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54 妖精さん、現る

 帝国軍南部方面隊第百十四小隊三十名は、通常任務である街道の巡回警備に就いていた。


 南部方面隊は、黒竜の森から偶に帝国領土に出てくる魔獣の討伐を主な任務としている。その一環で街道を巡回するわけだが、重装備の上に徒歩なのでかなり辛い。それでも、彼らはこれが帝国民を守る重要な任務と心得ており、愚痴は胸の内に留めて黙々と任務に当たるのが常である。


 魔獣と遭遇することなど滅多にない。年に五~六回といったところだろうか。それでも気を抜かない彼らは兵士の鑑と言っても良いだろう。

 そんな彼らの何人かが、黒竜の森へと続く草原から物音がするのに気付いた。ガサ、ガサ、と一定の調子で聞こえてくるその音は、徐々に街道へと、つまり第百十四小隊の方へと近付いている。


 隊員たちは草叢から出来るだけ離れて横に展開し、魔導銃の銃口を草叢に向ける。だが、魔獣特有の唸り声や臭気がないことに、隊員たちは内心で首を傾げた。


『ふふ~ん、うふふ~ん♪』


 その時、草叢の中から何やら楽しげな声が聞こえてきた。それはどう考えても魔獣ではなく人間、それも少女のような声だ。


 もしや、近隣の村に住む子供が森に迷い込んだのだろうか?


 隊員のひとりが、周りに目配せをして草叢に近付く。子供ならすぐに保護しなければならない。

 ガサッ、と丈の高い草が左右に分けられ、そこに現れたのは蜂蜜色の髪をした――少年? 少女?


 とにかく、その人間は兵士を見て目を真ん丸にした。魔獣ではないことが明らかになったので、小隊の隊員たちは魔導銃の銃口を地面に向ける。プルクラに相対した兵士も、慌てて銃口を下げるが警戒は解かない。


「う、動くな! 貴様、何者だ!?」


 兵士が誰何の声を上げると、プルクラはびくりと体を震わせた。


「あ、大声を出して済まない。こんな所で何をしてるんだ? ひとりか?」


 手足と胸に防具は着けているが、見るからに華奢だ。胸当ての膨らみから、恐らく少女だろうとその兵士は見当をつけた。その少女が自分の声に驚いて固まってしまったのだ。逆の立場に立ってみれば、いきなり重武装の兵士と出くわし、大声で誰何されれば大人だって戸惑うだろう。そう思い、兵士は謝罪の言葉を口にした上で、出来るだけ優しく聞こえる声で尋ねた。


 一方のプルクラは、想定外の出来事で思考がまとまらない。まさか街道に出た所に帝国の兵士がいるとは。


「あ、あの……」

「怪我してないか? 喉は乾いてないか?」


 先程の行いに罪悪感を抱いた兵士は、殊更にプルクラを思いやるような声を掛ける。この兵士の後ろにいる同じ格好の兵士たちも、プルクラに攻撃を仕掛けようとはしていない。それが分かって、ようやくプルクラも考えることが出来るようになった。


「あの、うちのルカが草叢に入って……」

「ルカ?」

「ん、子猫」

「子猫かぁ……」


 子猫が草叢に入ったからといって、見るからにしっかりした防具を着けて探しに行くような子供はいないだろう。少し考えれば分かることだが、プルクラの柔らかい雰囲気と、魔獣に対する緊張が解けたことから、小隊の隊員たちは彼女の言葉に納得してしまった。

 簡単に騙されたと言うよりも、彼らは突然少女が黒竜の森方面から現れた理由を求めていたのだ。子猫を探していた。少女が草叢から出て来るのにこれ以上の理由があるだろうか?


