85 黒竜の森(深層と魔術対策)
本日投稿の2話目です。
1話目がまだの方は84話からお読みください。
プルクラとしては威力を抑えたつもりだったのだが、“至竜石”が馴染んだ今、魔力量(体内に留めておける魔力の量)が二十倍程度になり、自分の思っていた以上に威力があったようだ。プルクラはそう言い訳した。
「うん、まぁ、片付いたからいいんじゃねぇかな?」
「ん……終わったことを気にしたらいけない」
訓練という意味では四半刻ほど戦いっ放しだったので十分だろう。プルクラはそう自分に言い聞かせた。みんなすごく集中してたし、強さも期待以上だ。腕組みをして目を瞑り、コクコクと頷く。うん、ちゃんと訓練できた。
「今日は帰ろうか」
予定していたより随分と早いが、別に一日中訓練をしようとは思っていない。体を休めることも大事。ということで、森の小屋へ一旦転移してニーグラムに鎧蟻のことを報告してからファルサ村に戻った。
「プルクラ、おかえりにゃ!」
「ルカ、ただいま」
借家に入ると灰色の毛玉が飛び掛かってくる。今日はお留守番をしていたルカインだ。
ルカインは防御系の魔法(魔術ではない、魔法である)を得意としているが、攻撃は苦手であるらしい。もともと幼気なルカインを戦いの場に出す気がないプルクラは、少なくとも訓練の間はファルサ村で大人しくしているようルカインにお願いしていた。留守番が寂しかったのか、プルクラの胸に飛び込んだルカインは自分の頬をプルクラの顎に擦り付けている。
存分にルカインを構ってから昨日と同じように風呂へ入り、ゆっくりと食事の準備を行う。
「鎧蟻が居た場所は、中層のどの辺りなんだ?」
「んー、まだ真ん中までは行ってない。もう少し進めば割と強い魔獣がいる」
「そ、そうか」
「ん」
風呂上りでほんのり上気したご機嫌顔のジガンだったが、プルクラの返答にスンとなった。
翌日からも黒竜の森で訓練という名の魔獣狩りを続けた。あくまでも訓練であり、森を制覇するとか深層を攻略するとかが目的ではないので、焦らず、じっくりと中層から深層へ進んでいった。
日を追うごとに“至竜石”が馴染み、能力が底上げされていく。自分の思っている以上の力と速度が出るため、体の動かし方を修正していく。
能力が上がる初期から黒竜の森で訓練し始めたため、自分の力に適応するのはそれほど難しいことではなかった。
プルクラは自分の力に慣れるのにかなり苦労したので、仲間のことがちょっぴり羨ましい。
そうして二週間が経過した頃、一行は遂に深層へと足を踏み入れた。
ここに至ると大気中の魔力がかなり濃密になり、常人では長時間耐えられない。だが”至竜石”を取り込み馴染んだ今となっては、体内の魔力量が激増しているため数刻の活動なら支障がない。
「……なんか、急に木がでっかくなってない?」
「ん。それが深層の特徴。ついでに魔獣もおっきい」
「へ、へぇ……」
深層で厄介な魔獣は五頭大蛇、黒鉄大蜥蜴、切裂鳥、赤大毒蜘蛛、三頭黒狼、壁熊あたりだろうか。火翼竜は言わずもがなだが、数が少ないため殺したくない。ヴァイちゃんもいるし。
「ヴァイちゃんとは、最後に模擬戦する」
「模擬戦? 火翼竜と?」
「ん」
「それ……模擬なの?」
「…………たぶん?」
ヴァイちゃんには既にお願いしているが、果たして言いたいことが正しく伝わっているかはプルクラにも自信がない。
「お父さんと模擬戦するのとどっちが――」
「ヴァイちゃんでっ!」
黒竜と模擬戦なんて冗談じゃない、とジガンが食い気味に返答した。
その後も三日おきに休みの日を入れながら訓練は続く。王都の屋敷に転移して様子を見たり、変わったことが起きたりしていないか確認するのも怠らない。そしてニーグラムの助言により、魔術・魔法に対処する訓練も始めた。
仲間の中で魔術を行使できるのはアウリとクリルのふたりで、ふたりとも防御結界の魔術が使える。
「準備はええかぁー? じゃ、行くぞ」
