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82 白竜アルブム・ドラコニス

「「「「「「お世話になりました!」」」」」にゃ!」


 同じ巨大黒海老を繰り返し釣り上げた翌日。プルクラたちは王都に帰ることとなった。


「またいつでも遊びにいらしてね」

「また来る! ばいばい!」


 見送りに来てくれたジガンの母、マーレイ夫人に手を振り帰路に就く。最初の馭者はバルドスに任せ、他の仲間たちは客車でのんびりしている。


「サウスポート、すごくいい所だった」

「海鮮料理、また食べたいですね」

「ん! 絶対にまた来よう」


 大海蛇を倒したり、女神ノヴェル様と出会ったり、海老に懐かれたり。

 ジガンの家族や漁師のグリッドと仲良くなったり。

 サウスポートに来なければそんな体験は出来なかっただろう。これが「旅」の良さか、とプルクラはしみじみと思った。こんなに楽しくてたくさん思い出が出来るなら、もっと色んな所へ「旅」をしたい。


「ね、アウリ。次はどこ行く?」

「王国の東の方に湖があって、そこはチーズが特産品らしいです」

「チーズ!」


 王都でもチーズを使った料理は食べることが出来るが、産地ではまた違った味わいなのではないだろうか。


「いい。とてもいい」

「ウフフ。またみんなで決めましょうね」

「ん!」


 地竜車でのんびり移動するのも存外悪くない、とプルクラは思っている。窓から見える景色は、街道を進む間はあまり代わり映えしないが、途中で立ち寄る場所で珍しいものを食べたり、野営料理に凝ってみたりといった楽しみもある。


 次にどこへ行こうか。仲間たちとそんな話をしていたら帰路の四日間はあっという間に過ぎ去り、王都の屋敷へと帰ってきたのだった。





 サウスポートから帰った翌朝、王城からブレント王子の側近、リガルド・ウォーレスが屋敷を訪れ、ファーヴニル討伐について根掘り葉掘り聞かれた。

 一応、屋敷のメイドであるクラーラと、討採組合メスティフ支部長を通じてファーヴニル討伐について報告が上がっており、それが事実であると認められていた。


 “竜”に準じる魔獣の体は素材の宝庫と言っても過言ではない。リガルドからはファーヴニルの死骸を王国が買い取りたいと打診されたが、プルクラは事情を話してそれをお断りした。ファーヴニルの体内には召喚したヌォルを宿らせる“核”が埋め込まれているから、今のところ誰にも渡すことは出来ない。


「あの、プルクラ様?」

「ん?」

「ヌォル、というのは何のことでしょう?」


 何らかの理由でこの世界に干渉し、厄介事を齎す“ヌォル神”だが、この世界は女神ノヴェルが管理しており、ノヴェルを信仰する女神教が一般的だ。ヌォルのことが知られていなくても不思議ではない。


 プルクラは隣に座るアウリに目で助けを求めた。


「先日、ツベンデル帝国の帝都で昆虫のような目を持つ生物が出現しました。あれは、そのヌォルが異世界から送り出したものです」


 アウリの説明に、リガルドの端正な顔がポカンとなる。


「……異世界?」

「ヌォルとは、異世界の神です」

「神」

「はい」


 一瞬呆然となったリガルドだが、次第に眉間の皺が深くなる。


「その異世界の神とやらを、どうするおつもりですか?」

「えーと、ファーヴニルに埋め込んだ“核”に封印して、それからどうするか決めなさい、って言われた」

「言われた……どなたに?」

「ノヴェル様」

「ノヴェル様……女神ノヴェル様、ですか?」

「ん」


 リガルドがプルクラの言葉に絶句する。

 プルクラ本人が強いことやその育ての親が黒竜であることは聞いている。本人を前にしても実感が全くわかないが。

 それでも、「女神」のことがプルクラの口から出てくるとは想像もしていなかった。


「……ご神託のようなものが?」

「うーん……神託って言うか、呼び出されたって言うか。とっても綺麗で、あったかかった」

「綺麗で、温かい」

「ん」


 もはや語彙力を喪失したリガルドである。この後王城に戻ってブレント王子に直接報告しなければならないわけだが、一体どのように話せば良いと言うのか。黒竜のことで手一杯なのに、このうえ女神ノヴェルまで出てきたら殿下の胃はどうなってしまうだろう?


