水底に沈む庭2
街で買ってきた軽食で昼食を済ませた後、四人はそれぞれに手分けして野営のためのテントを立て、それから辺りを散策することにした。シャルとジェイは泳ぎたいと言って立てたばかりのテントに着替えに入り、アーシャとディーンは明るいうちに目的を果たそうと周辺の石を拾い集めては確かめるという作業を始める。
しかし思ったよりも落ちている石は少なく、アーシャはやがて作業の手を止めて首を傾げた。
「あんまりないね。前に来たときはもう少し色々あったと思ったんだけど」
「黒曜石などもあると言っていたが……小さな欠片しか見当たらないな」
「たまに教授とかが研究の為に取りに来ることもあるらしいから、その後だったのかも……ちょっと待ってね」
そういうとアーシャは河原から離れ、近くにあった大きな木に近寄り、その幹にコツンと額をつけて目を瞑った。それをディーンがしばらく眺めていると、アーシャは何か分かったらしく不意に顔を上げ、残念そうな顔を浮かべて振り向いた。
「やっぱり少し前に誰か来たあとなんだって。ここの石は上流から流れてくるものが堆積したり、強い水で下に埋もれてたのが表面に出てきたりしたものが多いから、雨が降ってない最近は少ないんだって」
「そうか……残念だな。ならば上流へ行けば手に入るだろうか?」
「それは聞いてみるね」
もう一度アーシャは木々に問いかける。木々はその場所を動くことはないが、彼ら独自の広い繋がりを持っている。川などで大きく切り取られたりしない限り、様々な情報をやり取りすることが出来るのだ。
アーシャの問いに対する答えは明確な声としてではないが、大きな意思としてその耳ではないところに届いた。
「んと……上流は、行こうと思うと大分時間がかかるからやめた方がいいって。けど、水の中に望むものがあるんじゃないかって」
「水の中に?」
ディーンが振り向くとシャルとジェイと目が合った。二人はいつの間にか戻ってきていたが深い滝壺を敬遠してかそちらには入っておらず、そこから流れる川の緩やかな場所で水に浸かって涼みながらこちらを見ていた。山に近い川の水はひんやりと冷たいが、泳げないほどではないらしい。
「石? 拾って見た方がいい?」
ディーンの視線を受けて水の中の二人が足元を眺める。けれどアーシャは首を横に振った。
「川の方じゃなくて、あっち。滝壺の方」
「滝壺? けど大分深そうだったぜ。危なくねぇ?」
「私もさっき覗いたが、底ははっきりと見えなかった。無理ではないか?」
普段は抑制してあるとはいえ、目のいいディーンが覗いても揺らめく水底ははっきりとは見えなかったのだ。
木々の影が濃く、滝のせいで水面が始終揺れているせいでもあるが、深いことは間違いないだろう。
アーシャは三人の問いかけに答えず川に近づくと、その流れに手を浸してまた目を瞑った。
「……ん、あのね、やっぱり滝壺の中には流されずに溜まった石が結構あるって。それに、潜るなら力を貸してくれるっていうから、大丈夫」
「水の精霊が?」
「そう。水の中でも流されたり、溺れたりしないようにしてもらえるから、平気だよ。ちょっと行ってくるね」
「それならいいが……私も一緒に行っても?」
「あ、それ俺も行きたい!」
「私も……泳ぎはあんまり得意じゃないけど、行ってみたいわ」
その希望にアーシャがもう一度水の精霊と対話する。しかし精霊の返事はあまり良いものでなかったのか、顔を上げたアーシャは困った表情を浮かべていた。
「一度に何人もは無理だって。私と、もう一人くらいしかだめみたい。あと……シャルは、火の性質が強すぎるから、水の精霊が力で囲むのは難しいんだって」
「えええ、そんなぁ……」
「ごめんね、シャル」
自分の性質故に楽しそうなことに参加できないと知ったシャルはがっかりと肩を落とした。
その彼女の様子にアーシャもまた肩を落とす。
「それじゃ仕方ねぇな。いいじゃん、どうせ俺らはおまけでついてきただけなんだからよ」
「そうね……そういう事じゃしょうがないわよね。いいわよ、二人で行ってきて。私はジェイとここで留守番してるから」
「俺もかよ!?」
「いいじゃないのよ! どうせアーシャともう一人しか一度には駄目なんだから、私に付き合いなさいよ! 一人じゃ退屈だし、心細いじゃないの!」
「なんかあったら全部焼尽くす癖に、心細いとかねぇだろ!」
またぎゃあぎゃあと言い争いを始めた二人は、今度は水辺という事もあり水の掛け合いもし始めた。傍から見ているとどう見てもただのじゃれ合いで、とても楽しそうだった。
そんな二人を前に顔を見合わせたアーシャとディーンは、じゃあ行こうか、うむ、と声に出さずに語り合い、滝壺の方へと足を向ける。
