58 帝国より大切なもの
黒竜の鱗で作られた鎧の披露を終えて、プルクラたちは風呂に入ることにした。昨夜は野営だったから風呂に入れなかったのだ。アウリに抜かりはないので当然風呂の付いた部屋を取っている。
「アウリアウリ。お風呂、入りたい」
「すぐに準備いたします」
「私も一緒に入っていいかしらぁ?」
「いいよ。オルガも入る?」
「わ、私は、そのぅ」
「オルガも入るわよぉ」
「うぅ」
四人部屋だが、全員一緒に入っても余裕のある広い風呂だ。脱衣所も結構広い。
「姐御ぉ、意外とおっきいのねぇ」
ファシオは遠慮の欠片もない目をプルクラの胸部に向けている。
「ファシオは引き締まってる」
「女らしくないってよく言われるわぁ」
「そんなことない。ファシオは可愛い」
「っ!?」
狂暴とかガサツとかは良く言われるが、可愛いと言われたのはいつぶりだろうか。ファシオは柄にもなく顔を真っ赤にしながら、照れ隠しでオルガを生贄に差し出した。
「ほ、ほら、オルガは姉御と背が変わらないのに、こんなにおっきいのよぉ」
「や、やめてよぅ」
プルクラはオルガの胸を二度見した。たしかに、アウリと変わらないくらい大きい。オルガは両腕で自分の胸を隠し、もじもじしている。
「オルガ、すごい」
「プ、プルクラちゃん、あんまり見ないでっ」
プルクラには、裸を見られても恥ずかしいという気持ちがない。衆目の中でも胸を晒そうとしてアウリに窘められたくらいである。
「オルガ。お胸の形や大きさは人それぞれの個性。恥ずかしがることない」
「そ、そうなのかなぁ」
「大きいのは別に悪いことではありません。男性の視線は煩わしいですが」
「私なんてすとーんよ、すとーん。それよりずっといいわよぉ」
ワイワイとお胸談義を繰り広げながら、女子四人は風呂に入るのだった。なおルカインは興味なさそうにソファの上で丸くなっていた。
一息ついてから宿で昼食を摂ることにする。帝国の料理を食べたことがあるのはクリルだけだ。彼にお勧めを聞いてみた。
「帝国は“畜産”が盛んなんですよ」
「ちくさん?」
「人間が食べるために牛や豚を育てているんです」
「ほう?」
リーデンシア王国やランレイド王国でも牛や羊などは飼われている。それらは食べるためでもあるが、乳や毛を入手する目的の方が大きい。帝国では食用のそれらが計画的に飼育されていて、それだけではなくより美味しい肉になるよう研究もされているのだ。
「ほうほう」
クリルから説明を聞いたプルクラは、目を輝かせて頷いた。美味しくする研究をするなんて、人間はなんと罪深い生き物なのだろう。それは是非食さなければ、と。
宿に付随した食堂のお勧めは「黒角牛のステーキ」。魔獣である赤角牛と家畜の黒牛を交配させた種らしい。一人前銀貨一枚(一万円)するが、全員迷わずそれを注文した。依頼中に掛かった経費はブレント王子、というかリーデンシア王国持ちなので、遠慮する者はいない。人の金で食べる高級料理は格別である。
「ほぉぉおおおー!」
運ばれてきたステーキを見て、プルクラのテンションが振り切れた。
厚さ四セメル(センチメートル)近いお肉が熱した鉄板の上でジュージューと音を立てている。味付けはシンプルに塩・胡椒のみ。肉の上には大蒜チップが散らされている。別添えで三種類のソースが各人の前に置かれた。
香ばしく、食欲をそそる香りに我慢できず、プルクラはその肉にナイフを入れる。そこから溢れ出る肉汁が鉄板で炙られ、プルクラたちのテーブルでは、まるで狼煙のように七本の煙が立ち昇った。
断面は中心から三分の二がピンク色。だが血が滲むようなことはなく、必要な熱は通してある。
口内に溢れた唾をごくりと飲み込んだプルクラは、ひと口大に切ったお肉を、まずはソースを使わずにそのまま口に運んだ。
「はふ、はふ……んっ!?」
熱さを我慢して歯を通すと、口の中で香ばしさと旨味が爆発する。分厚いのに驚くほど柔らかい。しかも、ひと噛みごとに肉の繊維が解け、溶けていく。舌の上に残るのは、仄かな甘み、塩味、そして芳醇な旨味。
プルクラは目を閉じてその余韻を噛み締める。彼女の脳内には、青々と草が茂った大草原で、伸び伸びと草を食む黒角牛たちが映し出された。
言うまでもなく、彼女は黒角牛を見たことがない。あくまで想像である。想像の黒角牛は艶々した黒い毛並みで、つぶらな瞳には優しさが見て取れた。
「黒角牛、おそるべし」
プルクラ以外の六人は一心不乱にステーキを口に放り込んでいた。三種のソース以外に、テーブルに置かれた各種調味料で自分だけの味を楽しんでいる者もいる。誰も食リポの真似事などする気はなく、ただ目の前の肉に集中していた。
プルクラも二口目からは、小難しいことを考えることなく集中して肉を食べた。
あんなに大きかったステーキがもうなくなるなんて。いつの間に全部食べたのだろう。もしかして、私のお肉、誰か横から食べた?
