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一杯の命水

作者: 花村 流花

 

 また今年も猛暑か、毎日暑くて嫌になるね、暑さで溶けそうだよ・・・

 暑中見舞いの挨拶のごとく、この言葉が定着している近年の夏。言ったところでどうなるわけでもないが、つい口をついて出てしまう。そして表情も苦痛に歪む。

 そんな夏の日に登場するようになった、クールダウンスポット。例えば薬局とか銀行とかショッピングモールとかに、無料で休めたり給水できたりという、まさにオアシスが続々と現れた。救世主、と言っても過言ではない。

 誰でも利用できるこのオアシスに、今日も私は足を運ぶ。


 不動産管理の外回りの最中、スポットを見つけては立ち寄る。無料給水機があれば、いつも持ち歩いている水筒に水をもらう。そうでなく、紙コップに水や麦茶を注いで飲むところでは二杯くらい飲ませてもらっている。

 今目の前にあるクールダウンスポットは、区民図書館と地区センターが一緒になっているビルの一階エントランス。入り口の横の旗には無料給水所とでかでかと書いてある。

 次の物件へ移動する前にここで一休みしようとオアシスに飛び込んだ。

 吹き抜けの解放感があるエントランスでは、職員らしき女性が数人、一休みしに立ち寄った人々に冷えたおしぼりを差し出したり、やかんから紙コップに水を注いでいる。今給水機が故障しているとのことだった。

 4~5人の高齢者が並んで水を受け取る。その後ろに私も並び、水をいただいた。紙コップを通じて伝わってきたひんやり感が指先にひろがった。


 背もたれのない、細長い椅子の端に腰かける。腿の横に紙コップを置き、貰った使い捨てのおしぼりを袋から出していると、背中に気配を感じた。誰かがすぐ後ろを通り過ぎたのだとわかった。

 なんとなく背筋を伸ばした次の瞬間、隣りに人が座っていることに気付いた。ついさっきまで、近くに人はまったくいなかったから、かなりびっくりした。かろうじて紙コップはたおされない、そんな程度の距離しか置いていない隣の人は、70代後半くらいの女性だった。

「あ~あ、その一杯の水があれば、なんとか生きながらえたかもしれないのに」

 少しパサついた、軽くウェーブのかかった白髪が目を覆っているのを気に留めることなく、私が横に置いた水の紙コップに視線を送っていた。雰囲気は、恨めしそうだった。

「え、あの、あそこで配ってますよ、無料ですって」

 あんまり関わりたくなかったけど、横からの圧を感じながらじゃ休憩どころかこの水を飲むのも躊躇われるので、上半身をひねってサービスしているテーブルの方へと振り向いた。おばあさんも一緒に見て、と言わんばかりに。

「行ってきたさ、でももう水はないって言われたんだよ」

「あ、きっとやかんがカラになっただけですよ。新しいの、取りに行ってるんじゃないですか?あ、ほら、並んで待ってる人いますよ」

 人の良い人間なら、ここでかわりに取ってきてあげるのかもしれないが、あいにく私はそういう人じゃない。知らない人に積極的に関わろうとは思わない人間なのだ。だから、行って並んでいれば貰えるよ的な言い方をしたのだった。

 おばあさんは立ち上がり、黙ってテーブルの方へと歩いていった。

 しばらく様子を見てみる。思った通り、水で満たされているだろうやかんを持って若い女性スタッフがテーブルの前に立った。

 しかし、順番が回ってきたおばあさんを無視するかのように、紙コップはおばあさんの次に並んでいた中年男性に渡された。

 さすがに、えっ?と思った。おばあさん、ちゃんと並んでたじゃない、なんでスルーするのよ?横入りしたわけでもないし、前のおじいさんの次にちゃんと、並んでいたのに。

 ここで何か言いに行った方がいいかな、とちょっと腰を浮かせたが、いやいや余計な口出しはしない方がいいかなとか、心を揺らしていた。が次の瞬間、あのおばあさんがテーブルの前にへたり込んだ。

 今度は躊躇なく、駆け出した。

「おばあさん、大丈夫ですか?」

 テーブルの前にかがみこむ私に、声がかけられる。座り込んでいるおばあさんにではなく、私に。

「あの、どうかなさいましたか?」

「いえ私じゃなくって、このおばあさん」

 しかし、おばあさんにむけて差し出している手も必死の表情も、すべてが無駄になっていた。なぜなら・・・

「え?おばあさん?どこに?」

「ここにいるじゃないですか!おばあさんお水もらえなくてここにへたり・・・」

こんではいない。おばあさんなんか・・・いなかった。

 凍り付いている私にただただ憐れんだ眼差しが注がれる。でもそれが気の毒だとでも思ってくれたのだろうか、中年のサラリーマンらしき男性が、

「こう暑いとね、思い違いとかしちゃうよねえ」そう助け舟を出してくれた。

 その場の空気がふんわりとして、職員の女性も「ゆっくり休んでいってください」と笑みを向けてくれた。

 私、疲れているのかもしれない・・・


 バッグを置いたままにしていた椅子に戻り、紙コップの水を飲み干して大きく息を吐く。さ、仕事に戻ろうと立ち上がると、入れ違いのようにおばあさんが座った。もちろん、さっきのおばあさんとは別人の。

 思わず様子を窺う。私の事、おかしな人って目でみてるかな、と。

 目が合うとおばあさんは、私に向かって言った。

「このあたりは、戦争で空襲をうけた場所でしょ。みんな食べ物や水を求めて必死だったんでしょうね」

 私は、固まった。それって、それって・・・

「こうしてタダでお水飲ましてくれて、いろいろしてくれて、あの頃に比べていい世の中になったわねえ」

 おばあさんは紙コップの水を美味しそうに飲んだ。飲み終わるとすぐに立ち上がり、私が手にしていた紙コップを掴んだ。一緒に片付けておくわよ、と。

 おばあさんの、私の手にふれた指先には感触があった。大丈夫、この人は存在している。



おわり



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