「荷物は置いて行かなきゃね」
「そうだな、ならば着替えを……」
川に行くんだから川遊びしようぜというジェイの意見を取り入れ一応水に入れる服を持ってきたディーンはそれを取りに行こうと考え、アーシャにそう声を掛けようとしたところでピシリと固まった。
目の前では少女がポイポイといつものマントを脱ぎすて、腰のバッグを外し、靴を放り投げ、チュニックから頭を抜こうともごもごしている。
それを見たディーンが固まっている間にアーシャは上が袖なしの薄い下着一枚になると、履いているズボンにも手を掛けた。
「ア、アルシェレイアッ!」
「へ?」
「何、ディーン、どうし……って、アーシャ! 何でそんなとこで脱いでるのよ!」
「え、何……ぶわっ!?」
最後の言葉はシャルの声に思わず振り向こうとしたジェイが彼女によって水に沈められた叫びだった。
ディーンはその叫びを聞きながら、頭痛を堪えるように額を抑えながらも礼儀正しく視線を逸らす。シャルは慌てて水から上がり、その剣幕にびっくりしているアーシャを素晴らしい速度でひっ捕まえると、落ちた服を手に少女をテントへと連れ去った。
ゴホゴホとせき込みながらジェイが顔を上げると、そこには珍しくも途方に暮れたような顔をしたディーンが所在無げに佇んでいたのだった。
しばし後。
シャルに散々女の子の常識や慎みについて説教をされたアーシャがテントから出てくる。身に着けているのは用意のいいシャルがアーシャの分まで用意していた水着だった。
水着とはいっても、水に入っても動きを妨げない布を使って、比較的体にぴったりとするよう作られた袖なしのチュニックに似たシャツと、股の半ばくらいまでの長さのズボンだ。アーシャの物とシャルの着ている物は色違いのお揃いだが、ディーンやジェイはそのズボンタイプの水着の男性用の物だけを着用している。
ちなみにこれならさっきの下着姿とそんなにかわらないのに、と言ったアーシャの言葉は既にシャルに盛大に却下されている。
「別にさっきのでいいのに……」
「絶対だーめ!」
ぶつぶつと未練がましく呟きながら姿を現したアーシャに、すかさずシャルのダメ出しが入る。ディーンとジェイはそんなシャルを心の中で珍しく応援しつつもこの件に関しては静観を決め込んだ。何か言おうものならシャルの矛先が二人に向かうことは確かだからだ。
「まったく、アーシャったら。こんなことなら去年の山小屋で、もっと気を付けておくんだったわ」
「あそこの川は泳ぐほどの深さじゃなかったからなぁ」
「そうなのよね。水着も準備してなかったから誰も泳がなかったし、着替えは別々の部屋を使ってたから油断してたわ……」
出ているところがまだ全くないと言える少年のように痩せた体でも、一応女の子なのだ。
まだまだアーシャには教えることが色々ありそうだとシャルは決意を新たにし、そんなシャルの厳しい視線から逃れるようにアーシャは慌てて滝壺へと走って行く。
ディーンも少女に続いて静かに水に入り、二人は水辺から見守るシャルとジェイに手を振った。
「じゃあ、行ってくるね」
「長引くようなら時々は上がってくることにする」
「そうして。一応心配だし」
「石がいっぱいありすぎたりしたら呼べよ。受け取るから」
ジェイの言葉に頷くと、アーシャはディーンの腕を掴んで滝壺へと更に近づいた。
この滝とその周辺は少し変わった形をしいて、外側は浅かったのだが少し中心によるとぽっかりと丸く穴が開いたように唐突に深くなっているようだった。アーシャは足の届かない深い場所の淵までまで行って下を覗き込むと、そっと体を浮かせて軽く立ち泳ぎをする。そして隣で同じように浮かんでいるディーンに短い時間でいいから息を吸って止めるように指示をした。
ディーンは言われた通りに息を吸いこみ、そしてアーシャが目を瞑る。
次の瞬間、ディーンはふっと自分の体から浮力がなくなるのを感じた。
「っ!?」
ゴボン、と鈍い音を立てて二人の体があっという間に水に沈む。まるで重りがついているかのように、あるいは水の中ではなく、深い穴にでも落ちたような勢いで。
思わず目を瞑り体を固くしたが、そのディーンの腕をアーシャの小さな手がポン、と叩いた。
それを合図ととったディーンが目を開けると、そこには自分の手を取りにこりと笑うアーシャの姿が見えた。
水のせいか少し歪んでいるが、そのいつもと変わらない様子にディーンは緊張を解く。
余裕を取り戻して辺りを見回せば、ディーンは自分と少女の顔の周りが空気の玉に覆われていることに気が付いた。アーシャが身振りで息をしても大丈夫だと示すので、ディーンは恐る恐る止めていた息をゆっくりと吐き出し、その空気の玉の中でなら、普通に呼吸ができることを確かめる。
