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63 世界の平和に必要なこと

お待たせいたしました。63話です!

 仲間たちの手を借りて、プルクラは丘の向こう側へ一時撤退した。そこからは帝都の防壁は見えない。即ち、向こうからもこちらが見えない場所である。


『ふぅ』


 全身鎧のままその場に腰を下ろす。仲間たちは周囲を警戒してくれている。プルクラは魔力枯渇寸前の怠さを全身に感じていた。魔力の全回復には一刻半(三時間)はかかる。

 普通の魔術師は、枯渇寸前まで魔力を使い果たした場合その回復には丸一日程度を要する。だからプルクラの回復速度は異常に速いのだが、仲間たちに魔術師がいないのでこの異常さに気付かなかった。


 オルガは“魔法”を使うが、これまで魔力が枯渇するほど「雷玉」を使ったことがない。

 レンダルは魔力の枯渇と回復について当然悉知しているが、プルクラは彼の前で魔力が枯渇するほど「竜の聲」を使ったことがない。そのため、レンダルもプルクラの異常な魔力回復速度を知らない。


『あれ……?』


 プルクラは、普段より魔力の回復が速い気がした。


 ところで、殆ど知られていないことであるが、この世界では「名付けの作用」が存在する。

 親が子に名前を付けるというのとは異なり、ここでは“魔力量が”、或いは“格が”上位のものが、下位のものに名を付けた時に発生する作用のことだ。


 これは黒竜ニーグラムも失念していた作用である。知識として知ってはいたが、実践したことがなかったからだ。


 プルクラの異常な強さ。それはこの世界の最上位に位置する黒竜によって名付けられたことに起因する。

 この名付けでは、上位者と下位者の間に魔力的な“パス”が生じる。水が高い所から低い所へ流れるように、黒竜からプルクラに魔力が流れている。常に、である。

 黒竜はその身に膨大な魔力を宿しているため、少々魔力が流れたところで誤差の範囲。しかし人間にとってのそれはあまりにも過分な魔力だ。体内に留めておけない魔力は自然と体外へと放出される。もう、ダダ漏れである。


 赤子の頃からそんなバカげた魔力に晒されたプルクラは、多くの魔力を体内に留めることが出来るようにその体を成長させていった。


 黒竜の森がプルクラに悪影響を与えているのでは、とレンダルとニーグラムは憂慮したが、何の事は無い、プルクラの魔力量が人外なのはニーグラムの名付けのせいであった。


 そして今。普段より魔力の回復が速いとプルクラが感じているのは、父がいつも抑えている魔力をほんの少し解放していることが原因だ。黒竜にとっての“ほんの少し”は、人間にとって津波のようなもの。だから彼女の魔力は、常識を遥かに上回る速さで回復していた。


 ただし。魔力が回復しても蓄積した疲労は回復しない。だからプルクラは、なんかいつもより魔力の回復が速いなーと思いながらも、座ったまま体を休めていた。


 少し高くなった場所から顔を出し、帝都方面を窺っていたバルドスがプルクラの傍に近付いてくる。

 彼の仲間七人は、ナーレ・ベイリンガルトを含めて副都ダグルス方面へ避難するべく、離れた所で地竜車の準備を行っている。


「プルクラ様。帝都防壁付近の状況を報告いたします」


 プルクラは兜を脱いで素顔を晒す。視界は魔導具で問題ないのだが、実は音が聞き取り難かったのである。要改良だな、と彼女は思った。

 蜂蜜色の髪が汗で額に貼り付いている。そこに少し風が吹いて気持ち良かった。

 鎧は全体的に外気を通すように作られているが、兜はより強固に作られていて隙間が殆どないため汗をかくのだ。


「どんな感じ?」


 バルドスは見た通りを報告する。数は正確には数えられないものの、食屍鬼と霊魔の数はおよそ一万。対する未知の生物は二千弱。

 食屍鬼は肉の体を持つので単純な物理攻撃でも倒すことが出来る。そのため、犬モドキや半犬半人によって瞬く間にその数を減らされた。

 一方、霊魔には聖化された武器か、魔力を潤沢に通した武器しか通用しない。犬モドキたちはそのような攻撃手段を持たないようで、霊魔は全く倒されず、逆に強力な魔術で犬モドキたちの数を減らし続けている。ただし、半犬半人が持つ盾は魔術を防ぐ程度の防御力があるらしく、半犬半人はあまり数が減っていない。


