レイラとデート
早朝、レイラは普段より早く目を覚ました。窓から差し込む薄明かりの中、彼女は静かに身支度を整える。
今日は特別な日にしたいという思いが、彼女の胸の中に秘められていた。
朝ごはんを作る為キッチンに向かう途中、いつものように庭から聞こえてくる剣の風切り音に足を止める。窓越しにフィルの姿を見つめながら、レイラは今日の計画を最後にもう一度胸の中で反芻する。
(今日こそ、ちゃんと向き合わなきゃ…)
想いを胸に、窓を開けてフィルに声を掛ける。
「ねぇフィル、朝食の準備手伝ってくれない?」
レイラの声に振り返ったフィルの額には汗が光っていた。また夜明け前から修行を始めていたのだろう。
「いいよ!今行く」
フィルは剣を鞘に収めながら答えた。その仕草は無意識のものだったが、レイラの目には痛々しく映った。
キッチンでは二人の息の合った動きで朝食の準備が進む。パンを焼く香ばしい匂いが部屋に広がり、スープの美味しそうな匂いのする湯気が立ち昇る。
調理をしながら、レイラは何気なく話を切り出した。
▲▽▲▽▲▽▲
朝ごはんの準備中だった…レイラから誘われたのは。
「ねぇフィル、昼に山行きたいんだけど一緒にこない?」
フィルは一瞬動きを止め、考え込むような表情を見せた。
「山?どうかしたのか?」
(山?なんかあったけ?朝の調査じゃ別に異変は無かったから危険は無いけど…)
「久しぶりにお魚食べたくない?レトスとルーチェにも昨日食べたいって言われてたし、きのこもなくなってきたから取りに行きたいのよ」
「確かに!魚最近食べてなかったなぁ…よし!一緒に行こう」
「じゃああの子達の昼ごはんはパンとスープで我慢してもらうしかないわね」
「そうかな?ルーチェは最近料理上手になってきたから俺達が居なくても案外美味しいもの作れるかもよ?」
(この前のピクニックのサンドイッチとかすごい美味しかったし…もう俺より上手いんじゃないか?って思えるレベルだったしな)
「それはそうなんだけどルーチェったら材料いっぱい使うのよ…まぁまだまだね」
「厳しいなぁ」
「今まで此処の台所を支えてきたのは誰だと思ってるの?まだまだ合格はあげれないわ」
「ルーチェに張り合ってどうすんの…」
「うっさい、早く朝ごはん作って山行くわよ!」
「はーい」
(正直久々にレイラとの二人っきり山に行くのは楽しみだなぁ、早く準備しよ〜)
朝食の支度を終え、二人は山への準備を始めた。久し振りの二人きりのお出かけにウキウキのフィルは大きめの採餌バッグを2つ取り出し、釣竿と網を持って準備を終える。
レイラは水分補給の為に川の新鮮な水で水筒を満たしていく。
「あ、そうだ。ライ達に伝言メモ書いておかないと」
レイラは小さな紙切れに筆を走らせる。
『お昼は私たちが留守なので、パンとスープを温めて食べてね。キノコと魚をフィルと取りに行ってきます。
夜までには帰るから、それまでお留守番よろしく!誰かが来ても出ずに隠れること!
