70 娘の敵をぶん殴りたい父
“黒金の匙亭”で一晩過ごした翌朝。朝食を食べた後、プルクラは父とレンダルに会いに行くことにした。
「今日はお父さんの所に泊まってくる」
「そうですね。ニーグラム様も偶にはプルクラ様とお過ごしになりたいでしょうしね」
「ん。アウリもゆっくりしてて」
「かしこまりました。お気をつけて」
プルクラとアウリが泊まっている部屋から、転移の腕輪を使って黒竜の森に建つ小屋へと転移する。
「お父さーん、来たー…………あれ?」
それ程大きな小屋ではないのでニーグラムが小屋にいれば気配ですぐに分かるのだが、今日はその気配がない。
「森の見回り? それともレンダルのとこかな?」
小屋で待っていればそのうち帰って来ると思うが、それならばとレンダルの家に向かって転移した。いつもの、家の一階にある納戸のような場所だ。
「レンダルー、来たー」
そう言えば今度はアウリと一緒に来るって言ってたな。一緒に来れば良かったかな。
プルクラがそんなことを考えていると、ドタバタとこちらに走って来る音がして、納戸の戸がバーンと開かれた。
「プルクラ! もう体は大丈夫かっ!?」
心配そうな顔をしたレンダルに、プルクラはまた申し訳ない気持ちになる。
「だいじょぶ。レンダル、心配かけてごめんなさい」
「謝ることはない。元気になってよかった」
レンダルが、まるで壊れ物を扱うようにそっと抱きしめるので、プルクラはしがみつくようにギュッと抱き返した。
「ニーグラムが来ておるぞ?」
「ほんと?」
「こっちにおいで」
誘われるまま居間に行くと、ソファで父が寛いでいた。
「お父さん!」
「プルクラ……おっと」
ソファに座る父に飛び込むように抱き着くプルクラ。それでもニーグラムは微動だにしない。
「お父さん。私とジガンとバルドスの怪我、治してくれてありがとう」
「うむ、礼には及ばん」
落ち着いて座り直し、父とレンダルが帝都にいた理由を尋ねた。その結果、プルクラたちも戦った、昆虫の目を持つ生き物が原因だと分かった。
「元々、帝国が作り出した転送魔導具を、ヌォルが細工して異世界と繋げたようだ」
「異世界……ヌォル……」
破壊を免れた魔導具は六個ある。そこに刻まれた魔法陣のうち、レンダルにも読めない言語があった。それをニーグラムに見せたところ、「神の言葉」だと分かったのである。ただ、ニーグラムにも神の言葉全てを理解出来るわけではない。一部「竜の聲」と通じる部分があったため、遥か昔に見た神の言葉だろうと結論付けたのだった。
「お父さんたちが来てくれて助かった」
「むしろもっと早く行ってやればよかったな」
父たちが帝都まで来てくれていなかったら、自分とジガン、バルドスは死んでいただろう。今更ながらプルクラは背筋が冷たくなるのを感じた。
「それで、レンダルが転送魔導具と魔法陣を解析しているのだ」
「解析?」
「ニーグラムは、ヌォルを直接ぶん殴りたいんじゃと」
レンダルがニヤニヤしながら教えてくれ、プルクラは目を丸くして父を見た。
ヌォルって、別の次元にいるんじゃなかったっけ? 直接ぶん殴る?
