81 釣りをしてみよう
海老料理を心ゆくまで堪能した翌朝、プルクラは単身動くことにした。
「プ、プルクラ様!?」
「おはよ、クラーラ。変わったことない?」
「と、特にございませんが……あの、皆様は?」
「まだサウスポートにいる。じゃ!」
まずは屋敷の様子を見るために転移した。自分の部屋を出たところでクラーラ――メイドのひとりで、実はリーデンシア王国の間諜――が丁度通り掛かったので手間が省けた。屋敷に勤める者は皆、既に転移のことは薄々勘付いている。屋敷の門を通らずにレンダルやニーグラムが度々現れるので仕方ないだろう。
一応、プルクラは自室に戻って転移の腕輪に魔力を通した。次の行き先は父の所だ。
「お父さん、来たー」
「プルクラか! 何かあったのか?」
「ん。ノヴェル様に会った」
「…………何だと?」
「説明はレンダルと一緒にしたい」
「分かった。行くか」
「ん」
同じ説明を何度もするのは面倒なので、そのまま父と共にレンダルの家に転移する。
「レンダルー、来たー」
勝手知ったるレンダルの家、ずかずかと居間へ行く。
「プルクラ! ニーグラムもか」
「俺が居たら悪いのか?」
「そんなことはないぞ」
「ごめん、またアウリを連れて来なかった」
「屋敷で会っとるからな。大丈夫じゃ」
居間と呼んではいるが、昔からここは研究室のように使われている。現在も分解された“転送魔導具”と、魔法陣を書き写した紙片が散乱していた。
ソファとテーブルを片付け、いつものようにレンダルがお茶を淹れてくれた。三人でソファに腰を落ち着けてからプルクラが口を開く。
「さっきお父さんにも言ったけど、女神ノヴェル様に会った」
「…………女神って本当におったのか」
黒竜が存在する時点で女神の実在も証明されたようなものなのだが、レンダルはニーグラムと当たり前に接し過ぎてそのことを失念していたらしい。
プルクラはサウスポートの海で起きたこと、女神ノヴェルと会って言われたことを順番に話した。
「で、これがノヴェル様から預かった“召喚の玉”」
拡張袋から、手の平に収まる大きさの玉を取り出してテーブルに置く。
「触れても大丈夫かの?」
「ん。転送魔導具に組み込まなければ問題ない」
「ふむ」
レンダルが慎重な手つきで“玉”を手に取り、窓際に置いてある拡大鏡の下に持っていった。
「う~む……」
拡大鏡を三つ重ね、じっくりと覗き込むレンダルが唸り声を上げた。
「レンダル、どした?」
「ああ、いや、こんな魔法陣は今まで見たことがなくての。これは積層魔法陣じゃな」
「せきそー?」
「この玉の中に複数の魔法陣が重ねられとる。おそらく……数百はあるのう」
「すうひゃく!?」
「うむ。正に神の御業と言うべきじゃろうな」
様々な角度から“玉”を観察しながら、レンダルが頻りに感心している。
「転送魔導具の解析はほぼ終わっておったんじゃが、ヌォルの世界と繋げた後のことが予測出来なくてなぁ。相手は神じゃし、一筋縄ではいかんと思っておったんじゃ」
「これでだいじょぶそう?」
「そうじゃな。神を“召喚”出来るとは思ってもおらんかったが、ノヴェル様がおっしゃるんじゃ、きっと上手くいくじゃろう」
誤って転送魔導具に組み込まないよう、いざ使う時までプルクラが“玉”を預かっておくことになった。
「お父さん、白竜様は……お父さん?」
ニーグラムは腕組みをして宙の一点を睨んでいた。眉間に深い皺が刻まれている。
「白竜……白竜か。はぁー……」
父が深い溜め息をついたので、プルクラは驚きで瞬きを繰り返した。父のこんな様子は珍しい、と言うか記憶にある限り、父の溜め息を聞いたのは初めてだ。
「白竜様は協力してくれない?」
「いや、奴なら嬉々として協力するだろう」
「……もしかして、気が重い?」
プルクラの言葉に、今度はニーグラムが驚きで目を丸くする。
「……そうか。俺は気が重いのか。プルクラの言う通りだ。俺は奴が苦手なのだ」
「苦手」
「うむ。まぁ、女神が言うのなら仕方ないな。嫌だが、仕方ない。とても嫌だが」
“嫌”と“仕方ない”を二回ずつ繰り返したニーグラム。
「レンダルは白竜様に会ったことある?」
「いや、儂はないな」
「お父さん、白竜様って悪い人?」
「悪い奴ではない。悪い奴ではないが…………鬱陶しいのだ」
「鬱陶しい」
「うむ。会えば分かる。会わせたくないが」
「そ、そうなんだ……」
父がこれだけ嫌がるので、プルクラはだんだん不安になってきた。怖い人なのか、礼儀作法に煩い人なのか、それとも喧嘩っ早いとか?
