77 そうだ、海に行こう
以前のプルクラだと、ひとりで転移する距離は直線にして約千五百ケーメルが限界だった。“至竜石”が馴染んだ現在、魔力量も増えてその十倍程度は転移可能である。
領都メスティフの討採組合にて、ファーヴニルの亡骸で危うく倉庫を数棟潰しかけた後、プルクラは人目の届かない路地に入って王都の屋敷に転移した。時刻は夕方近くで、お昼を食べていないためお腹が空いていたが、ひとりで食事が出来る店に入るのはプルクラにはまだ難度が高過ぎた。
屋敷の自室に転移で戻ったプルクラに、灰色の毛玉が突進してくる。
「ルカ?」
ルカインは勢いそのままにプルクラの胸目掛けて跳躍した。プルクラは慌ててルカインを抱き留める。
「心配したにゃ! すっごく心配したにゃ!!」
ルカインは怒りながら泣いていた。プルクラはその場に座り、ルカインが落ち着くまで背中を優しく撫でた。暫くして泣き止んだルカインがぽつぽつと話してくれた。
「アウリから聞いたにゃ……プルクラが赤い罅のある紫色の竜を倒しに行ったって……それは、アリュールが、前のご主人が、倒しに行って、か、帰って来なかった、邪竜にゃ」
「うん、うん」
「プルクラが強いのは知ってるし、黒竜様も一緒だから、大丈夫、ってアウリが……でも、もしプルクラも帰って来なかったらって、ウチは心配して――」
言葉の途中で、プルクラはルカインをギュッと抱きしめた。
「ごめんね、ルカ。心配かけてごめん」
「にゃ……」
「その邪竜――ファーヴニルは、ルカの前のご主人の仇だって分かったの。だから、私が仇を取らなきゃって思った」
「……それはウチのためにゃ?」
「ん。ルカの、とっても大事な人を奪った奴だから」
「にゃぁ」
ルカインは、プルクラの胸にぐりぐりと頭を押しつけながら再び泣き出した。
「前のご主人――アリュールさんは凄い人だったんだね。ファーヴニルはとても強かったよ。大きくて強くて、きっと凄く怖かった筈。それでも戦って、封印までしてみんなを守ったアリュールさんのこと、私は尊敬する」
ルカインの頭から背中をずっと撫でながら、プルクラは小さな声で語り掛けた。ルカインの泣き声は徐々に小さくなり、グズグズと鼻を啜って漸く泣き止む。
「……プルクラ、ありがとにゃ」
「私の方こそありがと。ルカが“至竜石”に込めてくれた願いのおかげで怪我しなかった」
「ほんとにゃ?」
「ん、ほんと。ルカは最高の妖精」
プルクラがそう告げると、ルカインはプルクラの顎の辺りをペロペロと舐める。今までそんなことをしたことはなかったのに、今は甘えたい気分なのかもしれない。
プルクラの自室の外の廊下では、アウリがずっとソワソワして待っていた。ルカインに負けず劣らず、アウリもプルクラのことを心配していたのだ。それを言ったらジガン、クリル、バルドスの三人も同じである。男性陣三人は、よくプルクラが使っている小リビングで貧乏ゆすりをしながらプルクラの帰りを待っている。
アウリは真っ先にプルクラを迎えたかったが、ルカインに譲ったのだ。そうしたら思いのほか重たい話になってルカインが泣き出してしまい、プルクラの自室に入るタイミングを見失ったのであった。
アウリは、ルカインを抱いたプルクラが出て来るまでずっと、扉の前を行ったり来たりするのだった。
「やっぱりアウリの作ってくれたご飯は美味しい」
屋敷で一番小さなダイニング(ダイニングも三つある)にて、プルクラはようやく食事にありついた。もう夕食の時間で、全員揃って夕食を食べている。旺盛な食欲を見せるプルクラに、アウリは終始ご満悦だ。
「しっかし、プルクラがひとりで街に入ったとはなぁ」
一足先に食事を終え、酒を嗜んでいるジガンが感慨深げに零す。
「ん、よゆー」
本当はビビり倒していた。
「街もそうですが、討採組合にもひとりで入って、そのうえ支部長と渡り合ったんでしょ? もう人見知りは克服したということですね」
クリルがいつも通りの微笑みを湛えながらそんなことを口にした。
「ん。よゆー」
討採組合の床板のことなら良く知っている。そればかり見ていたので。支部長と渡り合ったと言うか、勝手に話が進んでいたと言う方が正しい。
「メスティフ支部長の目は節穴ですな。プルクラ様が“竜”を倒したことを疑うとは」
バルドスはご立腹である。普通、プルクラを見ただけで強いと思う人はいない。
「ん。ファーヴニルを出したらアワアワしてた」
倉庫が潰れそうになってアワアワしていたのは、支部長だけでなくプルクラもである。
