49 馬子にも衣裳
「明日、五の鐘(午前十時)の頃にお迎えに上がります」
ブレント王子の使者は、プルクラたちにそう告げて帰って行った。
使者によれば、とある第三王子派の貴族邸にて、アルトレイ・クレイリアと直接会う機会を作ってくれたらしい。居場所を知りたいと告げただけだったのだが、会談の場を調えてくれるとは。
使者の話では、その会談はアルトレイが望んだものだと言う。プルクラのことを先方にどのように伝えたのか尋ねると、可憐な容姿の若い討採者だが、メディオ・ガッツフォルト近衛騎士団長と比肩する力を持つ女性と説明したらしい。ただ、そのままでは怪しいことこの上ないので、アルトレイに害を及ぼすような人物ではないとブレント王子が保証してくれたようだ。
更に、ブレント王子は元クレイリア王国第二騎士団副団長であるジガンのことも伝えている。十五年前の話ではあるが、ジガンはアルトレイやバルドス・ロデイア団長と共に半年以上行動した。つまり、アルトレイにとってジガンは知らない人間ではないのだ。そのことも、彼が会談を希望した理由であろう。
「メディオと肩を並べた覚えはない」
「そうです。プルクラ様の相手にすらなりませんでした」
「軽く負かしたって言ったらどんな恐ろしい女かと思うだろうが」
「そう?」
「警戒されるより、少し侮られるくらいがやりやすいぞ?」
「なるほど?」
まぁ、プルクラは見た目で侮られるので各地の討採組合で絡まれるわけだが。それは迷惑なので止めて欲しいと、プルクラだけではなくジガンも切実に思っている。
「……いずれ名が売れりゃあ迂闊な奴も減ると思うがなぁ」
「別に有名になりたくない」
「ま、それはそれとして……明日は少人数でってことだが、プルクラは当然として、俺とアウリでいいか?」
ジガンの言葉はクリルに向けられたものだった。本当ならアウリも置いて行くべきだろうが、アルトレイ・クレイリア元第三王子と、人見知りを発動したプルクラの二人を自分ひとりで相手するのは心底面倒だと思うジガンは、当たり前のようにアウリの同行を告げた。
「私はそれで構いませんよ」
クリルが優しげな笑みを湛えて答える。昨夜、クリルとルカインにはプルクラの出自を打ち明けた。ジガンとアルトレイに面識があることも。クリルとしても、生き別れた家族や旧知の人間との再会に水を差す気はない。
「私は王都の神殿にでも顔を出してきます」
元巡礼神官として挨拶くらいはしておきたい、とクリルは述べる。
「私たちは適当に依頼でもこなすわぁ」
ファシオの言葉には、ダルガとオルガが頷いて同意を示した。
「ウチは留守番してるにゃ」
「ルカ、ひとりで寂しくない?」
「大丈夫にゃ!」
ルカインはプルクラとアウリの部屋で留守番することが決まった。
「本来なら、ちゃんとした服を着ていくべきなんだろうなぁ」
「あら。プルクラ様と私はドレスがありますが?」
「え」
念の為、貴族の前に出るのに相応しい服を、アウリは用意していた。
「今から仕立てるのはとても間に合いませんから、貸衣装でいかがでしょうか?」
当然ながら、ジガンは礼装など持っていない。今着ている服が襤褸というわけではないのだが、貴族邸で会うならアルトレイは貴族相当の扱いを受けていると考えた方が良い。自分だけなら良いが、相応の服装をしなければ、プルクラやアウリ、それにアルトレイに恥をかかせることになりかねないのだ。
「……貸衣装しかなさそうだ」
急に貴族を訪問しなければならなくなった平民のために、貸衣装屋が存在している。一から仕立てるより遥かに安いが、一度しか着ないと考えると馬鹿高いのだが。
ということで、ジガンは明日のために貸衣装屋へ行くことに。プルクラとアウリはそれに付き合うことにした。他の面々は宿でゆっくりするとのことだ。
“黒金の匙亭”でお勧めの貸衣装屋を教えてもらい、三人でそこに赴いた。
「いらっしゃいませ」
執事のようなかっちりとした服装の男性に出迎えられる。レンダルよりは年下だが、ジガンよりはずっと年上の印象。
貸衣装屋は、“黒金の匙亭”と対照的な白亜の建物だった。もちろん宿よりずっと小さいが、間口は近隣の商店と比べてもかなり広い。一階の殆どが透明なガラス張りで、店内の様子が見て取れる。
「あー、明日貴族街に行くから、それなりの服を借りたいんだが」
「かしこまりました」
男性が合図すると店の奥から女性が二人現れ、ジガンの体の各部を計測し始めた。ジガンは言われるがまま腕を上げ下げし、女性たちは慣れた手つきで流れるように仕事をこなす。プルクラはその熟練した仕事ぶりに目を丸くした。