「でも、ノヴェル様から協力しろって言われたし……」
「そうなのだ。別に奴の力など借りずとも良いと思うのだがな。しかし女神が言うのだから仕方ないのだろう」
お父さん、本当に嫌なんだ……。
何だか胃がシクシクするような気がして、プルクラはそっと自分に「サナーティオ」を掛けた。
「近いうちに話を付けてくる。プルクラの屋敷に連れて行くことになるだろう」
「……ん。仕方ない、よね」
お屋敷、壊されたりしないかな? みんな無事でいられるよね?
「お前は俺が全力守る。心配するな」
「ん、分かった。お父さんに任せる」
必要な話を終えてしばらく歓談した後、転移で父を森に送り、プルクラもサウスポートへ戻ったのだった。
“シェイカー亭”に戻ったプルクラは皆と一緒に昼食を食べた後、港の近くに行って釣りを体験してみることにした。船の接岸に適さない岩場があって、そこでは結構な大物が釣れるとグリッドが言っていたので、今回は五人と一匹の全員で出掛けることとなった。
「ジガン、釣り得意?」
「んー、得意ってわけじゃねぇなぁ。俺がここに住んでたのは一年にも満たないくらいだったし」
「でも、ジガン以外誰も海釣りしたことない」
プルクラは川や湖で魚を獲ったことはあるし、つい昨日は黒海老をがっつり獲ってきたが、いずれも潜って直接捕らえるというワイルドな手法である。竿、糸、糸巻き器、浮き、錘、釣り針を使った釣りは初体験だ。
クリルは川釣りならやったことがあるらしい。アウリとバルドスはプルクラと同様初めてだ。
ルカインは釣りに参加しない。賑やかし要員である。
餌は漁港で売っていたのでそれを買ってきた。生きた小さな海老やゴカイの一種であるアオイソメなどである。
「プ、プルクラ様? それを使うのですか?」
「ん、よく釣れるって。アウリの針にも付けたげる」
「あ、ありがとうございます」
アウリはアオイソメを触れないようなので、プルクラがアウリの分まで針に刺した。
「ジガン、これでいい?」
「おう、いいぞ。そしたら、こうやって投げる」
ジガンが竿を振りかぶり、シュッと腕を撓らせると仕掛けが遠くまで飛んだ。
「ほぉー!」
プルクラが目をキラキラさせて感心し、ジガンはドヤ顔になる。
「浮きが見えるか?」
「ん」
「魚が餌に食い付いたら、浮きがグッと沈むんだ。その時にタイミングを合わせて竿をクイっと上げれば、魚の口に釣り針が引っ掛かる」
「なるほど」
「まぁ、何度かやってるうちに慣れる」
「ん、分かった」
バルドスにはクリルが教え、プルクラとアウリはジガンから教わり、第一投に挑む。
「こうして……そーい! あ」
ジガンより遠くへ投げようと力が入り過ぎ、竿が手からすっぽ抜けて遥か彼方の海面まで飛んで行った。
「プルクラ? 魚を竿で突き刺すのにゃ?」
「んなわけあるかっ! プルクラ、お前なぁ」
「こんなこともあろうかと、竿は多めに用意してる」
「普通こんなことはねぇけどな!」
備えあれば患いなし。プルクラは拡張袋から二本目の竿を取り出した。釣具店にて竿を含めた道具類はたくさん買ったのだ。
アウリは飛距離こそそれほどないものの、上手く投げ込めたようだ。針に餌を引っ掛けたプルクラは、しっかりと竿を握って振りかぶった。
「よし。そーい!」
バキッ。どんな原理でそうなったのか、竿が真ん中辺りから真っ二つに折れた。
「む……」
「む、じゃねぇよ! どんだけ速く振れば竿が折れんだよ!?」
どうやらプルクラの竿を振る速さが常軌を逸しているらしい。ジガンは自分のことそっちのけでプルクラを気にしている。と言うか気になって仕方ない。
「……もっと丈夫な竿ない? 鋼とか」