「プルクラ様……もう、私は必要ないのでしょうか……?」
「まさか。街に入るとき、転移してアウリを連れて来ようかと思った。割と本気で」
「まぁ! プルクラ様、いつでもこのアウリを頼りにして下さいね!」
アウリがとても悲しそうな顔をするので、「よゆー」が嘘だとばらしてしまった。ただ、全員それが嘘だと既に見破っていた。言いながらプルクラの目が泳いでいたから。
「あー、殿下にファーヴニル倒したって伝えないと」
「それなら、たぶん今夜にも伝わると思うぞ?」
「そうなの?」
「クラーラの前でそれとなく話題にしたからな」
クラーラとは、国から派遣されたメイドのひとりである。年齢は十八歳、暗めの茶色い髪で、瞳も同じ色。そばかすのある、溌剌とした娘だ。だが、彼女は国の間諜である。それを分かったうえで働いてもらっている。
プルクラたちには特に隠すようなことがない。何かを企んでいるわけでもないし、今後もそうするつもりはない。国が安心できるなら、間諜のひとりやふたり近くに居ても構わないのである。むしろ、ブレント王子に情報を伝えたい時などに重宝すると考えている。
「じゃあいっか。ということで、旅に行きたいんだけど」
「唐突だなぁ、おい」
プルクラの宣言に、ジガンは酒を飲みながら苦笑いする。
「海を見たい」
「「「「ほぅ」」」」
「海! ウチも見たいにゃ!」
宣言は唐突だが、中身はとてもまともだった。プルクラのことだから、見たことのない強い魔獣を狩りに行きたいとでも言い出すのではと皆思っていたのだ。
最初の旅は、ファシオたちに会うため西へ行こうかと思ったが、メスティフの討採組合で彼女たちが精力的に依頼を熟していると知った。それを邪魔するのも何だか悪い気がする。
転移ポイントを作ったからいつでも行けるし、せっかくだから行ったことのない場所へ行きたい。プルクラは物語でしか「海」を知らないので、見に行きたいと思った。
「海か。俺の両親たちの住んでる町なら、近くに海があるぞ?」
「ほんと!?」
「ど田舎だけどな!」
既に地竜車の客車は(主にジガンの)希望通りの仕様で納車されている。庭の倉庫に保管され、ジガンが毎日のように磨いており、出番を待ち焦がれていた。
「いよいよ地竜車の出番か!」
「海のある町ということは、ジガンさんのご両親はサウスポートにいらっしゃるんですか?」
「ああ、そうだ。良く知ってるな、あんな田舎町」
「これでも元巡礼神官ですから。リーデンシア王国の南部を回った時、印象に残った町なんです」
「印象? 何かあったか?」
「海鮮料理がとにかく美味しくて」
「「「海鮮料理!」」」
プルクラ、アウリ、バルドスの三人が同時に声を上げた。
プルクラが初めて王都に来た時、ジガンの案内で食べた海の魚と海老の料理が絶品で、実は王都に住み始めてからアウリと一緒に二度食べに行っている。そこで、海の幸は新鮮な方がより美味しいと聞いた。いくら魔導具で鮮度を保ちながら王都に運ぶとは言え、海に近い場所の方が美味しいに決まっているではないか。
海の幸のことを考えたら、プルクラは居ても立っても居られなくなってきた。
「いつ行く? 明日?」
無邪気に瞳をキラキラさせているプルクラを見て、断れる者は居なかった。
こうして、急遽サウスポートへの旅が決まった。
「ではクラーラさん。ニーグラム様やレンダル様がいらっしゃったら伝言をお願いしますね」
「かしこまりました。お気を付けていってらっしゃいませ」
間諜メイドのクラーラに、アウリが念押しした。王国南部、海に近いサウスポートまで五人で旅行に出ることは、屋敷の使用人全員に通達済みである。クラーラに念押ししたのは彼女経由でブレント王子に伝わることを見越したものだ。
ちなみに、クラーラ本人は間諜だとバレていることを知らない。
「アウリー! 早く行こー!」
「アウリ、急ぐにゃー!」
既に地竜車の客車に乗り込んだプルクラとルカインが、窓から身を乗り出してアウリを急き立てた。客車は元々定員十二名だったものを、八名がゆったり使えるように改装されている。二人掛けの席が中央の通路を挟んで横に二列、縦に三列あったところ、三人掛けのソファを窓を背にして向い合せにし、最後方にそれより少し小さなソファを前向きに設置している。プルクラとルカインは最後方に陣取っていた。