 プルクラは必死に考えてこれしか思いつかなかった。疑われたら全員倒すか全力で逃げればいいや、と半ば自棄である。


「草叢にも魔獣がいるかもしれないよ? 子猫を見付けたら保護してあげるから、君は自分の村に帰りなさい」

「……はい」

「君の村はどこだい?」


 プルクラは地図で見たこの辺りの村の名前を必死に思い出す。


「えーと、ビード村?」

「ビードかぁ。随分遠くから来たんだな。送っていこうか?」


 兵士の親切な申し出に、プルクラはぶんぶんと首を横に振る。


「ひとりでだいじょぶ」

「本当に?」

「ん」


 心配顔の兵士の申し出を丁重にお断りし、プルクラは街道を北に向かって歩き出す。ふと思い付いて振り返った。


「兵士さん、ありがと」


 ぴょこん、と頭を下げた少女に、直接対応した隊員のみならず、他の隊員たちもほっこりした。少女が足取り軽く歩き去る背を全員で見送る。


「……あれ? ビード村って南じゃ――」


 ひとりの隊員の呟きは途中で遮られた。草叢から飛び出して来た魔獣がこの隊員を吹っ飛ばしたのだ。


「剣牙虎だ!」


 それは、森の浅層と中層の境界に生息する魔獣。体高二メトル(メートル)、全長五メトル。四肢の爪はナイフのように鋭く伸び、犬歯は短剣ほどの長さがある。暗紫色に黄色の縞模様の体毛は並みの攻撃を受け付けない強靭さだ。

 南部方面隊が相手取る魔獣は浅層から迷い出るものが殆どで、剣牙虎のような強靭なものは数年に一度遭遇するかしないかといった頻度である。その素早さは常人を遥かに凌駕し、その爪と牙は金属製の鎧すら切り裂き貫通する。一個小隊では全滅も有り得る個体だ。


 第百十四小隊の面々は、瞬時に戦闘態勢を整えるとともに死を覚悟した。こちらを見据える血のような色の目、低い唸り声、牙を伝って地面に零れ落ちる涎。剣牙虎の頭が下がり、四肢が折り曲がり、飛び掛かる姿勢を見せる。次の瞬間、剣牙虎の姿が隊員たちの前から消えた。


 僅かに遅れて、どすん、という鈍い音が耳に届く。


「え」

「は?」


 一瞬前まで剣牙虎がいた場所に、先程別れたばかりのビード村から来た少女が立っていた。腰を落とし、左掌を突き出した姿勢だ。

 その掌の先を辿れば、剣牙虎が二十メトルほど離れた街道の真ん中で横倒しになっている。その四肢はピクピクと痙攣していた。十名ほどの隊員たちが急いでそこに向かい、取り囲んで銃口を向ける。


 少女は最初に吹っ飛ばされた隊員の傍らに膝を突き、聞き取れない小声で何かを呟く。すると、微動だにしなかったその隊員が上体を起こした。


「だいじょぶ?」

「え? ああ、どこも痛くない」

「よかった」


 蕾が綻ぶような笑顔を見せ、少女は立ち上がった。


「お、おい、君は――」

「じゃ」


 シュタッ、と手を挙げた少女は、隊員たちが見ている前でその姿を消した。直後に突風が吹き、全員兜の目の部分を腕で庇う。風が収まってキョロキョロと辺りを見回すが、少女を見付けることは出来なかった。


「何だったんだ、あれは」

「剣牙虎を倒した……んだよな? 素手で」

「たぶん」


 隊員たちが知る限り、素手で剣牙虎を倒したなどという人間は存在しない。帝国にも少なからず討採者が活動しているが、黒竜の森に生息する剣牙虎は白金級が数人がかりで討伐するものと記憶している。勿論、武器と防具をしっかり整え、魔術師も交えての話だ。


「あの歳で討採者? それも……まさか黒金級?」


 銅級である。因みに黒金級は白金級の上、大陸でも数人しかいない。

 あの歳、と言っているが、幼く見えるだけで十五歳。帝国でも成人扱いの年齢だ。


「こんな所に黒金級なんていないだろう」

「じゃあ何だ?」

「妖精、じゃないのか?」

「妖精……俺、初めて見た」

「俺もさ」


 可愛らしい見た目から、あの少女が「妖精」と言われてさもありなんと思う隊員たち。兵士の鑑ではあるが、その仕事内容と反してあまりにも純朴であろう。

 ただ、自分たちの危機を救ってくれた存在に対し、彼らは悪意など抱くことは出来なかった。常識の枠から外れた強さを目の当たりにして、一番納得いくのが「妖精」だったのである。