魔術と言えばレンダル。プルクラが家まで迎えに行きご足労願っているのだが、本人は非常にやる気だ。火水風土の四属性初級魔術を嬉々としてばら撒いている。
魔術への対処とは、即ち「防御」である。具体的には結界を如何に素早く張れるかだ。下手な攻撃魔術はファーヴニルに憑依したヌォルには通じないだろうから、防御の訓練に特化する。
初級魔術程度なら、レンダルは詠唱破棄して攻撃を放てる。
例えば「火球」ならば、空中にそれが出現したらすぐに結界を張らなければ防御が間に合わない。
レンダルはよそ見してその辺をぼちぼちと歩きつつ突然魔術を放つ。しかも軌道を変えるというおまけ付き。頭上や横、果ては後ろから攻撃魔術が飛んでくるので、アウリとクリルは額に汗をかきながらその都度防御結界を張り直す。
ジガンとバルドスは魔術の軌道を確認してから結界の背後に退避するという非常に地味な訓練だ。逃げてばかりなので正直居た堪れない。
「ジガン」
離れた場所で見学していたプルクラがちょいちょいと手を動かしてジガンを呼ぶ。
「どした?」
「ジガン、魔術切れない?」
「え? 魔術、切れ、……え?」
プルクラは、放たれた攻撃魔術を剣で切れないの? と言っている。そんなことを考えたことすらないジガンの語彙力が著しく低下した。
「魔術って切れるの?」
「ん」
「え、マジで?」
「見てて」
まず、プルクラはジガンの目の前で黒刀に魔力を流す。ぼんやり光る程度なので魔力の量はそれほど多くはない。
「レンダルー。私に魔術撃ってー」
「おー。いくぞー」
語尾を伸ばしたその会話はほのぼのしたものだが、内容はこの上なく殺伐としている。「いくぞー」と宣言した直後、数十の火球が不規則な軌道を描きながらプルクラに向かった。プルクラなら「障壁」で簡単に防御できるが敢えてそれをせず、黒刀を振りながらゆっくりとレンダルに迫っていった。
ジガンは口をあんぐりと開けてその光景を見つめた。確かに、黒刀に当たった火球は切れる――と言うより威力が急激に減衰して空中に霧散している。魔術が魔力そのものに還元され、微細な金色の粒子になって飛び散り消えるのだ。その様は幻想的とも言えた。プルクラはあっという間にレンダルに肉薄し、首筋に黒刀を添えた所で止まった。
「また簡単にやられてしもうたの」
「ありがと、レンダル」
プルクラは黒刀を鞘に納め、ジガンの元へ戻ってきた。
「魔術に含まれる魔力より、ちょびっと多めの魔力を流せば切れる」
「へぇ~…………いや、それ難しくない!?」
プルクラはこてん、と首を傾げた。魔力が視えるプルクラにとって造作もないことだが、魔力が視えない者には至難の業……かもしれない、と今更気付いた。
「……ジガンならきっと出来る」
「何で目を逸らすんだよ!?」
「ジガンなら、切れなくても魔術を受け流せる」
「ほんと?」
「…………たぶん」
「たぶんじゃ危なくて出来ねぇだろーが!」
「だいじょぶ。怪我したら治してあげる」
「痛いのがヤなんだよなぁ……」
最後にはぶつぶつと文句を言いながら、ジガンはバルドスと相談し始めた。団長は魔術切ったことある? と聞けば、バルドスは何言ってんだこいつ、という目を向けた。
「魔術よりちょっと多めの魔力を剣に流せば切れるらしいぜ?」
「ほぅ。それはプルクラ様から聞いたのか?」
「うん。切れなくても受け流せるんじゃないかって言うんだけど、プルクラが」
「ふむ……面白そうだな」
本気か? とジガンは思ったが口にするのは控えた。バルドスが試しにやってくれれば、自分は痛い思いをせずに済む。うまく出来たらやり方を教えてもらえば良い。どちらに転んでも損はない、そんなジガンの下衆な下心が見え隠れする。
バルドスはプルクラの説明を聞いてフンフンと頷き、レンダルと対峙した。最初は見えやすいようにとのことで、土属性の初級魔術「礫弾」から始めることになった。
「うおっ!?」
バルドス程の歴戦の剣士でも攻撃魔術に真っ向から立ち向かった経験はほとんどない。初級とは言え想像以上に速く、重い。バルドスは礫弾を何とか大剣で弾いていく。
