52 はじめてのおつかい
「プルクラが帰って来てるにゃ」
アウリの足元を歩くルカインが、アウリを見上げながら口にした。
クリルは自室で聖化の準備をするとのことで部屋に籠った。ジガンとファシオたち三人はディベルトの店近くで飲んでくるとのこと。結局、“黒金の匙亭”に戻ったのはアウリ、クリル、ルカインだけだった。
自室の扉が見えた廊下で、ルカインがプルクラの帰還をアウリに伝えたのである。
「駄猫、プルクラ様の気配が分かるのですか?」
「何となく分かるにゃ」
「ちっ」
「まさかの舌打ち!?」
駄猫が先にプルクラ様の気配に気付くなんて納得できません! 私の方が長く付き合っているし、深く愛しているのにっ!!
アウリからひんやりとした空気が漏れ出てきたので、ルカインは彼女から少し距離を空けた。
それでも、アウリはルカインを閉め出すような意地悪はしない。ちゃんとルカインが部屋に入るまで扉を開けて待つ。ルカインに対して憎まれ口ばかり叩くアウリだが、実は彼女も猫は好きなのである。猫、と言うよりも可愛いもの全般が好きなのだが。ただ、最近知り合ったくせにプルクラと仲良く見えるものだから、嫉妬しているだけなのである。
居間にはプルクラの姿がなかったので寝室の扉を開けると、プルクラが寝台の上で丸くなっていた。こちら側に顔を向けてすぅーすぅーと寝息を立てている。
「はぅ!?」
アウリは胸に手を当てて呻き声を上げた。プルクラの、まるで小動物のような可愛らしさが胸を貫いた、気がしたのである。そんなアウリを、ルカインがジトっとした目で見て少し後退りした。
ベッドの横に跪き、胸の前で両手を組んでプルクラの寝顔に見惚れるアウリ。ルカインは見ていられなくなり、居間の長椅子に飛び乗って無視を決め込んだ。
それから四分の一刻(約三十分)の間、プルクラが何かに魘されるようにして目を覚ますまで、アウリは寝顔をじっくりと堪能したのだった。
翌朝。ツベンデル帝国の帝都グストラルまで、どのように移動するべきかの話し合いの場が持たれた。ジガンとファシオは二日酔いのため休んでいる。昨夜、二人は飲み比べをしたらしい。ダルガとオルガが申し訳なさそうにしていた。
「ジガン、一番大人なのに」
「これからは大きな子供と思いましょう」
「ん、そうする」
クリルが苦笑いである。人生の先輩だから擁護したいが、二日酔いでは庇う余地がなかった。
「えーと、帝都だけど、近くまで転移で行きたいと思う」
「と言うことは、また目印を作るんですね?」
「ん。私ひとりで行くのが一番早い」
ここリーデンシア王国の王都シャーライネンから帝都グストラルまでは、直線距離にして三千ケーメルほど離れている。仮に地竜車で向かった場合、相当急いで二週間、普通なら一か月以上かかってもおかしくない距離である。
「プルクラ様、おひとりで……」
アウリが悔しそうな顔になって呟いた。
「王都に来る時、ヴァイちゃんに乗ったでしょ? アウリ、倒れそうだった」
「そ、そうですが」
「私ひとりでだいじょぶ。人が多い所にはいかない」
今回、距離があるため転移の経由地点を五~六か所程度作るつもりだ。速度自体は火翼竜に乗った方が速いが、自分の足で走った方が経由地点に相応しい場所を探しやすい。
身体強化三十倍程度で走れば、一刻(二時間)で五~六百ケーメル移動出来る。プルクラの体感だと、自分を含めて五人同時に転移する場合、一度に千五百ケーメル前後が魔力的に限界だと考えている。七人を二度に分けて転移させる場合、一往復半しなければならない。五~六百ケーメル毎に転移の経由地点を作り、そこに全員を転移させて一刻半程度の休憩を取れば、魔力は全快する。
転移自体は一瞬だが、休憩のことを考えると帝都まで二日は見ておいた方が良いだろう。
ブレント王子から預かった大判の地図を卓に広げた。黒竜の森を中心に、森の周辺国と主要な街や街道を記した地図だ。地図は軍事機密なので、複写しないこと、仲間以外に見せないことを条件に借りたものだ。
当然のことながら、ここシャーライネンから帝都グストラルまでを結ぶ真っ直ぐな街道など存在しない。途中、標高の低い山々や森、渓谷、大河がある。また、直線上には黒竜の森の南東の端部分も引っ掛かる。
「ここをこう進む」
プルクラは地図上でそれらの障害物を無視し、指で真っ直ぐに帝都までの線を引いた。
「いやいや、それは無理ではないですか?」
クリルがもっと安全な道がある筈だと苦言を呈した。
