し恥ずかしく思う。

 

 カトゥラはしばらく黙って考え込み、迷ったように視線を巡らせると、今度は別の包みを鞄から取り出した。

「これは?」

「お願いしたいことって言うのは、これなの。開けてみてくれる?」

 包みを受け取って開くと、中からは手のひらに乗るくらいの大きさの髪飾りが出てきた。

 それは花と流水をモチーフに彫りこんだ白木の土台に親指の爪ほどの水色の石が嵌っている、繊細で美しい髪飾りだった。白木といっても一風変わったもので、金属のような、あるいは貝殻のような不思議な光沢を宿している。裏側には金属の留め金がついていたが、あいにくそれは壊れていた。

 ライラスはそれをもう一度表に返し、よくよく観察した。

「これを直して欲しいってことか?」

「ええ。この前の大会で付けていたんだけど、大会が終わった後壊れているのに気がついたの」

「なるほど……けど、このくらいなら技巧学部の奴の方が綺麗に直してくれそうだと思うけど」

「それが駄目なのよ。それね、本当は護符なの」

「護符? じゃあ魔具なのか」

 

 ライラスはもう一度髪飾りを良く見つめた。

 しかし表にも裏にも護符によくある古代文字が刻まれてはいなかった。ならば石の中か、とライラスは石に指先を当てるが、石からも魔力らしいものは殆ど感じられない。

 かろうじて僅かに魔力の気配のようなものが残っているのみだ。

 こういった護符というのは一般的に身に着けているうちに護符自体が勝手に本人の魔力を吸収し、要の石に蓄積するものなのだ。

 長く人が持っていた護符なら、本人の手を離れても、ある程度の魔力はそこに残っているはずだった。

 

「魔力が殆ど入ってないけど……普段使ってたのか?」

「ええ。毎日ではないけど、割と頻繁に身に着けていたわ。魔力を貯めなくなったのは壊れてからなの」

 なるほど、とライラスは大きく頷いた。

「じゃあ、多分この石の中に組み込まれた魔法陣がどこかで途切れたか何かしたんだな」

「そう言う事は良くあるものなの?」

「しょっちゅうって事はないけどあるよ。特にこれ、結構古い物だろ?」

「ええ……」

 髪飾りは丁寧に扱われていたのだろう、目立った汚れなどは見当たらなかった。けれど白木の表面は歳月に磨かれたのかつるりと滑らかで、外れた留め金の下から現れた部分は、表側とは大分色が違っている。

「大事にしてても、やっぱり時間が経つとどうしても魔法陣自体も脆くなる。時々手を入れないとだめなんだ。脆くなってたところに、衝撃が加わったんだろうな」

「そうだったの……ならなおさら、修理をお願いできるかしら?」

 しかしライラスはその言葉を聞いた途端渋い顔を見せた。

 

「だめなの?」

「駄目って言うか……うーん、こればっかりはなぁ。あのさ、こういうのって、普通は作った本人じゃなきゃ直せないんだよ」

「え?」

「この護符は、この石の中に魔法陣が全て隠してあるんだ。だからそれを呼び出さなきゃ修理は出来ない。けど、それを呼び出すためには《鍵の言葉》が必要なんだ」

「鍵の言葉……?」

「そう。そしてそれは普通、魔技師個人や、その工房なんかで独自のものを持っていて門外不出なんだ。だからそれを直したかったらこれを作った人か、買った工房に頼まなきゃだめなんだよ」

「そんな……そうなの」

 カトゥラはひどく落胆したように俯いた。それを見てライラスの胸に一抹の罪悪感が湧くが、こればかりは彼にもどうしようもない。

 

「買った工房とかはわからないのか?」

「残念ながら買ったものじゃないのよ。私の……その、父が作ったもので、もういないの」

 カトゥラの言葉にライラスは髪飾りを観察するふりをして目を伏せた。彼女が懸命に平静を装おうとしているように見えたからだ。

 これが彼女にとってどういうものなのかはわからないが、それでも直したいというのだから大切な事には間違いはない。ライラスは手の中の髪飾りを真剣に見つめ、そしてある事を思いついて顔を上げた。

 

