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65 大ピンチ

火曜日と言ったのに、水曜日になってしまい申し訳ございません!

 南側から回り込んで走ってきたプルクラの目に映ったのは、一体の蟲鬼が大斧を振り切った姿。そしてジガンとバルドスが血を撒き散らしながら吹っ飛ばされるところだった。


 瞬間的にプルクラの怒りが頂点に達する。


『何やってんだお前ぇぇえええーっ!!!』


 ジガンたちに止めを刺すため大斧を振り上げていた蟲鬼は、プルクラの声に動きを止めてこちらを振り向いた。怒りに我を忘れたプルクラは、これまで発動したことのない身体強化()()()()を無意識に発動し、余った魔力の全てを黒刀と黒鎧に込めた。


 右足で蹴った地面が爆発し、丘の半分が土塊となって吹っ飛ぶ。

 黒刀と黒鎧が発する青白い光は目も開けられないほど眩い。だがそれも一瞬で、地面が一直線に抉れ、遅れて突風が吹き荒ぶ。地面の裂溝は百メトル先まで続いた。その直線上にいた蟲鬼は、何が起きたか理解する前に粉々となった。


 プルクラは、ジガンたちから少し離れた溝に横向きに倒れていた。


『ジ、ジガン……バルドス……』


 二人を治さなければ。プルクラは起き上がるため体に力を入れる。立ち上がろうとしてその場に崩れ落ちた。


(え……?)


 遅れて下半身から激痛が走った。


『うっ!? ぐぅ……』


 プルクラは気付いていないが、両膝と両足首が千切れかけていた。鎧が辛うじて体を繋ぎ止めているだけだった。

 外傷ではない。百五十倍という、肉体の限界を遥かに超えた身体強化を発動したせいで、負荷のかかった関節部分が内側から弾け飛んだのだ。


 膝と足首だけではなく、肩・肘・手首も同様に千切れそうになっている。彼女がまだ生きているのは、残り滓のような魔力で自分に「サナーティオ(癒し)」を施しているからに過ぎない。意識を失えば出血多量で死ぬ。


 それでも、プルクラは歯を食いしばって這い始める。朦朧とする意識が、僅かでも動く度に襲われる激痛によって覚醒する。

 最早、ジガンとバルドスの近くに行けたとしても、二人に癒しを掛けるのは難しいだろう。それでもプルクラは動くのを止めない。


 バルドスに、死ぬのは許さないと言った。

 ジガンを死なせるなんて絶対にダメ。

 だから私が二人を助ける。私が助けなきゃいけない。


 ズリ、ズリ、と少しずつ前に進む。全身の痛みが和らいだ気がする。だがそれは死が間近に迫っているせいだ。もう少し、あと少し。べちゃっ、とプルクラは地面に突っ伏した。意識が闇に沈んでいく。


サナーティオ(癒し)


 完全に意識を失う直前、プルクラが大好きな人の優しい声を聞いた気がした。





*****





 バルドスとジガンが重傷を負う少し前。

 レンダルを抱え、プルクラのもとへ飛行するニーグラムの目が、地上に不自然なものを捉える。


 それは防壁の南東、丈の低い草が延々と生える草原地帯。異世界の生物や霊系、そして人間の姿もない。そこを悠々と歩いているものがいた。

 身の丈は二メトルくらいだろうか? プルクラの全身鎧のように、爪先から頭の天辺まで真っ黒だ。鎧と異なるのは一切光沢がない点と、見える範囲で角のような突起がない点である。両手には湾曲した剣を持ち、それをぶらぶらと振りながら歩いている。


 訝しんで見ていると、それは突然空中にいるニーグラムたちの目の前に現れた。振りかぶられた曲刀の軌道はニーグラムが抱えているレンダルの腹部を狙っていた。彼が障壁を張るのは間に合わない。


