66 帝都消滅
お待たせしました、66話です。
こちらで「帝国編」は終わりになります。
プルクラが目覚める二日前。
プルクラたちの乗った地竜車を見送ったニーグラムとレンダルは、半分崩れた丘の上から帝都に視線を向けていた。
「防壁の中にはまだ沢山居そうじゃな」
「ああ……レンダル、人間がどれくらい生き残っているか分かるか?」
「この距離じゃ難しいわい。上空まで連れて行ってくれたら分かると思うぞ」
「うむ」
「……ゆっくり飛んでくれる?」
「分かった」
ここから見える防壁は大きく崩れており、異世界の生物が帝都内に入り込んでいるのは明らかだ。この世界を守護する者として異分子を放置することは出来ない。
もし帝都の人間が数多く残っているのなら、街に入って一体一体倒していくしかないだろう。とても面倒で時間のかかる作業だし、取りこぼしの可能性もある。
ニーグラムはレンダルを抱え、殊更ゆっくりと飛んだ。止むを得なかったとしても放り投げたりしたので、その分丁寧に扱う。
レンダルはニーグラムの心境を量りかねていた。愛娘が死にかけたのだ。彼が激怒しても不思議ではない。レンダルだって可愛い孫をあのような目に遭わせた奴には極大魔術の一つや二つぶち込みたい気分である。
なのに、ニーグラムは怒りを表に出していない。普段通りの冷静さを保っているように見える。やはり黒竜だから感情が希薄なのだろうか?
まぁ怒りに我を忘れられるよりはマシか、と思い直す。ニーグラムが怒り狂ったら、目の前の帝都どころか帝国そのものが焦土と化すだろうから。
やがて帝都の上空に差し掛かる。南東部はマスター・ジェネラルが吐いた火球の直撃で見るも無残な有り様であった。そのまま中心部へ移動するも、上から見る限り帝国兵が応戦している様子はない。その代わり、夥しい数の食屍鬼、霊魔、そして異世界の生物が見受けられた。
その後も帝都上空をゆっくり旋回する。時折霊魔の攻撃魔法やフォーレッグスの槍が飛んで来るが、全て回避するか障壁で跳ね返した。半刻(一時間)ほど掛けて人間の気配を探る。
「どうだ?」
「……少なくとも儂には人間の魔力は感知出来なんだ」
大魔導レンダル・グリーガンが感知出来ないのなら、それは生き残った人間が「いない」ということだ。
「そうか。では丸ごと消し飛ばして構わんな」
「…………そう、じゃな」
ツベンデル帝国の帝都グストラルには十万の兵を含めて百万の人間がいた筈だ。それがこんな短時間で殺され尽くすとは……俄かには信じ難い。
だが、それは真実である。そして、それを可能にした霊系と異世界の生物を野放しにするわけにいかないことは、レンダルにも十分理解出来る。それらは帝都を蹂躙するのに飽きれば別の街を襲撃するだろう。
ニーグラムとレンダルは半分崩れた丘に戻った。
「レンダル、念のために障壁を張っておけ。スピリトゥス・ドラコニス」
青白い炎の奔流が音も無く帝都に向かう。到達したそれは派手な破壊音もなく、静かに全てを吞み込んだ。大陸で栄華を誇った帝都グストラルが灰燼と化していく。それはまるで、死者を弔うかのような優しい炎だった。
僅か二呼吸半(約十秒)。たったそれだけで、帝都があった場所は熱せられた土がオレンジ色に光る更地になっていた。
この日、ツベンデル帝国の帝都グストラルは文字通り消滅した。
*****
「ねえ、帝都どうなった?」
もきゅもきゅもきゅと料理を咀嚼し、飲み下したタイミングでプルクラが仲間たちに問うた。瀕死の重傷を負って二日眠っていたとは思えない旺盛な食欲である。
アウリから、ジガンとバルドスの怪我は父が癒してくれたと聞いた。もちろんプルクラの怪我も。
プルクラは自分が酷い怪我を負った経緯を思い出し、それが冷静さを失った自業自得であることに思い当たり、大いに反省するとともに皆に謝った。
ただ身体強化百二十倍でなければ太刀打ち出来ない敵だったことも事実で、結果的に死人が出なかったのはプルクラの獅子奮迅の活躍あってこそだと皆理解しており、逆に感謝された。
とはいえ百五十倍はやり過ぎであろう。手足が千切れて吹っ飛ぶような真似は金輪際しないようにと涙目のアウリから釘を刺された。
「帝都だが、街でも情報が錯綜してるみてぇでな」
「ふぅ~ん?」
情報収集はバルドスとその仲間たちが行ったようである。ただ、ここ副都ダグルスも酷く混乱しており、何が正しい情報なのか判断出来ないらしい。
ある門兵は帝都方面から敵の軍勢が押し寄せてくると言い。
ある商人は帝都の方に行くのは命知らずだと言い。
ある宿屋の主人は帝都方面が通行止めだから商売あがったりだと愚痴を零し。
ある料理屋の給仕は足止めを食った者たちのせいで凄く忙しいと文句を言う。
彼らに共通しているのは、帝都がどうなったか正確なことを知らないということである。
