57 副都ダグルス、到着
リーデンシア王国の王都シャーライネンに帰還した翌朝。美味しい食事と心地よい寝床、そして仲間が一緒にいることで、プルクラの体調は万全と言えるまで回復した。
結局一週間以上お世話になった“黒金の匙亭”には丁寧に礼を述べ、建物の前に全員が集まった。準備した物資などの殆どはアウリの拡張袋に入っていて、皆割と軽装だ。聖化武器は新しく作った物も含め、取り敢えずプルクラの拡張袋に入れてある。
「東門の先に小さな林があるわよぉ。そこから出発すればどぉ?」
「ん。ファシオ、ありがと」
ファシオたちは王都に来てからも細々した依頼をこなしていたので、ついでに転移するのに相応しい場所も見つけてくれていた。七人と一匹はファシオお勧めのポイントへ移動する。
「先にアウリ、ジガン、クリル、ルカ。次にファシオ、ダルガ、オルガで行く」
林に着いた一行はプルクラの言に当然従うつもりだ。
転移魔術は相当な魔力が必要であると全員がよく理解している。約五百ケーメル毎に転移ポイントを作っているが、七人と一匹同時に転移するのは厳しい。まずアウリたちを転移させ、少しばかり休息をとり、また戻ってファシオたちを転移させる。これを繰り返して副都ダグルスまで行く。
プルクラは自分の拡張袋から紙を取り出した。目印の絵と特徴、それが何番目の目印かを記した紙である。一つ目の目印を確認し、それをはっきりと頭に思い浮かべた。
彼女の足元に魔法陣が出現すると、アウリたち三人が肩を寄せるようにプルクラに引っ付き、ルカインが肩に乗る。白い光の円柱が立ち上がり、次の瞬間にプルクラたちの姿が消えた。
「はぁ~。外から見るとこんな風に見えるのねぇ」
「き、きれいです」
「……不思議だ」
先に転移したアウリたちは、そのポイントの安全を確保する役割を負う。三人ともそれが分かっているので広がって周囲を警戒し始める。
プルクラはルカインをそっと地面に下ろし、近くにある倒木に腰を下ろした。それは昨日の朝、王都に戻る前に腰掛けた倒木だ。八分の一刻(十五分)だけ休憩し、ファシオたちの所へ転移する。それから三人を連れて戻ってきた。
「プ、プルクラちゃんは休んでてください」
「ん。ありがと、オルガ」
今度は倒木の上ではなく、立木の根元に腰を下ろし、幹に背を預けた。ここで一刻半(三時間)休憩だ。残りの面々も周囲を警戒しながら、交替で休息をとる。
必要なことだと分かっていても、一刻半もの間、何もしないというのはなかなか難しい。膝の上に乗ったルカインで遊んだり、傍で休息をとる誰かとお喋りしたり、木々の隙間からぼーっと空を眺めたり。
「飽きた」
「ほらな、絶対こうなると思ってた」
「プルクラ様、王都で本を買っておきました」
「本!」
予想通り、とジガンが呟き、すかさずアウリがプルクラに告げた。
黒竜の森の小屋には、レンダルが持ち込んだ本が千冊以上ある。プルクラはその全てを読み、一部の本は何度も繰り返し読み込んだ。レンダルが書いたという魔術の入門書だって、興味はなくとも頑張って何度も読んだのだ。終ぞ魔術を使えるとは思えなかったけれど。
要するに、プルクラは本を読むのが大好きなのである。それ以外に娯楽がなかったとも言える。
「最近王都で話題になっている物語だそうですよ?」
そう言って、アウリは拡張袋から一冊の本を取り出した。表紙には美麗な文字で題名が刻まれている。
『新人冒険者、瀕死の魔王に止めを刺して追放される~魔王の力が手に入ったようですがこんなものは要らないのでプライペートを返してください!』
「…………タイトルが長い」
「最近はそれが主流らしいです」
「へぇー。でも面白そう。アウリ、ありがと」
本はそれなりに高価な物だ。それを自分の為に用意してくれていたことに感謝するプルクラである。
実は、こうなることを想定して暇潰しになる物の準備を進言したのはジガンだった。ただ、プルクラの嗜好をよく知るアウリがこの本を選んだのもまた事実。だからアウリは何の臆面もなくプルクラの謝意を受け取る。
『勇者一行は、率いてきた十万の友軍に魔王軍との戦闘を任せ、魔王城へと乗り込んだ』
ふむふむ、と小さく頷きながら、プルクラは物語の世界に没入する。遊んでもらえなくなったルカインが、膝の上でひとつ欠伸をしてから丸くなった。
「プルクラ様、そろそろお時間です……プルクラ様?」
「……え?」
「そろそろ次の場所に転移するお時間です」
「もう?」
「はい」
本に集中したことで一刻半があっという間に過ぎた。ジガンとアウリの作戦勝ちであろう。プルクラは、読んでいたページに栞紐を挟み名残惜しそうに本を閉じる。
「次の休憩でまた読みましょうね?」
「ん」