「帝都はどうなった?」

「分かりません。恐らくは、霊系だけでなく未知の生物も帝都の中に入り込んでいるでしょう」


 防壁の外で戦っている霊系が一万程度なら、帝都の中には九十万を超える霊系が侵入している。その上で犬モドキと半犬半人も侵入すれば、帝都が壊滅するのにそう時間は掛からないだろう。

 こうなってしまえば、プルクラたちに出来ることは殆どない。広範囲攻撃は帝都民も犠牲になるから使えないし、霊系はまだしも、未知の生物たちを帝都の中で一体一体倒すのは現実的とは言えない。


「奴らがお互い潰し合うのを待つのが最善かと」

「ん、分かった」


 プルクラも同じ結論に達していたので同意の返事をする。


「……ん?」

「どうしました?」

「んーん、たぶん気のせい」


 一瞬、父とレンダルの魔力を感じたような気がする。キョロキョロと辺りを見回してもその姿がないので、気のせいということにするプルクラだった。





*****





 レンダルを抱えたニーグラムは、眼下に一瞬だけプルクラを捉え、その無事を確認するとそのまま飛行を続けた。


「ま、まだ着かんの!?」

「もう少しだ」


 恐怖で叫び過ぎたレンダルの声はカサカサである。この歳で寿命が縮むような思いをするなど洒落にならない。それくらい、ニーグラムの飛行は速かった。

左手下方にツベンデル帝国の帝都グストラルを囲む防壁が見え、その前で繰り広げられている戦闘に、森で見た生物の姿があることに気付いた。


 やはり、あの危険な魔導具の片割れがこの辺りにあるのだ。


「あそこだ」


 頭上からニーグラムの声が降ってきて、レンダルは前方を向いた。そこは帝都の東に当たり、いくつかの建物が一か所に固まっているだだっ広い場所だった。上空から見ると地上に夥しい数の赤黒い花が咲いているように見える。それは全て帝国兵や魔術師が流した血で、死体が累々と横たわっていた。犬モドキの死骸も見受けられるが、人間のそれと比してごく僅かだ。


 そしてその中央に、森でも見た魔導具があった。四つのうち二つが宙に浮かび、薄紫の壁を形成している。更に、森では見なかった大きな生き物が五体。


「あんなのは森では見かけんかったの」

「そうだな」


 レンダルの言う“あんなの”とは、人型をしたかなり大きな生物。上から見ているから定かではないものの、身長四メトル以上ありそうだ。濃灰色の外殻は金属のような鈍い光沢があり、外殻ではなく鎧かもしれない。貌はのっぺりとして、目に当たる部分が黄色の半球状に盛り上がっている。

 左右の側頭部からは鍬形虫のような角が鋭く上に伸びていた。口に当たる部分は単なる裂け目に見え、長い牙が上下二本ずつ生えていた。


 手には大斧のような武器を携えている。両刃で先端が槍の穂先のようになっていた。柄も長く、全長が身の丈くらいある。その一体が貌を上げ、空に浮遊したニーグラムとレンダルを見たような気がした。


