83 黒竜の森(浅層)
“至竜石”が体に馴染む間、皆で戦闘訓練を行うことに決めた。模擬戦でも良いのだが、ヌォルはファーヴニルに憑依させるのだから対人より対魔獣の方がより実践的だろう。リーデンシア王国の王都シャーライネンから一番近くて魔獣との戦闘訓練に向いた場所……。
「黒竜の森」
「そうですね」
「だよなー」
「黒竜の森にはさすがに足を踏み入れたことがありません」
「私もクリルと同じです」
「黒竜の森は恐ろしいところにゃ……」
ルカインがプルプル震えながら述べたように、黒竜の森は普通の人間が踏み入るような場所ではない。何せ同種の魔獣でも森の外に比べて二~三倍強いのだ。
「浅層・中層・深層と魔獣の強さが段階的に分かれてるから、レベルに合った訓練が出来ると思う」
「まぁ、プルクラは十五年住んでたんだもんな」
「ん。みんなが言うほど怖い所じゃない」
「ほんとか?」
「…………」
「目を逸らしてんじゃねぇよ」
お父さんがいなかったら、やっぱり怖い所かもしれない……そう考えたプルクラはジガンから目を逸らした。
「プルクラさんが住んでいた所は危険ではなかったのですか?」
「うーん、お父さんがいつも一緒だったから」
「「「なるほど」」」
ジガン・クリル・バルドスの声が重なった。
プルクラとニーグラムの小屋は黒竜の森の浅層と中層の境目、やや浅層よりの辺りに位置する。
「今のみんなだったら、浅層の魔獣じゃ物足りないと思う」
プルクラは、森の小屋を起点にして中層~深層の魔獣を相手にしてもらうことを考えている。王都の屋敷から森の小屋まで一度で五人転移することも可能だが、距離的に近いファルサ村を拠点にしても良い。
「中層だとどんなのがいるんだ?」
「百剣鹿、剣牙虎、大角猪に二頭狼、あと牛頭に鉄蜥蜴でしょ、岩大熊や六腕猿に……」
「もういい。滅多にお目にかかれない強い魔獣がてんこ盛りってことだな!」
「百剣鹿が一番美味しい」
「そうか……美味いのか」
「ん」
美味しいと言われても全くモチベーションが上がらないジガンである。
「森なのに昆虫系があんまりいないのですね?」
「んーん、虫は中層に限らずどこにでもいる」
「いるんですね……」
「あんまり美味しくない」
「食べたんですね」
「ん」
美味しくないと言われて更にモチベーションが下がるクリルである。
「食材探しではなく鍛錬ですよね?」
アウリの言葉にハッとするプルクラ。当初の目的を忘れ掛けていたようだ。
「そう。至竜石を取り込んで上がった身体能力に慣れなきゃいけない」
“至竜石”を取り込むと素の身体能力が五倍から十倍に上がる。身体強化を併用して従来の百倍相当になれば、剣の振り方ひとつとっても感覚が変わる。剣を振るのが速くなり過ぎて空振りしてしまう、なんてことも起こるのだ、とプルクラが経験談を語った。
「…………もっと弱っちい魔獣で練習しない?」
「いきなり中層にはいかない。ファルサ村から森に入れば丁度いいと思う」
「なるほど、そりゃいいな。あいつらの顔も見てぇし」
「ん。村にお土産買って行こ」
プルクラが黒竜の森から出て、初めてお世話になったファルサ村。プルクラとアウリが借りていた家もそのまま残してあるという話だ。ジガンの家もあるし、お世話になった村だから偶には顔を出すべきだろう。
レノ、ダレン、ギータの男の子三人組は元気だろうか? 王都でしか買えないお菓子でもお土産に持って行けばきっと喜んでくれるに違いない。
「明日は準備をして、終わり次第ファルサ村に行こう」
翌日の午後遅く、プルクラたちはファルサ村に転移した。
「暗っ!?」
「な、何も見えません!」
「ここはどこだ!?」
「ウチは薄っすら見えるにゃ」
プルクラとアウリが借りていた家である。戸を閉め切っているので真っ暗だ。
「ごめん、言うの忘れてた」
「目が慣れるまで少しお待ちください」
少し経ってからプルクラとアウリが戸を開き、家の中に光が入ってくる。五人と一匹が転移してきたのは家の土間部分だった。
村長に挨拶してくる、と言ってジガンが出て行く。その間、プルクラたちは家の掃除をすることにした。戸を全て開け放って風を通し、溜まった埃を箒で掃く。井戸で水を汲み、濡らした雑巾でテーブルや椅子を拭く。
「プルクラー!」
「帰って来たのー?」
「おかえりー!」
借家の外からレノ、ダレン、ギータの声がした。それほど長い期間留守にしていたわけではないが、三人の声を聞いたプルクラはひどく懐かしい気がした。家から出て三人と顔を合わせる。
「三人とも久しぶり。元気?」
「「「元気―!!」」」
男の子三人組が傍に寄ってきたので、プルクラは三人の髪をわしゃわしゃと撫でた。