—レイラより』
「ふふ、これで安心ね」
「よし、じゃあ行くか!」
「美味しい魚取れるといいわね」
▲▽▲▽▲▽▲
二人は家を出て、山までの道を歩き始めた。空気は澄んでいて、鳥のさえずりが心地よく響いている。山道の両側には背の高い針葉樹が立ち並び、その枝々が作る木漏れ日の暖かさが心地い。
「今日は中々に気持ちのいい天気だなぁ。魚も沢山釣れそうだ」
フィルは青空を見上げながら言った。頭上では、小さな雲が風に乗って緩やかに形を変えている。
「じゃあキノコ取りと魚釣りどっちを先にやる?」
(釣りの方がゆっくり出来て好きなんだけど、魚は別に網使えば直ぐだしなぁ…キノコは見つからない可能性だってあるし…)
「キノコじゃない?魚釣りは最悪網使えばすぐだし」
「じゃあ奥の方に行きましょ、あそこならいっぱい取れるでしょ」
「そうだね」
二人は更に奥の山道を進み、よく知る広葉樹林帯へと足を向けた。
「あ!フィル、見て!」
レイラが急に立ち止まり、大木の根元を指差した。
「おお、ベルベだ。しかも群生してる」
ベルベは鐘の形をしたキノコでこれから取れる出汁が本当に美味しい。勿論普通に食べても美味しい素晴らしい食材だけど、いかんせん中々見つからない…この前も俺が一人で探しに行った時は全く見つからなかった。
(ライは喜ぶだろうなぁ)
フィルは慎重に近づき、腰に掛けていたナイフでキノコを根元からそっと収穫していく。
「こっちにもあるわ。ここら辺は前も来たけどこんなにはなかったから…今年が豊作なのかも」
レイラも手際よく、傷つけないように丁寧にキノコを摘んでいく。しばらく二人は黙々と作業を続けた、珍しい種類のキノコを見つけては声を掛け合い、食用可能か確認し合う。
「ここら辺は取り終わったからもっと奥も探しましょ」
もっと奥を探すというレイラの提案に難色を示すフィル。
「これ以上奥に行くと一気に魔物は増えるからやめよう。もう十分取れたしいいじゃん」
(こっから出てくる魔物は少し危険度が上がる、それだけならまだいいが厄介なのは集団で襲ってくる奴らだ。大丈夫かとは思うけど万が一がレイラにある可能性があるなら許容はできない)
「まだみんなが好きなキノコが見つかってないわ、それに魔物なんか出てきても大丈夫よ」
「大丈夫って…レイラはもう少し危機感を…」
あまりにも魔物に対し甘い認識を持っているレイラを心配せざるを得ない。
いつもこの調子で山に行っていると考えると怖くてしょうがない、レイラに魔物の認識を改めてもらう為に注意しようとするが…
「だってフィルがいるじゃない」
「え?」
帰ってきた言葉は予想外の一言だった。
「フィルが強いってことは私が一番知ってるし見てきたもの。危機感はあるわよ?でもフィルが危ない相手って言ったら変異種ぐらいでしょうし、その変異種がいないって分かってるから今日一緒に来てくれたんでしょ?」
「そう…だけど」
当たり前のことだ、万が一がない様に毎日訓練して山を調査してるんだ。
少しでもいる可能性があるなら絶対に行かせない。
「でしょ?それに私だって自衛ぐらいできるわ、ほら…早く行きましょ」
そのまま奥へ進むレイラ、対照的にフィルは足を止めた。
(え?今レイラが強いって言った?俺に対して?思えばレイラに強いって言われたの初めてかも)
レイラの言葉は、予想外の重みを持ってフィルの胸に響いた。フィルは今日この時まで努力してきた自負はあれど自分を強いなどとは全く思っていなかった。
レトスやルーチェ、ライやラグ爺からも「強い」と言われたが自分では納得していなかった。
それはダグ爺の様な強者が身近にいたことや、過去に守られた経験からかかも知れない。
だが今までずっと一緒に歩んできたレイラの言葉には違う響きがあった。それは表面的な評価ではなく、長い時間をかけて築かれた深い信頼だった。
二人の間に流れる空気が、少しだけ変わった。
そのまま二人は更に奥へと進んでいった。森の様子は徐々に変化し、木々の間隔が広くなり、地面には苔が厚く生えていた。空気も少しずつ湿り気を帯び、より深い森の香りが漂ってきた。
それから少し歩を進めていると、ふとフィルの視界の端に見たこともない金のキノコが写った。
「なぁレイラ…これってなに?」
フィルが指で刺された方向を見ると、そこにはレイラのお目当てのキノコがあった。
「これこれ!」
急にレイラが歓声を上げ、大きな倒木の陰に駆け寄った。
「見て!ゴールデンクラウン!」
黄金色に輝く王冠のような形をしたキノコが、倒木の表面に群生していた。
