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水底に沈む庭

 


「なぁ、アーシャ。雨ってさぁ、降らせられないかな?」


 夏に入りかけたある日の昼休み、ジェイはあらかた食べ終えた昼食から顔を上げ、魚料理を頬張る少女に唐突に問いかけた。

 今日は珍しく一緒に食事をとっているのはジェイとアーシャの二人だけだ。二人とも昼食を取ろうと歩いていて偶然行き会ったのでそのまま学生棟の中央食堂へと流れてきたのだ。シャルとディーンはそれぞれ用事があるらしく、同席してはいなかった。

 アーシャは食べた魚に入っていた大きな骨を避けながら、ジェイの突然の問いに首を傾げた。


「できないことはないけど……けど、ここではちょっと、無理かなぁ」

「ここでって、まさかこの食堂ってことじゃないよな? そうじゃなくて、この学園の上に降らせられないかなっていうことなんだけど」

 心配そうなジェイの言葉にアーシャが首を横に振る。さすがに食堂に雨を降らせるという話はないと言って少女は笑い、それから窓の外に視線を向けた。


「最近、もうずっと晴れだもんね。雨の増える季節のはずなのに」

「ああ、晴れてる日は好きだけど、さすがにこう続かれるとなぁ……」

 アーシャはそう言ってため息を吐くジェイを不思議そうに見やる。確かにこのところ例年よりも雨が少なく晴天が続いているが、それでもまだ別に異常気象を心配するほどの話ではない。雨が少ない年も多い年もある、という当たり前の変動の範囲内だ。

 初夏であるため気温も徐々に上がってはいるがまだ真夏の暑さというほどでもない。アウレスーラはもともと山や森といった環境が近く、土地の標高も高いので夏でも結構涼しい傾向にあるから、このまま気温が上がってもいつもより少し暑い夏という程度だろう。

 だからこそアーシャにはジェイのそのため息の理由がよくわからなかった。


「ジェイはむしろ雨の方があんまり好きじゃないって前に言ってなかったっけ?」

「あー……確かにそうなんだけどよ。俺のためじゃなくって、ほら、アイツがさ」

「あ、ディーン? 機嫌悪いの?」

「すっげぇ悪い。なんか、時々晴れた空を日陰から親の仇みたいな顔で見上げてるぜ」

 その様子が何となく想像できてアーシャはくすくすと笑った。晴れた日が嫌いなディーンにはここしばらく続く晴天はさぞ苛立たしいだろうと少女にも予想がつく。


「ディーンはいつも闇の精霊つれてるせいもあると思うよ。多分だけど……昼間でもディーンの傍にいてくれてた精霊が減ったとか、元気がないとか、そういうの感じて落ち着かないんじゃないかな」

「んなこともあるのか?」

「あるよ。本当なら昼の光があんまり強いと闇の精霊は外に出てきたがらないから。闇の精霊は夜の静けさとか安らぎに似た気配をいつも漂わせてるから、ディーンの精神を安定させる助けをしてくれてたのかもね」

「……イライラしたあいつに勉強教わったり、訓練一緒にやる俺の事も助けてくれねぇかなぁ」

 ジェイのその声にこもった切ない願いに、アーシャはどうしたものかと考えながらもう一度窓から空を見あげた。

 青い空はここから見える限りでは雲一つなく、目に眩しいほどだ。ディーンのような人にはさぞ優しくないだろうと思う反面、ジェイの提案に頷くことも出来かねる。


「雨を降らすことはできなくはないけど、前に森で言ったように周囲にしばらく影響を残すんだよね。それに、この学園でやると多分教授達に察知されて、怒られる気がする」

「ああ、なるほど。それでここでは難しいって言ったのか」

「うん。また追いかけまわされてもやだし」

「そうだなぁ……やっぱだめか」

 がっかりして肩を落とすジェイを見ながら、アーシャは考えを巡らせた。

 ディーンの不機嫌の原因が天気が続くことよりも傍にいる闇の精霊の不調にあるのなら、解決する方法がなくはないのだ。


 アーシャはちらりと自分の腰にぶら下がる緑の石に目を落とす。これを手に入れて身に着けるようになってから、自分や仲間の近辺に風の精霊が増えたことを少女は知っていた。風の力を強く秘めたこの石の傍は彼らにとって心地良いらしいのだ。