「……だいじょぶ?」

「あっ、いえ、その、問題ございません」


 だんだん青い顔になるリガルドが心配になってきて、プルクラは彼にこっそり「サナーティオ(癒し)」を掛けた。

 その後、少し元気になったリガルドがいくつか質問と確認を行い、プルクラとアウリが答えると重い足を引き摺るように城へ帰って行った。


「王城勤めも大変そうですね」

「ん。気苦労が多そう」


 誰のせいで気苦労が多いのか、リガルドが聞いたらブチ切れそうなことをプルクラが宣った。


 そしてその日の午後である。


「お父さん、レンダル! …………誰?」


 屋敷の客室に仕込んだ転移魔法陣を使い、レンダルと父が訪れる……のはいつものことだが、彼らは見知らぬ()()を伴っていた。


 真っ白なゆったりしたドレスを纏った長身の女性。最も特徴的なのはその髪だろうか。輝くような白い髪を肩より下まで伸ばしている。白く長い睫毛が金色の瞳を縁取り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 父は苦虫を口いっぱいに詰め込んで噛み潰したような顔をしており、レンダルは心なしか緊張した顔付きだ。


「ほれ、(わらわ)のことを紹介せんか」


 その女性が、容姿とは裏腹に高圧的な物言いでニーグラムの脇腹を肘で突く。


「…………プルクラ。こいつがアルブム――白竜アルブム・ドラコニスだ」

「“こいつ”とは何という言い草! 全く、お主はいつまで経っても口の利き方を知らんな!」


 白髪の美女はカラカラと笑いながら、ドスッと音が聞こえるくらいニーグラムの脇腹をどついた。


「……アルブム。この子が俺の娘、プルクラだ」

「はじめまして、白竜様。プルクラと申します」


 第一印象が大事と、プルクラは王女モードを発動した。部屋着のワンピースだが、裾を摘まんでカーテシーまで披露する。アルブムは温度を感じさせない瞳でプルクラを射貫くように見つめた。


「ふむ。プルクラよ、妾が恐ろしいか?」

「……いえ。こんな綺麗な方だと思っておらず、驚いてしまいました」


 どこから取り出したのか、アルブムはこれまた真っ白な扇子を広げて口元を隠し、目を細めた。


「黒竜の娘と聞いてどんな野生児かと思うたが、存外まともな娘じゃ。どれ、ひとつ妾と手合わせをしようか」


 アルブムがそう言った瞬間、膨れ上がった魔力が物理的な圧を伴ってプルクラを襲う。その気配に、仲間たちが一斉に集まってきた。


「プルクラ!」

「だいじょぶ。試されてるだけ」


 プルクラは剣を手にしたジガンを制する。アウリ、ジガン、クリル、バルドス、そしてルカインまで。プルクラのすぐ傍に控え、いつでも戦えるように身構えた。


「……アルブム。仲間に手を出したら許さない」

「ほう」


 王女モードを止めたプルクラが、キッとアルブムを睨み付ける。その瞬間、アルブムが放出していた魔力が霧散した。


「ニーグラムよ。この娘はどうなっとるんじゃ? 妾の威圧にビクともせんが」

「ふん。俺の娘を舐めるな」

「仲間も見所があるな。普通の人間なら威圧で気を失うものを」

「私の仲間はみんな頼もしい」


 アルブムが再び口元を扇子で隠し、細めた目でプルクラを見る。また何かするつもりか、とプルクラが身構えていると、アルブムは頬を上気させてクネクネと体を捩り始めた。


「んもー、たまらん! 可愛くて辛抱たまらん!」

「へ?」


 プルクラが自分の耳を疑っている一瞬のうちに距離を詰められ、気付けばアルブムからギュッと抱きしめられ、その豊満な胸に顔を埋められていた。


「ほぁー、なんて可愛い娘なんじゃ! 妾のことを“母上”と呼んでも良いのじゃぞ?」

「んー、んー!?」


 呼吸が出来ないプルクラが呻き声を上げながら、アルブムの腕をタップする。恐ろしいことに、身体強化十倍(以前なら二百倍相当)を発動しているのに抱擁を振り解けない。


「おいアルブム。娘が苦しんでる」


 身体強化をもっと引き上げようかと悩んでいるうちに、ニーグラムがアルブムの腕を引き剥がして助けてくれた。


「ありがと、お父さん」

「うむ」

「や~ん、可愛い! わ、妾も“お母さん”と呼ばれたい!」

「「…………」」


 プルクラとニーグラムの父娘が、アルブムにじっとりとした半目を向ける。ニーグラムは半歩前に出て娘をアルブムから隠すように自分の後ろへと庇った。

 父の背中から目だけ出してアルブムの様子を窺えば、またクネクネと妙な動きをしていた。絶世の美女なのに、色々と台無しである。


 仲間たちのアルブムを見る目も、残念な人を見るそれになっていた。


「の、プルクラよ! お母さん、と呼んでたもれ?」

「えぇぇ……」

「一生の頼みじゃ! 妾をお母さんと呼んでたもれ?」


 白竜の一生って、ほぼ無限の命なんじゃ……? そんな大事なお願いを、こんなつまらないことに使って良いのだろうか?

