第11話:『満員電車から夜会へ。ドレスコードくらい事前に言え。』
第3章、開幕です。
今度の舞台は「悪役令嬢モノ」。
満員電車のストレスを抱えたまま、きらびやかな夜会へ放り込まれます。
ガタン、ゴトン。
鉄の箱が揺れる。東京の地下を走る満員電車は、現代社会における拷問器具の一つだ。
俺、校倉青空は、湿度の高い車内で吊り革にしがみついていた。
隣のサラリーマンの整髪料の匂い。背中を押してくるバッグの感触。酸素が薄い。
「……非効率だ」
テレワークが普及してもなお、この通勤地獄はなくならない。都市機能の分散化が進んでいない証拠だ。
頭の中で都の都市計画へのダメ出しをしていた、その時だった。
握りしめた吊り革が、カッと熱を帯びた。
「っ……またか!」
俺は舌打ちした。周囲の乗客はスマホに夢中で気づかない。
視界が歪む。電車の走行音が遠ざかり、代わりに優雅なワルツの旋律と、むせ返るような香水の匂いが鼻孔を突いた。
◇
「――クラリス! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」
視界が開けた瞬間、鼓膜を震わせたのはそんな怒号だった。
俺は瞬きをする。
そこは、天井にシャンデリアが輝く巨大な舞踏会場だった。色とりどりのドレスを着た貴族たちが、扇で口元を隠しながら、中央の二人を遠巻きに眺めている。
中央に立っているのは、金髪碧眼の美青年――この国の王子だろう。
そして、その対面に立ち尽くし、わなわなと震えている深紅のドレスの少女。悪役令嬢、クラリス・ド・ローゼス。
では、俺は?
俺は少女の斜め後ろに控えていた。
燕尾服。白手袋。……どうやら今回の役回りは、彼女の「執事」らしい。
(……最悪のタイミングだ)
俺は眼鏡(モノクルに変わっていた)の位置を直しながら、状況を分析した。
いわゆる「断罪イベント」の真っ只中だ。
王子は勝ち誇った顔で、隣にいる小動物系の愛らしい少女――ヒロインの腰を抱き寄せている。
「クラリス! 貴様は聖女であるマリアに対し、教科書を隠す、階段から突き落とすなどの陰湿な嫌がらせを行った! これは未来の王妃としてあるまじき所行! よって婚約破棄の上、国外追放を申し渡す!」
王子が叫ぶと、周囲の貴族たちが「おお、なんてことだ」「やはり噂は本当だったのか」とさざめき立つ。
完全なアウェイ。
クラリス嬢は青ざめた顔で、必死に声を張り上げた。
「殿下、誤解です! わたくしはそんなこと……!」
「黙れ! 証人はいるのだ!」
王子が合図を送ると、近衛騎士たちが剣の柄に手をかけ、一歩前に出た。
殺気。物理的な圧力が場を支配する。
クラリス嬢が恐怖に膝を折ろうとした、その時だ。
俺は、一歩前に出た。
スッ、と音もなく主人の背中を支える。
「……セバス(仮)?」
「お嬢様。背筋を伸ばしてください。……有象無象の前で膝を屈するなど、ローゼス家の品位に関わります」
俺は静かに、しかし会場の隅々まで通る声で言った。
そして、王子へと向き直る。
剣呑な空気が俺に突き刺さる。一介の使用人が口を挟めば、その場で斬り捨てられても文句は言えない。それがこの世界の「身分差」という理不尽なルールだ。
だが、俺は編集長だ。
理不尽な納期や、作家の失踪に比べれば、王子の癇癪など児戯に等しい。
「貴様、何者だ? クラリスの執事風情が、王族の御前に割り込むとは無礼であろう!」
王子が激昂し、唾を飛ばす。
俺は懐から真っ白なハンカチを取り出し、主人のドレスに飛んだ飛沫を拭き取りながら、冷ややかに告げた。
「お言葉ですが殿下。この場は『公的な夜会』です。外交官や他国の王族も招かれているこの晴れ舞台で、正式な手続きも踏まずに婚約破棄を宣言する……。そのリスク管理の甘さに、一言申し上げずにはいられませんでしたので」
「な、なんだと……?」
「婚約とは、家と家、国と国との『契約』です。それを一方的な感情論で破棄するならば、相応の『手順』が必要かと存じますが。……弁護士は同席させておられますか?」
俺の言葉に、会場の空気が凍りついた。
ファンタジーの世界に「コンプライアンス」という概念を持ち込んだ瞬間だった。
お読みいただきありがとうございます!
いきなりの修羅場。
執事という立場の弱さと、王子の権力(物理)というハードル。
しかし、大人の社会には「手続き」という最強の武器があります。
次回、王子が「真実の愛」を盾に反論してきますが……?
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