 杖や護符のように、魔法を使う時の媒体に石を使うことにはそれなりの理由がある。

 詠唱魔法を使う時は、媒体には自分の力を増幅したり制御しやすくしたりという魔法を仕込む加工が必要になる。石はその加工がやりやすく、種類や色、使う本人との相性を良く考えて選べば、それらの効果をより増幅する性質がある。

 精霊魔法を使う時は、媒体には彼らを身近に呼び寄せ力を借りやすくする効果が必要になる。彼らの気を引くもの、宿りやすいもの、力を通しやすいもの。精霊が自分と波長の合う色石を好むということは実証されており、その点で宝石や貴石は媒体としていうことはないのだ。


 つまりは、ディーンの傍に闇の精霊がより居やすくするための媒体を用意すればいい。闇の精霊に対してなら、黒い石を用意するのが良いだろう。

 残る問題は、この大陸では黒い石はあまり好まれないため街の店で手に入れるのが面倒だ、という点だ。


「武術学部ってさ、一日か二日くらい休みを取れたりする?」

「ん? まぁそのくらいなら大丈夫だと思うぜ。選択授業はずらして取ればいいし、必修は届け出ればある程度融通が利くし」

 夏の休暇まではまだ間があるが、休養日を一日使いその前後の授業を調整すれば二日程度の休みなら簡単に取れるはずだ、とジェイは説明してくれた。


「じゃあディーンを連れ出しても大丈夫かな」

「あいつなら普段の授業態度や成績から考えても絶対大丈夫だな。どっか行くのか?」

「うん。夏に使う森の小屋あるでしょ。あそこの傍を流れてた川をずっと遡ると小さい滝があってね、その辺りで結構色んな石が取れるんだよ」

「石? 何に使うんだ?」

「ディーンが闇の精霊を傍に置きやすくするための媒体に使ったらどうかと思って。そういうのがあると、闇の精霊も楽になるから喜ぶはずなんだよ」

 学園の傍から山脈の麓まで続く森は非常に広大で学生も出入りは自由となっている。もちろん学園より離れればそれだけ野生の獣と出くわす危険も増えるが、アーシャがいるならそういう心配はないと言っていい。

 心配なのは見つけられる鉱物の質の方だ。売っているものと違い、原石そのままの場合は魔石として媒体にできるかどうかの判断が難しい。それならいっそディーン本人を連れ出して、自身と波長の合うものを探させた方がいいとアーシャは考えたのだ。


「黒水晶とかがあるといいんだけど、無理でも黒曜石くらいならあったと思うし。ちょっと脆くなるから加工が必要だけど相性はいいはずだから、あとは本人次第かな」

「なるほどなぁ。じゃあ後でディーンに話しておくよ。アイツの気分転換にもなるだろうしな」

「そうだね。じゃあ私も案内できるように授業の調整しておくね」

「ああ、よろしくな!」


 などという話をジェイとアーシャがしてから数日後。




「で、なんでお前がいるんだよ」

「何よ、何か文句あるの? アーシャにはちゃんと言ったわよ」

「そういうことは俺らにも言えよ!」

「そういうあんたこそ、別に行く必要ないじゃないの! 必要なのはディーンだけでしょ!?」

「俺が相談持ちかけたんだから、着いてったって当然だろ!」

「そんなこと言って、単にサボりたいだけじゃないのよ!」


 待ち合わせたアーシャの家の前で始まったいつもの二人のやり取りを聞きながら、アーシャは傍らに立つ黒い少年をそっと見上げた。

 初夏になってから変わった夏仕様の制服に身を包んだ彼は、確かにジェイが嘆いていた通り不機嫌そうだった。それでも今はまだ夜が明けたばかりの時間のせいか近寄り難いというほどではない。

 学園の男子の制服は寒い季節は青いラインの入った黒いジャケットが基本だったのだが、暑い季節はジャケットがなくなり、白いシャツにラインの入ったものへと変わっている。ディーンの場合ズボンだけが本人の強い意思によってか真っ黒い。

