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50 兄の望み

 プルクラたち三人は、執事の案内で屋敷の奥へ向かった。

 リープランド伯爵家はブレント・リーデンシア第三王子派閥で、王子付きの近衛騎士ミスティア・リープランドはこの家の次女に当たる。


 しばらく歩くと、扉の前に見たことのある女性騎士が立っていた。


「プルクラ殿、ジガン殿。その節は助かった。改めて感謝申し上げる」


 プルクラたちが初めて王都を訪れた際、北門の近くでブレント王子が乗る魔導車が水晶鼠の群れに囲まれていた。ミスティアはその件に触れて礼を述べた。プルクラたちは軽く会釈して返す。


「ブレント殿下とアルトレイ殿がお待ちだ。……プルクラ殿ご一行、ご到着なされました」

『通してくれ』


 ミスティアが室内に声を掛けると、くぐもった返事が聞こえた。扉を開けてくれたので、ジガンを先頭に中へ入る。ブレント王子は椅子に座ったまま、そしてもう一人の男性が立ち上がってプルクラたちを迎えた。


 大きな窓から差し込む光が男性に当たる。蜂蜜色の髪は耳の上で整えられ、好奇心に満ちた明るい緑色の瞳がプルクラを捉える。男性にしては白い肌、背はジガンと同じくらい高く、体つきは細い。そして、男性ということを差し引けば、その雰囲気はプルクラと驚く程似通っていた。


 ブレント王子も立ち上がり、プルクラとアルトレイを見比べた。


「やはり……おっと失礼。こちらがアルトレイ・クレイリア殿だ。アル、こちらがプルクラ殿とアウリ殿。ジガン殿は知っているな?」

「ジガン……息災そうで何よりです。プルクラさん、アウリさん。はじめまして、アルトレイ・クレイリアと申します」


 この人が、兄さん……。プルクラの印象は「優しそうな人だな」程度で、それ以上の特別な感慨は湧かなかった。軽く頭を下げたアルトレイに向かって会釈をする。


 長方形の低い卓を挟み、向かいの長椅子にアルトレイ。左手の一人掛け椅子にブレント王子。プルクラたちは、左からジガン、プルクラ、アウリと並んで腰掛けた。ジガンが最初に口を開く。


「アルトレイ殿下、お元気そうで何よりです」

「もう殿下ではないよ……ええ、お陰様で」


 それからしばらく、ジガンとアルトレイが思い出話に花を咲かせる。王都に辿り着いた後の話のようだ。そして、ジガンが王都を離れた後のことをそれぞれが話した。

 アルトレイは十五の成人で男爵位を授かり、現在は王城で王都と周辺地域の普請関連の公務に携わっていると話した。五年前に別の男爵家の次女と婚姻し、一男一女に恵まれたのだと言う。子供の話をするアルトレイは端正な顔をデレデレと綻ばせる。


 甥と姪がいるのか。可愛いだろうな。奥さんはどんな人だろう? きっと家庭的で優しく、兄さんを支えてくれる人に違いない。

 良かった。兄さんは幸せそうだ。


「ジガンは……独身なのかい?」

「……ほっといてください」


 ハハハ、と朗らかな笑い声が響く。ジガンとアルトレイのやり取りを見ていると、プルクラにも自然と笑みが浮かんだ。


「ところで……プルクラさん、でしたっけ? 貴女はどうして私と会おうと?」

「……ジガンが気にしてたから」

「なるほど。そういうことですか」

「ん。ししょーの望みを叶えた」


 嘘だろ!? とジガン、アウリ、ブレント王子の心の声が一つになった。この三人から見れば、プルクラとアルトレイはどう見ても親族。兄妹と言われたら十人中十人が納得するくらい容姿と雰囲気が似ている。プルクラが誤魔化そうとしている理由はよく分からないが、それでアルトレイが疑問を持たないことに驚きだった。


 プルクラは、アルトレイが幸せそうなことが分かって満足だった。自分が彼の妹であることを明かして、彼の幸せに水を差したくなかったのである。死んだと思っていた妹が生きていると分かれば、辛い過去を思い出してしまうかもしれない。それはプルクラの望みではなかった。


「実は……私には妹がいまして」

「へぇ?」

「妹がまだ赤子の時に離れ離れになって。生きているのか、死んでいるのかも分かりません。でももし生きていれば、丁度貴女と同じか、少し年上くらいでしょう。貴女や私と同じ、真っ白な魔力を持つ子でした」