「ねぇよ!! 優しく振れ優しく!」
「優しく……分かった、やってみる」
三本目の竿を取り出して釣り針に餌をつけていると、アウリが焦った声を上げた。
「ジ、ジガン様!? 何かが引っ張ってます!」
「何かって魚だろうよ」
「ど、どうすれば!?」
「その手元の棒をクルクル巻け!」
「これですか?」
「そうだ! 魚の動きに合わせて、竿を立てたり寝かせたりするんだ!」
「え? 魚の動きなんて分かりませんが」
「何となくだよ何となく!」
アウリの竿に魚が掛かったようなので、プルクラも手を止めてアウリの応援に行った。竿先が撓り、左右に振り回されているように見える。
「アウリ、がんばれ! アウリならできる!」
「プルクラ様! はい、頑張ります!」
ジガンのアドバイスを受けながら、アウリは額に汗を浮かべて魚と格闘している。それを見ているプルクラの手にも力が入った。
ジガンは長い柄の付いた網を持って岩場の突端で海面に目を凝らしている。
「アウリ、もう少しだ!」
「は、はい!」
プルクラもジガンの隣まで行って海を覗き見た。銀色の魚影が海面を掠める。
「わっ!? なんかおっきいのが見えた!」
「大物だぞ!」
「アウリ、がんばって!」
「は、はいぃぃ!」
必死に糸を巻いていると、魚が抵抗を止めたようにゆらゆらと海面に浮きあがる。ジガンがそれをすかさず網で掬った。
「やった! アウリ、釣れた!」
「でかいな、こりゃ鱸だ!」
「や、やりました」
「アウリ、やったにゃ!」
尻餅をついたアウリの足を、ルカインがてしてしと叩く。ジガンとプルクラが戻ってきて網に入った獲物をアウリに見せた。一メトル近い大きさの鱸だ。
「わ、おっきいですね」
「初めてでこんな大物釣り上げるとはやるな!」
「アウリ、すごい!」
少し離れた場所にいたクリルとバルドスもこちらへやってきた。
「おお、大きいのが釣れましたね!」
「さすがはアウリ殿ですな」
「すごかったよ! 竿がぎゅーんて曲がって、右に行ったり左に行ったり。アウリが勝った!」
釣った本人であるアウリは魚との格闘で疲れていたが、プルクラが本人以上に喜びを露にしており、そんな風に喜んでもらえるのがアウリはとても嬉しかった。
「プルクラ様ならもっと大きな魚が釣れるんじゃないでしょうか?」
「……がんばるっ!」
ジガンが魚を締め、氷の入った桶に入れてくれたのを見届け、プルクラも三回目の挑戦を行う。挑戦と言っても、今のところ竿を投げたり折ったりしただけだが。
「いいか、プルクラ。竿振るのに力も速さも要らねぇからな?」
「ん、わかった」
餌を付け直した竿を持ち、心の中で「優しく、ゆっくり」と繰り返しながら、プルクラは竿を振った。
「やったにゃ!」
「プルクラ様、お見事です!」
「プルクラさん、上手ですよ!」
「さすがはプルクラ様!」
普通に仕掛けを投げただけでこの褒められようである。ジガンも苦笑いしながら、変なツッコミを入れるのは控えた。
「上手く出来たな! その調子だぞ、プルクラ!」
「えへへ」
とりあえずこれ以上竿がどうにかなる事態は避けられそうだ。プルクラが真剣な顔で浮きを見つめているので、各人も自分の竿のところへ戻ろうとしたとき――
「なんかきたっ!」
「嘘だろ!?」
プルクラの声にジガンが振り返ると、竿が大きく撓っていた。
「私の時より竿が曲がってます!」
「大物の予感にゃ!」
「プルクラ、あまり力任せに糸を巻くな! 切れちまうぞ!」
「ん!」
アウリが釣り上げる様子を見ていたプルクラは、彼女がしていたように竿を立てたり寝かせたり、魚がこちら側へ寄ったタイミングで少しずつ糸を巻いていく。
