55 プルクラ、寄り道する
「まったく二人とも! 恥ずかしいとは思わないのですか!?」
プルクラが木の枝の上でスヤスヤと眠った頃、王都シャーライネンの“黒金の匙亭”の一室では、ジガンとファシオが並んで正座していた。二人の前には仁王立ちのアウリ。二日酔いで半日以上くたばっていたことを怒られているのである。
「はい、すみません」
「ごめんなさい」
ジガン、ファシオが順に謝罪を述べる。
「プルクラ様は! たったひとりで! 帝都目指して出発されたんです! あなたたちが! グースカ寝ている間に!」
前日の夜に飲み過ぎたことを自覚しているので、ぐうの音も出ない二人。頭痛と吐き気で苦しみ、決して呑気に眠っていたわけではないのだが、そんなことを口にしないだけの分別が二人にはあった。
「すみません、もうしません」
「反省してます」
平謝りである。アウリが怒り心頭で二人を怒鳴り散らす間、クリルは苦笑しっ放しだ。昼まで、アウリも溜息ばかりで非常に鬱陶しかったのだ。それに比べれば元気に怒りを発散している今の方が幾分かマシである。
たっぷり半刻(一時間)ほどアウリから説教されたジガンとファシオが、少し痩せたように見えたと後日クリルは語った。
翌朝から、帝都行きのために各自が準備に奔走した。準備と言っても、武器・防具の点検整備、二日分の食料と野営対策、数日分の着替え程度である。そこは討採者たちと旅慣れたクリルなので、何が必要なのか各々が分かっている。副都ダグルスに入ってしまえば、何か不足があっても現地で調達出来る。それを見越した上で、準備は滞りなく終えた。
「はぁ……」
そして準備が終わってしまえば、アウリがまた溜息を連発し始めた。プルクラからアウリのことを頼まれたクリルとルカインは、どうしたものかと悩んだ末、ジガンに相談した。
「ジガンさん、どうしたらアウリさんが元気になるでしょうか?」
「いい加減鬱陶しいにゃ」
いつもならアウリに軽口のひとつでも叩くところ、昨夜散々怒られたジガンは真面目路線で行くことにした。
「アウリ。ダグルスに着いてからのことを決めておかねぇか? たぶん、プルクラは行けば何とかなると思ってるだろ?」
「……決めるって何をです?」
「死霊王が現れる前提で、帝都が滅ぼされた後にそれを片付けようって腹だろ? でも、帝都を守る兵は十万もいるんだ。死霊王が倒されることだって考えられる」
「ええ、確かに」
帝都守備隊も様々な敵を想定しているだろう。聖化武器と浄化魔術があれば取り敢えず霊系に対抗出来る。プルクラがレンダルやニーグラムに聞いたところによれば、炎系魔術も効果がある。
「バルドス団長たちだって、降霊術だけを頼りにしてないだろう。その場合は守備隊と衝突するわけだが、俺たちもガチで帝都殲滅に動くのか、その辺は決めてんのか?」
「……プルクラ様とそういった話はしてませんね」
「俺たちの立ち位置って言うか、やるべきことを決めといた方が良いと思うんだ。いざって時に迷わないように」
ジガンが言い出したことに、クリルとルカインは感心しきりである。何故なら、アウリのどんよりした顔がいつものキリッとした表情に戻ったからだ。
「プルクラ様がいない間に、色んな事態を想定しておく。そういうことでしょうか?」
「そうだ。決定はプルクラが戻ってからでいいが、どういうことが起き得るのか、考えておいても損はねぇだろ?」
「ジガン様、それは素晴らしい考えです。とても二日酔いで半日寝ていた人とは思えません」
「……すみませんでした」
アウリの調子が戻ったので、クリルがファシオたちを呼びに行く。一番広いアウリとプルクラの部屋に皆が集まって意見を出し合うという非常に建設的な時間を過ごした。
前日同様、プルクラは走っていた。
朝は日の出と共に目覚め、準備を終えて直ぐに出発した。草原の先は森、低い山、渓谷と障害がいくつかあったし、道中で何度か魔獣を吹っ飛ばしたりしたが、概ね予定通りの進捗だった。
渓谷を超えるとずっと平地が続くが、なるべく街道を避けて進んだ。街道はそれなりに人の往来がある。すれ違っても問題はないと思われるが、だからと言って態々近くを通ることもないだろう。刻速五百ケーメルで傍を通るのは甚だ迷惑だ。
三つ目、四つ目と順調に目印を作り、その都度小休止をとった。五つ目の目印を作るのは副都ダグルスから約四百五十ケーメルの地点で、少し北の方には町があった。走る速度を落とし、丁度良い場所がないか周辺を探ると、北にこんもりと木が茂る森がある。あまり町に近付きたくないのだが、そこなら人目を忍べるかと考え足を向けた。
『きゃぁぁあああ!?』
『拙い、逃げろっ!』