(めっちゃ金ピカなキノコだな。こんなの料理で出てきた記憶ないんだけど)
「これ、めったに見つからないのよ。味も凄く美味しいし、乾燥させて保存もできるの」
「へぇ、初めて見たかも」
俺が覗き込むと、レイラは得意げに説明を続けた。
「どんな料理にも使える万能食材なの、それに食べた後元気でる」
レイラはそう言いながら、丁寧にゴールデンクラウンを収穫していく。
突然、近くの茂みが揺れ動いた。フィルは即座に身構え、レイラの前で構える。しかし、茂みから現れたのは一匹の小さな森兎だった。
「まったく…フィルったら過保護すぎよ、もっとリラックスしていいのよ?」
レイラは笑いながら言ったが、その声には確かな安心感が混ざっていた。
「これでも普段よりリラックスしてるよ」
二人は更に奥へと進み、様々な種類のキノコを見つけては収穫していった。レイラの豊富な知識と、フィルの鋭い観察眼が絶妙に組み合わさり、バッグは見る見る間に良質なキノコで一杯になっていく。
「よし、これくらいあれば当分の間は困らないわね」
満足げにバッグを確認するレイラに、フィルは頷いた。
「じゃあ、次は魚釣りか」
「そうね。でも、その前に…」
レイラは近くの切り株に腰を下ろした。
「ちょっと休憩しない?私が作ったサンドイッチあるのよ」
フィルは微笑んで隣に座る。木漏れ日が二人の間で踊り、心地よい風が頬を撫でていく。
山の静けさの中で、二人だけの特別な時間が流れていった。
食事を楽しみながらフィルは気になっていたことを口にした。
「あのさレイラ、なんで今日山に俺を連れてきたんだ?いつも俺が心配しても一人で行くじゃん」
「…たまにはありかなって思っただけよ。特に意味はないわ、ただの気まぐれ」
「…本当に?」
レイラは少し目を瞑って深呼吸をした、何かを決めた様に口を開く。
「何かしてあげたかったの」
「何か?」
「そう、フィルって私達の為にずっと頑張ってるじゃない?それこそ自分の睡眠時間まで削って…だからほんの少しでも休んで欲しかったの」
それはレイラが日頃から思っている事だった。
「本当は寝たりして休息して欲しかったけど絶対言うこと聞かないって分かってるから、こういう形で休ませてあげたかった」
「休んでって…俺なんかめちゃくちゃ休んでるよ。レイラに料理は最近任せっきりだし洗濯だってレトスとルーチェがしてる、掃除だって廊下も部屋も風呂も全部ライがやってくれてる…俺なんかなにも」
(実際家事なんかほぼほぼ出来てない、強いて言うなら朝ご飯をちょこちょこ作るぐらいであとはダグ爺の仕事に付き添いとかだ)
「狩猟とかしてくれてるじゃない」
「そんなのすぐに終わるよ」
「何かが出た時は倒してくれるじゃない」
「そんなの俺が一番戦えるんだから当然だろ」
(当然なことだ、みんなを守る為に戦える様になったんだから)
「当然ね…」「違う?」
「当然じゃないわ」
「当然だよ、家族をまもるのは」
「そこじゃないわよ、その強さが当然じゃないの」
「どういうこと?」
「フィルって毎朝何時に起きてるの?私はいつも5時には起きてるわ。それでもフィルが寝ている姿なんて見たことない…起きてから家事をして、ふと窓を見たらいつ間にか帰ってきたフィルが庭で剣の訓練をしてる」
「それの何が…何年も続けてる唯の習慣だよ」
「それがおかしいのよ…だって私達まだ12歳よ!?それなのにフィルは私達を守るために自分を犠牲にして強くなって。普通の子供なら負わなくてもいい責任を負って…怪我がだって魔法で回復できるって言っても痛いものは痛いじゃない!」
久し振りに声を荒げたレイラの言ってることがよく分からなかった、だって俺はみんなを守る為にここにいるのに。
「年齢なんて関係ない、俺がレイラを、みんなを守りたいからしてることだ!みんなが傷つくより俺が傷つく方が何倍も楽なんだ」
「私だって同じよ!フィルが傷つくぐらいなら私が傷ついた方がいい!」
「だからこそ…」
フィルの声が途切れる。喉まで上がってきた言葉が、砂を飲み込んだように重い。レイラの真っ直ぐな瞳に映る自分の姿が、どこか歪んで見えた。
「だからこそ、って何?」
「だからこそ…俺が強くならないと。レイラだって、みんなだって…俺のために自分を犠牲にしようとする。それを見るのが」
拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込む痛みで、自分の感情を抑え込もうとする。