 いつものように黒いジャケットや黒いコートを身に着けることが出来ないことも、ディーンの不機嫌の原因の一つなのだろう。


「精霊、少ないね」

「……ああ」

 ディーンの周りやその体の作る影に目をやれば、思った通りそこに宿っていたはずの闇の精霊がいつもより大分数を減らしていることが見て取れる。

 心配そうにアーシャがまた見上げると、ディーンは薄く笑って手を伸ばし、少女の髪をふわりと撫でた。

「夏はいつもそうだとわかってはいるんだが、未だにあまり慣れない。すまないな」

「ううん、私は別に。気持ちはわかるしね。ディーンの周りの精霊、去年からするとだいぶ増えてきてたもん。それが急にいなくなれば、イライラしてもしょうがないと思うよ」

「増えていたのか?」

「うん。結構ね」

 そこまで語るとアーシャは大体落ち着いた言い争いに目を向けた。

 ジェイががっくりと項垂れているところを見るといつも通りシャルの勝利で終わったのだろう。

 どんなやり取りが成されたのか、シャルは嬉々として自分の荷物をジェイの肩に掛け、それからそれを見守っていた二人を手招いた。


「さ、行きましょ!」

「うん。じゃあ、行こうか」

「ああ」

「二日分の荷物くらい自分で持てよな……」

 こうして四人は朝の気持ちの良い空気の中、久しぶりに森へと足を踏み入れたのだった。





「やっぱり気持ちいいわねぇ」

 澄んだ森の空気を思う存分吸い込みながらシャルは機嫌のいい声を上げた。

 シャルのような火属性の強い人は夏はとにかく元気がいい。

 逆にその元気の良さがイライラするのか、ディーンは彼女とは一定の距離を取りながら歩いている。うっかり不毛な言い争いに発展したりしないように近づかないつもりでもあるのだろう。

 そういえばこの二人が盛大に喧嘩するのは、大抵こういう天気の良い夏の日だった気がするな、とジェイは思い返し、しみじみとため息を吐いた。


 シャルとディーンの喧嘩は夏以外は不発に終わることがほとんどだ。ディーンはジェイのようにシャルに対して真っ向から受けて立つことはあまりしないからだ。その彼が口喧嘩を受けて立つということはすなわちディーン本人が非常に機嫌が悪く、受け流す気分でないということの表れになる。

 自分がシャルと言い合いしてるとディーンはいつも静観するだけで決して間に入ってはくれないくせに、どうしてシャルとディーンの言い争いの時には自分が間に入らなければいけないのか。

 入る自分が悪い、という事は置いておいて、一抹の理不尽さを感じずにはいられないジェイだった。

 そんなジェイの内心を知ってか知らずか、先頭を歩くアーシャが、もうすぐ小屋が見えると三人に告げた。

 小屋の傍の川にそって上流へと向かい、滝に着いたら今日はそこで野営をすることになっている。

 荷物は二日分ほどしか持ってきていないので二人分背負っても軽いのだが、隣を手ぶらで歩くシャルを見ているとなんとなく切ない気分になる。

 彼女は絶対自分のことを歩く荷物掛けくらいに思っているに違いない、とジェイはまたため息を吐いた。




「もうすぐ着くよ」

「ほんと?」

「うん。滝の音がする」

 アーシャの言葉に三人は耳を澄ませたが、彼らの耳にはまだ滝の音は届かなかった。聞こえるのは鳥達が交わす賑やかな歌声と、すっかり色を濃くした木々が葉を揺らす音だけだ。

 川に沿って歩いていたのは途中までで、今は少女の先導に従って森の木々の間を縫うようにして歩いている。曲がりくねった川に沿うと時間がかかりすぎるから近道を、という訳らしい。なので涼しい水音も聞こえなくなって久しく、木々が日差しを遮ってくれているとはいえ歩いて体が熱くなるのはどうしようもない。

 三人はそれぞれに汗を拭い、まだ聞こえぬ滝の音を求めて足を速めた。


 滝の音が三人の耳にも聞こえるようになってくると四人の足は更に早くなった。

 やがて木々の合間から清涼な空気が風に乗って届き始め、彼らの頬を撫でる。

 先頭を行くアーシャの姿が木々の合間に不意に隠れ、着いたよ、という軽やかな声が聞こえた。


「うわ、すっげぇ、涼しー!」

「綺麗ねぇ!」

「こんな場所が学園から半日足らずの場所にあるとはな」

 アーシャの声に誘われ木立の隙間を足早に抜けた三人が見たのは、森を切り取ったようにそびえる崖と、そこから落ちてくる白い糸の束、そしてその下で透明な水を湛える滝壺だった。

