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62 ジガン、覚醒する

 距離は五百メトル程だろうか。ただ、普通の犬では有り得ぬ速度でこちらに迫っていた。


『みんな! あれ、見たことある?』


 兜越しのくぐもった声でプルクラが尋ねる。討採者として活躍しているファシオたち、様々な霊系に対処した経験を持つクリル、その他の誰も、あの犬のような生き物に心当たりはなかった。


『ルカ、あれは霊系?』

「違うにゃ!」

『通常の武器に切り替えて!』


 以前「霊魔」と遭遇した際、ルカインはそれを見ただけで「霊魔」と判断していたので確認してもらった。霊系でないのなら、聖化武器ではない通常の武器の方が良い。


「プルクラ様、あれは何ですか? 恐ろしい速さですが……」

『分からない。バルドスたちは、念のため下がってて?』

「私は前におります。仲間は下がらせます」

『ん、分かった』


 僅かな時間で、距離が三百メトル程に縮まっていた。灰色の外殻が陽光を反射している。


「プルクラ様……」

『アウリ。もう少し近付いたら広範囲攻撃する』

「広範囲、ですか?」

『ん。この前お父さんに教わった。炎系だけど、効くと思う。それを抜けて来た奴を叩いて欲しい』

「分かりました!」


 アウリが仲間たちに説明してくれる。プルクラの周りで仲間たちとバルドスが各々の武器を構え、未知の生物を見据える。距離は二百メトル。


『あいつら速い。たぶん、私の身体強化二十倍くらい』


 バルドスがギョッとした顔をするが、仲間たちに動揺はない。プルクラの身体強化二十倍ならこれまで何度も見ている。ジガンは模擬戦すら行っていた。反応出来ない速度ではない。


 距離百五十メトル。恐らく百体以上いる。


『行く』


 百メトル。金属質の犬のような外形に、昆虫のような半球状の目。口が異常に裂けて見える。


インフェルノ(業火)


 五十メトル。

 白炎の壁が立ち上がった。起点はプルクラの先三十メトルほど。そこから扇状に、高さ十メトルの白い炎が濁流となって広がる。離れているのに、チリチリと灼けるような熱を剥き出しの肌に感じた。


 炎の壁から黒い影がいくつも飛び出して来る。ジガンがプルクラの左前方、バルドスが右前方に立ち、長剣を構える。

 灰色の外殻は黒焦げになり、突進の勢いは相当程度殺がれていた。目と思われる部分は焼失し、鼻や耳に当たる感覚器官も役に立たないようだ。炎の壁を脱しても、何をすべきか忘れたかのようにフラフラとよろめいている。


 ジガンは首を両断するべく剣を振り下ろす。


「かってぇー!」


 剣は首の中ほどで止まり、四苦八苦してそれを抜こうとしている。一方のバルドスは、ジガンのそれよりやや大きな剣で見事首を刎ねていた。


『ジガン! 剣に魔力を流して!』

「ぶっつけ本番かよ!?」


 クリルが前に出て、脚甲を着けた足で前蹴りを放つ。ズドンと重い音がして、焦げた犬モドキが炎の中に消えた。

 アウリとファシオは二人で一体を相手取っている。短刀で前足や後ろ足の関節部を斬りつけ、動きを封じてから焼けた眼窩に短刀を突き刺し、脳を破壊していた。

 オルガが「雷玉」を展開し、それに触れた犬モドキはびくりと震えて昏倒する。倒れてピクピク痙攣しているところに、ダルガが聖化武器として作った鎚を振り下ろす。爆発したような音がして、犬モドキの頭部が弾ける。


 仲間が次々と犬モドキを倒しているのを見て、ジガンが焦り始める。


 聖化武器の長剣を初めて握った時、自分の魔力が剣に吸われるのを感じた。聖化の魔法陣にそのような作用が含まれているからだが、これが剣に魔力を流すってことか、とジガンは感心したものだった。

 彼はその時の感覚を思い出そうとする。勝手に吸われるのと能動的に流すのとでは随分違うが、プルクラによれば、剣を自分の腕の一部と捉え、剣先まで魔力を行き渡らせれば良いとのことだった。


 ふと右後ろを見ると、額に汗を浮かべながら両の掌を前に向けたプルクラの姿が目に入る。白い炎は囂々と燃え盛り、まだ消える気配がない。きっと彼女は魔力を消費し続け、その炎を維持しているのだろう。