「……帝都から情報が来ないから」
「そういうことだろうなぁ」
「二日もあれば、誰か見に行かない?」
「たぶん誰か行ったんだろう。東門が通行禁止になってる」
「情報統制……」
「団長の見立てでは、目論見通り帝都は壊滅してるんだろうってことだ。軍が混乱してるのがよく分かるって」
ジガンが声を抑えながら教えてくれる。
「ほらほら、そんなことよりこちらの料理も美味しいですよ?」
「ん、ありがと」
アウリは別の料理を皿によそったりして、プルクラの世話を甲斐甲斐しく焼いている。それをまたプルクラがもきゅもきゅもきゅと咀嚼する間、会話が途切れて静かになった。ごくん、と飲み込んで口を開く。
「あの虫みたいな目の生き物、全部死んでればいいけど」
「本当にな。少なくともこっちに被害は出てねぇようだが」
アーマー・ウルフ一体でも、街に入り込めば甚大な被害を齎すだろう。
「さて、プルクラ。これからどうする?」
「んー。一応、帝都がどうなったか見てくる」
「門は通れないですよ?」
「転移で行けると思う」
その手があったか、とジガン・アウリはポンと掌を打った。
「プルクラさん、もう体は大丈夫なんですか? 無理しない方が良いのでは?」
「ん、元気。ありがと、クリル」
満腹になったプルクラは、アウリと共に部屋に戻った。今はまだ昼過ぎ。ちゃちゃっと転移して帝都を見てくるのに何の問題もない。
「プルクラ様……おひとりで行くのですか?」
問題あった。アウリが物凄く心配している。もしあの強いのがまだいて転移先でかち合ったりしたら、アウリを守って戦うのは難しい。自分ひとりなら逃げるくらいは何とかなる。
「ちゃっと行ってちゃちゃっと帰って来る」
「ほんとですか……?」
「戦わないって約束する。何なら黒刀も置いていく」
「それは駄目です。武器はお持ちください」
「ん……バルドスたちに帝都がどうなったか教えたい。見たらすぐ戻る」
「分かりました。くれぐれもお気を付けて」
血塗れのプルクラを見てから、アウリは過剰に心配しているのだ。半分以上自分のせいなので心から申し訳なく思うプルクラである。
あの丘を明確にイメージした。自分が死にかけ、自分が作った溝に倒れ伏していたあの丘を。そして転移の腕輪に魔力を流す。足元に白く光る魔法陣が出現し、光柱が立ち上がる。
「いってきます!」
「いってらっしゃい!」
次の瞬間、プルクラは丘の上に立ち、微かな風を頬に感じた。丘の南側半分は茶色い土が露出した崖のようになっている。そこから一直線に深い溝があるのも記憶通り。二日間眠っていたが、プルクラにとっては数刻前の出来事である。
そして東を見下ろすと帝都…………どころか、草一本生えていない黒々とした大地が広がっていた。所々キラキラと光っている。
「…………ん?」
プルクラは再度辺りを見回した。転移を失敗して違う丘に来たのだろうか? 念入りに記憶を辿れば、半分形が変わっているとは言え間違いなくあの丘だ。そして東を向く。そこには帝都の防壁があって、プルクラの感覚では数刻前にそこで霊系と未知の生物が激しい戦闘を繰り広げていた……筈。
プルクラは目をくしくしと擦り、もう一度帝都があった筈の場所を眺める。何度見ても帝都の面影はない。どこまでも続く黒い大地。
ぴーひょろろろろ~、と鳶が鳴きながら空を飛んでいる。
「……帝都、どこ行った?」
帝都は動かないのである。勝手にどこかへ行ったりしない。だとすれば、帝都は消えたのだ。そしてそんなことが出来る人(竜)をプルクラは知っている。と言うか、この世界でこんなことが出来るのは、プルクラの知る限りニーグラムしかいない。自分やジガンたちを癒してくれたのだから、この場に居たことであるし。
「なんだ、お父さんか」
プルクラは納得した。レンダルも居たことだし、帝都に人が残っていないことを確認してから、霊系と未知の生物を滅ぼし尽くすためにやったのだろう。
そこに大陸一の都市があったなどと想像も出来ないくらい跡形もない。さすがはお父さん、とプルクラは父を真っ直ぐに称賛した。それが分かったので、意気揚々とアウリの待つ宿に転移で戻る。
「プルクラ様!!」
「アウリ、ただいま」
「本当に早かったですね?」
「ん、約束したから」
「はい! ……それで、帝都はどうでしたか?」
「んー、更地?」
「へ?」
プルクラは端的に答えた。端的過ぎてアウリの頭上に?が浮かぶ。
「えーと、綺麗さっぱり何にもなくなってた」
「何も? 防壁とかお城とかも?」
「ん。ひろーい更地」
「更地」
「ん」
良く分からないが、プルクラがすっきりした顔をしているので、悪いことではないのだろう、多分。アウリはそう自分を納得させた。
「バルドスに教えて、王都に帰ろ?」
「そうですね!」
ジガンとクリルの部屋へ行って見てきたことを伝えると、やはり「「更地?」」と二人から聞き返された。
