冬の贈り物3
「お、なぁなぁ、これなんかどうだ?」
一番街から少し外れた通りにあるこじんまりとした雑貨屋の店内で、隣の友人に声をかけたジェイは笑顔を浮かべて手に持ったものを掲げて見せた。途端にその友人の口から深い深いため息が零れる。
広くない店の中には所狭しと様々な雑貨の類が並び、それらの周りには彼らの他にも贈り物や帰省の為の土産を買い求める人達が幾人かいた。
新年の贈り物用の小物の類が並ぶ棚の前で、もう幾度も繰り返されている少年二人のやりとりを耳にした客や店員がくすりと笑いを噛み殺す。店内の狭さ故に意識しなくても声が聞こえてしまうのだ。
そんな事は気にもせずにため息を吐いた黒髪の少年は、嘆かわしいとでも言うように重々しく首を横に振った。
「……最低の趣味だな」
「うっ、ひでぇ! そこまで言うほどか!?」
ジェイは手に持っていた毛糸の手袋を振り回してディーンに抗議をした。
目の覚めるような赤いミトン状の手袋と、その甲に白い毛糸で編みこまれた可愛らしい顔の雪だるまが乱暴な扱いに伸び縮みする。ディーンは店員に咎められる前に軽く手を上げてジェイの動きを止めた。
「商品を振り回すな。大体それを誰に渡す気なんだ」
「おっと、やべ。誰にって、そりゃシャルにどうかなってさ」
「……殴られてもいいならそれにすると良い」
ディーンは眉間に皺を寄せてこめかみを指先で押さえながらそう応えた。その様子を見ればこれを渡した場合の顛末が流石にジェイにも予想できるというものだ。
ジェイは肩を小さくすくめると、手に持った手袋を諦めて棚に戻した。
「やっぱ駄目か……赤い色だから似合うかなと思ったんだけどなぁ」
「お前の基準は色だけなのか、全く……そもそもあれはどう見てももっと幼い子供用だ。サイズもデザインも全く合っていないだろうが」
「そんなもん見ただけで良くわかるなぁ」
「わからない方がどうかしている。シャルの物を選ぶなら、その棚よりこっちの棚の方を見ろ。棚によって明らかに対象年齢が違うだろうが」
ディーンはジェイの腕を掴み、ぐいと引っ張って自分の見ていた陳列棚の前へ立たせた。
確かにそこには落ち着いた色合いの毛糸の小物や、艶やかな革で作られた手袋などが並んでいる。
模様も飾りも少なく、柔らかな毛の縁飾りや控えめなリボンや簡単な刺繍などがついているくらいの品がほとんどだ。
華やかさという点ではさっきまで見ていた棚よりも大分見劣りするようにジェイには思われた。
「地味じゃねぇ?」
「これが普通だ。悪い事は言わないからここから選べ」
そう言われて仕方なくジェイは棚に並んだ商品を端から手に取って眺め始めた。
しかししばらく眺めているうちに段々どれも同じに見えてくる。
興味の薄い人間にとってそれらの商品ごとの差異はごく僅かで、その優劣がジェイにはさっぱりわからないのだ。
ジェイは助けを求めるかのようにディーンに視線を向けた。
「……シャルならこの辺だ。革なら黒より茶が好きなはずだ。毛糸なら落ち着いた臙脂のような色か、白やクリーム色にしてやれ」
ディーンはため息を吐きながらも手袋やマフラーといった幾つかの小物を棚から選び出してやった。ジェイは嬉しそうにそれらを見比べ、礼を述べた。
「悪ぃ、助かる。お前んな事まで良く知ってるなぁ」
「普段の相手の服装を見ていれば何が好みかくらいは見当がつく。もう少し注意深くなれ」
「へいへいっと。そもそも俺こういうの選ぶの苦手なんだよな。毎年家族にはカードで済ませてきたしさ」
学校に通うくらいの年頃では新年を一緒に過ごす相手は普通は家族や親族だ。
親達のような大人は子供に多くを望んだりしないから、子供達が用意するのは他愛のないお菓子か手書きのカードなどと相場が決まっている。
当然ジェイもその例に漏れず、祖父母を中心とした家族には毎年カードを贈っていた。
けれどジェイは今年は面倒を避けるために実家に帰らないつもりでいた。もうその事は祖父母には手紙で伝えてある。