「ふん!」


 だからニーグラムは、レンダルを後ろへぶん投げた。「なんでえぇぇぇぇ……!?」というレンダルの叫びが遠ざかっていく。


 ニーグラムは知る由もないが、眼前の敵は「マスター・ジェネラル(大将軍)」と呼ばれる個体だった。

 つるりとした貌には、黄色い半球状の目が埋まっている。それは“異世界の生物”の証に他ならない。

 背中から四枚の透明な翅が現れて高速で動き始めると、そいつは当たり前のように空中をニーグラムに向かって突っ込んできた。


フールメン(雷霆)


 ニーグラムの目の前に巨大な光の柱が立つ。それはマスター・ジェネラルを巻き込み、直後に霧散した。

 プルクラの使った「フールメン」は対象を遠距離に吹き飛ばした。だが本来の使い方は異なる。黒竜のそれは、対象を遥か上空、成層圏を超えた宇宙空間に吹っ飛ばす「竜の聲」である。

 異世界から迷い込んだ危険な生物をこの世界にのさばらせるわけにはいかない。だからこれまでは確実に息の根を止めた。敵が宇宙空間でも生き延びる可能性が皆無ではないからだ。

 しかし、今は後ろへ放り投げたレンダルの手当が必要。それで仕方なく、敵を宇宙空間へ飛ばしたのである。


 ニーグラムは全速力でレンダルを追い、地上に激突する寸前で掬い上げた。


「こ、こ、こ」

「こ?」

「殺す気か!?」

「そんなわけあるまい。むしろ命を救ったのだ」

「へ?」


 ゆっくりとレンダルを地上に下ろしながら、今しがた遥か上空へ吹っ飛ばした敵のことを伝える。


「ほぅ。そんな奴が――」


 少し涙目になっているレンダルの瞳が橙色の光を反射した。


オービチェ(障壁)


 ニーグラムは振り返りもせず、肩越しに右手を掲げて障壁を生み出す。そこへ、まるで小型の太陽が落ちてきたかのような、巨大な火球が直撃した。

 障壁の周囲は紅蓮の炎に包まれ、直径三百メトルの範囲で真っ赤に溶けた土が飛沫を上げる。


「ななな何じゃこりゃあ!?」

「ふむ、魔王格以上かもしれん。プルクラと当たらなくて良かったな」


 ニーグラムはレンダルを障壁で包み、その場から飛び上がる。渦巻く炎を割って、忙しく翅を動かす真っ黒い人型が迫ってきた。

 マスター・ジェネラルが己の力で「フールメン」の効果範囲から抜け、逆襲を仕掛けてきたのである。飛び上がったニーグラムに両手の曲刀を振り下ろす。


レツ・サチェンダム(爆ぜろ)


 ニーグラムは敵の両手に絞って「竜の聲」を放った。爆発でマスター・ジェネラルの両手が跳ね上がる。ガラ空きになった腹部に渾身の正拳突きを放った。敵は目にも止まらぬ速さで斜め下へ吹き飛び、激突した地面にクレーターを作る。


「自分で後ろへ飛んだか」


 腹を突き破るつもりで放った正拳突きだった。敵はその衝撃を自ら後ろへ飛んで逃がしたのだ。そして瞬時にニーグラムの後ろへ回り込み、カパリと開いた口から先程の火球を放った。ニーグラムは易々とそれを避けるが、火球は帝都に一直線で飛んでいく。カッ、と閃光が走り、帝都南東部で大爆発が起こった。


「…………早く倒さんと娘に叱られそうだ」


 ニーグラムは抑えていた力を三割程度まで解放した。


フリゴレ(凍てつけ)


 こちらへ真っ直ぐ向かってくるマスター・ジェネラルが突然落下し始める。翅を含めた全身が凍り付いていた。

 しかし地面に激突した直後に氷が割れ、再び飛び立とうとする。


「|スピリトゥス・ドラコニス《竜の息吹》」


 そこへ青白い炎の奔流が降り注ぐ。マスター・ジェネラルは数瞬だけ動きを見せるも、地面と一緒に蒸発していった。炎の奔流が収まった後、そこにはグツグツと煮え立つ溶岩の湖が出現していた。