(これが、水の精霊の力か)
水の中から湧き出した泡がぽよん、とディーンやアーシャの顔の周りの空気にくっついては、吐き出した呼気が泡となって千切れて上に出ていく。何とも便利なことだとディーンが感心していると、アーシャが彼の腕をそっと引いた。
引かれるままに任せると、やがて足がふわりと水底の砂に触れる。やっと下に着いたことに内心で安堵しながらディーンが上を見上げると、水面は思っていたよりも遠かった。
水面までの高さはディーンの二倍か三倍くらいは軽くありそうに見え、深いところまで降りてきたことを実感する。
ディーンはその遠い水面を見上げ、ほう、とため息を一つ吐いた。そのため息もすぐに泡になって彼の周りを離れ上へと登って行く。
(……綺麗だ)
それがディーンの抱いた素直な感想だった。水の底から見上げる水面の、なんと美しいことだろう。
深い水の底は暗いと言って良く、そこから見上げる水面は光が煌めく別の世界の様だった。響くのは滝の水が落ちるごぼごぼとくぐもった水音だけ。その音は大きいはずなのに、それだけしか聞こえない水の中は逆に静かにすら感じられた。
落ちた水や昇る泡が水面に無数の小波を立て、それが木々の間から零れる光を拾って乱反射させる。
乱反射した光は水底に落ちてゆらゆらと揺れた。よく見れば揺れているのは光だけではなく、辺りに落ちる影もだった。木々の葉が風に吹かれて揺れるせいだろう。
その影を縫うようにして梯子のように降りる細い光の帯の間を、小さな魚達が飛ぶように泳いで姿を消した。
足元に視線を落とせば水面からここまで届いたわずかな光が水の底の砂をまるで砂金のように煌めかせる。光の当たる岩壁や底に溜まった砂の合間から顔をのぞかせる岩には僅かながら藻が生え、水の流れにその身を揺らしている。そこはまるで美しい小さな箱庭のようだった。
(……本当に、綺麗だ)
ずっとここにいたいような不思議な光景にディーンが見入っていると、アーシャがそんな彼を引き戻すようにトントンとつつく。
くいくいと手招きされるままにディーンがようやく少女に向き直ると、アーシャはここで拾ったらしい石を一つ、ディーンに差し出した。
手のひらにちょうど乗るくらいの黒っぽい石をディーンが受け取ると、アーシャは腰にぶら下げていた緑の石を握って彼に話しかけた。
(こういうの、この辺にいっぱいあるみたい。気になる石がないか、探してみて)
わかった、とディーンが頷くと、アーシャもまた辺りの探索を再開する。滝壺の中は緩い水の流れがあるが思ったよりもずっと穏やかで、水の精霊の助けもあって二人とも動くことに支障は感じなかった。
ディーンとアーシャは水底に溜まった砂をかき分け、手に触れる石を片っ端から拾ってみる。アーシャは用意してきたらしい布の袋に使えそうなものを適当にポイポイと放り込んだ。魔具作りにも使える物があるかもしれないからついでということだろう。
そうしてしばらく辺りを探索するうち、ディーンは不意に砂の中で手に触れた石の一つに、慣れた気配を感じた気がした。
それは冷たい水底にありながら、水よりも少しだけひんやりとしているような気のする何かで。
ディーンは思わず引っ込めた手を再度伸ばし、砂に埋もれたそれをもう一度探して掴む。
ぐっと引っ張ると大した抵抗もなく砂の中から姿を現したそれは、しかし一見何の変哲もない石であるように見えた。確かに色はア―シャが勧めた黒ではあるが、この水底に転がっている他の石と大差ないように思える。
けれどディーンは確かに、それに何か惹かれるものがあるような気がしたのだ。
しばし考え、それから一つ頷いて、ディーンはアーシャを振り返り彼女の背中を叩く。
振り向いた少女に手の中の石を見せると、彼女は頷いて、一度上がろうと上を指差した。
それに頷き返し、二人は水の底を蹴って上を目指す。水の精霊の後押しがあるせいか体は軽く、遠かった水面はあっという間に近づいた。
水面に上がると同時に顔を包んでいた空気の膜がパチンとはじけ、冷たい水が顔にかかる。
それをぶるぶると払いのけ、アーシャは水辺の岩にしがみついた。遅れてディーンも水面に顔を出すと、ほっとした顔のジェイの姿が見えた。
「お帰り。いいのあったか?」
「ああ。多分」
ジェイの手を借りてアーシャとディーンが水から上がると、テントの方からシャルの呼ぶ声がかかる。
「おかえりー! 温かいお茶入れておいたわよ。飲みましょ!」
「わ、ありがと、シャル」
水の精霊の力を借りていたとはいえ、冷たい水が温かくなるわけではなかったので、二人の体は少なからず冷えている。気の利く仲間達に感謝しながら、二人は体を簡単に拭くとシャルの熾した小さな火を目指して歩き出した。