「簡単ではないし、不可能かもしれん。だがやってみる価値はある」
「ニーグラムはな、滅茶苦茶怒っとるんじゃよ。娘が酷い目に遭った元凶は間違いなくヌォルじゃからな」
帝都殲滅の前にレンダルが感じた違和感。プルクラが瀕死の重傷を負ったというのに、ニーグラムは冷静に見えたこと。
元々黒竜は「怒り」という感情とは無縁であったので、愛娘の酷い姿を見て湧き上がった感情が何か分からず戸惑っていたのである。それをレンダルは「感情が希薄なのか」と勘違いしたのだった。
帝都を蒼い炎で更地にした後、黒竜の森へ戻ったニーグラムは、レンダルにその気持ちが何かを尋ねた。レンダルは半ば呆れながらも、それが「怒り」だと教えた。
その「怒り」の矛先は、言うまでもなくヌォルである。プルクラが生まれる前も、度々この世界に嫌がらせをしてきた「神」だ。
「奴が、異なる世界同士を繋げることが出来たのなら、しかもそれが“魔法陣”によるものなら、それを利用して奴を引っ張り出すか、こちらから出向くことが出来るのではないかと思ってな」
「簡単に言いよるわい。この魔法陣の解析だけで数か月は掛かるというのに」
つまり、父は娘に無体なことをした“神”をぶん殴ると言っているのだ。
「……お父さんらしい」
「俺だけでは無理だが、レンダルの力を借りれば何とかなる」
「あんまり期待しないでくれる?」
大魔導レンダル・グリーガンに解析出来なければ、この世界で誰も解析出来ないだろう。
「レンダル、無理しないでね?」
「儂だって、ヌォルに極大魔術をぶち込みたいからの。まぁやってみるわい」
「ん、分かった。ところでお父さん。私、至竜石を取り込んだ」
「…………なに?」
「プルクラ、今何と言ったんじゃ?」
「至竜石、取り込んだの」
プルクラは昨日起きたことを二人に聞かせた。一緒にいる妖精のルカインが“至竜石”は妖精の願いが結晶化したものだと教えてくれた。自分の消滅と引き換えに“至竜石”を生み出そうとするのを止めさせ、時間が掛かっても普通に作って欲しいと頼んだ。だが、朝起きた時には“至竜石”が生まれていた、と。
「ルカが言うには、“名付けの作用”だって」
「名付け……。っ!?」
ニーグラムは、自分がそれについて忘れていたことにようやく気付いた。
「……人間にしては多いプルクラの魔力量は、俺の名付けが原因か」
「ルカはそう言ってたけど……そうなの?」
「う、うむ」
レンダルがニーグラムをジト目で睨んでいた。
黒竜の森がプルクラに影響を及ぼしているとレンダルは考えていたのだ。だから森から出すことをニーグラムに進言した。だが名付けが原因ならば、森に居ようが居まいが関係ない。
「私とルカは主従契約してるから、ルカにもお父さんの魔力が流れ込んでるって。それが途轍もない量だから、一晩で至竜石が出来たって言ってた」
「それで、体は何ともないのか? ニーグラムの魔力が流れ込んだり、至竜石を取り込んだりで」
「ん。余分な魔力は体の外に放出されるみたい。至竜石の方は馴染むのに少し時間が掛かるって」
プルクラの答えに、レンダルは安心したようだった。ニーグラムはばつの悪そうな顔をしている。
「私は、お父さんに名付けてもらって良かった」
「……そうか?」
「ん。それにお父さんの魔力が流れ込んでるのって、いつも繋がってるみたいで嬉しい」
「そうか……そうか!」
ニーグラムがご機嫌になったところで、リーデンシア王国との関係についても相談する。育ての父が黒竜であることを知らせてしまい、王国はプルクラをどう扱えば良いか頭を悩ませている。