 山裾を走る川が太くないこともあり、滝はアーシャが言っていた通りさほど大きいという訳ではなかった。けれども長い年月を掛けて穿たれた滝壺は濃い色をしているところを見ると結構な深さがあるように見えるし、その広さは子供らが泳いで十分楽しめるくらいはある。

 このところの晴天続きのせいか滝の水量は少ないようだが、周囲で過ごすにはかえって丁度良かった。水量が少ないとはいっても高いところからまき散らされる水煙はとても気持ちいい。

 ザァザアと響く音がその涼しさをより一層増してくれる中、さっそく水辺に寄って水を飲んでいるアーシャに続き、三人も荷物を下ろすと水辺へと急いだ。


「あー、生き返るぜ、ホント」

「ああ、本当に」

「冷たくて美味しいわねぇ」

「うん、美味しいね」

 それぞれに気が済むまで水を飲み、顔や手を洗ったりして四人は深々とため息を吐いた。

 特にディーンのこぼした溜息は深かった。ディーンは顔を上げてゆっくりと滝と滝壺、そしてその周囲を見回す。

 深い森の木々が落とした影は色濃く、深い滝壺を濃い緑に染めている。森と水辺は本来水と土の精霊の力の強い場であるはずなのだが、どうしてか闇の精霊の気配も強い気がして、何だかほっとしたのだ。

 そんな彼の様子に気づいたアーシャが、彼を見上げてにこりと笑った。


「気づいた?」

「闇の精霊の気配が強い気がしたが……やはり気のせいではないのか」

「うん。闇と水と地は相性がいいからね。こういうところには、昼でも闇の精霊が多いんだよ」

「へぇ、そうなの? 何でかしら……」

 シャルの疑問の声にアーシャはさぁ、と首を傾げた。アーシャもその確たる理由は知らないらしい。

「一説には、女神と男神の違いじゃないかって言われてるけどね。闇も水も地も女神でしょ。光と火と風は男神。だから男同士、女同士で気が合うから、その下の精霊も仲良しなんじゃないかって」

「ふぅん。女同士だと、なんか陰険な喧嘩とかしてそうな感じするのにな」

「あら、男同士だって、くだらない殴り合いばっかりなんじゃないの?」

「男同士の喧嘩の方が後を引かないからいいんだよ」

 再び言い争いを始めそうな二人を無視して、ディーンは水辺の岩の一つに腰を下ろして滝壺の中を覗き込み手を伸ばす。指に触れた水は冷たく、そしてどこか優しい気がした。


「とりあえず、お昼食べて、この辺にテント張ろうか」

「この周辺に張るのか? 水辺から離れなくても?」

 以前に森に行った時には水辺から少し離してテントを張っていたことを覚えていたディーンはアーシャに問いかけた。水辺から離してテントを張ったのは少女の指示だったからだ。


「あの時は周辺の天気が変わるかもしれなかったからね。風の強い場所は天気も変わりやすいもん。でもここなら大丈夫。まだしばらくは雨の気配はないって精霊達も言ってるし、水かさが増えたりしないから。ただあんまり近いと水音がうるさいかもだからその辺は皆の好みだけど」

「なら私はここでいい。闇の精霊の気配が少しでも強いと、落ち着いて眠れそうだ」

 シャルとジェイは? とアーシャが問いかけると、二人は少し考えた後揃って頷いた。


「俺もいいぜ。ディーンがいいならそれで」

「そうね。今はまだ結構気になる音だけど、夜まで聞いてれば慣れるかもしれないし」

 二人は自分達の用ではないことに着いて来た身として遠慮するつもりらしく、ディーンの希望に快く頷いた。

 普段は自分の希望ははっきりと伝えるのに、こういう時にはちゃんと仲間に譲ってくれるのが何だか可笑しいようにも暖かいようにも感じて、アーシャは思わず微笑む。ディーンは相変わらずにこりともしなかったが、それでも雰囲気が少し和らいだように見えた。



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