まるで母に諭される幼子にように返事をしたプルクラであるが、二つ目の目印にしっかり全員を転移させたのだった。
四つ目の目印に転移した後は野営の準備だ。夕暮れの空は美しい茜色に染まっている。四の鐘(午前八時)に出発し、二千ケーメル以上の距離を五刻(十時間)弱で移動したのだが、プルクラ以外の面々にその実感はない。ただ、遥か先に少しだけ見えていた黒尖峰の頂が見えなくなったなぁ、くらいの印象である。
実感はなくともプルクラが魔力を振り絞ってくれたことは全員理解しているので、野営の準備は免除され、早速アウリから貰った本に食いつくプルクラ。ちなみにもう四分の三を読み終えている。
ルカインはプルクラが本を読み始めると構ってもらえないため若干拗ねているが、読書の邪魔をしないくらいの分別はあった。
「プルクラ様、夕食にしましょう」
顔を上げると、立木を利用した天幕が二つ(女子用と男子用)張られ、その前に全員集まっていた。それぞれの手には深皿に入ったシチューとパンがある。シチューは昨夜アウリが作って拡張袋に入れておいたものだ。袋の中は時間経過が非常に遅くなるためまだ温かい。
皆で和やかに夕食を摂り、交代で夜番をすることになったが、ここでもプルクラは免除された。一応隠密行動中ということで灯りの使用が出来ず、本の続きを読むのは諦めて早めに眠りに就くプルクラだった。
夜の間に問題が起きることもなく。これから帝都が滅びるかもしれないとは思えない、爽やかな朝を迎えた。
天幕を撤収し、各々顔を洗い朝食を済ませる。五つ目の目印、あのケールとルキが住む町の近くへ二回に分けて転移した。少しだけ、あの二人の顔を見たいと思うプルクラだが、それを堪えて休憩がてら本の続きを読む。
物語が佳境を迎えた頃、またアウリに「時間ですよ」と促された。転移に要する時間は僅かだが、その僅かな時間さえ惜しい気がするプルクラである。もうすっかり二人の子供たちのことは忘れていた。
そして最後の目印へ全員が転移し終えたのは、まだ五の鐘(午前十時)を過ぎた頃だった。ここから副都ダグルスまでは歩いて行くのだ。
「プルクラ様、大丈夫ですか?」
「歩くくらいは問題ない」
目印を離れ、草地を街道のある北へ向かっててくてくと歩く一行。ルカインもプルクラを気遣って自分の足でちょこまかと付いて行く。
「ここがもう帝国の中心近くとは信じられませんね」
「ほんとだよなー。転移ってすげぇよなー」
巡礼神官として帝国も訪れていたクリルは感慨も一入のようだが、その言葉に気の抜けた口調で返したのはジガンだ。
転移で移動するのが半ば当たり前のようになっているが、それが戦術的にどれ程とんでもないことなのか、騎士団に所属していたジガンは良く分かっている。これを実現したレンダルとプルクラの所業に呆れているのだ。
「帝国には強い魔獣がいるのかしらぁ?」
「こ、黒竜の森の近く以外は、い、いないって聞いたけど」
「そうなのぉ? つまんなーい」
ファシオとオルガの会話を聞き、こいつ来た目的忘れてないか、と思うダルガ。彼は口を挟まず粛々と歩く。元々プルクラ以上に無口なのである。
少し歩くと広い街道に出た。幸い彼らが草地方面から来たのを見咎める者もいない。目印に到着した時から見えていたが、ここからはダグルスの防壁がよりはっきりと見える。プルクラも前回来た時にここまで近付いていないので、防壁の高さに目を丸くした。リーデンシア王国の王都シャーライネンの防壁より高いかもしれない。
副都にここまでの防壁を備えるということは、帝都はさらに厚く高い防壁なのだろうか。そんなことを考えながら、六人と一匹は堂々とした態度で副都ダグルスに入都する者の列に並んだ。残る一人であるプルクラは、列に並ぶ人の多さと門兵の多さにビビりながらいつものようにアウリの背中で小さくなっていた。
ダグルスには東西南北にそれぞれ門がある。その四か所全てに、リーデンシア王国の間諜がそれと分からぬよう待機していた。その目的はバルドス・ロデイアたちの監視、およびプルクラたちの出迎えである。プルクラたちがダグルスに来るという情報は彼らの上官を通じてブレント王子から齎されていた。もちろんバルドス発見は上官に報告している。プルクラたちにバルドスの所在を教えるのも彼らの任務である。
西門に待機していたのは“ラクト”という偽名を使っている三十代半ばの間諜で、プルクラたちが門に近付いて来ることにだいぶ前から気付いていた。彼は門の外側に何人かいるダグルス商人のフリをして待機しており、不自然にならぬよう、彼らが十分近付いてから行動し始めた。
壁際から離れ、小さな荷車を曳きながら列に近付く。並ぶ者たちに適当に声を掛けながら列の後方へ向かった。