 プルクラが黒刀を使っている姿を思い浮かべる。彼女が刀に魔力を流せば、黒い刀身が青白い光を発する。


 ジガンは目を閉じて集中した。戦場で目を閉じるなど自殺行為だが、周りには頼りになる仲間がいる。

 聖化武器に魔力を吸われた時の感覚……剣は腕の延長……青白く光る刀身……。その時、自分の魔力がすぅっと長く伸びたように感じた。


 目を開く。右手に握った剣が、その刀身が、ぼんやりと青白く光っていた。


 炎から飛び出した犬モドキがジガンに飛び掛かる。その瞬間、彼は左足を引いて半身になり、右手の剣を横に薙いだ。

 犬モドキの側頭部に当たった剣は、殆ど抵抗を感じることなくそのまま頭蓋骨を水平に横切る。犬モドキは数歩進み、その場にドウと倒れた。


「……斬れた、な」


 さっきは首を斬ろうとして、鉄の塊に剣を打ち付けたような感触だったのが、まるで熱したナイフでバターを切るような感じだった。それが自分でも信じられなくて、ジガンは何体もの犬モドキに剣を振るう。


「……やっぱり斬れるな」


 本来、ジガンの魔力量程度であれば、剣に魔力を流したからと言ってそこまで劇的に切れ味が上がることはない。しかし、本人にとっては驚くべき効果を発揮している。その理由は単純で、ジガンがこれまで積み上げてきた剣の技巧によるものだった。

 ジガンは、これまでも魔力量の少なさを技で補ってきたのだ。その為に努力を重ねてきたのである。ジガンが修めるロデイア流は相手の攻撃を受け流し、そこに出来た隙を突くことを主眼としている。僅かな隙に叩き込む攻撃は鋭く、速くなければならない。ジガンは、少しでも速く、少しでも鋭く斬撃を振るえるよう己を鍛えてきた。


 今ジガンが持つ長剣は大金貨一枚を(プルクラが)払って手に入れた逸品である。この剣を手に入れた時、彼が盗まれるのを恐れておかしくなったことから分かるように、ジガンは高価な剣を使ったことがなかった。

 もちろん高ければ良い剣だ、などという単純な話ではないが、彼はこれまで自分の技量に見合う剣を使っていなかった。


 大金貨一枚の剣だから、ジガンの技があったから、魔力を流さずとも犬モドキの首を半ばまで斬り裂くことが出来たのだ。帝国の魔導銃でも凹みしか出来ない外殻を、である。


 そして今。ジガンは剣に魔力を流せるようになった。剣の出来が良いこともあって、その切れ味は十数倍に跳ね上がっている。そこへ高みに到達した剣技が重なるのだ。犬モドキの強固な外殻がサクサク斬れても不思議ではないだろう。


「めちゃくちゃ斬れるなぁ、おい!」


 ジガンは楽しくなってきたのか、上機嫌で犬モドキを次々と斬り捨てていく。ヘラヘラと笑いながら首を刎ねるその様は、お近づきになりたくない人に見えた。既に十分過ぎるほどお近づきになっているのだが。


 炎から出てきた犬モドキは三十体ほどで、その全てが倒されて地面に横たわっていた。


「プルクラ様! もう大丈夫だと思います!」


 アウリがプルクラに声を掛ける。「インフェルノ(業火)」を維持している間ずっと魔力を使っていたプルクラは、アウリの言葉にほっと安堵の息を吐く。仲間たちの様子を確認すると全員無事で、もう戦っている者もいない。


レセプタエ(解除)


 掲げていた両手を下ろし、「インフェルノ」を解除した。フッ、と炎の壁が消え去ると同時に黒煙が視界を遮るが、その隙間から離れた場所で槍を振りかぶる敵の姿が見えた。

 プルクラは瞬時に身体強化百倍を発動する。誰を狙っているか分からない為、「オービチェ(障壁)」で防ぎきれないと考えたからだ。


 半犬半人の腕が振り下ろされると、槍は常人では見えない速さでオルガに向かった。プルクラの姿がその場から消えた直後、キンと甲高い音がする。

 突然現れた黒鎧に、オルガが思わず尻餅をついた。彼女を狙っていた槍はプルクラが手甲で空高く弾き、今まさに落ちてきて地面に突き刺さった。


 敵は百メトル以上離れていた。それなのに一瞬で槍を到達させ、その威力はプルクラが掴んで止めることが出来ず、弾くしかなかった程であった。


『あいつら、かなり強い』


 完全に炎が消え、黒煙が棚引く向こう側に半犬半人が十一体、犬モドキが二十三体。


『ダルガ、オルガを守って! アウリ、出来るだけみんなを遠くへ――』


 プルクラが言い終わる前に、四体の半犬半人が槍を振りかぶっていた。プルクラは考える前に動き出した。

 体の向きで槍を投げる方向はおおよそだが分かる。だが四本同時には止められない。だから投げる前に倒そうと思った。


 プルクラが立っていた地面が爆ぜ、オルガが土まみれになる。身体強化百倍の全力疾走は刻速六千六百ケーメル(約マッハ2.7)、一呼吸三千六百メトル(秒速900メートル)。止まった状態から百メトルと少し離れた敵まで、二十分の一呼吸(0.2秒)。その間に拡張袋から黒刀を出し、鞘を投げ捨てる。肌が強化に耐え切れず、全身の毛細血管から滲み出した血が霧のように舞った。黒刀に魔力を流せば刀身が青白く光り、一直線に光の軌跡が走る。