 ニーグラムはレンダルを置いていた場所に降り立つ。


「終わったのか?」

「ああ」

「じゃあここから連れ出してくれ! 暑くて死にそうじゃ!」


 死にそうには思えない元気な声で喚くレンダルに苦笑いし、ニーグラムはまた彼を抱えて飛び立った。


 プルクラが持つ魔力覆いの魔道具を頼りに飛行すると、直ぐに地面に倒れ伏した黒鎧を見付ける。

 まるで這うように動く先には、血を流した二人の男。


『ジ、ジガン……バルドス……』


 娘の声が微かに聞こえ、ニーグラムは急いで地面に降りた。


『うっ!? ぐぅ……』


 ニーグラムとレンダルは急いでプルクラの所まで駆け寄り、その傍に膝を突いた。プルクラは二人が来たことにも気付かず、懸命に倒れた男たちに近付こうとしている。ニーグラムが彼女の魔力の状態を視ると、体中から魔力が漏れ、渦を巻くように乱れているのが分かった。レンダルはどうしたら良いか分からずオロオロとしている。


 人間が耐えられる痛みを疾うに超えている筈。どうしてこんなになるまで戦ったのだ?


 まるで自分が痛みを感じているように、ニーグラムの顔が歪んだ。娘は自らの体を顧みず、二人の男を救おうとしている。

 べちゃり、と音を立ててプルクラが地面に突っ伏した。考え事をしている場合ではない。


サナーティオ(癒し)


 淡い黄色の光が鎧を包む。ニーグラムは娘が救おうとした二人の男たちにも同時に癒しを施した。


「プ、プルクラは生きてるのか……?」

「ああ、大丈夫だ。傷も直ぐ治す」

「そうか……」


 レンダルが、力が抜けたようにその場に尻餅をついた。ニーグラムは娘を抱き起して兜を脱がせる。内側にはべっとりと血が付着していた。「アクア・カレンス(流水)」で傍に水を生み出し、手で掬って娘の顔に付いた血を流す。

 汗と血で額に張り付いた前髪をかき上げ、頬を優しく撫でた。


「よく頑張ったな」


 離れた所からガラガラという音が聞こえ、やがて一台の地竜車が近くに止まった。





*****





 プルクラが目を開くと、そこには見たことがあるような無いような気がする天井が見えた。


「……?」

「プルクラ様! 痛い所はありませんか!? 私のことが分かりますか!?」

「……アウリ。痛いとこない」

「はぁー、良かった!!」


 プルクラは寝心地の良い寝台に寝かされていた。その横に置かれた椅子にはアウリが座り、目を真っ赤に腫らしていた。


「アウリ……泣いてた?」

「プルクラ様……私は、何のお役にも立てなくて……」


 ふるふると首を振るアウリの目に涙が盛り上がる。

 逃げろと言われて地竜車に乗り込んだ面々だったが、仲間を残して逃げ出すことは結局出来なかった。特にルカインが暴れながら強硬に戻ることを主張した。

 丘が大爆発を起こした後静かになったので、慎重に戻ってきたのだ。真っ先に地竜車から降りたアウリが見たのは、ニーグラムに抱かれて目を閉じたプルクラ。その傍でレンダルが今にも泣きそうな顔をしていた。


 少し離れた場所にはジガンとバルドスも倒れていた。服には血がべったりと付いてギョッとしたが、ニーグラムが既に癒した後と聞いて安心した。


 クリルとダルガの二人がジガンを抱えて地竜車に運ぶ。バルドスは彼の仲間たちによって運ばれた。

 そしてニーグラムの腕からプルクラが託された。傷はもう癒えているが、血をたくさん失ったから安静にさせてくれ、と言われる。ファシオとオルガも青い顔をして、心配そうにプルクラを見つめていた。クリルとダルガの手を借りて、プルクラを丁寧に地竜車に運び入れた。