「この辺まで行けばあとは平地だし、ずっと森に住んでたからだいじょぶ」
プルクラはあくまで最短距離に拘った。
アルトレイとブレント王子によれば、バルドス・ロデイアが王都を発ったのはおよそ十日前。彼よりも先に帝都近郊に着き、事が起こればすぐに対応出来るようにしたいのだ。
「……やっぱりこう進む」
少し考えたプルクラの指先が、黒竜の森に近い場所を通るように目的地まで弧を描く。
「この辺りに中継地点を作っておきたい」
「何故ですか、プルクラ様?」
「この辺りなら、万が一の時、黒竜の森の小屋に転移出来る」
「なるほど」
プルクラたちの手に負えない事態になったらニーグラムに助けを求める、と約束した。そのためには森の小屋に転移できる中継地点を作っておきたい。助けを求めるだけではなく、万一の避難にも使える。
「最終的にはここ。帝都の西、副都ダグルス」
ダグルスは、帝都グストラルに一番近い大きな街。その距離は約十五ケーメルだ。
「良いと思います。帝都で何か起こればすぐに伝わるでしょうし、間に大きな障害もなく帝都近郊まで移動できる」
クリルがプルクラの案に賛成し、アウリたちも頷く。
「プルクラ、ウチも置いていくにゃ?」
「ん。ルカもお留守番してて?」
「分かったにゃ」
かなりの速度で走るので、例えルカインを袋に入れて担いでも尋常ではない揺れになる。ルカインがそれに耐えられるとは思えなかった。
「とりあえず、今から行ってくる」
「今からですか!?」
「ん」
これから直ぐに発つと聞いて、アウリが少々狼狽える。心の準備が、などと言っているがプルクラが行くのだからアウリの準備は不要だ。心の準備など、いつまで経っても調う筈がない。
「プルクラ様、野営の道具は持ってますか?」
「ん」
「食料と水は?」
「だいじょぶ」
「お金は? お金は持っていますか?」
「ん」
「……出掛ける前にぎゅっとさせてください」
「ん……ん?」
アウリがプルクラの背に手を回し、ぎゅっと抱き着いた。
「プルクラ様……知らない人に付いて行ったら駄目ですよ?」
「分かった」
「危ない時は全力で敵を滅ぼしてくださいね?」
「……ん」
クリル、ダルガ、オルガの三人はアウリの様子を生温かい目で見ていた。これでは幼い子供を初めておつかいに行かせる母のようではないか。最後の言葉は物騒だったが。
「クリル、ルカ。アウリをお願い」
「お任せください」
「分かったにゃ!」
アウリが名残惜しそうに体を離す。
「アウリ、三日くらいで帰ってくるから」
「はい……お気を付けて」
「じゃ、行ってきます」
プルクラはその場から転移で消えた。プルクラ、初めてのひとりでおつかいである。
*****
その日、帝都グストラルの東にある飛空艇発着場に、とある魔導具が運び込まれていた。帝国の北西部にある“研究所”から魔導飛空艇を使って運ばれたのは、研究所所長ケルダン・ベルグレイ子爵の主導で開発された“転送魔導具”である。白衣を着た研究員が三十名、そして“養成所”から間諜部部長のガレイ・リーガルド男爵、その部下三十名も同行していた。
「ベルグレイ所長、いよいよですな」
「リーガルド部長。君の作戦が採用されて誇らしいよ」
転送魔導具は、ごく限られた魔術師しか行使できない「転移」を実現する魔導具であるが、魔力量のかなり多い者しか通れないという難点がある。また、転送距離が長くなるに伴って必要な魔力量も増えることが分かっている。つまり、現状ではこの転送魔導具は大規模な軍の移送には使えないということだ。
それでも、皇帝はこの魔導具を用いた作戦立案を命じた。彼は北西部で国境を接するランレイド王国、さらにその西にあるヨルデイル聖国への侵攻を画策している。ランレイドへ進軍すれば南のリーデンシア王国はランレイドを援護するか、もしくは真逆となる帝国南東部から侵攻を仕掛けてくるかもしれない。
帝国には魔導飛空艇が八艇就航しているが、これらの搭載可能人員数は最大で七百人程度。小さな町や村を制圧するならまだしも、国に侵攻するには全く足りない。
大国となった弊害は、長大になった国境線を守備するのに膨大な兵力が必要なことである。兵員の数を増強すれば良いのだが、一端の兵に育てるには時間と金が掛かるし、大国を維持するのに兵ばかり増えても仕方ないのだ。