 プルクラは父を見上げて目で問うた。父は天井を見上げて一度目を閉じる。それからゆっくりと開いたその目には諦観が浮かんでいるように見えた。ニーグラムはこっくりと娘に向かって頷いた。


「……お、お母さん?」

「う……うぉおおおー!! 何という甘美な響き!」


 見た目の幻想的な儚さはもう詐欺ではないかと全員が思うほどの雄叫びを上げたアルブムは、ガードしていた筈のニーグラムの脇をすり抜け、またもやプルクラを抱きしめた。


「可愛いのー! たまらんのー! 何でも買ってやりたくなるのー!」


 鬱陶しい。父はそう言っていた。会えば分かる、とも。

 なるほど、鬱陶しい。プルクラは光の消えた目でアルブムからされるがままになっていた。


「ニーグラム、助けに入らんでいいの?」

「こうなるとアルブムは止まらん。プルクラに害がなければ気の済むまで好きにさせた方がいい」

「……あんなプルクラの目、見たことないんじゃが」

「……あとで一緒に謝ってくれ」


 それからしばらくの間、アルブムにもみくちゃにされるプルクラを皆で見守るという時間が続いた。ようやく解放された時、プルクラはひと回り痩せたように見えたのだった。





 アルブム、ニーグラム、レンダルの三人は応接室に通された。

 屋敷で働いているメイドたちは王国が推薦しただけあり、全員肝っ玉が据わっている。ニーグラムに対してもはや臆することはないし、初見のアルブムに対しても緊張した素振りを見せない。


 アルブムに精力を吸い取られたプルクラは、アウリによって髪と服装を整えられ、改めて応接室でアルブムに相対した。仲間たちも全員応接室に揃っている。


「ニーグラムとレンダルから話は聞いておる。ヌォルについては妾の大陸でも手を焼いておったのじゃ。ノヴェル様の意向ならなおのこと、お主らに手を貸すのは白竜の使命であろう」


 怜悧とも言える真剣な顔つきでアルブムがそう述べた。しかし、対面に座った筈のプルクラが、いつの間にかアルブムの膝に抱かれている。プルクラ自身、いつ拉致されたのか分からなくて絶句している。


「大義名分がなくとも、可愛いプルクラの頼みとあれば妾は全力を賭すぞ?」

「……ん。ありがと、アルブム様」

「お母さん、じゃ」

「……ありがと、お母さん」

「うんうん! 気にすることはないぞ!」


 むふーと鼻息を荒くしながら、アルブムはプルクラに頬擦りしている。周囲の者たちはそれを生温い目で見る他なかった。


「それで、いつやるのじゃ?」

「出来れば、ひと月くらい時間が欲しい」

「うむ、妾は構わん。ニーグラム、お主もそれで良いじゃろう?」

「……ああ、問題ない。レンダルにも来てもらわねばならんが大丈夫か?」

「儂もひと月後で大丈夫じゃ」


 プルクラが言う「ひと月」とは、仲間たちが取り込んだ“至竜石”が馴染むための時間だ。

 仲間たちの安全を考えれば、ヌォルと対峙するのはプルクラ、黒竜、白竜だけが最善だろう。

 この件についてはもう仲間たちと話し合った。彼らの望みは「プルクラと共に戦いたい」であった。

 これを受けて、プルクラは彼らの意志を尊重することにした。自分が彼らを心配するのと同じく、彼らもまたプルクラを心配しているのだ。共に戦うために“至竜石”を取り込んだのだと言われれば、プルクラも安全圏で待てとは言えなかった。


 プルクラは仲間たちを全力で守ると誓い、父にだけそれを伝えた。


「ヌォルの件が片付いたら、妾の大陸にも遊びに来るんじゃぞ?」

「ん、分かった」

「……今から一緒に行ってもいいんじゃぞ?」

「今はやめとく」

「そ、そうか……」


 白竜アルブムがこのようにプルクラのことを甚く気に入っているのは、元々可愛い人間好きという彼女の性質もあるが、名付けの効果によってニーグラムの魔力が流れ込んでいることも大きい。アルブムとニーグラムは言わば姉弟のようなもの。ニーグラムはアルブムのことを「面倒臭くて鬱陶しい奴」くらいにしか思っていないが、アルブムはニーグラムのことを「面倒を見てあげたい弟」と感じている。

 その弟と同質の魔力を持ち、見た目も可愛らしいプルクラはアルブムにとって大好物なのであった。


 プルクラとしては、アルブムは父の姉、つまり親戚と同義と考えている。「お母さん」と呼ぶのは抵抗があるが、嫌われるより好かれる方が嬉しい。

 距離感がおかしくて鬱陶しいが。

 プルクラは実の母の愛情というものを憶えていない。もしかしたら、母親とはこんな距離感なのだろうかと少し慄いている。


 その後、ひと月後の再会を約束し、帰りたくないと駄々を捏ねるアルブムに何とか帰ってもらった。

 何だかとっても疲れた、と思うプルクラであった。

次の更新は火曜日の予定です。

次の更新の後は少し時間をいただくことになりそうです。

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