 アルトレイが少し遠い目をする。その目は悲しみではなく、懐かしさで細められていた。


「魔力?」

「ああ、すみません。私の家系には魔力の色が視える者がいるんですよ」

「なるほど」

「不思議です……貴女には親近感が湧きます」

「そう?」

「ええ」


 そりゃ親近感も湧くだろう。兄妹なのだから。再びジガンたちの心の声が一つになった。プルクラはあくまでも他人の空似で押し通すつもりらしい。


「そう言えば、バルドス団長は?」


 話を変えようと、ジガンが割って入った。


「…………実は、ジガンがいると聞いて、その話がしたくて会談を設けてもらったんだ」


 和やかだった場の空気が変わる。あまり良くない話のようだとジガンは察した。明るかったアルトレイの瞳が翳ったように感じる。


「バルドスが復讐に取り憑かれたようになったのはジガンも知ってるだろう?」

「ええ、まあ」

「彼は今、恐らく帝都に向かっている」

「帝都? グストラルですか?」


 アルトレイが重々しく頷いた。グストラルはツベンデル帝国の帝都である。つまり、バルドス・ロデイアは復讐を完遂するために帝都へ向かったということか。


「彼は長年かけて準備をしてきたらしい。それが、ある魔術師と出会って帝都を陥落させる目途が立った」

「……魔術師が一人味方になったところで、帝都を落とすなんて無謀でしょう?」

「私もそう思って彼を止めようとしたんだ。だが、止められなかった……詳細は聞けなかったが、どうやらその魔術師は『降霊術』を使うらしい」


 「降霊術」と聞いて、プルクラの肩がビクッと震える。


「なんでも、その魔術師はかつて帝国で大魔導と称された魔術師の娘らしい」

「帝国の大魔導と言えば、ベイリンガルト兄妹ですね……そのどちらかの娘、と。その娘が、帝国に復讐しようとする団長に加担? おかしくないですか?」

「それが、その娘も帝国に恨みを抱いているそうなんだ」

「恨み……」


 それが本当なら、バルドスに与しても不思議ではないが……それでもやはり、降霊術が使えるからと言って帝都を落とせるとは思えない。


「バルドスは魔石を大量に掻き集めていた。大規模な『降霊術』のために」

「死霊王……」


 プルクラから小さな呟きが漏れた。


「プルクラさん、よくご存じですね。そう、バルドスはその魔術師に“死霊王”を呼び出させようとしているんだ」


 数百万の食屍鬼や霊魔を従える死霊の王。確かに、死霊王が降臨すれば帝都を滅ぼせる可能性は高い。

 高いが、プルクラにとっては非常に迷惑な話だ。死霊王、つまり“お化け”の王様。その王様は、帝都を滅ぼした後どこへ行く? 帝都で“お化け”の仲間を更に増やして、そのまま他の地に住まう生者を襲うのではないか? それはやがて、帝国を飛び出して別の国へ、プルクラたちがいる場所へ押し寄せるのではないか?


「バルドス……許すまじ」


 プルクラが小さな拳をプルプルと震わせる。その震えは恐怖からか、それとも怒りによるものか。隣に座るアウリが、プルクラの拳を自分の手でそっと包んでくれた。


「アウリ……」

「大丈夫ですよ、プルクラ様」

「……ん」


 プルクラとアウリに向かって、アルトレイが軽く頭を下げた。


「申し訳ない。貴女たちにこんな話を聞かせるつもりはなかったんだ」

「アルトレイ様、お気になさらず。私たちは大丈夫ですので、続きをどうぞ」


 プルクラを労わるような視線を切って、アルトレイがジガンに向き直る。


「ジガン。私は……バルドスを死なせたくない」

「そりゃ俺――私だってそうですよ」

「帝国に思う所はあるが、帝都には無辜の民だって大勢住んでいる。もし本当に“死霊王”を呼び出せたとしたら、帝国は死の大地へと化してしまう。それは帝国に留まらないだろう」

「……俺にどうしろと?」


 最早、ジガンは言葉を取り繕うのを止めた。アルトレイが言おうとしていることが分かったからだ。


「…………バルドスを止めて欲しい」


 予想通りのことを言われ、ジガンが苦い顔になる。そっとブレント王子の方を窺った。


「殿下。王国は帝国と敵対していますよね? バルドスの目論見が上手くいけば、王国としては喜ばしいのでは?」

「敵対はその通りだ。だがその国土と国民全てが穢れに蹂躙されることは望まん」

「そりゃそうですね」

「だからと言って、王国として帝国内で大々的に軍事行動はとれん。宣戦布告と見做される」

「たしかに」


 つまり、ブレント王子は俺たちを使ってバルドス団長の目論見を潰したい、と。もっと端的に言えば、死霊王が帝都を落とすのは構わないが、帝国全土に被害が及ぶのを止めたいということだろう。この会談の目的はそういうことか、とジガンは一人納得した。