「お嬢様方はよろしいのですか?」
「私たちは自前の服がございますので」
「左様でございますか」
老齢の紳士がアウリに微笑む。嫌味がなく、それでいて媚びるところのない笑み。どんな顔をして良いのか分からず、プルクラの挙動がおかしくなる。そんな彼女の様子も、老紳士は優しい笑みを浮かべながら見て見ぬふりをしてくれた。
衣装を準備する間、控えの間に通された三人は、長椅子に腰掛けて供された紅茶に口をつける。
「貴族街にあってもおかしくない店ですね」
「……こういう所、緊張する」
見た目と違って小心者のジガンが思わず零した。控えの間はそれほど広くはないが、落ち着いて過ごせるように品の良い調度品が並べられ、色彩豊かな花が活けられた花瓶も置かれていた。
実際、平民でも豪商などの富裕層や、他の街から来た下級貴族が利用する店である。接客してくれた老紳士は、相手がどのような身分でも一貫して慇懃な態度を崩さないとして信用のある貸衣装屋であった。
そして、そんな店が扱う衣装は当然の如く一級品である。
「お待たせいたしました。準備が整いましてございます」
光を反射するほど磨かれた革靴。絹のような光沢と質感の礼服上下。内衣は触り心地抜群の真っ白なシャツ。目を凝らせば、礼服とシャツには同系統色の糸で精緻な刺繍が施されている。上品かつ豪奢で、これなら下級貴族と言っても通るだろう。服だけならば。
「ご入用は明日と伺いました。少々お時間をいただければ、御髪も整えさせていただきますが?」
「ぜひお願いいたします。四の半鐘(午前九時)頃に伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます」
「では先にお支払いを」
「ありがとうございます。衣装と靴で大銀貨八枚(約八十万円)、ご返却時に大銀貨四枚をご返金いたします」
「だっ、大――」
金額を聞いて腰が引けたジガンを押し退け、アウリが革袋から金貨を取り出して老紳士に手渡した。
「お釣りは衣装の返却時で構いません」
「かしこまりました。それでは明朝、お待ちしております」
恭しく頭を下げた老紳士に礼を述べ、三人は貸衣装屋を出る。
「アウリ、金――」
「プルクラ様の用事に付き合っていただくのです。当然こちらでお支払いいたします。ね、プルクラ様?」
「ん、当然」
貸衣装屋で一言も声を発しなかったプルクラが、アウリの言葉に胸を張って答えた。
「……ありがたく甘えさせてもらうよ」
「ししょーは弟子に甘えればいい」
「逆じゃねぇか?」
「そう?」
「いや、そうでもないのか? 師匠は弟子を甘やかさない……か?」
ジガンもよく分からなくなったようだ。
「どちらでも良いじゃないですか。プルクラ様がいいっておっしゃるのですから」
「ん、そう」
「そう、か?」
「ん」
ジガンは首を傾げながら、プルクラとアウリについて宿に戻った。
翌朝。いつもより早い時間に起こされたプルクラは、朝から風呂に入れられ、ドレスを着せられ、髪を整えて薄く化粧を施された。もちろん全てアウリの手によって、である。
「プルクラ様! とってもお似合いです!!」
胸の前で両手を組んだアウリは、目を輝かせながらプルクラを誉めそやす。
濃紺の半袖ドレスは足首の上までを覆い、襟ぐりは丸く、鎖骨が少し見える程度に開いている。肘の上まである同色の手袋と袖の隙間から見える肌は白く滑らか。足元は臙脂色のハイヒールである。履き慣れない靴だが、持ち前の身体能力と鍛えられた体幹で貴族子女と見紛う姿勢の良さだ。
元クレイリア王国第二王女なので、貴族子女と言うより王族である。ただし王族教育など施されたことは一切ないので、この服装で漂う気品は姿勢の良さとアウリの手腕によるものだろう。
肌には粉を軽くはたき、元々桜色の唇に薄く桃色の紅を乗せただけ。それ以上の化粧は必要ないとアウリは判断した。
「……変じゃない?」
「とんでもない! 正しく王女様のようです!」
プルクラの正装を横目でチラチラ見ながら、アウリは自分の支度を手早く整えていく。見る見るうちにドレス姿の淑女に変身した。
アウリのドレスは髪色より少し濃い青。プルクラの紺より薄い色だ。勿論、アウリが意識してお揃いにした結果である。
アウリの体も鍛えられているのでハイヒールを履いても全くふらつかない。二人とも貴族子女と言っても疑われないだろう。