 この場にいる誰も「妖精」を見たことがないので、それがどんな存在なのか知る筈もないのだが。彼らがルカインを見たら残念に思うかもしれない。


「俺、帰ったらかみさんに自慢しよう」


 プルクラが癒した隊員がその輪に混ざった。彼の様子を見た者たちがギョッとする。金属鎧は左の肩口から胸の中心辺りまで裂けており、赤黒い血の痕が付いている。


「お、お前、動いて大丈夫なのか!?」

「え? ああ、さっきの妖精さんが治してくれたみたいだ」

「「「「何だって!?」」」」


 彼は最近結婚したばかりの新婚さんだ。プルクラが「サナーティオ(癒し)」を掛けなければ、妻は未亡人となっていたことだろう。


 彼らは口々に「妖精」の偉業を称えながら帰路に就く。兵舎に戻り、それぞれの家や寮に帰って「妖精」と出会った話をした。

 ただ、この「妖精」の噂話は、四日後に帝都で起こる騒乱によって、それ以上広まることはなかった。





「あぶなかった……」


 剣牙虎を掌底突きでぶっ飛ばし、傷付いた兵を癒したプルクラは、身体強化百倍を駆使してその場を離脱した。彼らからかなり離れたと確信してから速度を緩め、一息つく。

 兵士のひとりにお礼を言って歩き出した後、誰かの言葉が聞こえたのだ。「ビード村って南じゃ――」と。それと同時に、兵士たちに迫る魔獣の気配に気付いたので、反射的に身体強化を五十倍にしてその場に戻った。自分が黒竜の森を通ったせいで、その魔獣がここまで迷い出た可能性を考えたからだ。


 彼らは悪い人間ではなかった。寧ろ自分に気を遣ってくれた。そんな人たちが、自分の行動が原因で傷付くのは忍びない。


 ただ、あの場に戻って力を振るえば色々面倒なことが起こるのは分かっていた。だからやるべきことを終えてさっさと逃げたのである。まさか自分が「妖精」扱いされているとは夢にも思っていないが。


 取り敢えず正体を隠せたと安堵するプルクラである。帝都近郊へ転移するためにそこに居ると知られなければ当面問題はない。


 既に陽が傾きつつある。一面青かった空は、西が薄い橙色に、東は薄い紫色に変わっていた。陽が落ちる前に野営する場所を見付けなければならない。二つ目の目印も作らないと。

 街道の東側は、踝くらいの草や低木が生えた草原になっている。しばらく走ると木が何本か密集している場所が目に付いた。あの辺りで良いだろう。

 その、林と呼ぶには少々貧相な、木々が並ぶ場所に入ったプルクラは、王都で目印を作った場所のように都合よく開けた場所がないことに直ぐ気付いた。


「仕方ない」


 「ソルビテアム(切り裂け)」で立木を三本、根本付近から断ち切り、「フォデレ(掘る)」で切り株を掘り返す。


「そーい!」


 切り倒した木と切り株を力任せに投げると、それらが落ちた辺りに居たであろう鳥が飛び立ち、兎が跳ねて逃げ出した。


「……ごめん」


 罪のない動物たちを驚かせてしまった謝罪を呟き、二つ目の目印を作る。石壁に菱形の刳り貫き穴を二つ拵え、また紙にその絵を記しておく。この場所なら、森の小屋まで一度で転移出来る。ただ、全員を避難させることになれば三回に分ける必要があるだろう。

 その頃にはすっかり日が暮れて、黒竜の森の上から残照が届くのみ。プルクラは手近な木の太い枝まで登り、そこに腰を落ち着けた。


 拡張袋から、またアウリが作ってくれたサンドイッチと水筒を取り出す。水筒を脚の間に挟み、サンドイッチを両手に持って齧りつく。

 腹が満たされたら、忘れないうちに縄を幹に回して自分の腰に結んだ。眠っている間に枝から落ちないようにするためだ。


 やるべきことを終わらせて頭と背を幹に預けると、夜行性の鳥や獣、虫の鳴き声と移動する音が耳に届く。辺りに人の気配はなく、人の営みを想起させる灯りもない。斜め上を見上げると空一面に星が瞬いている。

 思い起こせば、こんなに長い時間ひとりきりになるのは初めてだ。まるで世界に自分しかいないような錯覚を覚え、急激に寂しさが込み上げる。せめてルカインを連れて来るべきだったか。それとも、アウリと共にゆっくり帝都近郊を目指すべきだったか。


 いやいや、と頭を振ってその考えを追い出す。ひとりで行くと言ったのは自分だ。そして、みんな(ジガンとファシオ以外だが)は自分を信じてひとりで送り出してくれたのだ。だから最後までちゃんとやる。


 明日、副都ダグルスの近くまで行く。明後日は転移を繰り返して王都に戻るだけだ。

 この場所からダグルスに行くには、真っ直ぐ北東に進めば良い。一刻毎に、あと三つか四つの目印を作れば良いだろう。


 あー、お風呂に入りたい……。王都を発ってから半日で千五百ケーメルを移動したプルクラは、あっという間に眠りに落ちるのだった。

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