子供の男女と思われる声が聞こえ、プルクラは反射的に走り出した。
『ブモォォオオオ!!』
獣か魔獣の雄叫びも聞こえた。身体強化を五十倍に上げて森に飛び込む。子供の声は聞こえないが、木が折れる音が立て続けに響いたので、そちらに急いだ。
木々が薙ぎ倒され、そこだけ少し開けた場所になっている。大人数人が隠れられるような岩があって、そこに七~八歳の子供が二人、蹲っていた。その向こう側には、体長三メトル近い人型の魔獣、濃い茶色の体色をした“牛頭”が一匹。
体中に網目のように血管が浮き上がり、目が血走っている。片手には棍棒代わりだろうか、大人の背丈ほどの木を握って滅茶苦茶に振り回していた。目を凝らすと、左の肩口に矢が刺さっている。ふと岩陰の子供を見れば、男の子の方が弓を持っていた。その男の子と目が合う。彼は口に出さず、目で必死に“隠れろ”とプルクラに懇願していた。
「あなたが射ったの?」
男の子は、こんな時に何言ってんだこいつ顔をしながらも、一応頷いてみせた。彼の左腕は骨が折れているようで、力なくだらりと垂れ下がっている。女の子を庇うようにしている所に好感が持てた。女の子の方は、擦り傷はあるが大きな怪我はないようだ。
「ちょっと待ってて」
それだけ言い残し、プルクラは彼らの眼前から消えた。牛頭に向かって走り出しただけだが、子供たちの目には消えたようにしか見えなかった。
プルクラは牛頭に対して怒っているわけではない。ただ、男の子の腕を早く治してあげたいと、身体強化を五十倍に引き上げたことをうっかり忘れていただけである。
矢を射かけられて怒り心頭の牛頭は、その身に衝撃を感じるまでプルクラの肉薄に気付かなかった。そして気付く前に絶命していた。
プルクラは牛頭の眼前で足を止めて横蹴りを放ったのみ。しかし、身体強化五十倍の横蹴りは牛頭の腹に大穴を開け、血と肉と内臓と骨を後方にぶちまけた。地面に、木々に、牛頭の残滓が飛び散り引っ掛かっている。
何が起こったのか分からないまま膝を突き、前のめりに倒れ伏す牛頭。その後方に、子供には決して見せてはならない惨状を作り出したことから目を逸らすプルクラ。
勢いだけで蹴っちゃいけない、とプルクラは反省した。大岩を回り込み、子供たちの無事を再確認する。
「もうだいじょぶ。腕、治したげる」
まだ怯えて声も出せない男の子の傍に膝を突き、彼に向けて「サナーティオ」を紡ぐ。赤と黄色と濃い紫に変色していた前腕の真ん中辺りが、見る見るうちに元の肌色を取り戻した。
「え? え?」
続いて女の子。彼女の擦り傷も瞬く間に消えた。この子はまだガタガタと震え、真っ赤に腫らした目は虚ろのままだ。男の子の方は腕が治った驚きで恐怖を忘れたようである。これなら話が出来るか、と思いプルクラは男の子に話し掛けた。
「誰か大人と一緒に来た?」
「ね、姉ちゃん、何したんだ? 腕が何ともないぞ?」
「それは良かった。ね、その子と二人で森に来たの?」
「え? ああ、そうだけど」
「あっちの町の子?」
「うん」
「わかった」
怪我は治したが、それで子供たちを放置というわけにもいくまい。プルクラは男の子を左、女の子を右の小脇に抱えた。
「な、なにすんだ!?」
「町まで送る。女の子がこんな状態でほうっておけない」
「あ、うん」
プルクラが抱えても女の子は無反応だ。余程怯えているのだろう。
「走るから。口を閉じてて」
森を出て迂回するより、このまま森を突っ切った方が早い。プルクラは身体強化二十倍で走り出した。二十倍にしたのはせめてもの優しさである。
男の子は思わず叫びそうになったのを、自分の両手を口に当てて堪えた。女の子の方は走る振動で正気を取り戻したのか、目と口をギュッと閉じている。男の子が持っていた弓矢は拡張袋に収納済みだ。
黒竜の森より随分と走りやすい。木々の根は地表に露出しておらず、落ち葉もそれほど堆積していなかった。なるべく二人を揺らさないように真っ直ぐ走っていると、三十呼吸(約二分)ほどで森を抜けた。町を囲む石垣がここからも見える。プルクラは一旦止まり、二人を優しく下ろした。
「ハハ、あっという間じゃん……」
「……ねぇ、あのかいぶつは?」
「おう、ルキ。もうかいぶつはいねぇよ」
「……ケールがやっつけたの?」
「んにゃ、この姉ちゃんだ。だよな?」
ケールと呼ばれた男の子は、プルクラを見上げて確認する。幸いなことに、彼は牛頭が中身をぶちまけて死んだ所を見ていない。
「ん。もうだいじょぶ」
「だってさ! 俺の腕もルキの怪我も、姉ちゃんが治してくれたんだ!」
その言葉に、ルキと呼ばれた女の子が目を真ん丸にする。んしょ、と言って立ち上がると、プルクラに向かってぺこりと頭を下げた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「ん、どういたしまして」