三人掛けの二つのソファには、クリルとバルドスがそれぞれ一つずつ贅沢に使っている。荷物はアウリの拡張袋に入れてあるので客車の内部は無駄に広々している。馭者台にはジガンが嬉々として座っていた。その馭者台も雨風を凌げるよう屋根と左右に壁があり、壁には大きな窓がついて視界を確保している。席もソファと遜色ない座り心地だし、客車ほどではないが冷暖房機能も備わっている。
アウリが客車に乗り込んだことを確認したジガンがチー助に声を掛けた。
「よし、チー助。出発だ!」
「ぐるぅ!」
火翼竜のヴァイちゃんに比べるとやや高い鳴き声でチー助が答える。彼も地竜車が曳けて嬉しいようだ。
屋敷の玄関前から、噴水を回り込んで門を出る。プルクラが振り返ると、二人のメイドが門の横でこちらに頭を下げていた。玄関の所にも使用人一同が集まって頭を下げている。大袈裟な見送りにこそばゆい気持ちになった。
大通りに出て南門に向かう。屋敷は南街区にあるので門は比較的近い。石畳の道は高級住宅街に相応しく滑らかに整備されていて、足回りに浮遊の魔導具が使われていることもあり、揺れは全く感じない。
住宅街を抜けて道が少し悪くなるが振動は最低限に抑えられている。ジガンが熱く語るだけはあった。
王都を出ると速度が徐々に上がる。地竜が客車を曳く速度は平均して刻速六十ケーメル程度。休憩を挟みながら、一日六刻稼働して三百ケーメル移動出来る。ただ、宿泊する街から街の距離によって稼働時間は変わる。目的地のサウスポートまでは四日後、遅くても五日後に到着する予定だ。
移動中は暇なので、プルクラは新しく買ったり森の小屋から持って来たりした本をひたすら読んで過ごした。
道中、特にトラブルに見舞われることはなかった。
体長十五メトルの岩喰い大蚯蚓二匹に襲われたり、体長二メトルの長牙豹十五匹の群れが襲い掛かって来たり、森の傍で鎧蟻三十匹が襲撃したりしてきたが、ジガン、バルドス、クリル、アウリが嬉々として撃退したのでプルクラの出番はなかった。つまり、特にトラブルはなかったと言える。
普通の人たちが街から街へ移動するのは命懸けであるが、プルクラたちはちょっとした鍛錬だと思っている。
こうして、天候にも恵まれて予定通り四日後にはサウスポートの町に到着した。人の背丈くらいの石壁に囲まれた町は、東西一ケーメル、南北八百メトルの広さで、人口はおよそ八百人。町から南へ一・五ケーメル下ると漁港と塩田、製塩所がある。海沿いの町はサウスポート以外にもいくつかあり、王国で消費される塩はそれらの町で全て作られている。
リーデンシア王国が大国でいられる一つの要因は、内陸の国々へ塩を輸出しているからだと言われていた。
町の北門付近には、サウスポートを訪れる商人や旅人、貴族のための宿泊施設が整っていた。そのうちの一つ、貴族向けの宿泊施設を、ジガンの家族が経営している。滞在中はそこにお世話になる予定だ。
北門を抜けた後、プルクラたちは客車から降りて町並みを眺めながら歩いた。馭者台のジガンがチー助を巧みに操りながら言う。
「クリルが言った通り、サウスポートは海鮮料理がそこそこ有名だからな。魚好きや珍しい物好きな貴族が結構やって来るんだ」
「なるほど」
「十五年前まで貴族向けの宿がなかったんだよ。だから俺の親や兄弟に勧めた」
「ジガン様は元子爵家の方ですものね」
「まぁ、俺はあんまり貴族って感じじゃなかったが……両親や兄たちはちゃんと教育を受けた人だからな。どうすれば貴族やその従者が心地よく過ごせるか分かってたんだよ」
ジガンの家族が貴族向けの宿を始めてから同じような宿が二軒出来たが、今でも“シェイカー亭”が貴族には一番人気らしい。やはり元貴族が営む宿は別格だそうだ。その分お値段も高いのだが。
三人の兄のうち、長男と三男は別で事業を行っている。この地の特産品である塩に焼いた海老の殻を粉砕して混ぜた「海老塩」、海藻に海水を含ませた塩水から作る「藻塩」、この地で採れる青のりを混ぜた「青のり塩」など、塩の加工品を製造・販売していると言う。
「ここだ」
白塗りの壁、横に広い二階建ての宿。外観は素朴なそこが“シェイカー亭”だった。玄関は重厚な木製で、両側の壁にランプが備え付けられ、夕方の現在すでに火が灯されていた。
「地竜車を預けてくるから少し待っててくれ」
そう言ったジガンは建物横の細い路地に地竜車を進めて行った。
海まで行き着けなかった……orz
次回で海に行きます、きっと!
いつもお読み下さる読者様、本当にありがとうございます!
次の更新は日曜日の予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。