「なぁ、これって、あんたの親父さんが、あんたのためだけに作ったものなのか?」

「ええ……多分。早くに亡くなったから良くわからないけれど、そう聞いてるわ」

 ライラスはその答えに頷くと、真剣な顔をした。

「なら、親父さんが、あんたに何か鍵を残しているかも知れない」

「どう言う事?」

「魔技師ってのはさ、家族や親しい人に贈り物をする時、自分で作った物を贈る奴がほとんどだ。当然だよな、その技術があるんだからさ。そして、その相手の事を想いながら、なるだけ良い物を頑張って作る」

 ライラスはそういって手にした髪飾りを差し出した。

 カトゥラはそれを不思議そうに見つめ返した。

「これも、そうやって作られたものだと?」

「ああ、なんたって父から娘への贈り物だ。しかもこの材料、多分ラキの香木だぜ。風の大陸で取れる硬くて香りがいい素材で、かなり高価なんだ。大事に作った証拠さ」

「でも私、鍵なんて知らないわ」

「うん……えっとさ、これは俺の爺さんの受け売りなんだけど、俺達魔技師には大切な人への特別な贈り物を作る時に最初に唱える言葉があるんだ」

 

『我が指は神からの賜り物。

 神よ、どうかこの指で愛しき名を綴る事を許したまえ。

 此れを受け取る者に神の加護の在らん事を』

 

 カトゥラはライラスが大切そうに唱えるその言葉の意味するところを考えた。

「愛しき名前……じゃあ、もしかしたら私の名前が鍵になっている可能性があると言う事?」

「うん。絶対とはいえないけど、その可能性は高いと思う。試してみようか」

 ライラスはそういうと髪飾りの中心の石に指をあて、魔力をほんの少し流した。そういえばまだ目の前の彼女の名を呼んだ事はなかった、と思いながらその名を口にする。


「カトゥラ」

 しかし、髪飾りはシンと沈黙を保ったまま、何の変化も見せなかった。

 名字もつけて唱えてみたが、それも無反応だった。

 

「うーん、だめか……そうすると、やっぱり愛称とかかなぁ」

「愛称?」

「ああ、名前そのままよりも、作った魔技師との間にだけ通じるような呼び名なんかを鍵にする事も多いんだ。親父さんがあんたを呼ぶ時の言葉とか、何か覚えてないかな?」

「愛称ねぇ……あいにく父親の記憶はほとんどないのよね。小さかったし……母が時々語ってくれたくらいで、自分では殆ど覚えていないの」

 

 カトゥラの父親が亡くなったのは彼女が三歳になった頃だ。

 彼女の母は父の話を時々してくれたけれど、新しい夫を気遣ってか、それはごくたまにだけだった。

「何でもいいんだ。お袋さんから何か聞いてたりしないか?」

 カトゥラはライラスの手の中の髪飾りを見ながら、乏しい記憶を一つ一つ辿った。

 父が髪飾りを作ったのは当然生きていた頃の事だ。

 だが考えてみると、これをカトゥラが受け取ったのはもう少し後のことだった。

「ああ、そういえば……」

 この髪飾りはカトゥラが家の近くの基礎学部に入学する時に、母がこっそりと渡してくれた物だ。

 カトゥラはその時の母の言葉を思い返した。

 

『あの人が最後に作ったものなの。貴女の髪の毛が、細くてさらさらで、上手く結べないって泣いていたから作ってくれたのよ』

 病床で作ったのだというそれは、その頃のカトゥラにもまだ少し大きかった。

『可笑しいでしょう? 三つの子供に、こんな大人びたデザインで。貴女は絶対将来美人になるから、似合うはずだって言って譲らないのよ。でもやっぱりまだ早いと思ってずっとしまってあったの。あの人ね、口癖みたいに何時も言ってたわ――』

 

