第12話:『王子よ、その婚約破棄は「契約不履行」に該当する。』
執事の介入により、水を差された断罪劇。
しかし、相手は王族。そして物語の強制力(ヒロイン補正)が襲いかかります。
「べ、弁護士だと……? 何を訳のわからぬことを!」
王子、エドワード殿下は顔を真っ赤にして怒鳴った。
無理もない。この世界は「剣と魔法とロマン」で動いている。法的手続きなどという無粋な概念は、彼らの辞書にはないだろう。
「この決定は『真実の愛』に基づくものだ! 余はマリアを愛している! 愛なき政略結婚など、不幸を生むだけだ! そうだろ、みんな!」
エドワードが腕を広げると、隣にいた聖女マリアがウルウルとした瞳で周囲を見渡した。
「皆さん……私、エド様と幸せになりたいだけなんですぅ……」
その瞬間、会場の空気が変わった。
甘ったるい、思考を鈍らせるようなピンク色の魔力が、マリアを中心に波紋のように広がったのだ。
(……チッ、魅了か)
俺の「編集者の眼」が、空間に漂うコードを捉える。
*Effect: Brain_Washing (Target: All_Area);*
広範囲洗脳魔法。
周囲の貴族たちの目がとろんと濁り始める。「おお、真実の愛だ」「素敵ね」「悪役令嬢は邪魔だわ」……理性を奪われた群衆が、同調圧力となって俺たちを押し潰そうとする。
クラリス嬢が「うっ……」と呻き、頭を押さえた。彼女の心も折れかけている。
このままでは、場の空気に飲まれて「有罪」にされる。
俺自身も、頭がぼんやりとする感覚に襲われた。思考の沼に沈むような、甘い誘惑。
――ああ、もう面倒だ。王子の言う通りにしておけば楽になれる――。
「……ふざけるな」
俺は己の舌を強く噛んだ。
鉄の味が口に広がり、痛みが意識を覚醒させる。
俺は論理の信徒だ。感情で事実をねじ曲げるご都合主義など、断じて認めない。
「神よ(エディット)。支給されたチートを使うぞ」
俺は虚空に手を伸ばした。
今回与えられた権限は**『六法全書・異世界版』**。
俺が「法」と定義した概念を、物理的拘束力を持つ「契約魔法」として具現化する能力だ。
「異議あり(オブジェクション)」
俺が指を鳴らすと、ドォン!! という重低音と共に、俺とクラリス嬢の前に巨大な光の壁が出現した。
それは無数の文字――「条文」で構成された障壁だった。
マリアの放ったピンク色の魅了魔力が、条文の壁に弾かれて霧散する。
「な、なんだこれは!? 魔法障壁!?」
「いいえ、ただの『契約書』です」
俺は冷や汗を拭いながら、一歩も引かずにエドワードを睨みつけた。
「殿下。貴方は『愛』を語られましたが、貴方とクラリス様の婚約は、貴国が我がローゼス家の財力を当てにして結んだ『融資契約』でもあります。それを一方的に破棄するということは……わかっておいでですか?」
俺は空中に浮かぶ条文の一つを指差した。
「契約不履行。即ち、これまでにローゼス家が投資した支援金、ならびに技術供与の全額即時返還を求める権利が、我々に発生します」
「は……? へ、返還……?」
「ええ。愛に生きるのは結構ですが、その前に借金を返していただきましょう。……国の予算が傾くほどの額になりますが、よろしいですね?」
金。
もっとも現実的で、もっともロマンのない単語。
エドワードの顔から血の気が引いていくのが見えた。
「そ、そんな話は聞いていない! 余は王子だぞ! 国庫の金などどうとでも……」
「なりません。予算審議を通していない支出は横領です」
俺は畳み掛ける。
周囲の貴族たちも、魅了が解け始め、「おい、金の話になってるぞ」「ローゼス家を敵に回すと、我が領地の流通が止まるのでは?」と囁き始めた。
流れは変わった。
だが、まだ敵は諦めていない。
魔法による洗脳と、群衆の同調圧力。
それを打ち破るのは「契約」という現実の盾でした。
次回、追い詰められたヒロイン(聖女)が、最後の武器「女の涙」を使ってきます。
しかし、編集長には通用しません。