 蟲鬼、とでもいうべきその生物が、口を開いて甲高い咆哮を上げた。


「ぐぬっ!?」

「レンダル、耳を塞げ。音による攻撃のようだ」


 腋を抱えられたレンダルは、自由になっている両手で己の耳を塞いだ。目がチカチカして酷い頭痛がする。


 ニーグラムはゆっくりと地上へ下りる。両足が地に着いた途端、レンダルは自分を囲むように魔術の障壁を張った。頭痛がマシになる。そんなレンダルの前にニーグラムが歩み出た。蟲鬼の方に向かって悠然と進む。

 一番近くにいた蟲鬼の姿がブレて、次の瞬間にはニーグラムに斧を振り下ろしていた。


「ほう。なかなか速い」


 ニーグラムは斧の刃を掴んで止めていた。周囲の地面が攻撃の余波で弾け飛ぶ。


「プルクラの身体強化百倍くらいあるな。レンダル、一番強い障壁を張っておけ」


 蟲鬼は両手に力を込めて斧を取り返そうとするが、片手で挟むように掴んだニーグラムの手を振り解けない。


「力はだいたい分かった」


 ニーグラムがパッと手を離すと、蟲鬼は勢い余って数歩後ろに下がった。真っ直ぐにニーグラムを睨んでいるように見える。斧を構え直し、ニーグラムを叩き斬らんと怒涛の勢いで斧を振り回す。


「うーむ……闘争本能が前に出過ぎて危機意識がないようだな」


 手の甲で攻撃を打ち払いながら、ニーグラムは独り言ちる。斧による斬撃の余波で地面に次々と深い裂孔が生じ、その辺に倒れていた死骸が細切れになって吹き飛んでいく。


「膂力はあるがそれだけか。“魔王格”にも届かんな」


 頭上に振り下ろされた斧をすり抜け、蟲鬼の懐に潜ったニーグラムは、自分の目より高い位置にある蟲鬼の腹部に掌底を叩き込んだ。それは相手を突き飛ばす攻撃ではなく、衝撃を内部に遍く伝える打撃。蟲鬼の体がほんの少し宙に浮き、次の瞬間には全身が弾け飛んで血煙に変わった。


 残された四体の蟲鬼には、何が起きたのか理解出来なかった。彼らの世界で、彼らは「ジェネラル・クラス(将軍級)」と呼ばれている。彼らより強いのは僅か一名しかしない「マスター・ジェネラル(大将軍)」のみ。

 彼らの外殻は「アーマー・ウルフ(犬モドキ)」の十倍以上の強度を誇り、「フォーレッグス(半犬半人)」が装備する盾より硬いのだ。

 それを、何の武器も持たない脆弱そうな生物が、跡形もなくなるような倒し方をするなど想像の埒外である。この世界には、彼らが知らない強力な兵器があるのか、と考えた。


 まぁ、素手なのだが。相手が悪かった。


ソルビテアム(切り裂け)


 ニーグラムは地上に設置してある魔導具の一つを破壊した。薄紫の壁が消え、宙に浮いていた二対の魔導具が落下する。

 驚きに固まっていた蟲鬼だったが、二体がニーグラムに、一体がレンダルに襲い掛かった。


「老い先短い爺を攻撃するとは無粋じゃのう!」


 そう言ったレンダルの口端が吊り上がり、最近作った新しい魔術を展開すべく詠唱する。斧が振り下ろされた障壁が金属音と共に割れるが、直ぐに新たな障壁に置き換わる。


「天と天、地と地、その交わりにおいて激しく生じる力よ、一時檻に留まりて我が周囲に漂い、敵を滅ぼさん。『雷光球』」


 プルクラが父に伝えた、オルガの「雷玉」。それをニーグラムから聞いたレンダルが、「そりゃ面白いの!」と嬉々として模倣してみた魔術である。ただ、模倣と言ってもオリジナルを見ていないので、話からレンダルが想像したものになっている。