 一体目、槍を振りかぶった状態の胴体を両断。二体目、槍が半犬半人の頭の上を通過する途中で上半身の付け根をぶった切る。三体目、槍が手から離れる直前に犬部分の両前足を切断し、槍は斜め前の地面に穴を穿った。


 四体目。黒刀が前のめりになった上半身の脇腹を切り裂く寸前、槍が投擲された。プルクラはそのまま黒刀を振り抜き、槍の行方を見るため首だけ後ろに回す。


 そこにはジガンが立っているのが見えた。


 槍は音に迫る速さでジガンを襲うが、プルクラには時間の流れがひどく遅くなったように、全てが明瞭に見えた。

 ジガンは敵が目の前にいるかのように剣を立てて構えている。その剣が仄かに青白く光っているのが分かった。槍は彼の胸の中心へ吸い込まれるように飛ぶ。


『ジガンっ!』


 もう遅過ぎると分かっていても、プルクラは叫んだ。あの速さ、あの威力の槍はジガンでは止められない。

 だが、彼はいつもそうするように、槍の穂先に寸分違わず剣身を添わせ、僅かに手首を捻ることで槍を受け流した。

 ジガンの背後、丘の少し高くなった所に槍が突き刺さり、爆発したかのように地面が爆ぜた。


『ジガン、すごい。さすが私のししょー!』


 ジガンの剣技を見たプルクラは大いに興奮した。

 時間が正常に流れ出す。こいつらに仲間を傷付けさせるわけにはいかない。プルクラがここへ到着した際、衝撃波で何体かの敵が吹っ飛ばされている。彼女は再度身体強化百倍を発動し、血煙と青白い光の乱舞、竜巻のような風を同時に発生させながら敵を一体一体屠っていく。ジガンの技を見た興奮で縦横無尽に体を動かした。半犬半人と犬モドキはプルクラの動きを捉えることが出来ず、成す術もなく切り裂かれる。


 そこに居た敵を全て倒したプルクラは、肩で息をしながら膝を突く。「インフェルノ」で魔力の三分の一を消費していた。直後の身体強化と、同時発動の「サナーティオ(癒し)」で魔力が枯渇寸前となっていた。


「プルクラ様ー!」

「プルクラ!」


 アウリとジガンが自分を呼ぶ声が聞こえる。他の仲間たちもこちらへ走っていた。


「プルクラ様! 大丈夫ですか!?」

「ん……疲れた」


 アウリがプルクラの横に膝を突き、体を支えてくれた。


「怪我してねぇか!?」

「だいじょぶ」

「そうか……よかった」


 ジガンはアウリの反対側からプルクラの体を支える。血煙を上げながら戦うプルクラを見るのは鋼棘蠍に次いで二回目だがとても心臓に悪い、とジガンは思う。


「ジガン、槍見えてたの?」

「あ? 勘……いや、運だな」

「運……」


 “運”であんな見事に受け流せるものだろうか? 触れただけで周りを巻き込んでズタズタにしそうなあの槍の投擲を。


「あの変な奴、こっちに投げそうだなって思ってたんだ。穂先が一瞬キラッとして……オルガに投げたとこ見てたから、だいたいどれくらいの速さかは分かってた。タイミングを合わせたら、運よく受け流せたってわけだ」


 ジガンが説明してくれたが、説明を聞いても全然納得出来ない。プルクラははっきりと見たのだ。それは剣技の神髄と言っても過言ではなかった。体の芯がブルブルと震えるような高揚を感じたのだ。それが運…………さっきの高揚を返せ、とプルクラは思った。


 実のところ、ジガンにはあの槍が微かに見えていた。これまでプルクラが身体強化三十倍で動くのを何度も見て、その動きを捉えようと彼は努力していた。

 槍はプルクラより少し速い程度で、その動きが黒い影のようにぼんやりと見えた。ただ、見えるのと反応出来るのとは同義ではない。今回は偶々立てた剣に向かって槍が飛んできたので反応出来たのだ。次同じ攻撃を食らって、同じように受け流せる可能性は低い。それでジガンは“運”と言ったのだった。


「プルクラ様、少し休みましょう?」

『ん。魔力を回復させたい』


 アウリとジガンの手を借りて立ち上がったプルクラだが、その目が帝都の方向に向けられた。


『拙い。とりあえず撤収!』


 食屍鬼と霊魔の数えるのも馬鹿らしくなる程の大群と、さっきの十倍以上はいそうな犬モドキと半犬半人の大軍がぶつかり合う所が見えた。

全力疾走時の計算、間違えててもスルーでお願いします(笑)

すんごく速い、と思っていただければ。


次の更新は水曜日の予定となります。

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