「貴族になって特にいいことある?」
「レンダル、お前はどう思う?」
「そうじゃなぁ。叙爵されたことで、無理難題を言って来んとも限らん。基本的に王命には逆らえんじゃろ?」
「やっぱり?」
「うむ。結局は、リーデンシアに敵対せんという確信が欲しいんじゃろう」
「別に向こうが変なことしなければ敵対するつもりない」
「口約束では不安なんじゃろうなぁ。そうじゃな……別に爵位をもらわんでも、国王に一筆書いてもらえばどうじゃ? リーデンシア王国はプルクラたちを害さない、とでも。その約束が守られている限り、プルクラもリーデンシア王国を害さない、とか」
う~ん、とプルクラは腕組みをし、眉間に皺を寄せて考える。
「そんなんでいいの?」
「いや分からんけど」
プルクラとニーグラムがレンダルにジト目を送る。
「もう面倒だから黙って他の国に行こうかな」
「あまり遠くへ行って欲しくはない」
「あ、うん」
投げやりになったプルクラに、ニーグラムがボソッと告げた。
「まぁ他の国に行くのも手じゃろう。リーデンシア王国の出方を見てから決めればいいんじゃないかの?」
「ん……とにかく爵位は要らない。特別扱いもしなくていい。変なことしてくる人がいたらぶっ飛ばす。これでいいかな?」
「いいんじゃないか」
「今までと変わらんのじゃない?」
考え過ぎるのも良くない。プルクラとしては自由にさせてもらえればそれで良いのだ。
その後は兄の家族と会う予定だとか、ファシオたちが別の道を進んだとか、バルドスが仲間になったことを話した。ニーグラムが「そろそろ森に戻る」と言うので、プルクラも付いて行くと言ってレンダルに暇を告げる。
「私の転移で帰ろ?」
「うむ。レンダル、またな」
「レンダル、また来る」
「いつでもおいで」
「ん。ばいばい」
ニーグラムと共に黒竜の森に建つ小屋へ転移したプルクラは、久しぶりに狩りをすることにした。“至竜石”が馴染むのには時間が掛かるとルカインから言われたが、現段階で何か効果が出ているのか確かめたかったのである。
父を小屋に残して森の中心部――東の方へ向かって少し奥に進むと黒猪の姿を遠くに認めた。しかし子連れだったので見逃す。
黒猪の親子を避けて南の方に下ると百剣鹿の立派な角が木々の隙間に見えた。森の中層では脅威度上位の魔獣である。ついでにお肉の美味しさは一、二位を争う魔獣だ。
狙いを百剣鹿に定め、身体強化は慎重を期して十倍で発動する。これまで百剣鹿を相手にする場合は三十倍だったが、“至竜石”を取り込んだ効果が既に出ているかもしれない。いつもより「ゆっくり」を心掛けながら獲物に向かって走り出し――
「うわっ!?」
一瞬で百剣鹿の前まで来てしまい、プルクラと百剣鹿は驚いてお互い見つめ合った。我に返ったのは百剣鹿の方が早く、くるりと反転してその場から逃げていく。プルクラはそれを呆然と見送った。
「…………百倍より速い、かも?」
体の各部を確認するが痛みや出血はない。「サナーティオ」を発動していないにも関わらず、である。
妖精が贈りたいと願った「主」が“至竜石”を取り込んだ場合、身体能力と魔力量が十五~二十倍となる上、その妖精の“願い”が主に付与される、らしい。
プルクラの体感では、現時点で素の身体能力が十倍以上になっているようだ。だから身体強化十倍でも、百倍を超える速度で移動出来たのだろう。
特筆すべきは「肉体の損傷が無い」ことである。これまで身体強化百倍を使えば、全身がボロボロになり血を霧のように撒き散らしていたが、それが無いのだ。
もしかしなくても、これがルカインの「願い」の効果だろうか?