「一番辛いんだ…みんなには少しだけでも普通の子供の様に暮らして欲しいんだ」
その言葉は、フィルの本心だった。
「ねぇフィル」
レイラは深く息を吸い、言葉を選ぶように一瞬の間を置く。
「私ね…フィルの強さを否定してるわけじゃないの。むしろ、誰よりもその強さに感謝してる。お陰でレトス達は笑顔でいれるし、私達も安心して暮らせてる。だからこそ…」
彼女の中には幾年もの記憶が刻まれている。
傷だらけで帰ってきても、必ず笑顔で「ただいま」と言うフィル。深夜まで魔法の修行をしている背中。
「もっと自分を大切にして欲しいの。私達はフィルの家族でしょう?家族なら、互いの痛みも、喜びも、全部分け合うものだと思う」
「でも…」
「フィルが私達を守ってくれるように、私達だってフィルを守りたいの。それが…そんなにダメなこと?」
「ダメじゃ…ないよ」
フィルは目を伏せる、今まで誰にも言えなかった本音を絞り出すように続けた。
「ただ、怖いんだ」
「怖い?」
「ああ…守られるって、大切にされるって、すごく怖いんだ」
フィルの声が震える。
「俺のせいで死んだレイラのお母さん達の顔がいまだに夢に出るんだ。俺がいなければあの人達は死ななかったはずだ。」
「そんなこと…」
「俺がいなければレイラは今頃本当の家族と幸せに暮らせてたはずなんだ。だからこそ俺はレイラを守る、もうレイラが幸せを奪われない様に」
「フィル…」
レイラは思わず息を呑んだ。フィルの言葉の中に、彼が背負うとしてた何かの重みを感じたような気がした。
「あれは貴方のせいじゃないって何度も言ってるでしょ。それにね」
彼女は立ち上がり、フィルの前に膝をつく。そして、震える彼の手を両手で包み込んだ。レイラの手は温かく、揺るぎない何かを感じさせる温もりだった。
「私達はどこにも行かないわ。あの孤児院が私達の居場所だもの。フィルがいる場所が、私達の帰る場所なの。それは誰にも、何にも奪われない」
フィルは黙ってレイラの手を見つめた。その手に触れている部分から、少しずつ凍えていた心が溶けていくのを感じる。
「ねぇ、約束してくれる?」
「…何を?」
「もう少しだけ自分を大切にすること。そして私達にもフィルを守らせて?」
風が二人の間を通り抜けていく。フィルは長い沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。レイラの瞳に映る自分は、もう歪んではいなかった。
「…分かった。少しずつ、だけど」
「うん、それでいいの」
レイラは柔らかく微笑んだ。その笑顔は、朝日のように温かく、フィルの心に染み入っていく。
「私達家族なんだから、一緒に歩いていけばいいじゃない。早すぎず、遅すぎず、みんなで同じ景色を見ながら」
彼女は立ち上がると、フィルに手を差し出した。その仕草は、何年も前、初めて出会った日と同じだった。
「さ、魚釣りに行きましょ。今日の夕飯は特別メニューよ。フィルの好きな料理、いっぱい作ってあげる。みんなで食べましょう?」
「あぁ…みんなでな」
夕暮れが近づく森の中で、レイラはフィルの手を取ってゆっくりと歩き出した。此処にきた時と空気は変わっていて、それは決して派手な変化ではなかった。
でも、この森に生える木々が少しずつ大きくなっていくように、確実に二人の関係を、そして家族の絆を深めていく、かけがえのない一歩だった。フィルの心の中で、長年封印していた何かが、静かに、でも確実に溶けていくのを感じながら。
森の小道を歩きながら、フィルはレイラの横顔を見つめた。彼女の笑顔は、いつも以上に輝いて見えた。
今までずっと守ろうとしてきた大切な存在が、実は自分のことも同じように大切に思ってくれていたことを、心の奥深くで実感している。
「あ、ほら見て!川が見えてきたわ」
レイラが指差す先には、澄んだ水が石を打ち付けながら流れる川が見えた。夕暮れ前の陽光が水面に反射して、キラキラと輝いている。
「さぁ、いい魚釣れるといいわね」
「ああ」
フィルは頷いた。胸の中に広がる温かな感覚を噛み締めながら、彼は静かに思った。
(これからは、みんなと一緒に…もう少しずつでいいんだ)
夕陽に染まる空の下、二人は川辺へと歩みを進めていった。今日という日が、彼らの絆をより深めた特別な一日になることを二人とも確かに感じていた。
これから迎える夜には、みんなで囲む温かな食卓が待っている。そこには、きっと笑顔と、そして新しい明日への希望が満ちているはずだ。
最悪の日まであと一日