そう疑ってしまうくらい、気付けば分厚いステーキを完食していたプルクラ。夜も黒角牛のステーキを食べよう、と今食べたばかりなのに決心する。
「黒角牛、守らないといけない」
プルクラが真剣な顔で口にすると、全員同じくらい真剣に頷く。
「例え帝国が滅んでも、黒角牛だけは守る、絶対」
帝国よりも黒角牛。魔導機関の発明により、魔導銃、魔導車、魔導飛空艇といった他の追随を許さない技術を帝国は誇っている。だが、そんなものより肉が大事。知らない人が聞けば無茶苦茶だが、プルクラたちの心は一つになった。
「帝都から北西に行った辺りが、黒角牛の飼育が盛んな地域ですよ」
「なるほど」
クリルが豆知識を教えてくれた。叶うことならば、いつか黒角牛の牧場に行ってみたい。そこで伸び伸び育てられている牛たちを見ながらステーキを食べたいと、なかなか猟奇的なことを考えるプルクラである。
食事を終えて、夢心地のまま部屋に戻ろうとしたところで、宿の受付に呼び止められた。
「プルクラ様を訪ねてお客様がお見えです」
「お客さん?」
「はい。あちらの方です」
掌で示された方に顔を向けると、ついさっき西門で果実水を売っていた男性が会釈をした。
「部屋で話す」
リーデンシア王国の間諜、ラクトを伴い、プルクラたちの四人部屋に全員で集まる。部屋で留守番していたルカインに、小さく切ってもらった黒角牛のステーキを食べさせた。
「にゃ、にゃー!? めちゃくちゃ美味いにゃ!?」
ラクトは肉の乗った皿を床に置いたプルクラを不思議そうに見ている。彼にはルカインの姿が見えていないし、声も聞こえていないようだ。
「バルドス・ロデイアの居場所を知らせに来ました」
「見つけたのか!?」
「まぁ、見つけたのは偶然ですが。それ以降、気付かれぬよう監視しています」
座っていた椅子からジガンが腰を浮かして前のめりになった。
「バルドスは七人の仲間と行動を共にしています。うち一人は女性で、彼女がナーレ・ベイリンガルトで間違いないでしょう」
そう言いながら、ラクトは懐から折り畳んだ紙を取り出してプルクラに渡した。開いてみると、バルドスが泊っている宿の名前と部屋番号、簡単な地図が描かれていた。
「明後日、帝都東の飛空艇発着場で何らかの演習が行われるようです。そこにはガイマールも列席します。彼らが動くとしたら、この時が最も可能性が高いと思われます」
帝国皇帝ガイマール・ベネデット・ツベンデル。普段は帝都中心の城から殆ど出ない彼が、城どころか帝都の堅牢な防壁の外に出ると言うのなら、それは絶好の機会だろう。
「我々はこの情報をあなた方に渡すのが任務ですが、情報を渡したら速やかに国へ帰投せよという指令が下っています」
「ん、それがいい。出来るだけ帝都から離れて?」
「バルドスの監視はもうよろしいのですか?」
プルクラはジガンに問うような視線を向けた。
「ああ、もういい。今から団長に会いに行く」
「分かりました。どうか、ご武運を」
「ありがと」
「ああ。あんた達も気を付けてな」
ラクトはまた会釈をして部屋から出て行った。それを見送ってからジガンが立ち上がる。
「ジガン様。バルドス様に会ってどうするのですか?」
「んー、何て言うか……けじめ、かな」
アウリの言葉に、ジガンは頭をガシガシと掻きながら答えた。
ジガンには、今からバルドスを止めようなんて気はさらさらない。ただ、十四年前、自分が彼の傍を離れなければ、ここまで復讐に取り憑かれることもなかったのではないかと思っている。もしかしたら、自分が彼の人生を捻じ曲げたのではないか。だとすれば、会って、顔を見て、何かを言うべきだろうと思うのだ。
「ジガン。私も行く」
「え? 個人的な用だぞ?」
「ジガン。バルドスがこうなったのはジガンのせいじゃない。だから謝る必要なんてない。もしバルドスがジガンを責めたら、私が殴る」
