第13話:『慰謝料請求。精神的苦痛の算出根拠(エビデンス)はこちらだ。』
金の話を持ち出され、狼狽する王子。
ここで聖女マリアが「泣き落とし」という精神攻撃を仕掛けてきます。
「ひどい……っ! お金の話ばっかり!」
聖女マリアが、その大きな瞳からポロポロと涙をこぼした。
計算され尽くした角度。守ってあげたくなる可憐な泣き顔。
それは、物語における最強の防具であり、凶器だ。
「私とエド様の愛は、お金なんかじゃ買えないのに……! 執事さんは、心が汚れています!」
マリアが泣き崩れると、エドワードが激昂して剣を抜いた。
「そうだ! 貴様、マリアを泣かせたな!? これ以上の無礼は許さん! 不敬罪でその首を撥ねてくれる!」
抜き身の刃が俺に向けられる。
切っ先までわずか数メートル。武術の心得などない俺には、避ける術はない。
背後でクラリス嬢が「逃げて!」と叫ぶ。
物理的な死の恐怖。心臓が早鐘を打つ。足がすくみそうになる。
(……怖いな。やはり現場(異世界)は過酷だ)
だが、ここで引けば、俺の美学が死ぬ。
俺は震える膝に力を込め、真っ直ぐに剣先を見据えた。
「心が汚れている、ですか」
俺は懐から、分厚いファイルを一冊取り出した。
以前からこの日のためにまとめておいた(という設定で創造した)、『慰謝料算出根拠資料』だ。
「確かに私は薄汚い大人です。ですが、数字は嘘をつきません」
俺はファイルをバサリと床に広げた。
「これはクラリス様が貴方のために費やした『王妃教育の時間』『ドレスや装飾品の費用』『貴方の公務を代行した労働時間』を、時給換算したものです」
「な……!?」
「さらに、謂れのない冤罪による名誉毀損。精神的苦痛への慰謝料。……これらを合算すると、現在レートで金貨約五億枚になります」
五億。
それは国家予算の三割に匹敵する数字だ。
エドワードの手が震え、剣先が定まらなくなる。
「ご、五億……!? 馬鹿な、そんな金……」
「払えなければ、担保権を行使します」
俺は【リーガル・マインド】を発動し、王子の足元に巨大な「差し押さえ魔法陣」を展開した。
「担保対象は、貴方の『王位継承権』です」
「――ッ!?」
「借金も返せない方に、国を治める資格はありません。債務不履行の場合、貴方の継承権を剥奪し、我がローゼス家が管理させていただきます」
赤い鎖が地面から飛び出し、エドワードの全身を縛り上げた。
物理的な拘束ではない。「法的な拘束」だ。彼がこの契約を履行しない限り、この鎖は絶対に解けないし、彼が王座に座ることも許さない。
「う、うわあああ! なんだこれは! 動けん! マリア、助けてくれ!」
エドワードが聖女に助けを求める。
だが、マリアの表情は凍りついていた。
彼女は、涙を流すのをピタリと止めていた。そして、縛り上げられた王子と、提示された「五億の借金」という数字を交互に見比べ……。
「……使えない」
ボソリと、冷たい声が聞こえた。
次の瞬間、マリアはくるりと背を向けた。
「私、貧乏人は嫌いですの。さようなら」
「マ、マリア……!?」
聖女はあっさりと王子を見捨て、会場の出口へと走り去っていった。
残されたのは、鎖に縛られた情けない王子と、静まり返った会場だけ。
「……さて。これにて閉廷、でよろしいでしょうか?」
俺が眼鏡を押し上げると、エドワードはへなへなと崩れ落ちた。
「愛」は「金」の前で無力でした。
ヒロインの本性が露呈し、王子は全てを失いました。
しかし、本当の恐怖はここからです。
執事の背中を見ていた悪役令嬢クラリスが、何か危険な「学習」をしてしまいました。
次回、ブーメラン回。