毎年の実家での堅苦しく居心地の悪い集まりを思い出すと、それに参加しなくていいというだけでジェイの気分は軽くなる。
去年はシャルと一緒だったが、彼女の事情もあり新年どころではなかった。
だから仲間達と初めて過ごす新年を、彼は密かに楽しみにしている。
だがそんな彼の前に立ちはだかったのが、この新年の祝いの為の買い物、という訳なのだ。
「お前の場合は根本的に相手の事をわかっていなさ過ぎる。何年付き合っているんだ」
「そうは言ってもさぁ。女ってしょっちゅう好みが変わるし、ついてけねぇって。何でもすぐ可愛い可愛いって言うから、可愛いのならいいかと思うだろ?」
「口では可愛いと言っても自分が身に着ける物となれば別に決まっているだろう」
「その辺が俺にはさっぱりわかんねぇ……」
女心の複雑怪奇さにジェイは深々とため息を吐いた。
そもそもジェイは自分の身の回りの品にすらかなり無頓着な性質だ。
必要な物があっても面倒だからという理由で街までは行かず、買い物は学園の購買で手に入る何の変哲もない安いだけの品々で済ませてきた。
数少ない例外がシャルをはじめとした友人達の誕生日などの贈り物だが、今年はついに当の本人にいい加減同じものを贈るなと怒られたくらいだからその趣味もおのずと知れてくる。
そういう訳で今回の新年の祝いの為の買い物は、ディーンに頼み込んで手頃な店に連れてきてもらったのだ。
値段にも質にも拘る性質のディーンは街の事も良く知っている。
普段誰とも物を贈りあうほどの親密な付き合いなどしていないくせに何でそんな事ばかり良く知っているのか、という疑問を素直に彼に投げたジェイは、危うく街中で置いてきぼりにされるところだったりしたのだが。
「なぁ、こっちの手袋とマフラー、どっちがいいと思う?」
「……手袋だな」
「おっし、んじゃこれにしよう。後はアーシャのなんだけど……」
「シャルが彼女にはマフラーを選ぶなと言っていたな」
「ああ。同じ物にならないようにってのはわかるけど、横暴だよなぁ。俺らには腹巻くれるとか言ってたけど、多分本気だぜあれ」
「……そんなものを貰っても困るのだが」
「そういうことは本人に言ってくれよ。それより何にするかなぁ」
マフラーの方が楽なのに、とぶつぶつ言いながらジェイは棚を眺めた。
しかしシャル以上にアーシャの好みが良くわからず、すぐにまた縋るような視線を隣に向ける。
その視線を受けたディーンからは、諦めたようなため息と共に、幾つかの候補がひょいひょいと手渡された。
「アルシェレイアの基準は可愛いとか可愛くないとかそういう範疇外にあるのは確かだ。実用で選べ。手触りの良い物、丈夫な物、暖かい物などだな」
「わかりやすいなぁ。じゃあこれどうだ?」
ジェイが選んだのは鶯色の毛糸の手袋だった。
控えめではあるが縁に白い毛糸で編みこみ模様が入っていて可愛らしい。
マフも兼ねているのか、腕を覆う部分が随分と長くてゆったりしている。指先には穴が開いていて指の半ばまでしか覆っていなかったが、その上から被せられるミトン状のカバーが手の甲にボタンで留められている。ボタンを外せばミトンになるという物らしかった。これなら相手の手が多少小さくても不自由はなさそうだ。指先が器用なアーシャには良く合っていそうだった。
「……お前にしては趣味がいい」
「たまには素直に褒めろよ」
そもそもの選択肢を大幅に狭めてくれたのがディーンだと言うことは棚に上げてジェイは唇を軽く尖らせた。
文句を言いながらちらりとディーンの手元を見れば、彼が選んだらしい贈り物がその手に握られている。
そこにはジェイがアーシャに選んだのと同じ色の毛糸がちらりと見えた。
「……」
どうしようもなく操られているような気分に襲われ、ジェイは軽く肩を落とした。
「はぁ……後はお前のか」
「私は別にいらない。どうしてもと言うなら食べ物にでもしてくれ」