 拳大の光る球はオルガのそれよりかなり大きい。球の中で激しい稲光が発生しており、見るからに危険物である。


 蟲鬼は少しレンダルから距離を取り、それに触れないよう慎重にレンダルに近付いていく。


「何で避けるんじゃ! 男ならドーンとぶつかってこんか!!」


 無理難題である。どう見ても触れない方が良さそうなのだから、蟲鬼だって避けるというものだ。


「なんてな」


 ニヤリと悪い笑みを浮かべるレンダル。直後に雷光球が無数に分裂し、一斉に蟲鬼に向かって動き出した。

 その速さは正に迅雷の如く。その場から逃げようとした蟲鬼を追い、眩い光の軌跡が数百本空中に描かれた。その全てが直撃し、蟲鬼は体を硬直させ、その場に倒れる。


 レンダルが生み出した魔術、「雷光球」の真髄は、敵と定めた対象を雷がどこまでも追うことである。オルガの「雷玉」が“待機型”だとすれば、レンダルの「雷光球」は“追尾型”。今のところ対象はひとつしか指定できないが、さすが大魔導、えぐい魔術を生み出していた。


 ニーグラムに向かった二体の蟲鬼は、鎧袖一触で血煙と化していた。離れた所からその様子を見ていた残りの一体は、全力でその場から離脱した。


「追わんでいいの?」

「ああ。向かった先はだいたい分かる」

「そうか。じゃあプルクラの所に行くか」

「…………」


 当然そうすると思っていたレンダルだったが、ニーグラムが逡巡を見せる。


「なんじゃ、行かんのか?」

「……あの子は、自分と仲間の力でやってみると言った」

「あー。じゃが、それは死霊王と霊系の軍勢に関してじゃろ? あんな訳の分からん異世界の生き物が出てくるのは予想外じゃろ」

「……確かに」

「さっきのが一体二体なら良いが、もっといたらプルクラも危ないじゃろ。まして仲間を守りながらでは」

「う……うむ、お前の言う通りだな」


 本心では、ニーグラムは今すぐ娘の所に行きたいのである。ただ、それでは娘の成長を邪魔するのではないかと悩んでしまったのだ。


「ほんとに危ない時だけ、コソッと手伝えばええんじゃない?」

「ふむ……それならあの子の邪魔にならないか?」

「ああ、邪魔じゃないと思うぞ」

「ならそうするか」

「おう!」


 黒竜ニーグラム・ドラコニスが、娘のために気を遣う、か。感慨深いものだ、とレンダルは思う。

 十五年前、マリーネール王女殿下を転移させた黒竜の森で初めて出会ってから、彼は随分と人間臭くなったように感じる。この世界の頂点にして守護者であり、それに相応しい力を備え、それと同時に娘を愛する一人の父親なのだ、彼は。普通の人間と同じく、娘の成長を願い、娘の邪魔をして嫌われたくない父親なのである。


 レンダルは、そんなニーグラムのことを友として大変好ましいと思うが、それと同時に少々危うさを感じる。

 プルクラがもし、理不尽に傷付けられたり奪われたりしたら? 普通の父親なら怒り狂うが、世界を滅ぼしたりは出来ない。でもニーグラムにはそれが出来てしまう。いとも簡単に。


(ま、それを止めるのは儂の役目なんじゃろうけど。そもそもプルクラがどうにかなるとは思えんし)


 レンダルも孫としてプルクラを愛しているから、もし彼女に何かあれば世界を滅ぼすまではいかずとも、国のひとつくらいならニーグラムと一緒に滅ぼすのに躊躇しないと思っている。

 なまじ強大な力を持つ二人だから、世界の安寧のためにはプルクラが穏やかに健やかに過ごすことが重要なのだ。ジガンはこの辺を敏感に感じ取っているので、しょっちゅう胃が痛いのであった。

たくさんのリアクション、ありがとうございます!!

この機能、いいですねぇ。リアクションが増えると本当に嬉しいです。


次は土曜日に更新する予定です。

お待たせして申し訳ございませんが、引き続きよろしくお願いいたします。

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