プルクラは幼い子に慣れているとは言い難い。これまで接したことがあるのは、ファルサ村のレノ、ダレン、ギータの三人組くらい。ケールとルキは、一番年下のレノより幼いだろう。
それなのにちゃんとお礼を言えて偉いなぁ、と思いながらも、ルキの膝が小刻みに震えていることに気付いた。まだ恐怖を感じているのだろう。ここまでで十分かと思ったが、町の入り口まで送ってあげることにした。
ルキの膝が震えていたのは、牛頭の恐怖からではなく森を猛スピードで運ばれた恐怖がまだ治まらないからなのだが。
プルクラは二人のお尻の下に腕を回し、片腕に一人ずつ抱え上げた。今度は優しい抱き方である。赤子のような扱いに二人は不満顔だが、少しすると両側から首に腕を回してきた。
プルクラにとってはゆっくりと、周りから見れば馬の速歩くらいの速さで、町の入り口らしき所に着いた。そこで二人を地面に降ろす。門番のような者は見当たらない。ケールに弓矢を返してから尋ねる。
「ここでいい?」
「え、姉ちゃんどっか行くのか?」
「ん、用事がある」
立ち去ろうとすると、ケールとルキはとても悲しそうな顔をする。それが気になってしまい、プルクラは思わず尋ねた。
「まだ何か用があるの?」
「お姉ちゃん……お母さんの病気、治せる!?」
話を聞いてみると、森に子供二人で入ったのは、母の病気に効く薬草を探すためだったらしい。病状を聞くと、肺炎であると思えた。ケールはルキの幼馴染で、彼女の護衛のつもりで一緒に森へ向かったそうだ。
母の病気が治らないと二人はまた森へ行くだろう。また危険な目に遭う可能性は高い。折角拾った命、プルクラの知らない所でも散らせるのは嫌だと思った。
「う~ん。治せるかどうか分からないけど、診てみる」
そう返事をすると、ルキが「こっち!」と言ってプルクラの手を強引に引っ張る。更にケールが背中を押すので、それに任せていると一軒の家に着いた。
「お母さーん! お客さん連れてきた!」
そう言いながら、ルキはプルクラをぐいぐい引っ張る。扉を開くとそこは寝室で、頬が痩せた女性が横になっていた。女性は薄く目を開いたが、意識が混濁しているように見える。これはかなり重症だ。
「サナーティオ」
許可も得ずに癒しを紡ぐ。念入りに三回掛けた。四回目を掛けようとしたところで女性が目を覚ます。
「……ルキ?」
掠れた声に、ルキが慌てて寝台横の机から水を差し出した。女性がそれをゆっくり飲み、それからプルクラに気付いた。
「あの、どちら様?」
「あ、プルクラ、です」
「お母さん、具合はどう!?」
「え? あら、そう言えば……息がしやすい。体も軽くなった気がするわ」
「よかったぁぁあああ」
ルキが上体を起こした母に抱き着き、声を上げて泣く。母親は困ったような驚いたような顔をしながら、ルキの髪を優しく撫でる。
「あ、あの、私、し、失礼します!」
プルクラはガバッと頭を下げ、ルキの家から逃げるように出た。ふぅ、と息を吐き、町の門に向かう。既に陽が少し傾きつつある。
ああ、五つ目の目印もまだだ。今日中にダグルス近くに最後の目印を作るつもりだったけど、間に合うかな?
「おねーちゃーん!」
「ねーちゃーん!」
たたたっ、と軽い足音と共に声が聞こえ、プルクラが振り向くと、ルキとケールがこちらに向かって懸命に走って来るところだった。
「お姉ちゃん! お母さん治った、元気になったよ! ありがとう!」
「姉ちゃん、ルキの母ちゃん治してくれてありがとな!」
この子たちは、態々礼を言うために走って来たのか。胸の奥がじんと温かくなる。
「ルキ、よかった。ケール、もう子供だけで森に行っちゃダメ」
「うん!」
「うぅ、分かった」
「お姉ちゃん、またここに来る?」
純粋な子供ならではの問い。プルクラはこれに即答出来ない。
これから帝都が殲滅されるような事態が本当に起これば、帝国は大混乱に陥るだろう。もしかしたら帝国に侵攻する国もあるかもしれない。併呑された国が独立しようとするかもしれない。帝国内の貴族同士で内乱が起きる可能性だってある。
帝都から離れたこの小さな町は、その時どうなるだろうか。ルキとケールの二人は無事に済むだろうか?
全ての人をずっと守り続けることなど不可能だ。それはプルクラも理解している。ただ、帝都が滅んだ後の後始末は全力でやろうと改めて思った。ルキとケールが住むこの町に一匹たりともお化けを近寄らせないように。
「来れるかは分からない。けど機会があったらまた来るね」
プルクラが少し寂しそうな二人に言えるのはこれが限界だった。