「……なるほど。黒竜様か」
「ん」
クリルはプルクラの出自は聞かされており育ての父親がいることも知っているが、それが「黒竜」であるとは知らない。
「黒竜様?」
「ん? クリルに言ってなかったっけ?」
「何をでしょう?」
「私のお父さんのこと」
「とても凄い方と教えていただきましたが」
「黒竜が私を育ててくれたお父さん」
「コクリュウガ……オトウサン? ……へ?」
信じ難いことを言われ、常に平常心のクリルも流石に混乱したようだ。
「まぁ普通そうなるよなぁ……」
ジガンが憐みのこもった目をクリルに向けた。
「ん。今度紹介する」
プルクラが事も無げに言い放った。勿論彼女に悪気などない。一緒に旅する仲間として父に紹介し、父のこともクリルに紹介する、ただそれだけのこと。
ただそれだけのことなのだ。その“父”が黒竜でさえなければ。一国の王でさえ平伏せざるを得ないような相手でさえなければ。
「…………」
許容量を超えたのか、クリルはその場で固まって動かなくなった。ジガンは心の中でご愁傷様、と手を合わせた。
「ジガン、バルドスは?」
「え? ああ、団長なら夕方にはここに戻る筈だ」
バルドスが戻って来たら知らせてくれると言うので、プルクラはそれまで部屋でゆったり過ごすことにした。
ふかふかのソファに座り、膝の上に乗せたルカインの温もりを感じながら、アウリが淹れてくれた香りの良い紅茶に口をつける。指先でルカインの背を撫でると、ビロードのような手触りに思わず頬が緩む。
アウリも紅茶を手に隣に座り、プルクラに向かって尋ねた。
「王都には明日向かいますか?」
「んー、みんな特に用事ない?」
「ないと思います」
「それなら明日の朝出発しよう」
「はい」
また休憩しながらの転移で戻るのだ。明後日にはリーデンシア王国の王都シャーライネンに戻れる。
「出来たらバルドスも一緒に。兄さんに早く会わせたい」
「そうですね」
プルクラの実兄、アルトレイ・クレイリアはバルドスのことで心を痛めていた。彼が無事王国に戻れば、兄の心も穏やかになるというもの。
自分が妹だと知らせる気はないが、兄には幸せでいて欲しい。兄が幸せでなければ自分も安穏としてはいられないのだ。だからこれは兄の為ではなく自分の為である、とプルクラは思っている。
それは普通、兄想いの心優しい妹と言えるだろう。
しばらくして、バルドスが帰ってきたとジガンが知らせに来てくれた。ジガンと一緒にプルクラが彼の部屋に行くと大変恐縮されたが気にせず、帝都が跡形も無くなったことを伝えた。
「そう、ですか……黒竜様が」
「ん。だから、バルドスも一緒に帰ろ?」
「帰る、とは?」
「シャーライネンのアルトレイ兄さんのとこ」
「…………会わせる顔がございません」
「無事な姿を見せるだけでいい。その後は……やりたいことが見つかるまで、私たちと一緒にいる?」
バルドスと、そしてジガンまでが、ギョッとしたようにプルクラを見た。
「プルクラ様、良いのですか!?」
「ジガン、いいよね? いちお、みんなに聞いてからだけど」
「まぁ……団長が嫌じゃなきゃいいんじゃね?」
平均年齢がグッと上がるけどな、という言葉をジガンは吞み込んだ。自分よりおっさんが居れば色々と楽かもしれない。バルドスなら気を遣うこともないし。
当事者のバルドスは、内心打ち震えていた。彼は根っからの“騎士”なのだ。もう騎士ではないと言われたが、元クレイリア王国の王女であるプルクラに仕えられるなど望外の喜びである。
当のプルクラには「仕えてもらう」なんて気持ちはこれっぽっちも無いのだが。彼女にとってバルドスは好ましい人物なのだ。ちょっと融通の利かない所はあるが、義理堅いし何より強い。ジガンの剣の師匠という部分も魅力。ただ、自分の師匠はジガンしかしないと思っている。
夕食時、アウリ、クリル、ルカインにバルドスの同行について尋ねると快く了承が貰えた。ファシオ、ダルガ、オルガの三人は、自分たちには拒否権はないし、仮にあっても諸手を挙げて賛成だと言ってくれた。
バルドスは仲間たちに帝都の終焉を伝えに出掛けた。そして、それを以てバルドス自身の反帝国活動も終えると告げた。他の街に退避している仲間たちにも伝えてもらうよう頼み、バルドスは十五年間に渡る死地を探す旅に終止符を打った。
そして翌朝。新たにバルドスを仲間に加えたプルクラ一行は、副都ダグルスの西門から人の目が届かない場所へ移動し、転移でリーデンシア王国に向かったのだった。
ブックマーク、評価、リアクションを下さった読者様、ありがとうございます!
更新の間隔が空いてしまうのに、読んでいただけて幸せです。
次話は火曜日に更新の予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。