「お土産買ってきた。お菓子」
「「「お菓子!?」」」
ファルサ村にはお菓子を売るような商店はなく、行商人が来た時や近くの大きな街まで誰かが行った時くらいしか手に入らない。三人の瞳が期待でキラキラと輝く。
「子供たちを集めてきて?」
「「「うん!」」」
レノたちだけにお菓子をあげると他の子供たちから妬まれる。ファルサ村にいる子供は全部で十五人くらいとそれほど多くはない。
すぐに子供たちがわらわらと集まってきた。拡張袋から両腕で抱えるほどのお菓子を取り出し、アウリに配ってもらう。
「たくさんあるから心配しないで」
「ちゃんと並ばない子にはあげませんよー?」
そうこうしているうちに何故か大人たちも集まってきた。夕方近い時間なので、皆仕事も終わったのだろう。終わったと信じたい。
「ええい、めんどくさい」
一人ずつ渡すのが面倒になり、クリルとバルドスに頼んで借家から大きなテーブルを運んでもらった。その上にお菓子や酒、肉、布、調理器具などをどっさりと積む。
「村長、連れて来たぜ」
「村長。お土産の分配、お願い」
「おぉ、こりゃありがたい!」
村の大人何人かがお土産を分配する係になってくれた。彼らに任せれば問題ないだろう。それからは宴会である。娯楽が少ないため、何かにつけて宴会を催すのだ。今回はジガンとプルクラ、アウリの帰郷(?)を祝うという名目だが、村人はプルクラたちが王都で買ってきた酒や料理、食材を大いに楽しんだ。
翌朝、朝食を軽く済ませた後、プルクラたちは早速黒竜の森へ向かった。ファルサ村を出て街道を北上し、適当な所で東の草叢に分け入る。少し進めば草の丈がどんどん高くなり、プルクラの胸の辺りまで草で覆われる。
「『竜の聲』でバーっと草刈れねぇの?」
ジガンの問いにプルクラは小首を傾げた。
「出来るけど、草以外も切っちゃう」
「草以外?」
「木とか魔獣とか」
暴れん坊と思われがちだが、プルクラは意外と無益な殺生は好まないのだ。
「襲ってこない魔獣は殺さない」
「なるほどな」
草原地帯を半刻ほど進んでようやく森の端に辿り着いた。
「近くで見るとすげぇな……」
「右も左もずっと森ですね」
「これが黒竜の森」
男性三人組は、左右ずっと壁のように続く木々の連なりに驚きを隠せない。
「この先が黒竜の森にゃ?」
「そうだよ」
「私もここから見るのは初めてです」
プルクラの肩に乗ったルカインが恐る恐る尋ね、アウリも感嘆の声を漏らした。森の小屋にはレンダルと一緒に何度も訪ねたアウリだが、森の端を間近から見るのは初めてらしい。
「じゃあ行こう。みんな気を引き締めて」
胸当てと脚甲・手甲を再確認し、拡張袋から黒刀を取り出して腰に佩く。プルクラがきちんと武装するのを見て、全員が警戒度を引き上げた。
プルクラほどの強者でも、準備を怠れば危険な場所。辺縁と雖も気を抜けば命に関わる場所、それが黒竜の森なのだ。
森に入ると急に暗くなったように感じる。一本一本の幹が太いので、木々の間隔は割と広い。日光が遮られるため下生えの草は育たたないが、木の根が地面の上も這っているので足場が悪い。
それでもプルクラは滑るように走って行く。もちろん仲間たちが付いて来れる程度の速さで。そもそも、見通しが利かず足場も悪い危険な森を「走る」というのが普通ではない。
“至竜石”を取り込んだ仲間たちは身体強化まで発動してもプルクラに付いて行くだけで精一杯である。喋る余裕もない。
プルクラは木々の隙間を縫うようにしながら真っ直ぐ東を目指した。途中遭遇する魔獣はこちらを邪魔しない限り無視。それでも空気を読まずに襲ってくる奴もいる。
「左前方!」
プルクラが倒してしまうと本末転倒なので、警戒を呼び掛けるだけに留め、仲間に倒してもらう。
左前方から襲来したのは三匹の長腕猿。成人男性くらいの大きさで腕が異常に発達しており、人間の体くらいなら拳でぶち抜く膂力がある。また体の大きさに反して素早い。特に黒竜の森に生息する長腕猿は並の人間では捉えられない動きをする。
一匹目。プルクラの方へ向かったのでアウリがその進路を妨害した。突進の勢いそのままに片腕の爪が振り下ろされるが、アウリは自分の速度を緩めることなくそれを左手の短刀で弾き、右手の短刀ですれ違いざまに首を刎ねた。
二匹目はクリルに向かった。離れた場所から大きく跳躍した長腕猿に対し、クリルもそちらに向かって跳ぶ。放物線を描く長腕猿の腹に、ほぼ直線で矢のように向かったクリルの横蹴りが炸裂。長腕猿は後方に内臓をぶちまけながら地面に墜落する。