ふんす、とプルクラが鼻息を荒くする。
「お前が殴ったら、団長死んじゃうだろうが」
「手加減する。それに、私たちがすることを言っておいた方がいい」
「後始末のことか?」
「ん。帝都を滅ぼしたとして、その後バルドスはどうするつもりなのか。どうしたいのか。聞いて、手伝えることがあれば手伝ってもいい」
「お前は団長に恩も義理もねぇだろ?」
「でも、ししょーのししょーでしょ?」
「ん? まー、そうっちゃそうだが」
「ジガンが何かしたいって思えば、それを手助けするのが弟子の務め」
「お、おぅ……そう、か。じゃ、そん時は頼む」
「ん。とりあえず、行こ」
「そうだな。あんまりぞろぞろ行っても仕方ねぇから、お前らはここで待っててくれ」
ジガンの最後の言葉は、プルクラ以外の仲間たちに向けられた。アウリは何か言いたそうだが、それでも残ることに納得したようだ。
「じゃ、行ってきます」
「なるべく早く帰る」
プルクラとジガンが部屋から出てくのを見送ったアウリが、クリルに話し掛ける。
「二人だけで大丈夫でしょうか?」
「喧嘩を売りに行くわけでもないし、あの二人なら大丈夫でしょう」
「むむむ」
アウリは単にプルクラと一緒に行きたいだけだった。そんな彼女の様子を、クリルやファシオたちは生温かい目で見るのだった。
バルドス・ロデイアとその仲間たちの居場所は、プルクラたちの宿より二百メトルほど東門に近い場所で、お世辞にも高級とは言えない宿だった。
「……バルドス、お金ない?」
「いや、普通はこんなもんだろ」
「アウリだったら絶対だめって言う」
「だろうな」
入口の扉を押し開けると、ギィーっと耳障りな音がした。正面のカウンター奥には、目付きの悪い中年男性が座っている。ジガンとプルクラをじろじろ見てから下卑た笑みを浮かべた。その男が細長い木の板に紐で結ばれた鍵をカウンターに置き、こちら側へ押し出す。
「一刻大銅貨三枚」
「……あー、すまねぇが客じゃない」
「あ?」
「ここに泊まってる客に用事がある」
「ちっ。勝手に行け」
男は不機嫌さを隠そうともせず、手をひらひらと振った。そちらに目を遣ると二階へ続く階段がある。灯りなどという気の利いたものはないようで、階段は真っ暗に見えた。男を警戒しながら、ジガンとプルクラは階段を上る。
「一刻で大銅貨三枚?」
プルクラが囁き声で疑問を口にした。宿なのに時間貸しをするのだろうか。
「……お前はまだ分からなくていい」
「そうなの?」
「まだって言うか、ずっと分からなくていい」
それ以上ジガンに教えてくれる気がないと分かったので、プルクラも口を噤んだ。
入口から見た階段は真っ暗だったが、いざ上ってみると薄っすらと踏板が見える。どこかから光が差しているのだろう。そのまま三階まで上がり、一番奥の部屋の前で立ち止まる。
「ここだな」
躊躇うことなく、ジガンは扉をノックした。しばらく待つが物音さえしない。再び扉を軽く叩きながら、ジガンは中に声を掛けた。
「団長。俺だ、ジガン・シェイカーだ。居るなら開けてくれ」
またノックをしようと手を上げた時、錠を開ける金属音がして、扉が細く開かれた。
「……驚いた。本当にジガンなのか」
低く張りのある声。中の人物がジガンを確認したのだろう、扉が大きく開かれる。
そこに立っていたのは、五十代前半の偉丈夫。ジガンより背が高く、肩幅が広い。ひと目見て鍛えられた体だと分かった。元々黒髪なのだろうが、白いものがちらほらと混じったそれを長く伸ばし、頭の後ろで一括りにしている。眉間に深く刻まれた皺が長年の苦悩を思い起こさせるが、茶色い瞳は澄んでいて、妄執に取り憑かれている人間とは思えなかった。
その茶色い瞳がプルクラを捉えたまま、誰にともなく声が絞り出された。
「まさか……このお方は……クレイリア王族のお方か」
ストックがががががががガハッ!