「さ、ジガン様を連れて貸衣装屋に行きましょう」
「ん」
ルカインに留守番を任せた二人は、連れ立ってジガンとクリルの部屋を訪れた。
「ジガンー、来た」
「ジガン様、お時間でございます」
扉を軽くノックし、廊下から室内に声を掛ける。少し待つと扉が開き、クリルが顔を出した。
「おはようございます。お二人とも……とてもお似合いですね」
細い目を一瞬見開いたクリルは、いつもより少しだけ笑みを深めて二人を褒めた。
「ありがと、クリル」
「ありがとうございます、クリル様。ジガン様は?」
「もう来ると思います」
クリルの言葉通り、ばたばたとジガンが走ってきた。僅かに頬が紅潮しているのは、風呂上りだからだろう。
「待たせた…………プルクラとアウリ、だよな?」
二人の姿を見たジガンは少しの間固まり、確認の言葉を発した。いつもより数段輝いて見えたため狼狽えたのだ。ある意味失礼である。
「……それ以外に見える?」
「い、いや。じゃ、行こうか」
「ん」
三人は昨日訪れた貸衣装屋を再訪した。プルクラとアウリを見た老紳士が感心したように眉を上げ、深々と頭を下げて出迎える。ジガンの準備が出来るのを待つ間、また控えの間に通された。
よくよく考えてみたら、プルクラとアウリがここに来る必要はなかった。ジガンは立派な大人なのだから、ひとりで問題なかった筈。“黒金の匙亭”に迎えが来るからまた戻らないといけない。
ま、いっか。靴に少し慣れたし、老紳士にも会えたし。そんな風に想いながら、プルクラは紅茶に口をつける。貸衣装屋の老紳士のことを、彼女は結構気に入っていた。
しばらく待つと、礼服に着替えて髪を整えられたジガンが控えの間に入ってきた。すらりとした長身の彼がきちんとした服を纏うと、それだけで印象がかなり違う。さらに灰色の髪が全て後ろに撫で付けられ、別人のように気品が漂っていた。
「よう、待たせたな」
「…………誰?」
「俺だよ、ジガンだよっ! そんな悲しくなること言わないで!?」
「ジガン……かっこいい」
「ジガン様、今後は常にその恰好でお願いします」
「無茶言うなよ!?」
老紳士が三人のやり取りを微笑ましく見つめていた。
「……失礼いたしました。では本日夕刻か、明日の朝衣装の返却にお伺いいたしますので」
アウリが挨拶し、プルクラとジガンも会釈して貸衣装屋を出る。来る時もそうだったが、宿に戻る途中も三人にチラチラと視線が向けられる。プルクラはジガンの背に隠れるようにして歩いた。
“黒金の匙亭”の前には一台の魔導四輪車が止まり、昨日見た使者がその傍らに立っていた。プルクラたちに気付くと丁寧に頭を下げる。走竜に跨った騎士に見覚えはないが、四騎控えている。恐らく護衛だろう。
「……まさか魔導車で迎えに来るとは」
「珍しい?」
「そうだな。見たことはあるが乗ったことはねぇな」
直方体を寝かせたような形で、四隅に車輪が付いている。色は黒、大きな窓が前後二か所、左右にはそれよりも小さな窓が計六か所付いていた。側面の三分の二を占める扉は観音開きで、使者が恭しくその扉を開けてくれた。そこから乗れ、ということらしい。
「プルクラ殿、どうぞ中へ」
プルクラは、ドレスの裾を軽く持ち上げ少し身を屈めて中に入った。床と天井は天鵞絨のような布地。天井には四か所、灯りの魔導具が埋め込まれている。前後で向き合うように設置された長椅子は、座面と背もたれが見たことのない程分厚い。表面は濃い茶色の革張りだ。
プルクラとアウリが並んで座り、ジガンはその向かい側に座った。使者によって扉が閉められ、その彼が前の座席に乗り込む。後ろからは見えないが、そこにこの魔導車を動かす機構があるのだろう。車がゆっくりを動き出し、護衛の騎士たちが周りを囲んで進む。
王都内の道は石畳で、それなりに段差があるのだが殆ど振動がない。耳障りな音などもなく、非常に快適だ。
プルクラは車内をキョロキョロ見回したり、窓の外を眺めたりと忙しい。魔導車はあっという間に貴族街へと入り、間もなく一軒の邸宅の門を潜った。屋敷の玄関に近い車寄せで停車し、また使用人が扉を開けてくれる。
ジガンが真っ先に下りて、アウリ、続いてプルクラの手を取って下りるのを手助けしてくれた。プルクラは少しだけジガンを見直した。
玄関は開け放たれ、その左右に執事と侍女が並び、頭を下げたまま待っている。そのまま進むと執事が顔を上げた。
「プルクラ様、ジガン様、アウリ様。ようこそリープランド家へ。ブレント殿下とアルトレイ様がお待ちでございます」