 プルクラの方に視線を向けると、彼女と目が合う。明るい緑色の瞳が爛々と光っているように見えた。こいつやる気だな。お化け怖いとか言ってたくせに。


「プルクラ?」

「アルに――アルの望みはバルドスを死なせないことだけ?」


 ジガンの問い掛けを無視し、プルクラはアルトレイに尋ねた。「アル」といきなり愛称で呼ばれた彼は目を丸くする。


「う、うん、そうだね」

「分かった。約束は出来ないけどやってみる」


 この場で最も幼く華奢な少女が「やってみる」と言い放った。どう反応して良いか分からず、アルトレイがブレント王子に助けを求める。


「アル。言ってなかったが、彼女は近衛騎士団長を含む百名以上を一人で軽々と倒したのだ」

「は?」

「プルクラ。討採組合を通して、正式に国から依頼を出して良いだろうか?」


 アルトレイの驚きを受け流し、ブレント王子がプルクラに問うた。


「んー。依頼の内容を見て、みんなと相談して受けるか決める。だけど、いずれにせよバルドスはどうにかする」

「そう、か……うむ。それなら今、国の要望を伝え、依頼内容を決めようではないか」

「……アウリ、ジガン?」

「その方が良いかと思います」

「うん。もう巻き込まれるのは確定なんだろ? なら今決めちまった方がいいだろうな」


 それからリーデンシア王国の希望を踏まえた依頼内容について話し合うことになった。





 アルトレイの希望は、バルドス・ロデイアを死なせないこと。可能であれば、彼が復讐の軛から解き放たれること。

 ブレント・リーデンシアの……と言うかリーデンシア王国の望みは、ツベンデル帝国に可能な限りの打撃を与えつつ、帝都以外の国土と国民を出来るだけ守ること。

 ブレント王子が言うには、皇帝とその一族が滅ぶのは望む所らしい。これは過去帝国によって征服・併呑された国から王国に逃れてきた者やその末裔の望みでもあると言う。つまり帝国に憎しみを抱く者たちが大勢いて、王国はそれらに代わって帝国を誅したいわけだ。


 プルクラも帝国を嫌っている。アウリに酷いことをしたからだ。ただ、帝国はアウリにとって祖国でもある。


「……アウリは、帝国にどうなって欲しい?」

「私は…………正直、帝国がどうなろうと気になりません。大切な人たちは皆帝国以外にいますから」

「ん」

「ただ……皆が笑って暮らせるような国になればいいな、とは思います」


 アウリは、自分でもそれが単なる理想論だと分かっている。周辺国から怖れられ、積年の恨みや憎しみが簡単に消えないことも。


「ブレント殿下、皇帝が死ねば帝国はいい国になる?」


 プルクラ自身帝国が嫌いだが、それはアウリに酷いことをした一部の人間のせいだと理解している。帝国人が全員悪人である筈がない。ただ、酷いことを指示する人間が居なくなれば、アウリが言うような「皆が笑って暮らせる」国になるのだろうか。それが知りたい。


「皇帝ひとりが死んですぐさま良い国になるかと問われれば、それは難しいと言わざるを得ん。後継者が決まっていなければ指揮系統が混乱し、場合によっては内乱に繋がる恐れもある。ただ……」

「ただ?」

「少なくとも、良い国に変わる第一歩にはなり得る」


 ブレント王子の言葉はプルクラの腑に落ちた。帝国が良い国になるには長い時間が必要かもしれないが、現皇帝ではその第一歩さえ踏み出せないのだ。ならば現皇帝は倒されるべきだろう。それは分かった。


「バルドスは……どうすればいい?」


 今度はジガンに向けて尋ねる。


「どうって止めりゃいいんじゃねぇの? お前なら簡単だろ」

「そうじゃなくて……復讐、させてあげた方がいい?」

「そりゃ、帝都が滅びれば団長も少しはすっきりするだろうが……え、まさか“降霊術”見過ごすの?」

「“死霊王”と死の軍勢が帝都を滅ぼすのが、一番かんたん」


 “死霊王”が伝承通りの存在なら、帝都くらい簡単に滅ぼせるのではないか? 帝都の戦力は良く知らないけれど。

 お化けと帝国がやり合うだけなら味方の損耗はない。思う存分やり合ってくれたら良いと思う。


「一番簡単ってお前……後始末はどうすんだよ?」

「お父さんとレンダルに相談してみる」

「おぅ……プルクラにしちゃ滅茶苦茶まともな――(いて)っ!?」


 プルクラは、隣に座るジガンの脛を蹴った。

 魔術師の降霊術で“死霊王”が降臨するというのは確実な話ではない。だが最悪の事態を想定しておく方が良いだろう。


「プルクラ。つまり其方は、帝都が滅ぼされるのを待ち、その後“死霊王”とその軍勢を掃討するというのか? そしてバルドスを連れ帰る、と?」

「ん。それがいい、気がする」

「ふむ……。ならばそれに沿って依頼を出そう。前金で白金貨一枚(約一億円)、成功報酬として白金貨二枚でどうだ?」

「アウリ?」

「聖化武器を人数分用意する必要がありますね。その分の経費は?」

「勿論それも支払おう」

「プルクラ様、その条件で問題ないかと存じます」

「ん、分かった。ブレント殿下、それでお願い、します」

「うむ」


 出発の準備が調うまで引き続き“黒金の匙亭”に逗留して良いことになった。


 アルトレイの幸せが続くように。友であるバルドスの行動が、兄の心をかき乱さないように。プルクラの望みはそれだけだ。そのためにリーデンシア王国からの依頼を受託し、自分に出来ることをやろうと決めた。

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