 突然、カトゥラの動きがぴたりと止まった。

 ライラスは目線を髪飾りに向けたまま硬直した彼女を不思議そうに見つめた。

 するとその彼女の頬に少しずつ赤みが差していく。

 一体何が、と訝しく思った時、カトゥラは突然赤くなった顔をぱっと両手で覆った。

「あの……大丈夫か?」

「……れない」

「え?」

 カトゥラは小さく何事かを呟くと、ぷるぷると両手を下ろし、ライラスへと視線を向けた。

 その頬はほんのり赤く染まったままだ。

 ピンク色の唇は何かを堪えるように固く引き結ばれ、形のいい眉は切なそうに寄せられていた。

 隣の席に座っていた男がうっとりと彼女の横顔を見つめ、ついでにライラスにも憎悪の視線を向けてくる。

 世の中の理不尽さを肌で感じながら、ライラスはカトゥラを促した。

「どうかしたのか?」

「……どうもしないわ。その、あ、愛称……みたいなのを一つ、思い出したのよ」

 それでどうしてこんな反応になるんだ、と突っ込みたいところをぐっと堪え、ライラスはカトゥラに手招きされるまま彼女の方に耳を寄せた。

 

「……いい、……ティよ」

「え?」

「……だからっ、か、かわっ」

「かわ? って、いてててて!」

 聞き返した途端、その耳をぐいと引っ張られ、ライラスは思わず悲鳴を上げた。その耳に素早く言葉を投げ込むと、カトゥラはぱっと身を離した。その頬はまだ赤く染まったままだ。

「わかった!?」

「うう、はい……」

 何でこんな目に、と思いながらライラスは耳を擦る。きっとこの耳も彼女の頬と同じように赤くなっているだろうと思った。

「絶対、周りに聞こえないように言ってね!」

「なんでそんな……そのくらい、彼氏とかにも言われてるんだろ?」

「彼氏に言われるのと自分で言うのとは違うのよ!」

 どうやら彼女なりの羞恥心の基準というものがあるらしい、とだけライラスは判断し、ため息を吐いた。

(彼氏は良くて、父親の言葉を自分で言うのはだめなのか? 女ってわかんねぇ……)

 だが面と向かってそれをカトゥラに問う勇気はライラスにはなかった。

 気弱な彼は再度髪飾りに意識を向け、口の中で小さく呟くようにしてその言葉を唱えた。

 

「……可愛いカティ」

 

 ――だが、今度も変化は起こらなかった。

 ライラスは何度かその言葉を唱えてみたが、やはりだめだった。

 唱える度にカトゥラがこちらを睨んでくる視線が怖い。

「だめだな……これじゃないんだ」

「そんな……それ以外もうわからないわ」

 ライラスは腕を組んで首を捻る。鍵の言葉がない事にはこの護符の修理も無理な話だ。

 直せないとなると、この石を浄化する事で中の魔法陣を全て消し去り、新しい魔法を組み込むしか修理の方法はない。

 その方法なら鍵の言葉がなくてもできるのだが、そうなると今度はこの護符は以前のものとは全く別のものになってしまう。

 それにカトゥラが納得するかどうかが問題なのだ。

「何か、他にないかなぁ。今の奴の前後とかに何かついてるとかさ。何でも試すだけ試してみたら、一つくらい当たるかもしれないし……」

 ライラスが熱心に語りかける言葉を聞いて、カトゥラは更に考えた。

 考えて考えて、そしてついにもう一つだけ、思い至った。

 

「……」

「あの……どうかした?」

 再び固まったまま動かなくなったカトゥラに、ライラスは恐る恐る声をかけた。

 彼女は厳しいとさえいえるような真剣な表情で、テーブルの上に置かれた髪飾りを見つめている。

 すると突然その目元がほんのりと赤く染まり、じわりと潤んだ。

「い!?」

 

 カトゥラはぎゅっと一瞬目を瞑ると、ぐいと手の甲で目元を拭い、それから鞄から手帳とペンを取り出して何かを書き付ける。

 それからその手帳をビリ、と一枚破り、ちぎった紙を小さく折りたたんでライラスへと差し出した。

「これ、帰ってから試して。これで駄目なら諦めるわ」

「あ、ああ……わかった」

「じゃあ、お願いね」

 驚いているライラスを横目に、カトゥラは荷物を持つとさっと立ち上がりカツカツと歩きさる。

 その後姿はどうにも声を掛けられる雰囲気ではなかった。

 ライラスは今の出来事が何だったのかわからぬまま、ため息を吐いて手の中の紙片を見下ろした。

「……女って、わからねぇ」

 小さく呟かれた言葉が、彼の心境の全てを言い表しているようだった。

 


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