「バルドス、弾くんじゃなくて受け流すの」
「は、はい!」
敬愛するプルクラから指摘されたバルドスは落ち着く為に深呼吸し、改めて大剣に魔力を流してレンダルに合図を送った。
多少落ち着いたからと言って怖いものは怖い。初級の礫弾でも当たれば悶絶するくらい痛いし、下手をすれば骨折する。それでもバルドスは礫弾をしっかりと見据え、その軌道を変えるように剣を添え角度を変える。礫弾はバルドスの頬を掠めるようにして後ろへ飛び去った。連続して飛来する礫弾に対し、大剣を細かく動かして全て受け流す。
「「おぉー」」
それを見ていたプルクラとジガンが横に並び、パチパチと拍手した。
ちなみにアウリとクリルは、レンダルが偶にそちらを見もせずに魔術を放つので油断できない。
「レンダル、私もやってみる。風弾で」
「風弾じゃと見えんじゃろ?」
「だいじょぶ。空気の歪みで分かる」
「そ、そうか」
魔力を視れば良いのだが、それだとズルしてるような気になるので、プルクラは敢えて魔力視を使わずにレンダルの前に立った。黒刀に少量の魔力を流し、いつものように切っ先をだらりと下げた自然体の構え。傍から見ても、プルクラが集中しているのが分かった。
「風弾」とは、圧縮された空気の塊である。礫弾や氷弾、火球に比べて威力は格段に落ちるが、「不可視」であることで相手の意表を突いたり、体勢を崩したりに使える。
プルクラが言う通り、風弾は僅かな空気の歪みを生じる。それを見切って受け流すつもりだったわけだが――。
「あぅ」
プルクラがころころと転がっていった。
「大丈夫か、プルクラ!」
レンダルが大慌てである。威力は最小限に抑えたので大きな怪我はない筈だが、万が一ということがある。
「んー、タイミングが難しい」
何事もなかったかのように立ち上がったプルクラは、レンダルに向けて手を挙げて無事を示しながら呟いた。すぐに元の位置に戻り、レンダルに風弾を撃つようにお願いする。
「あぅ」
ころころ。
「あぅ」
ころころころ。
「あぅ」
ころころころころ。
ジガンやバルドスにとって、プルクラは戦うことにおいて何でも出来る超越者のように思えていた。
そんなプルクラが、魔術を食らって簡単に転がされている。彼女の能力を以てすれば避けるのは朝飯前だろうに、「受け流す」ことに固執して何度も挑戦しているのだ。
そこに悲壮感はない。むしろ本人は大層楽しそうである。新しい遊びを覚えた子供ように、瞳をキラキラさせている。
そして転がること十数回。
「ふんっ!」
「「「おおっ!!」」」
遂にプルクラは風弾を受け流した。それがまぐれではないことを証明するかのように、立て続けに放たれた風弾はプルクラに当たることなく、全て逸らされた。
「やったのぉ、プルクラ!」
「ありがと、レンダル!」
娘ぐらいの年頃の女の子が何度も転がされながら会得したのを見て、黙っていられるジガンではなかった。
「レンダル様、俺にもお願いします」
「わ、私にも!」
「おーおー。じゃ、順番じゃからな」
バルドスもジガンに追従し、大の男二人が順番に風弾を受けて転がるというおかしな事態となった。
ごろごろごろ。ごろごろごろごろ。
男二人は何度転がっても楽しそうに笑いながら立ち上がる。その光景を横目で見ながら、アウリは気持ち悪いなと思った。
結局ジガンとバルドスは陽が沈む直前に風弾を受け流すのに成功した。この日一番頑張ったのは間違いなく魔力枯渇寸前まで魔術を使い続けたレンダルであった。
翌日からは、戦闘訓練と魔術対策を交互に行うようになった。
黒竜の森深層の魔獣であっても、プルクラを除いた四人で十分対処できるようになってきた。
魔術対策は、アウリとクリルの二人が多重結界の練習、ジガンとバルドスは魔術を剣で受け流す練習だ。
プルクラが使うのは「竜の聲」であり、魔術とは全く異なるのでアウリたちに教えることは出来ない。また「竜の聲」は威力をいくら抑えても強力過ぎて、ジガンたちに向けて放つなど論外である。結果的にレンダルに負担がかかることになった。