「なんでだよ。せっかく俺がお前に、いつもしてる趣味の悪い陰気くさい黒のマフラーに代わるのをオススメしてやろうと思ったのに」
「お前にだけは趣味が悪いと言われたくないんだが」
その返答にジェイが肩をすくめると、ディーンは嫌そうな顔をしてため息を吐いた。
「この年になって、男友達からの贈り物がずっと部屋に残っていたり、それを身に着けたりすると思うとうんざりする気がしないか?」
「……納得した」
食べれば消えてなくなる物が良い、といういささか薄情とも思える友情に頷きながらも、ジェイは綺麗に畳まれて棚に並ぶマフラーに目をやった。
それからちらりと隣の友人の首元にも。
今日もディーンはいつもの制服に厚手の黒のコート、そして黒のマフラーという黒一色の姿だ。
黒のマフラーはディーンに似合ってないとは言わないが、重苦しい感じがするのは否めない。
彼は他人に関しては趣味がいいくせに、自身はまるで何かの戒めや当てつけであるかのように黒を好んで身につける。
多くの色の中から、闇を思わせる黒を選び続ける事がディーンにとって実用以上の意味を持つ事なのかどうか、ジェイは聞いた事はない。
ただその姿を見るたび、もっと似合う色があるのにと密かに思うのみだ。
(例えば、あの端っこにある青いやつとかさ)
目の端に映る、暮れかけた空のような鈍い青のマフラーはきっとディーンに良く似合うような気がした。
そんな事を考えていたジェイは一つ気になる事があったことを思い出し、ディーンに向き直って問いかけた。
「そういえば……確か新年くらいは、お前の母親も会いに来るんだろ?」
ジェイの口から出た言葉にディーンはわずかに眉をしかめた。
けれど彼はすぐにそれすら打ち消し、首を横に振る。
「基礎学部まではそうだったが、上級に上がってからは来ても会わないと告げてある」
「そうなのか? 上級って……じゃあ、もう何年も?」
「会っていないな。会ったからどうだと言うわけでもないし、己の罪悪感を薄める道具に使われるのは不愉快だからと断った。それだけだ」
毎年、新年の休暇が終わるぎりぎりの頃にディーンの母親が彼に会いに来るのだとジェイが聞いたのはもう随分昔の事だ。
何の感慨もない、いっそ煩わしいと暗に語る彼の態度はその頃から何も変わらない。
会いに来ると聞いたけれど、ジェイでもまだ一度も見たことがないディーンの母は、手紙で日時を指定してアウレスーラの街の宿屋の一室に彼を呼び出すのだという。
「別に何を話す訳でもない。いつも何かしら持って来ていたようだが、受け取った事はないしな」
「贈り物も受け取らないのか? 何で?」
「見知らぬ他人から物を貰う趣味はない。気持ちが悪いだろう」
実の母を他人と切り捨てるディーンの表情はピクリとも動かなかった。
心の底からそう思っているらしい友人の横顔をじっと見つめて、ジェイは胸の内にため息を隠す。
友人の中にある溶けない氷の塊に、ジェイはいつも手を伸ばせない。伸ばせない事が情けなく、悔しいと今までにも何度も思った。
けれど不用意に手を伸ばしたが最後、ディーンはジェイですら躊躇いなく切り捨て背を向けるだろう。
それがわかる程の付き合いだからこそ、ジェイはいつも何も言わなかった。
「寂しくないのか」
それでも時々、愚問だと自分でもわかっている問いが思わずこうしてその口から零れてしまう事がある。
ディーンはそんなジェイの心中に気付いているのか、少しだけ笑みを浮かべて首を横に振った。
「お前はいつもそれを言う。何度も言ったろう、ジェイ。寂しいというのは、寂しくない状態を知るから思うことだ。最初から何もなければ、そこに感情は生まれない」
今までに何度も繰り返した問答を、ジェイは少し俯いて受け止めた。
ディーンのこの言葉が、本当なのか嘘なのか、それとも彼が己を騙す為の欺瞞なのか、ジェイには未だにわからない。
いつもその答えを聞くたび、いっそこのくらい強くなれたなら、何もかも切り捨てて歩き出す事が出来るのだろうかと頭のどこかで少しだけ考える。