「上手いぞ!」
「その調子です!」
プルクラは自ら岩場の突端まで移動し、真っ向から魚と対峙する。クリルとバルドスもこちらへ戻ってきて、プルクラを応援し始めた。
「プルクラさん、焦らないで!」
「疲れたら私が代わります!」
「だいじょぶ!」
ジガンが先程使った柄付きの網を構え、海面を睨んでいる。
「慎重に行けよ……」
「ん……」
「見えたっ! でけぇぞ!!」
プルクラにもゆらゆらとこちらへ近付く黒い魚影が見えた。
「……なんか、あんまり手応えない」
「ほんとか? 竿、すげぇ撓ってるぞ?」
「ん、重いのは重いけど、なんか自分から近付いて来てるような」
「そんなこたぁねぇだろ、気のせいだ気のせい」
プルクラは小首を傾げながら糸を巻き取っていく。もう魚は諦めたのだろうか? アウリの時のような激しい抵抗が見られない。
「もう少しだ……ゆっくりでいいぞー……」
海面近くまで来てもあまり動かないそれに向かってジガンが網を向けた時、誰も予想していなかったことが起きた。
ピチッ!!
「「「「「「え」」」」」」
プルクラの身長ほどある黒いそれは自分で海から跳ね上がった。水飛沫をまき散らしながら放物線を描くそれは、まるで吸い込まれるかのようにプルクラへ向かい……ひしっ、と抱き着いた。
プルクラも何となく抱き返す。それはつい昨日、岩礁で別れた巨大黒海老だった。
「でっかい海老にゃ!」
「プ、プルクラ様!?」
「大丈夫か!?」
「プルクラさん!」
「くっ、プルクラ様から離れろ!」
傍からだとプルクラが巨大な海老に襲われているようにしか見えない。仲間たちは大いに慌てた。
「ん、だいじょぶ。昨日会ったエビちゃん」
「「「「「エビちゃん」」」」にゃ?」
巨大黒海老は、大ダコに襲われたと思ったら不思議な空間に迷い込み、そこでプルクラに助けられた。女神ノヴェルとプルクラが話をしている間、じっとプルクラに抱き着いていた。海に戻ってから、棲み処である岩礁で優しくリリースされた。
以上の経緯から、巨大黒海老はプルクラに懐いた…………のかもしれないが、本当のところは分からない。何せ海老なので。
「遂に甲殻類にまで懐かれたか」
火翼竜、地竜はまだ分かるが、海老が懐くだろうか? ジガン以外の三人は揃って首を傾げる。ルカインだけはプルクラの足元でぴょんぴょん跳んで浮かれていた。
「プ、プルクラ様? その……エビちゃんはどうするのです?」
「ん……」
ここから二ケーメル離れた岩礁からわざわざ会いに来たのだ。昨日にも増して愛着が湧くというもの。しかし、さすがに飼うことは出来ない。海老なのにデカすぎる。
「ごめんね、エビちゃん。一緒には居られない」
感情の窺えない海老の黒い眼球に、プルクラの切ない顔が映る。気持ちが通じたのか、プルクラにしがみつく足の力が緩んだので、そっと引き離す。
「そーい!!」
プルクラは、巨大黒海老を海に向かって投げた。
「おぉ……すげぇ飛んだな」
「百メトルくらいでしょうか?」
「物凄い水飛沫が上がりましたね」
「南無……」
「よし、魚釣りしよ」
「切り替えが早いにゃ!?」
その後、何度投げても巨大黒海老が掛かるので、プルクラは魚を釣るのを諦めた。なおエビちゃんはその都度きちんと海に帰した。
「プルクラ、もう海老王でいいと思うぞ?」
「…………なんかやだ」
エビちゃん≒飼い主にフリスビーを投げられて遊んでもらっているわんちゃん
ちょっとおふざけが過ぎました……
次の更新は土曜日の予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。




