第1話:『残業中のオフィスが光るのは、演出過剰だ。』
初めまして、作者です。 この物語は、理屈っぽい「鬼編集長」が、設定の甘い異世界転生モノにツッコミを入れながら、物理的・論理的に世界を修正していくお話です。
主人公は異世界が嫌いですが、ハイファンタジーの世界観自体は大好きです。 楽しんでいただけたら幸いです!
深夜二時。東京、神田。 大手出版社「空想文庫」の編集部は、死んだような静寂に包まれていた。 空調の低い駆動音だけが響くフロアで、俺――**校倉青空**は、赤ボールペンを握りしめていた。
「……違う」
俺は眼前のゲラ(校正刷り)に、容赦なく×印を叩きつける。
「なぜ、トラックに轢かれた瞬間に女神が現れる? その女神は何をしていた? ただ交差点で待機していたのか? 動機が弱い。伏線がない。ご都合主義にも程がある」
俺は四十二歳。独身。編集長という肩書きはあるが、根っからの現場主義だ。 世は異世界転生ブーム。猫も杓子もチートで無双。だが、俺は許せない。物語には「論理」が必要だ。嘘をつくなら、徹底的に精巧な嘘をつくべきだ。
「リテイクだ。……こんな原稿で読者が納得するとでも思っているのか」
ため息をつき、コーヒーを一口啜る。 部下たちは皆、終電で帰した。広いオフィスには俺一人。孤独だが、悪くない時間だ。ここには俺と、物語と、論理しかない。
――その時だった。
ブォン、と低い音がして、足元の床が淡く発光し始めたのは。
「……は?」
俺は眉間の皺を深め、床を見下ろした。 幾何学模様。魔法陣だ。ラノベで百万回見た、あのデザイン。 だが、俺の思考は「異世界召喚だ!」とはならなかった。
「おいおい……LEDの配線ショートか? ビルの管理会社は何をしている。火災報知器は――」
俺が受話器に手を伸ばそうとした瞬間、光は暴光となって視界を白く染め上げた。 物理的な衝撃はない。だが、身体が粒子に分解されるような浮遊感。
「許可を取れ……! いきなり光るな、演出過剰だ……ッ!」
俺の抗議は、光の彼方へ吸い込まれ、消えた。
◇
視界が戻ると、そこはオフィスではなかった。 雲の上。いや、正確には「雲のようなテクスチャが貼られた床」の上だ。 目の前には、ゲーミングチェアにだらしなく座り、ポテトチップスを貪るパーカー姿の少年がいた。
「うっす。お疲れー、ソラっち」
少年は指についた油を舐めながら、軽薄に手を上げた。 俺は眼鏡の位置を直し、スーツの襟を正してから、冷徹に彼を見下ろした。
「……君がここの責任者か? 不法侵入と誘拐の現行犯だ。警察を呼ぶ前に、状況を論理的に説明しろ」 「あー、やっぱ固いねぇ。さすが敏腕編集長」
少年はニシシと笑い、空中に浮かぶウィンドウ(これも安っぽいデザインだ)を操作した。
「俺はエディット。この辺の異世界を管理してる神様……みたいなもん? でさ、ソラっちを呼んだのは他でもない、『業務委託』の相談っスよ」 「業務委託?」 「そ。俺が作った世界、なんかバグ……じゃなくて、『設定の矛盾』が多いってクレーム来ててさぁ。ソラっち、そういうの直すの得意でしょ? ちょっくら行って、**『校正』**してきてくんない?」
俺はこめかみを押さえた。 神? 異世界? どうでもいい。こいつの言葉には致命的な欠陥がある。
「断る。俺は明日の十時から企画会議があるんだ。未読の原稿も山積みだ。君の遊びに付き合っている暇はない」 「あ、報酬なら弾むよ? クリアしたら、現世での寿命を延ばしてあげるし、何より……」
エディットは意地悪く笑った。
「ソラっち、**『許せない』**んでしょ? 設定ガバガバな世界が放置されてるのが」
ピクリ、と俺の眉が動く。
「今回の行き先は**『魔法学園モノ』**なんだけどさぁ。なんか主人公の魔力設定がバグってて、物語が破綻しそうなのよ。このままだと打ち切り不可避。……いいの? 駄作が世に出るのを、見過ごしちゃうの?」
俺は沈黙した。 編集者の業だ。目の前に「修正が必要な原稿」があると提示されて、無視することができない。
「……納期は?」 「向こうの世界で問題を解決するまで。現世の時間で言えば、ほんの数分だよ」 「……チッ」
俺は舌打ちをし、ジャケットを脱いで腕まくりをした。
「いいだろう。その駄作、俺がリテイクを出してやる。ただし、修正方針は俺が決めるぞ」 「交渉成立〜! いってらっしゃーい!」
エディットが指を鳴らす。 再び、俺の足元が開き、今度は真っ逆さまに落下した。
「足場くらい用意しろおおおおおッ!!」
お読みいただきありがとうございます。
突然の強制連行。しかも、一番嫌いな「ご都合主義」な神様からの依頼でした。 次回、ソラ編集長が降り立った世界は、重厚なハイファンタジー……のはずだったのですが?
次話『重厚なハイファンタジーに、安っぽいUIを混ぜるな。』