今の状態で身体強化百倍を使ったら……以前の基準で言えば、身体強化一千倍? いくら妖精の「加護」があっても、体がバラバラになったりしないだろうか。自分の体が細切れになる場面を想像して、プルクラは戦慄した。
……ちょびっとずつ倍率を上げて確かめよう。あと、無理しないようにしよう。
プルクラはそう決意して小屋に戻ることにした。もう狩りなどどうでも良いと思えた。
身体強化は使わずに小屋へ戻ると、火翼竜が来ていた。
「ヴァイちゃん!」
「グルルルルゥ」
火翼竜が頭を下げたので、プルクラは下顎の付け根をゴシゴシと撫でた。他の火翼竜は知らないが、ヴァイちゃんはここを撫でられるのが好きなのだ。
足元には彼(?)が仕留めたと思われる切裂鳥が横たわっている。風の刃を操るのでそう呼ばれている魔獣だ。翼を畳んだ状態で人化したニーグラムより大きな個体だった。
「グルゥ」
火翼竜が口先を器用に使って切裂鳥をプルクラの方に押しやった。
「獲ってきてくれたの?」
「グルルゥ」
「ありがと、ヴァイちゃん。一緒に食べよ」
プルクラは自分より大きく重い切裂鳥を軽々と担ぎ、縄を使って近くの木に吊るすと、手慣れた様子で解体し始める。鮮やかな緑色の羽毛は一片一片がプルクラの前腕ほどの長さがあった。実はこの羽根、貴族や富豪に珍重されていてかなりの価値がある。プルクラは「捌くのに邪魔だなぁ」としか思っていないのだが。
「プルクラ、戻ったな。ヴァイペールも来たのか」
ヴァイペールとは個体名ではなく火翼竜の古い呼び名である。小屋から出てきたニーグラムはプルクラの解体作業を手伝った。二人であっという間に可食部とそれ以外に分けられた切裂鳥。食べない部分はニーグラムが「竜の聲」で穴を掘り、そこへ投げ捨てる。貴重な羽根も皮ごと捨てられ、火翼竜が吐いた火球で焼き尽くされた。
「ヴァイちゃんも居るから外で焼こ?」
「そうだな」
プルクラがいそいそと小屋に入り、調味料や肉を刺す串を取ってきた。小屋の横には石組の竃があり、そこで火を熾す。
プルクラが大きなまな板も持って来て、自分と父用には一口大に、火翼竜用には拳二つ分くらいの大きさに肉を切り分け、調味料をまぶしていく。調味料は塩・胡椒と、黒竜の森で採れるいくつかのハーブを乾燥させて粉砕したものを混ぜている。プルクラとニーグラムが数年の試行錯誤を経て、最終的にはアウリが配合して完成させた逸品である。
それぞれを串に、火翼竜の分は棒に刺して竈の上に渡した。ヴァイちゃんは生でも全く問題ないのだが、表面を炙ったくらいが好きなのだ。グルメな火翼竜である。
遠火で焼くと、肉から滴った脂が薪に当たってジュワッという音を立て、何とも言えない芳しい香りが広がる。
ポタポタ、と脂の滴るのとは違う音が後ろから聞こえたので振り返ると、ヴァイちゃんの口から盛大に涎が垂れていた。水溜まりが出来そうな勢いである。
「…………ヴァイちゃん、もうしばらく待ってね」
プルクラが声を掛けるが、ヴァイちゃんの目は焼いているお肉に釘付けであった。それでも勝手に食べないだけの分別はあるのだ。欲望ダダ洩れだが。
串と棒を回転させて満遍なく火を通す。偶に調味料を追加で振りかける。じっと見ていても仕方ないので、もう一つの竈で野菜たっぷりのスープも作り始めた。六分の一刻(二十分)ほど掛けてお肉が焼けた頃にはスープも完成だ。自分たちの分を木皿に、ヴァイちゃんの分は棒から外して大きな木の葉に載せる。
「「いただきます」」
「グルゥ!」
街で食べるものとは違い、粗野で豪快な料理。それでも、プルクラにとってこういった料理は“実家の味”なのだ。旅に出て数か月しか経っていないのに、ひどく懐かしい気がした。父の隣に座り、時折父の顔を見ながらゆっくりと味わう。
火翼竜は、拳二つ分の塊を十個焼いたのだが殆どひと口で平らげた。もっとじっくりと味わってくれればいいのに、と思うプルクラである。
ヴァイちゃんを見送った後は久しぶりに小屋のお風呂に入った。この歳なので、流石にニーグラムと一緒に入ろうとはしない。
お風呂から上がったら、温かいミルクを飲みながら父と取り留めのない話をする。そしてこれもまた久しぶりの寝台に横たわれば、安心感からあっという間に眠りに落ちたのだった。
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