 ニーグラムとレンダルをその場に残し、アウリたちは副都ダグルスに向かった。ダグルスの街にはまだ帝都の争乱について情報が届いていないようで、東門の門兵や行き交う人々は平静だった。


 門から出来るだけ近く且つ高級な宿を取り、プルクラやジガン、バルドスを負ぶって運び入れたのは二日前。

 部屋に入って直ぐ、アウリはプルクラの鎧を優しく脱がせた。その肌は血塗れで、鎧の内側には大量の血が溜まっていてアウリは何度も卒倒しそうになった。

 血を吸った服を脱がせ、お湯で濡らしたタオルで全身を拭うと、傷一つない肌が現れて心底安心する。それと同時に涙が溢れて止まらなくなった。


 ジガンとバルドスは宿に入ったその日の夜目覚めた。ニーグラムが癒したことをジガンは直ぐに納得し、バルドスは目を白黒させて驚いた。

 昏々と眠り続けるプルクラを仲間全員が心配した。ルカインだけはプルクラの無事を確信していて、彼女の布団に潜り込み丸くなることが多かった。ルカインはこっそりプルクラに自分の魔力を渡し、早く目覚めるよう祈っていた。


 アウリは殆どずっとプルクラの横で彼女を見守っていた。食事はファシオやオルガが持って来てくれたものをそこで食べ、トイレと入浴の時以外、睡眠も取らずに座っていた。

 穏やかな寝顔とゆっくり上下する胸を見て、アウリは時折涙を流していた。プルクラがこれだけ傷付くことなど想像もしていなかった。プルクラが傷付いたことが悲しくて泣き、生きていてくれたことが嬉しくて涙し、まだ目を覚まさないことが不安でまた泣いて、こうして傍に居ることしか出来ない自分の不甲斐なさにも涙した。


 時折ジガンやクリルが部屋を訪れてプルクラの様子を見に来る。その度にアウリを励ましてくれるのだが、いつもの勝気なアウリの姿はそこになく、余計に泣いてしまうのだった。


 こうしてアウリの目は腫れに腫れた。そしてようやくプルクラが目を覚ました次第である。


 プルクラが手を伸ばし、アウリの手を優しく握る。アウリはその手を自分の頬に当てた。


「アウリ、心配かけてごめんなさい」

「いいんです……こうして目覚めてくださっただけで」


 そう言って、アウリの目からまた涙が零れる。そのうち、プルクラの声がカスカスなのに気付いたアウリが慌てて水を飲ませたり、ファシオとオルガが来てプルクラの目覚めを泣きながら喜んだり、ジガンとクリル、ダルガ、ジガンに抱っこされたルカインが来たりと騒々しくなる。プルクラはこっそりアウリの目に「サナーティオ(癒し)」を施した。


「……アウリ、お風呂に入ってご飯食べたい」

「はい、ただいま! さぁ、男性はご自分の部屋へお戻りください!」


 アウリにいつもの調子が戻り、プルクラも嬉しくなる。


「プルクラ、後で一緒に飯食おうぜ」

「プルクラさん、また後で」

「……じゃあ」


 ジガン、クリル、ダルガが部屋を出て行く。


「姉御、私たちも後でまた来るわぁ」

「プルクラちゃん、げ、元気になって本当に良かった!」


 ファシオ、オルガも部屋に戻って行った。プルクラは、いつの間にか膝の上に乗ってきたルカインを撫でる。


「元気ににゃった?」

「ん。お腹空いた」

「よかったにゃ」


 ルカインはゴロゴロと喉を鳴らしながらプルクラの手に全身を擦り付けた。

帝都編はあと一話くらいで終わりです。

いつもお読み下さりありがとうございます!

ブックマーク、いいね、リアクションをしてくれた方、とても励みになります。

次の更新は土曜日の予定です。

引き続きよろしくお願いいたします。

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