「まずは盾を二枚重ねるイメージで結界を張るんじゃ」
大魔導レンダルは最大三十六枚の結界を自分を中心としたドーム状に張ることが出来る。それでもニーグラムの「スピリトゥス・ドラコニス」に対しては僅かな時間稼ぎにしかならない。
ヌォルがどれだけの力を持っているか不明だが、黒竜や白竜より弱いなどという希望的観測は抱けない。だとしたら防御結界をいくら強化・訓練しても焼け石に水の可能性が高い。しかし僅かな時間稼ぎであっても、それが生死を分けることは十分考えられる。四半呼吸でも攻撃を防ぐことが出来たら、プルクラの速度なら状況をひっくり返せるかもしれないからだ。
決して無駄にはならない。そう信じて、アウリとクリルは多重結界の練習に没頭する。
ジガンとバルドスは、強力な魔術攻撃でもその軌道を逸らすことを目指した。ロデイア流の名に懸けて、物理攻撃だけでなく魔術だって逸らせることを証明したい。何よりも、プルクラや仲間たちを守る剣でありたかった。
そして四週間経った頃、火翼竜と模擬戦(?)を行う日となった。
「なぁ、マジでやんの?」
「本気でやっちゃダメ。お互い怪我しないように」
「いや、そう言う意味じゃなくてだな……」
ヴァイちゃんの喉元を撫でるプルクラから十メトルほど離れたところからジガンが話し掛ける。
「ジガン様、覚悟を決めましょう」
「手加減してくれるそうですよ?」
「火翼竜と一戦交えるなど貴重な経験だ!」
アウリ・クリル・バルドスは結構前向きである。
「手加減ねぇ……」
ヴァイちゃんは火翼竜の中でも特異な能力を持ち知能も高い。プルクラが「手加減して」と言えば、ちゃんと手加減する…………筈だ。
クリルはいつもの杖を、それ以外の三人は刃引きした訓練用の剣を持ち、ヴァイちゃんの前に並ぶ。
「はじめっ!」
プルクラの掛け声と共に、身を翻したヴァイちゃんの尾が横薙ぎにされた。四人は跳躍し、或いは後退してそれを躱す。
唸りを上げて目の前を通り過ぎる尾に、ジガンは戦慄を覚えた。当たればただでは済まない。本当に手加減してる? これ。
両前足と尾を使った打撃が間断なく繰り出される。地面が陥没し木々が折れ跳び、土埃が舞う。仲間たちは必死に避け、躱し、剣で受け止め受け流す。
距離が空くと火球が吐き出される。アウリとクリルがそれぞれ十重の多重結界を張ってジガンとバルドスを守り、逆にその二人が前に出て魔力を流した剣で火球を受け流す。
火翼竜の攻撃が通じず、仲間たちも有効な打撃を与えられない。ヴァイちゃんは翼をはためかせ、上空からの攻撃を選択する。立て続けに火球を放ち、それを牽制にして急降下。後ろ足の鉤爪でジガンを狙った。
「俺かよっ!?」
とてつもなく重く、鋭い爪撃。しかし身体能力が底上げされたジガンはそれを冷静に受け流してヴァイちゃんのバランスを崩すことに成功する。頭部が地面に落ちたことで、すかさず三人が攻撃を集中した。
「そこまでっ!」
三人の攻撃は鱗に触れる寸前で止まる。刃引きの剣でも今の彼らが使えば十分な凶器だ。
「ぐるるぅ」
「よしよし。ありがとね、ヴァイちゃん」
ヴァイちゃんが甘えるようにプルクラに鼻先を擦り付け、プルクラは慰めるように優しく鼻先を摩った。
火翼竜としては恐らく手加減してくれたのだと思う。それでも人間に自分の攻撃が通じず苛立ったのかもしれない。その上で負けてしまったのだから、自尊心が傷付いただろう。今日はたくさん甘やかそう、とプルクラは誓った。
模擬戦を行った四人もヴァイちゃんに近付き、口々に礼を言った。ヴァイちゃんが大人しかったので、皆恐る恐る手を伸ばして頭や喉を撫でた。ヴァイちゃんは更に上機嫌になった。自尊心は大丈夫そうだ。
その日は森の小屋で、ヴァイちゃんを交えてバーベキューを行った。ヴァイちゃんはまた張り切って切裂鳥を獲ってきて、プルクラも百剣鹿を狩った。
残り数日、森の深層で魔獣と戦い、ファルサ村の近くで魔術対策に勤しんだ。
そんな訓練の日々を経て、遂にヌォルを召喚する日がやって来た。