不足する兵員を補う一つの方法が「兵の移動速度を上げること」。その為の魔導飛空艇であり、転送魔導具なのだ。いずれ一艇で千人が乗れる飛空艇が完成し、魔力量が人並み程度の兵でも転送可能になれば……ツベンデル帝国はこの大陸全土をその掌中に収めるだろう。
今回はガレイ・リーガルドが立案した作戦を、皇帝の前で披露するのが目的である。
限られた時間の中で、ガレイはいくつかの試みを行った。
まず、一般的な魔力量の兵士に魔石を持たせて転送魔導具を通らせようとしたが、あえなく失敗。次に、中級魔術師を数人招集してどれくらいの距離を転送出来るか調べた。比較的魔力量の多い彼らでも、距離は百ケーメル程度しか稼げなかった。
上級魔術師は帝国内で二百名強。だが殆どの者が各所の守備で動かすことが出来ない。いかな上級と雖も、数名を転送したところで戦力として不足もいいところだろう。
ここで発想を転換した。敵国を攻めるのなら兵士や魔術師でなくても良いではないか。敵国に魔獣を送り込めば良い。
ガレイは、転送魔導具の“入口”側を黒竜の森に設置しようと考えた。そもそも魔力量がかなり大きくなければ通過できないのだから、弱い魔獣は転送されない。この魔導具の難点を逆手に取り、強い魔獣だけを目的地に送り込むことが出来る筈。
黒竜の森付近に展開している帝国軍から一時的に百名を動員し、森の東端から十ケーメルの地点に“入口”を設置した。
“出口”側には上級魔術師十名、兵士二百名を配置した上で魔導具を起動。この試験で長爪熊、赤牙猪、鉄蜥蜴など強力な魔獣二十匹余りを転送することに成功した。
この実績により、飛空艇発着場にて魔獣転送の実演を行うことになったのだ。
皇帝が視察するため万一があってはならないので、発着場の警備は万全を期すことになっている。上級魔術師四十名、兵士千名の動員が予定され、兵士は全員が魔導銃で武装する。転送された魔獣は即座に殺す心算である。
実演が行われるのは三日後。ガレイ・リーガルドは程よい緊張を感じながらも、皇帝の目に留まることへの期待で天にも昇る心地だった。
*****
フードを目深に被ったナーレ・ベイリンガルトは貸し切った地竜車に揺られていた。
十五年前、母アントワール・ベイリンガルトは叔父であるジューダスと共に黒竜の森で消息を絶った。その理由や経緯について、帝国はナーレに一切を知らせることがなかった。
当時十一歳だったナーレは、母が大魔導と称される優れた魔術師であること、そして帝国魔術師団の次席であることを当然知っており、職務で黒竜の森へ向かったことも聞いていた。だから、帰って来ない母の捜索を魔術師団に繰り返し訴えた。
魔術師団はナーレの訴えを悉く退け、母の捜索に動こうとはしなかった。帝国軍にも捜索を陳情したが、これも聞き入れられることはなかった。
ナーレ・ベイリンガルトは、帝国が母を見捨てたと思った。そしてそれは事実だった。
その後数年かけて、母が旧クレイリア王国の筆頭魔術師と王族の生き残りの追跡に駆り出されたことを突き止めた。
帝国が仕掛けた戦争。母はその尻拭いに赴き、恐らく失敗したのだ。それを命じた誰かは母を顧みることなく、まるで母など最初からいないように扱われた。
父は母がいなくなる二年前に病死し、兄弟もいないナーレは帝国への恨みを一人募らせた。そんな国に居るのが嫌で、単身リーデンシア王国に渡ったのが十五歳の時。
幼少の頃より母から魔術の手解きを受けていたナーレは、その後独学で魔術の研鑽を積む。それは、いつか帝国に一泡吹かせるためだった。膨大な文献を読み、古い魔術書を解読し、遂に一つの魔術に行き当たった。
降霊術。過去、戦争で使われた禁断の魔術。
これなら帝国を滅ぼすことだって出来るかもしれない。お母さんを死に追いやった奴らを皆殺しに出来るかもしれない。
そんなナーレ・ベイリンガルトが、帝国への復讐に取り憑かれたバルドス・ロデイアに出会ったのは運命か、神の悪戯か。とにかく二人は出会ってしまった。“剣鬼”と呼ばれた元クレイリア王国第二騎士団長と、大魔導の娘で古の禁術を会得した魔術師が。
今、地竜車の中には志を同じくした者が六名乗っている。彼らはナーレの護衛だ。向かっているのは帝都グストラルの北、三ケーメルの地点。そこに最後の魔法陣を刻み、魔法陣を起動すれば術は完成する。“死霊王”が降臨するのだ。
ナーレは、死霊王に蹂躙される帝都を想像してほくそ笑むのだった。
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