三匹目はジガンとバルドスに向かったが、この二人はどっちが倒すか揉めた。肩をぶつけ合ってお互いを牽制している。チラッとそれを見たプルクラは「なにやってんの……」と溜息をついた。そうこうしているうちに長腕猿はバルドスに狙いを定めたようで、片腕を大きく振りかぶりながら彼に迫る。しかし鎧袖一触、大剣を短刀のように軽々と横薙ぎに払い、長腕猿は真っ二つになる。
ジガンは恨めしそうに両断された長腕猿を睨んだ。
「団長、次は俺がやる」
「早い者勝ちだろう?」
再び走り出すが、ジガンはプルクラと並ぶように前に出た。
「プルクラ、次来たら俺に教えてくれ。俺だけに」
「…………」
プルクラは走りながらジガンに呆れた目を向ける。しかし、ジガンがそう言うならそうしよう。上がった力を試したくて仕方ないのだろう。気持ちは分かる。
「みんな、しばらく魔獣はジガンが相手してくれるって」
「っ!?」
「「「おぉー!」」」
それから二刻ほどの間、こちらを襲ってきた魔獣は全てジガンが相手取った。
「ぜぇー、ぜぇー……」
“至竜石”を取り込む以前の全力疾走と変わらない速度で森を走りながら、百匹を超える魔獣をひとりで斬り捨ててきたのだ。四十歳を過ぎているジガンの息が上がるのも温かい気持ちで見て欲しい。たとえ自業自得だとしても。
「もうすぐ小屋に着く。ジガン、まだがんばれそう?」
「…………無理」
小休止で座り込んだジガンにプルクラが声を掛けた。今日の目的地はプルクラとニーグラムの小屋。ここからなら四半刻かからない距離だ。
「おんぶしようか?」
「いや、自分で歩け……多少は走れる」
「わかった。みんな、ここからはジガンを休ませてあげて」
「「「おぉー」」」
アウリ、クリル、バルドスは魔獣の相手をほとんどしなかったので比較的元気があるようだ。
「ジガン、無理しちゃダメにゃ?」
「……はい、すみません」
ルカインが労わるように優しく声を掛けたが、ここまでずっとプルクラの肩に乗っていたお前に言われたくない、とジガンは思った。
ジガンを真ん中付近に置いた隊列で残りの行程を進む。ジガンとプルクラ以外の三人で魔獣を片付けながらである。
森の中層が近くなると魔獣が強く、数も多くなった。使い物にならないジガンはさておき、他の三人で問題なく処理出来ている。プルクラには確信があったが、本人たちは覚悟をもって臨んだだけに拍子抜けのようだ。
プルクラの見立て通り、浅層の魔獣では物足りない。中層でも浅層に近い場所ではさほど変わらないかもしれない。中層の中間くらいに転移ポイントを作るのが良さそうに思える。
「着いた」
考え事をしながら走っていると小屋が見えてきた。ジガン、クリル、バルドスはプルクラ父娘が暮らしていた小屋を見るのは初めてである。
「……やっとか」
「意外と……来れてしまいましたね」
「プルクラ様が暮らしていた場所……」
バルドスが感無量といった体で呟いたが、ただの小屋だ。
「お父さーん、来たー!」
ニーグラムは“魔力覆いの魔導具”を持つプルクラの接近を既に察知していたので、扉を開いた彼に驚きはない。
「プルクラ。転移なしで来るのは珍しいな」
「ん、みんなと一緒に森を抜けてきた」
そこで初めて仲間たちに気付いたようにプルクラの後ろに目を遣る。もう何度も王都の屋敷で顔を合わせているのでジガンたちは軽く頭を下げて挨拶した。ニーグラムはそれに頷きを返す。
「休憩したら中層に行く」
「ふむ。一緒に行くか?」
「んーん。みんなの訓練だから」
「なるほど……少し奥の方で、また鎧蟻が繁殖しているようだ。ついでに少し数を減らしてくれるか?」
「ん、わかった!」
鎧蟻にはトラウマがあるプルクラである。十三歳のとき、四日間ぶっ通しで一万匹を超える鎧蟻を殲滅した。あの時は寝る間もなくてフラフラになったものだ。
だが今は仲間がいる。もし同じ数いても、一日、いや半日程度で殲滅できそうな気がする。
拡張袋に入れておいた昼食を食べながら一刻ほど休憩した。あと一刻で陽も傾き始める。今日のところは中層に転移ポイントを作って終わりだろう。皆にもそう告げる。
「今日はあとちょっとで終わり」
「うし! 気合入れて行くか!」
ヘロヘロになっていたジガンが気勢を上げた。そんなに気合を入れなくても、とプルクラは思った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
あと少しで終わる予定ですが、最後の締め方が定まらず筆が止まってしまいました……
完結まで書き終えてから更新再開したいので、二~三週間ほど更新をお休みさせていただきます。
もし早く書き終えたらそれより早く再開するかもしれません。
楽しみにお待ちいただいている読者様には本当に申し訳ないのですが、しばらくお時間をください。
よろしくお願いいたします。