「甘酸っぱい果実水はいらないかい?」
ラクトはジガンにそう声を掛けた。
「おう、七つもらおうかな」
ジガンは自分たちに注目するこの男に気付いていた。と言うか、ジガンだけではなく全員が気付いていた。特に気配に敏感なプルクラが真っ先に。
王都を出る前日にブレント王子の使者が宿を訪れ、ダグルスに潜む王国の間諜が接触してくる予定だと聞いていた。十中八九その間諜だと思うが、警戒は解かない。
「ほい、銅貨七枚だよ」
アウリがリーデンシア王国大銅貨で支払うと、男は同じく王国銅貨三枚の釣りを渡してきた。これで彼が間諜であることが確認出来た。
荷車には本当に果実水の入った瓶が並んでいるだけではなく、氷で冷やされていた。気が利いてるな、と思うジガンに、果実水の瓶と共にさりげなく紙片が渡される。男はにこやかに礼を述べて列の後方に果実水を売りに行った。
果実水を飲みながら紙片に目を遣る。内容を確認したジガンはその紙片をプルクラに手渡した。
『後ほど、宿で』
特に宿も指定されていない。街に入っても自分たちを見失うことはないという自信の表れだろう、とプルクラは思った。重要な情報を紙片に記さない所も好感が持てる。プルクラは紙片をアウリに渡し、果実水を飲んだ。冷えていて本当に甘酸っぱい。思わず「美味し」と呟いた。
その呟きのせいか分からないが、ラクトが曳いていた荷車の果実水は、あっという間に完売したのだった。
最初から、宿は東門に近い所で探すつもりであった。その方が帝都に近く、少しでも早く動けるからだ。
副都ダグルスは帝都に近いことから商人の立ち寄りが多く、宿の数も充実していた。自分たちを尾行する者の存在に気付きながらもそれを放置して、アウリの眼鏡に適う宿を選ぶ。“黒金の匙亭”とは比べるべくもないが、裕福な商人が利用する高級宿だ。経費は王子持ちなので、宿選びで自重する気のないアウリである。
今回は女子と男子で広い部屋を二つ取った。プルクラと同じ部屋ということでファシオのテンションが無駄に上がり、オルガは恐縮して縮こまっている。
ダルガはジガン・クリルの二人と一緒で息が詰まってしまわないだろうか、とこちらも無駄な心配をするプルクラだ。
荷物は殆どアウリの拡張袋に入っているので、男子三人も女子の部屋に来てそれぞれの荷物を受け取った。プルクラも、自分の拡張袋からそれぞれの聖化武器を取り出して渡す。ついでに、少し前に森の小屋から持って来た荷物も出した。
「…………プルクラ、それが何か聞いてもいいか?」
「お父さん特製の鎧。今回着てみようと思って」
ニーグラムが作ったわけではない。彼は素材を提供しただけである。だが、その異様さは見る者全てが気付いた。アウリは元々その存在を知っているが、衝撃で固まった。ジガンは、それが黒竜の鱗であろうと気付けた。
「えーと、姉御? 全身鎧を着けるの?」
「ん、気分の問題」
「気分かー。そっかー」
それが普段プルクラが着けている胸当てなどと同じ素材であることは、ファシオにも直ぐに分かった。
「プ、プルクラちゃん? ちょっとそれ、こ、怖くないです?」
「ん? 怖くない、かっこいい」
「そ、そうですか」
特に禍々しく見えるのは兜と言うか面と言うか、とにかく顔と頭部を覆う部分である。そこはニーグラムが特に力を入れて注文した部分で、絶対に必要のない角のような突起が五本、斜め後ろに向かって生えている。竜の顔を模しているのだ。そして口を覆う部分には牙のような物が浮き出ている。防具に牙は絶対必要ないだろう。
こういった頭部全てを覆う兜は視界を制限してしまうのが常だが、人間の目の形になっているそこは、どういうわけだか仄かに赤く光っている。
「プルクラさん、この目? の部分が光っているのは何か理由があるのですか?」
「そこは魔導具になってる。被ってない時と同じように見える。それと、かっこいい」
「そ、そうですか」
クリルも最後はオルガと全く同じ反応であった。
「プルクラ様……本当にそれを……?」
「ん。激しい戦いになる、かもしれない」
アウリは口元を手で覆いながら、嘆くように零した。この全身鎧は、プルクラの可愛らしさを完全に損なうものだ。だから旅の出発前にも持って行くことを全力で阻止した。
プルクラとしては、こういう機会でもないと着ることがないと思っている。父が贈ってくれたものだし、父と同じく自分も物凄くかっこいいと思っているので、今回は是非着たいのだ。あと、聖化武器があってもやっぱりお化けは怖いから、鎧越しならそれが多少薄まるのではと期待している。
「薄々思ってたけど、お前の父ちゃんって物凄く過保護だよな」
ジガンの呆れたような呟きは、誰の耳にも届かないのだった。
ストックががががががが