けれど同時にその考えはディーンに対してひどく失礼な気がして、ジェイは頭を軽く振ってそれを打ち消した。
ジェイは黙ったまま軽く肩をすくめ、つまらなそうな顔をディーンの方に向けると、べぇと舌を出して顔をしかめた。
「ちぇ、お前は相変わらず冷たいよなぁ。俺はお前と違うから辛気臭いと寂しいんですぅ。お前に客がないなら丁度良いや。今年はせいぜい付き合ってもらうからな!」
おどけたようなジェイの言葉と仕草にディーンは苦笑いを浮かべる。
「……仕方ないな。まぁ程々にしてくれ」
「へいへい。気が向いたらな」
気のない返事を返しながらジェイは手に持った品を持って店員の方へと向かった。
二人が店の外に出ると、街はもうすっかり夕暮れの気配を漂わせていた。
あっという間に傾く冬の太陽を追いかけるように、家々の窓には火が灯り始めている。
何処からともなく漂ってくる夕餉の匂いに、ジェイの腹の虫が正直な反応を返した。
「腹減ったなぁ。早く帰ろうぜ」
「ああ」
夕暮れの中、急いで家路を辿る人達に混ざりながら彼らも歩き出した。
お腹は空いても寮の食事の時間は変わらない。特に急ぐ必要もない二人はのんびりと街を歩く。
白い息を吐きながら、ジェイはしばらく黙ったまま足元の長い影を眺めていた。
寮が見えてきた頃には大分周りの人も少なくなってきた。ジェイは辺りをくるりと見回すと、ディーンに顔を向けた。
「ディーン」
「何だ?」
ジェイは不意に手に持っていた簡素な包みを、ぽいとディーンに向かって放り投げた。
咄嗟に手を伸ばしてそれを受け取ったディーンは、軽い包みを手にして訝しげな顔をジェイに向けた。ジェイはその顔を見て笑いながら言った。
「それやるよ。新年のとかじゃなく、えーと、その、なんだ……予備?」
「……予備?」
「そうそう。お前のマフラー、黒だから汚れが目立たないだろ? きっと知らないうちにすっげー汚れてるから、たまには洗った方がいいぜ。だから、それはその時に使う、予備」
「……苦しいな」
「うっ、ほっとけ! いいから、黙って受け取れっつーの!」
慌てるジェイを見てディーンはくすくすと笑った。
そのまま、黙ってその包みを脇に抱えていた袋に入れる。
そしてその代わりに同じような包みを取り出し、お返しとばかりにジェイに放った。
受け取った包みは、ジェイがさっき投げたものと同じくらいの大きさと軽さだった。
「何だ?」
「だから、予備だ。そうだろう?」
いつの間に、と自分の事は棚に上げてジェイは呆れたような顔を浮かべた。
それと同時にどうしようもなく可笑しさがこみ上げて、笑いが零れる。
「お前ってなんか……素直じゃないよなぁ」
「お前が明け透け過ぎるだけだ」
「お前が捻くれてるだけだろ」
「奥が深いと言ってくれ」
二人はいつものように軽口を叩きあいながら寮への道をまた歩き出した。
暮れ始めた空はジェイが選んだマフラーのような青い色だった。
その空を見て、あのマフラーが自分やディーンにとっての小さな変化への始まりにでもなればいいのに、とそんな事をジェイは思う。
前の冬の休暇に泣いていた幼馴染は、今年は赤い髪を揺らして鮮やかに笑っている。
去年いなかった新しい仲間も出来た。
あまり代わり映えのしなかった己を取り巻く毎日が、今年は随分変わってしまった気がした。
けれど変化は恐ろしくない。
恐ろしいのは変わらない、変われない事だった。
(変わりたい)
新しい年への小さな願いを胸に、ジェイは変わらない道を辿る。
同じように見えて、少しずつ違う一日が今日もゆっくりと過ぎる。
「来年は、どんな一年になるかな……」
「そうだな……出来れば退屈のない、騒々しい一年になるといいな」
ディーンから返って来た、そのらしくない言葉にジェイは思わず笑みを浮かべた。
いつの間にか夕暮れの空はその色を深め、彼らの頭上には一番目の星が姿を見せ始めている。
やがて来る新しい一年が、ジェイは心から楽しみだった。